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往復書簡 日々の音沙汰 ー第5回「いくらキリンの容姿が良くても」(伊藤亜和)ー

 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストのジェーン・スーさんと文筆家・モデルの伊藤亜和さんによる往復書簡。
毎月第2・第4火曜日に更新予定です。初出:「一冊の本」1月号

■前回のジェーン・スーさんからのお手紙はこちら

✉ ジェーン・スーさま ← 伊藤亜和

 こんにちは。先日は北海道へのプロレス遠征旅行へお誘いいただきありがとうございました。祖父の故郷である北海道(とはいっても祖父は札幌近辺の出身で、今回行った網走からは遠く離れておりますが)への旅は、私にとっては約20年ぶりのことでした。20年前の私はまだほんの子どもで、北海道らしいものはなにひとつ口にせず、いまやどこにでもある「びっくりドンキー」のサイコロステーキを食べて満足していた記憶があります。28歳で再びこの地を訪れた私は、白子やこまいを美味しくいただき、我ながら大人になったなと、勝手にしみじみといたしました。2日目の朝、スーさんがベッドから落ちる音で目が覚め、私はベッドとベッドのあいだに挟まったスーさんを呆然と見つめながら「本当にベッドから落ちる人がいるのか」などと寝ぼけた頭で考えておりました。そんなことを考えながら突っ立っていたら、うっかりスーさんが起き上がる手助けを忘れてしまい、その後朝風呂の湯のなかで「あれは助けるべきだった」とひとり反省いたしました。今度スーさんがベッドから落ちたときには真っ先に手を差し伸べられるよう、よくよく心構えをしておこうと思います。

 前回ご紹介した私の推し「軍神さま」のYouTube、見てくださったとのことで感激しております。軍神さまの力強い言葉がスーさんにも伝わったようでうれしいです。スーさんのおっしゃる通り、私もホスト業界におけるお金の仕組みに関しては否定的です。軍神さまを推しながらも、現実的には業界と距離を取り、安全圏で傍観している視聴者のひとりにすぎません。しかし、軍神さまが動画のなかで繰り返し「ホスト業界を良くしたい」「ひとりの女の子から大金を貰うのではなく、たくさんの女の子から少しずつ応援してもらえるような安全な業界をつくりたい」と言っているのを聞いて、この人ならいつか本当にそんな世界をつくってくれるのではないか、と淡い期待もしてしまうのです。

 スーさんは私が軍神さまのようなパワフルな人物に惹かれることを意外に思われたようですね。前回のお返事を拝読して、私は改めて「どうして私はこの人が好きなんだろう」と深く考えてみることにしました。私の今までの推しをここに書き出してみます。ナイトメアー・ビフォア・クリスマスのジャック・スケリントン、及川光博おいかわみつひろことミッチー、メイプル超合金のカズレーザー、鳥肌実 とりはだみのる、そして軍神さま……。みんなスーツを着ていますね。私は単純にスーツ姿の男性が好きなのでしょうか、いや、そんな単純な結論ではないはず。なにか決定的な答えはないかと考えていたちょうどそのとき、スーさんと観た全日本プロレスでライジングHAYATO選手に出会いました。そこで私はわかったのです。あぁ、私は「世界観がある人」が好きなのだ、と。褒め方を選ばずに言えば、彼らは人前に立つとき、常に大真面目にふざけているように見えるのです。どれだけ突飛な世界観であっても、それに説得力があり、その一貫したたたずまいには、もはや面白さを超えて美しさを感じざるを得ません。
 ところで、前回私は憧れの異性に対して「なるべく若く可愛いうちにお目にかかりたい」と口走りました。それに対してスーさんは「私は、自分の若さに異性からでられる価値があると思えない青春時代を過ごしてきました」と書かれておりました。そのお返事を受けて、私も改めて自分のこれまでを振り返ってみたところ、実際私自身も、それほど異性から愛でられた経験がないことに気がつきました。今でこそネット上にはチヤホヤしてくれる人がそれなりにおりますが、私の青春と呼ばれる時代の恋愛事情は決して明るいものではありませんでした。そもそも、ほとんどの同世代の異性の目に私は「女」として映っていなかったように思います。「可愛い」とか「きれい」という枠で評価されることがなく、褒められたとしても「かっこいい」とか「脚が長い」とか、そんなことばかり言われていました。もちろんそれでも嬉しいといえば嬉しいのですが、私にとって、それはまるで動物園のキリンに柵の向こうから言っているような感じがしていたのです。いくらキリンの容姿が良くても、家に連れて帰って四六時中一緒にいたいと思ってくれる人はなかなかいない。この国の人にとって、キリンは非日常なのです。決してモテたこともないし、合コンでチヤホヤされたこともありません。

 それなのになぜ今の私が「若くて可愛い」と自称することができるのか。正直自分でもよくわかりませんが、しいて言うなら、おそらく私がコツコツと作り上げてきた容姿で表せる自分の世界観と、それを最大限表現できるベストな頃合いが、ここから5年後くらいまでの年齢なのだと思います。例えるならば、地道にカスタムしてきた個性的なバイクのビジュアルとその走行距離が、ちょうど今披露したい状態である、といったところでしょうか。それを平たく表現したのが「若くて可愛い」なのだと思います。「この綺麗なお花を枯れる前に見て!」というよりは「このナンバープレートのかっこいい装飾見てくれ!」です。ほとんど暴走族です。極論、見せた時点で満足してしまって、相手の反応なんてどうでも良いことすらあります。どうして同性にはそう思えないのでしょう。女性の反応に対しては、ちいさい頃からなぜか怖気おじけづいてしまいます。あまり人を褒めない女性を母に持ったことも、もしかしたら関係あるかもしれません。女性の審美眼は、自分よりずっと高い所にあるような気がするのです。

 長々と書いていたら、本題に入る前に紙がいっぱいになってしまいそうです。人と会うというのはどういうことか、これは時間をかけてゆっくりお話ししていきたいテーマになりそうです。スーさんが書かれていた「一足飛びに友達になりたいわけではないけれど、営業スマイルで流されるような会い方をしたいわけでもない」という言葉には深くうなずきました。「その人の記憶に残りたい」という欲望を向ける一方で、リングの外で会って彼らの全てを知りたいというわけではないという人物もいる。ディズニーランドは好きだけど、キャストの素性を知りたいわけではないみたいな。うーん、違いますかね。

次回、ジェーン・スーさんからのお便りは1/28(火)に更新予定です!

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)