「できないやつは、教えればいい」(『スクール・オブ・ロック』)――川添愛「パンチラインの言語学」第13回
今回は私の大好きな映画『スクール・オブ・ロック』を取り上げる。のちにブロードウェイでミュージカルにもなった、ファンの多い映画だ。私は20年前に映画館で見てどハマりし、以来、DVDを定期的に見返している。
主人公は、いい加減な中年男・デューイ(ジャック・ブラック)。定職に就かず、売れないロックバンドでギターを弾いているが、勝手にギターソロを20分やったり、一人で熱くなって客席にダイブしたりするので、メンバーからは煙たがられている。かつてのバンド仲間で今は小学校の臨時教員として働くネッド(マイク・ホワイト)とそのガールフレンド・パティ(サラ・シルバーマン)とルームシェアして暮らしているが、何ヶ月も家賃を払っていないことをパティに咎められ、追い出されそうになる。自分の才能を疑わないデューイは「今度のバンド・バトルで優勝して、その賞金で払う」と豪語するが、その矢先に肝心のバンドから「お前がいると売れない」という理由でクビを宣告されてしまう。
家賃を稼ぐ当てがなくなってしまったデューイは、ネッドへの仕事依頼の電話を取ったことをきっかけに、ネッドになりすまして金を稼ぐことに決める。勤務先は、裕福な家の子どもたちが通う超名門小学校、ホレス・グリーン学院。そこでしばらくニセ教師としてその場その場をやりすごし、給料だけもらうつもりだったが、担任のクラスの生徒たちが音楽の才能を持っていることに気づき、彼らとバンドを組んで「バンド・バトル」に出ることを決意する。生徒たちには「これは学校挙げてのプロジェクトだ」とウソをつき、厳格な校長(ジョーン・キューザック)や保護者たちの目をかいくぐり、教室でロックを教え始めたデューイの運命やいかに……というのが、大まかなストーリーだ。
一番の見どころは、映画の各所で流れる音楽、そしてジャック・ブラックの顔芸だ。ブルース・リーの映画の見どころがカンフーおよびリーの顔(と身体)であるのと同じだ。使用されている音楽は、往年の名曲もオリジナル曲もことごとく素晴らしいし、ジャック・ブラックの顔と動きがいちいち面白すぎるので、これを堪能しない手はない。とくに、クラシック・ギターが得意な生徒・ザック(ジョーイ・ゲイドス・Jr)にデューイがいきなりフライングVを渡し、ロック好きがギターを手に入れたら必ず弾くフレーズの定番中の定番「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を弾いてみせるときの「力の入りすぎた顔」は必見だ。
たまにこの映画について「こんなの現実にはあり得ないだろ」とか「すぐバレるに決まってる」、「こんな大人はけしからん」といった感想を見ることがあるが、これから見る方には余計なことを考えずに見ることをオススメする。これが一種のファンタジーであることを前提にして鑑賞すれば、ストーリーの素晴らしさ、ダレ場のない脚本、ふんだんに散りばめられた笑いを素直に楽しむことができるはずだ。「考えるな、感じろ」の精神で見るのがお得と思う。
デューイはロックについては真剣だがそれ以外のことについては超テキトーなので、教師になりすましている間もいい加減なでっち上げを口にすることが多い。たとえば教室にギターがあることを校長に見つけられ、ごまかすためにその場で考えた「ギターを使った教授法」を披露し、自分はこの特殊な教授法を「エロール・フォン・ストロッセンバーガーベッケン博士」から学んだ、とホラを吹く。アメリカの映画やドラマでこの手の「架空の学者のでっち上げ」を見ることがたまにあるが、なぜかドイツ語風の名前が多いような気がする。
バンド・バトルの責任者との会話では、架空の病気をでっち上げる。その名も「Stick-it-to-da-man-i-osis」。自分が授業で生徒たちに説いた「権力者に反抗すること(stick it to the man)」の語尾に「-osis(-症)」を付けたニセ病名だ。語尾さえどうにかすれば病名っぽく聞こえるだろう、という発想が見て取れる。また、生徒たちをバンド・バトルに連れ出すため、校長に「生徒たちをクラシックコンサートに連れて行きたい」とウソの提案をしたときには、「ベートーヴェンとか、モーツァルトとか……エンヤとか」と、自分が知っている「クラシックっぽい音楽」=「エンヤ」をちゃっかり入れている。
デューイは無理に教師っぽい話し方をしようとするせいか、同じような意味の言葉を繰り返す「重言」も多い。生徒たちにロックの難しさを説くときには「頭が試される。もちろん頭脳も、脳みそもだ(It will test your $${\underline{\text{head}}}$$ and your $${\underline{\text{mind}}}$$ and your $${\underline{\text{brain}}}$$, too.)」と言うし、先ほどの「エロール・フォン・ストロッセンバーガーベッケン博士」については「"特殊教授法" をリードするリーダーの一人(he's like one of the $${\underline{\text{leading leaders}}}$$ in... unusual methods.)」と説明する。生徒たちに何を教えているかを親たちに話す場面では、「算数、英語、理科、それから地理、歴史、ラテン語、スペイン語、フランス語、ラテン語、算数……」と、「ラテン語」「算数」が二回出てくる。
この手の重言で私が一番気に入っているのは、デューイが生徒たちに披露した自作曲、「家賃伝説(Legend of the Rent)」の冒頭部分だ。「In the end of time, there was a man who knew the road(時代の終わりに、道を知る男がいた)」と厳かに歌い出したと思いきや、すぐに「and the $${\underline{\text{writing was written}}}$$ on the stone...(石に書き物が書かれた)」という、何も考えていなさそうな歌詞が登場する。ちなみにこの曲は「家賃を払えずに困っている」「バンドから追い出されてムカついている」という自分の状況をそのまんま歌ったものだ。この歌詞によって、デューイに「そこまでの才能はない」ことが明らかになる。
その分野を愛してやまないが、才能が中途半端な人間はどうしたらいいのか。これは多くの人間に通じる切実な問題だ。デューイは他の教師たちとの雑談の中で、「ポーランド・フィルにもう少しで入れたけど合格しなかったため、あきらめて教師になった」というホラ話をした際、「できないやつは、教えればいい(those that can’t do, teach)」と口走っていて、実際そのとおりになっているのが面白い。
しかし、教えるというのはけっして簡単なことではない。デューイが生徒たちにロックを教えることができたのは、デューイのロックに対する愛情と理解が本物であり、また生徒たちが心の奥底でロックを必要としていたからだ。ピアノが得意なローレンス(ロバート・ツァイ)の「僕はクールじゃない(I’m not cool.)」という言葉に代表されるように、生徒たちは自分の外見だったり、保護者や学校への不満を口に出せないことなどを内心「クールじゃない」と考えている。そして、一見堅物に見える校長も、エリート校の校長というプレッシャーがあるからそのように振る舞っているだけで、本当は自分がクールじゃないことに悩んでいる(それを演じるジョーン・キューザックの顔芸も、ジャック・ブラックのそれに匹敵する素晴らしさ&面白さだ)。そういった人々がデューイのロック魂に触れて変わっていくのが清々しい。
ちなみに私は以前から、英語のcoolとhotがもともと「涼しい」「暑い」という反対の意味なのに、どちらも「カッコいい」という意味で使われるのが面白いと思っていた。この映画では、とある場面でcoolとhotの両方が登場する。coolとhotのニュアンスの違いがよく分かる場面なので、ぜひそこにも注目してほしい。
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