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往復書簡 日々の音沙汰 ー第8回「名前のついていない感情に襲われたとき」(ジェーン・スー)ー
作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストのジェーン・スーさんと文筆家・モデルの伊藤亜和さんによる往復書簡。
毎月第2・第4火曜日に更新予定です。初出:「一冊の本」2月号
■前回の伊藤亜和さんからのお手紙はこちら
✉ 伊藤亜和さま ← ジェーン・スー
亜和さん、それは大変な目に遭いましたね。心臓がギューッと押しつぶされるようで、息をするのもせいいっぱいだったことでしょう。私がそばに居たら、大丈夫、大丈夫、と背中をさすってあげることができたのに。
悲しい、嬉しい、楽しい、悔しい、恥ずかしい。私たちのおおよその感情には、すでに名前がついています。不規則な心の動きやざわめきを、いつ、どのタイミングで「この名前がついた感情」と私たちは認識するのでしょうか。遠い昔のことすぎて、もう記憶の欠片もありません。
推測するに、子どもだった私たちの表情や行動を見て、周囲の大人が「悲しいね」とか「嬉しいね」とか、そんな風に名前を授けてくれたのだと思います。そうやって感情と名前を紐づける学習をしていったのでしょう。
亜和さんは、心の準備がまるでない場面で憧れの人に会ってしまった。彼女の有り様は亜和さんが知っている彼女よりずっと普通で、ナマモノで、それゆえにさいたまスーパーアリーナで観た崇高な彼女よりも遠く感じたことでしょう。鎧を纏っていない状態の彼女は、言うなれば人間です。「アーティスト・椎名林檎」ならまだしも、「人間・椎名林檎」に対峙する度胸がある人など、そうそういません。会うって、混ざるということだから。
ナマモノ状態の彼女の目に、いまの自分が映ってはならないと恥じ入る気持ちはよくわかります。こんな形では、会いたくなかったものね。だって、亜和さんも「人間・伊藤亜和」状態だったんだもの。普段の亜和さんだったんだもの。両者にスタイリストやヘアメイクがついて、カメラマンもいて、雑誌の対談かなにかだったら、つまり双方が第三者に召喚された場面だったら、まだ堪えられたかもしれない。
パートナーは亜和さんを慰めるつもりで「見ただけ」と評したようですが、やはり会ってしまったんだと私は思いました。亜和さんも林檎さんも、関係者エリアという限られた人間しか入れない場所に居たから。期せずして同じ土俵に上がってしまっていたから。亜和さんが一般客として訪れたライブで、関係者席に座る彼女を見かけただけだったら、もっと素直に興奮できたかもしれません。すごい! 生きてる! 本物だ! と。
車で一緒に網走旅行をした時、東京事変の「群青日和」がかかった途端、楽しそうに、誇らしそうに歌っていた亜和さんの姿が脳裏によみがえってきました。後部座席に座る亜和さんから、歓喜のバイブスが私の背中に伝わってきました。亜和さんの嬉しそうな表情や、小さな、しかし明るい声色が、真っ暗な網走の夜道を照らすようでした。椎名林檎さんが大好きなんだよね。大好きな人には、準備万端で会いたいものね。ファンの立ち位置を利用して不躾に声をかけることなど、できなくて当然です。それは相手をキャラクターとして消費することだから。
期せずして会ってしまった二人の、互いの思いに雲泥の差があるとき、思い入れが強いほうは己の感情の重さに押しつぶされそうになるものです。「恥ずかしい」としか言い表せない、しかしそれ以上に混沌とした感情に襲われるものです。すべての感情に、すでに名前がついているわけではありません。その夜の亜和さんの感情は、傍から様子を見て名前を授けられるものではなかった。
昔話で恐縮ですが、私の話をさせてください。
中学時代、好きな男子がいました。仮にA君としましょう。A君のことは中学一年生から卒業するまで好きでした。しかし、A君は別に好きな女子がおり、その女子には彼氏がいました。A君の恋も、私の恋も実らなかったのです。高校は女子高だったので新たな出会いもなく、A君への淡い好意は通奏低音のように3年間鳴り響いていました。1年に一度だけ、ミニ同窓会のようなかたちで会えるのが楽しみでした。ま、会ったところでなにもないのですが。
大学に入ってからも、みんなで集まる機会があるときは、なにかしら理由をつけてA君も誘ってもらうようにしていました。いつだったか、なにかしらのきっかけで、いや違うな。私が策略して、A君と二人きりになる場面が訪れました。
いま思えば策略家気取りの策なし娘でしかないのですが、ハタチそこそこの男女が二人きりになり、若さゆえになんの背景もなく今までにないムードが醸され、私は唐突にA君に好意を伝えました。当時のA君は暇だったのでしょう、まるで気負いのない風情で、「じゃあ付き合ってみる?」と言いました。
本来なら、天にも昇るようなシチュエーションです。しかし、私は声を上げて大泣きしてしまった。互いの思い入れが、あまりに違ったから。A君を思い続けてきた自分が重くて重くて恥ずかしかった。この瞬間をずっと待ちわびながら、年に一度、A君に会える日が決まったそばからダイエットをしたり美容院に行ったりしていた自分が、みっともなくてみすぼらしくて、丸めて捨ててしまいたい気持ちになりました。あの感情に明確な名前をつけることは、いまだにできません。こんな形で願いが叶うなんて、思ってもみなかったんだもの。号泣する私にA君はギョッとしていました。長年の思いが通じたはずなのに、私はまるで失恋した女のようでした。
なし崩しに付き合い始めたはいいものの、そんな二人がうまく行くはずもなく、シーソーは常に私のほうに傾いたまま、うやむやに付き合いは終わりました。A君はおそらく、私のことを好きでもなんでもなかったと思います。それはそれで仕方がないことです。無理に始めた私が悪い。
亜和さん、椎名林檎さんにちゃんと会う機会は、やがて自然に訪れるから心配しないでください。無理に始めなければ、あとは時が解決してくれます。会う前に互いの思いがイーブンになることは難しいかもしれないけれど、林檎さんがあなたに会いたいと思う日はやってきます。うんとおめかしして、大きな笑顔で会える日がきます。それまで、日々の風景を、名前のついていない感情を、亜和さんの言葉で書きまくってください。
次回、伊藤亜和さんからのお便りは3/11(火)に更新予定です!
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)