年森瑛「バッド入っても腹は減る」第9回
肌寒さで目を覚ました。
重たい窓ガラスをずるりずるり引きずって開けると、冷たく湿った空気が肺を満たした。日が当たるところまで身を乗り出す。残り火のような日差しが私を包んだ。秋だった。
ここ3週間くらい、帯状疱疹という病気によって右足の神経がウイルスにやられてしまい、ろくに歩けない状態になっていた。寝ても覚めても激痛で、上司に平身低頭して在宅勤務にさせてもらった。上司の上司からは睨まれたが、痛いものは痛いし、歩けないものは歩けない。そうしてベッドでうねうねしている間に夏が終わっていた。
それからやっと痛みも治まってきて、今頃はサハラさんが京都からやってきてうちに泊まっているはずだった。ところが大型台風によって東海道新幹線が全線運休になり、お泊まり会は延期になった。私としても万全の体調ではなかったので良かったのだが、おかげで私がリクエストした大量の阿闍梨餅はサハラさん一人で消化する羽目になったようだ。ふつうに気の毒である。
『ここはすべての夜明けまえ』(間宮改衣)はサハラさんから「感想が聞きたいので読んでほしい」と半年前に言われていた小説だった。こういう時、良好な人間関係を維持するためにはすぐ読んで感想を伝えたほうが良いことは知識として分かっているのだが、何となくこの本を読むのは“今”ではないという勘がはたらいたので放置し続けていた。サハラさんは私が紹介した本をすぐさま読んでくれる人なので、そう考えると誠実さに欠けているのかもしれない。とはいえ同じものを返すことだけが誠意でもないだろうし。ともかく、読むべきときが来た気配がするので読む。
舞台は2123年。九州の山奥で暮らす〈わたし〉は101年前に「ゆう合手じゅつ」を受けて、機械の身体で生活している。生身のままだった他の家族たちは死んでゆき、最後の家族だった甥っ子かつ恋人のシンちゃんにも先立たれ、一人ぼっちになった〈わたし〉は家中の紙をかき集めて家族史を書きはじめる。
読者はこの家族史を読み進めるという体でページをめくっていき、〈わたし〉の不穏な家族関係や、謎めいた未来の世界の全容を紐解いていくという構成なのだが、〈わたし〉の気の向くままに書いているため、作文的なお作法がほとんど無視されている、SFではあまり見かけないような文体である。会話文と地の文の垣根がなく、画数の多い漢字は書くのがめんどくさいからと大部分がひらがなで綴られており、話の途中でも全く別の話題に飛んでいったりする。なのに不思議とするする読めてしまう。ハヤカワSFコンテストの特別賞受賞作でありながら、純文学の賞である三島由紀夫賞の候補になったというのも頷ける。確かにこれは純文学的な、徹底的に〈わたし〉を突き詰めた文体である。
夏のあいだに食べる予定だった揖保乃糸を開封した。暑いときなら氷をたくさん入れて麺つゆで食べるのが好きだが、今日は温めて食べることにする。まずは薬味の用意。みょうがは輪切りに。大葉は茎を切り落とし、中央で2等分にしたものを重ねてから千切りにする。ネギの緑色の部分は後日使うため輪切りにしてタッパーで保存し、これから食べる予定の白い部分だけ斜めに薄くスライスしておく。切るときの感覚がちょっとずつ違うのが愉快だ。みょうが、じゃくじゃく、大葉、もすもす、ネギ、ぶしぶし。久々の自炊は、やはり楽しい。
不健康とされる状態に陥ったとき、おおよその場合はバランスの良い食事をしてお風呂で身体を温めてしっかりと寝るように指導されるはずだが、そのどれもが健康であるからこそ完遂できることのように思う。食べるのも、清潔にするのも、寝るのも、心身が弱っているときほど難しい。私は子どもの頃に「成人を超えたあたりからガタが出始めるだろう」と言われていて、実際に20歳あたりから身体のあちこちがおかしくなってしまった。人と会うときは脳内麻薬でどうにか動けているが、どうにも具合が悪くてドタキャンする日もある。そういう意味では〈わたし〉の生活にはシンパシーを感じた。
「ゆう合手じゅつ」を受ける前、つまり生身だった頃の〈わたし〉は極度の胃下垂だったそうで、何を飲んでも食べても苦しくてトイレで吐いてばかりいたそうだ。眠れないので昼夜逆転した生活になり、学校にもろくに通えない。〈わたし〉を溺愛していた父親がお金を持っていたので生活に困ることはなかったが、心身は疲弊し、生きていても苦しいばかりだった。ある日、安楽死措置を望んでいることを父親に告げると彼は激高し、〈わたし〉が死なないように、老いも死にもしない機械の身体になる「ゆう合手じゅつ」を受けさせたのだった。
普通に食べられない状態は、健康を害するだけではなく、人間関係を断絶させるデメリットがある。他人と親睦を深める場では、食事しながら話すことがほとんどだからだ。弱ったことに、世の中には同じ釜の飯を食わないと怒り出す人もいて、病気やアレルギーで食べられないと説明しても「少しだけでも食べてみたら」とか「本当においしいから」と勧められ、それでも断ると不機嫌になって「俺の酒が飲めねえのか」みたいなことを言われる、そういう経験を繰り返すうちに他人と食事を共にすることが苦痛になり、なおさら孤独を深めていく、というのは珍しくない話だ。フィクションにおいて「色々あったけど仲間たちとおいしいごはんを食べて元気になりました」というシーンをよく見かけるが、それって裏を返せば普通に食べられる人だけが仲間に加われて救われるということでは、みたいな拗ねた気持ちになることが私にはある。〈わたし〉ほどの状態であれば、閉ざされた家の中でしか生きられなかったのも、他の兄妹たちのように逃げられなかったのもよく分かる。
豚バラ肉を塩コショウでよく焼いて、焼き色がついたらキッチンペーパーで余分な油を拭いておく。フライパンに残った肉の油でネギを炒め、隣のコンロでは豆乳をホーロー鍋に入れて温めておき、沸騰したら麺つゆをドボドボドボンッと注いでひと回しして、揖保乃糸の上級を1束入れる。
今年の夏、生まれて初めて揖保乃糸を食べた。最初は良さがよく分からなかったのだが、そのあと安いそうめんを食べたら輪ゴムを食べているような食感で驚愕した。気付かないうちに舌が肥えていたのだ。このさき一生、揖保乃糸しか受け付けない舌になってしまうのは金銭面でやや不安である。
鍋の中で泡が立ち始めたので火を止める。深皿に豆乳スープと麺を入れて、その上に豚バラ肉、ネギ、大葉とミョウガ、クリームチーズをのせたらできあがりだ。実際に食べてみると、ミョウガは無しにして、大葉をもっと増やしたほうがよかったかもしれない。真夏なら冷たいスープにして梅やすだちを入れてもいいな。
〈わたし〉は1997年の日本に生まれたため、同年代の私も知っているような事象、たとえばボーカロイドだとか、ポケモン、将棋の「電王戦」、映画「ザ・ホエール」のことを饒舌に語り出す。とくにボーカロイドの楽曲である「アスノヨゾラ哨戒班」は繰り返し聴くほど好んでいたそうで、そう言われるとこの文体もボーカロイドを彷彿とさせるというか、どれだけ書き続けようが腱鞘炎にも腰痛にもならず、無限に喋り続けても息が切れずに声も嗄れない、そういう身体を持った存在の言葉に思える。だからなのか、〈わたし〉の心身を蝕んでいた不調、歪んだ家族関係、崩壊した世界の現状を語っていても、彼女の舌っ足らずで清潔な声を通せば、どんな痛ましい出来事でもはるか遠くで起きた現実味のない話に聞こえてくる。他人事のようにして現実を受容することが、〈わたし〉の心を守る最後の術だったのだろうか。
サハラさんが「感想を聞きたい」というのも頷ける。つい言及したくなるような、私たちの生活と地続きにある場所で生きる人の語りだったから。本作にはSF作品らしく宇宙や科学の要素も含まれているが、それらは遠く離れた冒険譚の土台ではなく、この現代社会の道行きに起こり得ることとして根を張っている。
<わたし>の人生はフィクションの――別世界で起きていることではない。今まさに私たちのすぐそば、隣家の締め切ったカーテンの奥に、彼女は確かに存在する。
だからこそ<わたし>のまろやかな文体から時折繰り出されるパンチラインは笑ってしまうほど痛快だった。もっと言ってやれ、ぶちまけてしまえと思うくらいに。
最初から最後まで<わたし>による一人語りで構成される本作だが、<わたし>の心は閉ざされておらず、むしろ他人とのつながりを諦めずにいた。機械の身体になった彼女が、たくさんの人たちと出会い、食べられないままでも関係性を築いていってくれたら、勝手ながら私は嬉しい。
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見出し画像デザイン/撮影 高原真吾