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往復書簡 日々の音沙汰 ー第7回「『人間・椎名林檎』に会う」(伊藤亜和)ー

 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストのジェーン・スーさんと文筆家・モデルの伊藤亜和さんによる往復書簡。
毎月第2・第4火曜日に更新予定です。初出:「一冊の本」2月号

■前回のジェーン・スーさんからのお手紙はこちら

✉ ジェーン・スーさま ← 伊藤亜和

 いかがお過ごしでしょうか。12月もまもなく中旬に差し掛かります。月並みな感想ですが、今年(2024年)もあっという間でした。今年、私は10年以上前から好きだったアニメのキャラクターの設定年齢を超えてしまいました。ずっと年上のお兄さんだった彼が、ついに年下の男になってしまった。いよいよ私も腹をくくって「大人の女」というものをやっていかなければならないのかと思い、まずはこの冬を健康に乗り越えるため、入浴剤や厚手の靴下を買い集めて「冷え対策」に精を出している今日この頃です。先日はふたりでキノコ鍋をたらふく食べましたね。身体からだに優しいもので身体が満たされて、このまま健やかな食生活を維持しようなどと考えながら帰路につきました。しかし、代謝の良い(燃費の悪い)私の身体はそれを許さず、いつのまにか最寄り駅のファミレスに無意識に吸い込まれ、気づけばちょい盛りのフライドポテトを食べていました。悔しい。身体に優しいものはどうして消化が早いのでしょう。

 さて、そのキノコ鍋の日、スーさんは私に「最近良いことあった?」とお尋ねになりましたね。私は「良いことと悪いことが同時に起こりました」と答えました。今日はそれがどんなことだったのかをお話ししようと思います。前回のスーさんからのお返事にあった、"人と会う"とは「自分と他者を混ぜあわせる行為」という話にもなんとなく繋がる出来事です。

 先日、私はとあるバンドのライブを観るため、都内のライブハウスへ赴きました。私は1年ほど前からそのバンドのファンになり、ライブがあるたび恋人と連れ立って通っていたのですが、今回はご縁があって関係者エリアで観させていただくことになりました。ライブはいつも以上に盛り上がり、私も終始ノリノリで参加していたのですが、大事件はそのライブの後に起こったのです。

 ライブ終了後、しばらくするとバンドのメンバーが関係者のエリアまで来てくださいました。部外者ながら私もひとこと挨拶をさせていただこうと思い、メンバーの前にできた関係者の群れのなかでひっそりと待ちながら、周りを見渡していました。知っている人はとくに見当たりません。ふと、前の席に座っていた女性がこちらを振り返りました。一目で一級品だとわかるつやのある真っ黒な長いマントのようなものを羽織っていて、栗色の髪の毛先が綺麗きれいに外に向かってカールしている、とても美しい人でした。彼女の後ろで光っているステージライトがまぶしくて、私は太陽を眺めるように額に手をかざし、和気あいあいとメンバーや他の関係者と話すその人を眺めました。その人の仕草や表情を見ているうち、私のなかに、ある疑いが浮かんできました。いいや、まさかと思い、隣にいた恋人にそれを尋ねてみると「違うと思う」という答えが返ってきました。そうだよね、と言ってまたその人を見る。私が知っているその人とは、似ているようで少し違う気がする。声もテレビやマイクを通して聞いていたものよりずっと溌溂はつらつとしているように聞こえるし、なにより気さくすぎる。輪の中心でニコニコと話し「写真撮りましょ!」とスマホを片手にぴょこぴょこと跳ねている姿があまりにも屈託ない。そんなはずはない。私はなんども「違うよね?」と隣に尋ねてはジッと目を凝らしました。私はあの人の映像をなんども見て、なんどもその声を聴いている。一目でわからないはずがないのです。間抜けな顔で立ち尽くしていると、今度は彼女の隣にいる男性がこちらを振り向きました。知っている顔でした。公表されている、あの人のパートナーでした。私はそこでやっと確信したのです。

「椎名林檎だ─」

 鼓動が一気に速くなって、私は立っていられなくなりヨロヨロと後ろの椅子にもたれかかりました。本物だ、本物だ。どうしよう、早く隠れなきゃ。自分の顔を両手で覆って指の隙間からまた林檎さんを見ました。正直もう挨拶どころではありません。ほんの数日前にさいたまスーパーアリ―ナで手旗を振りながら声援を送った椎名林檎が目の前にいるのです。自分の着ているゴミの付いたフリースジャケットが恥ずかしい。気まぐれに結ったポニーテールが恥ずかしい。同じ関係者のエリアに紛れ込んでしまった身の程知らずな自分が恥ずかしい。ここにいるのが恥ずかしい。帰りたい、今すぐ小さくなっていなくなりたい。

 私が隅っこで固まっているうち、いつのまにか林檎さんはいなくなっていました。ずっと目で追っていたはずなのに、いつのまにか消えていました。それから、なかば意識を朦朧もうろうとさせたままメンバーにご挨拶をし、抜け殻のようになったまま私は会場を出ました。駅までの道で恋人に手を引かれて、私はうわごとのようにブツブツとなにか言っていたような気がします。

「すごくきれいだった」
「ほっぺたがぷっくりして、光っていた。すごい生命力だった」
「立体だった」
「すごくいい人そうだった」

 そして「ちゃんと生きてた……」と言ったあと、ぐちゃぐちゃの感情が押し寄せて、顔をくしゃくしゃにして泣きました。生きてたなんて、当たり前だろう。私はファンというものが、本人に会って涙を流す映像をいつも白々しく見ていました。「固まったり泣いたりするなんて、まるでお化けでも見たみたいで本人に失礼じゃないか」と思っていたのです。しかし実際はこのざま。見なかったフリもできず、無邪気に話しかける可愛げもなく、28にもなって公衆の面前であられもなく泣く、こじらせたOTK(林檎さんのファンのことです)そのもの。こんなはずじゃなかった、こんなところで会うつもりじゃなかった、という私に、恋人は「会ってないよ、見ただけだよ亜和ちゃん。あとここラブホ街だから、変な誤解されるから泣かないで」と冷静に言いました。「つめたい。せっかく浸っているのに邪魔しないでよ」と腹が立って、途端に涙が引っ込み、わたしはそれから家に着くまではうつむいて黙ったままでいました。

 私はとにかく恥ずかしかったのです。仕事も格好も中途半端で、彼女の目に危うく入りそうになった自分が恥ずかしくてたまらなかった。私はあのときは、はっきりと「会いたくない」と思いました。どこかで会えたりしたら、なんだかんだうれしいのではと思っていたのに、全くそんなことはなく、自分が彼女に向けていた感情の重さを思い知りました。これが「混ざりたくない」という気持ちなのですね。けれど、こんな情けない振る舞いをしてもなお、憧れのままではなく「きっといつかは」とも、私は願っています。彼女にとって良い異物になりたいと、心のどこかで思っているのです。なんだか、ただの作文のようになってしまいました。このお話をここに書けてよかったです。失礼いたしました。

次回、ジェーン・スーさんからのお便りは2/25(火)に更新予定です!

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)