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年森瑛「バッド入っても腹は減る」第2回

パスタを茹でながら、キャベツを煮込みながら、一冊の本をじっくり読む――。いちばん読書がはかどるのはキッチンだ。
いま最注目の新人作家による、おいしい読書エッセイ。
毎月15日更新予定。

撮影 年森瑛

 実家からみかんを大量にもらった。連日食べているのでなんとなく手のひらが黄色くなっている気がする。早く消費せねばと先日はパウンドケーキにしてみたが、使用した砂糖とバターの量がえげつなく、数日かけて食べていたら当然お太りあそばした。今後しばらくヘルシーにいきたい。ヘルシーヘルシー。冷蔵庫オープン。本日消費期限の合い挽き肉を発見。その下敷きになった、同じく期限スレスレの餃子の皮50枚入りも発見。
 ……みかん餃子。いけるか。酢豚のパイナップル的なものと考えればいけるのでは。仁王立ちでみかんを見下ろしていると、まぶたの上で青い光が点滅するのを感じた。顔を上げると、結露した窓ガラスの向こうで光の玉がいくつも連なっている。お向かいの一軒家が毎年恒例のぐるぐる巻きてんこもりイルミネーションを点灯したのだと分かった。日が落ちるのが早い冬のあいだ、人々が街を温めようとする気配が好きだ。開け放したままの冷蔵庫が警告音を鳴らしたので、必要なものを取り出してから扉を閉めた。何とかなるだろう。たぶん。
 みじん切りにしたキャベツを塩もみして水気を絞る。みかんは皮をむいて、できるだけ白いスジを取り除いてから細切れにする。合い挽き肉とキャベツとみかんは5:3:2の割合で投入、しばらく捏ねていたらボウルの底に白っぽいペーストがこびりつき始めた。指ですくいとって肉ダネに戻してみても、また捏ねているうちに分離してボウルの底にくっついてしまう。色からすると、みかんの白いスジと肉の脂が混じったやつのような。わからん。食べても死にはしないだろうし、ググっても解決しなかったので次の工程に進む。肉ダネにナツメグと塩胡椒を振ってから二等分する。失敗したときの保険として味付けを2種類にするのだ。片方は洋風で、溶かしたバターとコンソメと粉チーズを少々。もう片方は中華で、醤油と鶏ガラとナンプラー。それぞれ混ぜたら冷蔵庫でタネを寝かせる。それから、この後の重労働の前に英気を養うべくベッドに転がって、サイドテーブルに積んでいた本の山から目当ての漫画を抜き出す。

 『春あかね高校定時制夜間部』(heisoku、KADOKAWA)は、タイトル通り夜間の定時制高校を舞台にした漫画だ。
 登場する生徒たちは貧困家庭育ちや元引きこもりに元ホストなど、大なり小なりの苦労を抱えつつ学生生活を送っている。この漫画の美点は、そうした生徒たちの苦難を悲壮感たっぷりに描くのではなく、彼らの生活をあっけらかんとしたコメディ調で描写すると同時に、やるせない現実にも真正面から向き合っているところだ。
 とくに第7話のよしえの独白はすさまじかった。13歳の頃精神病院に入院したよしえは、入院中に両親が亡くなってしまってから数十年ものあいだ退院できず、数年前にNPOの支援を受けてようやく退院を果たした40歳の女性である。定時制高校への登校前、よしえは自室のベッドに腰掛けてこう考える。

高校を卒業して就労支援とか受けて働いて
できる限りを自分なりにがんばってみたとして

でもきっと生きていくの苦しいままだろうな
一般雇用をうらやましくなっちゃうんだろうな
私ずっと貧乏なんだろうな

一度壊れた部分はもう治療したからってまだ壊れてないのと同じには戻らない

解決できないことをなんとかやり過ごしているうちに人生を終える

ちゃんと福祉的支援を受けていたとしても社会の中央値にも到達できない

誰かのスタート地点が私のゴールなのかも…
(『春あかね高校定時制夜間部』P.110)

 本作において、登場人物たちが3分クッキングみたいなトントン拍子で成功体験を積むことはない。「生きているだけで偉い」みたいな気休めは誰も言わないし、壮大なカタルシスもやってこない。それでも小さな希望を握りしめて、閉塞した日常の中で一歩踏み出そうとする力強さが本作にはある。
 よし。エネルギーチャージしたところで餃子作りに戻る。私は餃子を包むのが苦手だ。というか成形作業のおおよそが苦手。いつだったか、フルーツポンチをボウルいっぱい食べたいと言い出した友人と共にせっせと白玉だんごを作っていたら「白玉だんごエアプか? サトイモ作ってんじゃねんだぞ」と言わしめたほどの腕前である。オーソドックスな半月型の餃子を作ろうとしたところで大惨事は目に見えている。なので最近知った、もっと簡単な包み方を試してみる。
 まず皮の中央にタネを置く。皮の端に水をつけて半月型に折りたたむ。半月の両端を重ねて接着する。これで簡単にきれいな餃子ができ、で、でっ……できない。両端を接着しようとすると、真ん中あたりの皮からちぎれてタネが漏れてしまう。いや、まだ1回目だから。何回かやっていくうちにコツを摑むだろう。日も暮れているしちゃちゃっと作らねば。ちゃちゃっ、ちゃ……ちゃあ……ねえ誰でも簡単にできるって言ったじゃん。もっとみかんの水分を飛ばしておくべきだったんだろうか。汁が出るわ出るわ、そのせいで皮が圧着しない。完全に詰んだ。もう見栄えは諦めて、とにかく肉が皮で包まれていれば良しということにする。へこたれていても手を動かしていれば終わるものだ。でき上がった餃子をお湯を沸かした鍋に投入する。とたんに鍋から上がった湯気でメガネが曇って、何も見えなくなった。

 そういえば何年前か、もう私の人生はおしまいなのだと確信したときがあった。頼れるものは全て頼った、それでも完全に詰んでいて、この先どうあっても好転する未来が見えなかった。人生がおしまいになることは辛く悲しかったが、終わっているはずなのに何故か息をしていることが私をさらに苦しめていた。そんなときに目に入った、SNS上での友人のひとりごとだった。
 「自分のことで悩んでいられるのって平和の証拠だよね」
 脳天をばりばりとぶち破られたかと思った。
 たしかに自分のことで悩んでいる今この瞬間、私は何者にも脅かされておらず、痛みにのたうちまわっているわけでもなく、ただ落ちくぼんだ顔でスマホを握りしめているだけだった。私の半径1mは平和そのものだった。平和だというのなら、私の身体は安全な場所に置かれているのなら、私の人生は、まだ終わっていないのではないか?
  『春あかね高校定時制夜間部』の世界に通底するエールにも似たようなものを感じている。
 現実はなかなか好転せず、一歩踏み出してみたらすっ転んで複雑骨折することもある。気持ちひとつでは物事はそう変わらず、お先真っ暗に思える。けれど、踏み出さない限り、前を向こうとする意思がない限り、変化は起きないのだ。他人が手を伸ばせる範囲には限りがあり、どうしても本人が動かなければならない正念場がくる、そういうときにお守りのように力を与えてくれる物語がこの世にはいくつかあって、この漫画はその1つだと思っている。

 ブシャーッとけたたましい音がして、慌てて火を止めた。盛大に吹きこぼれた鍋から泡まみれのフタをはずす。肝心の餃子を確認すると、茹ですぎで皮がくちゃくちゃになっていた。かろうじて上手く包めていたものも見る影 なく、しわっしわのくちゃっくちゃである。お湯につかりすぎて皮がふやけるのって人間だけじゃないんだ。
 試しに1つ、輪切りにした小ネギと共に食べてみる。……普通に餃子だ。どれだけ咀嚼してもみかん要素が見当たらない。2個目も3個目もよくある餃子の味しかしない。失敗するよりいいけど、肩透かしというか何というか。
 もっとみかん寄りに改良するとしたら、みかんを増やして、合い挽き肉を豚挽き肉に、キャベツを香菜シャンツアイにして、バルサミコ酢でもかけてみるか。でもバルサミコ酢って日常使いしていいものなんだろうか。バスローブ着てペルシャ猫を膝に乗せてバカラのワイングラスで乾杯してる人の食事に出てくるイメージがある。とはいえ、バルサミコ酢を買わなければバルサミコ酢を日常使いするような人生も手に入らないわけだから……。
 後日、スーパーにバルサミコ酢を見に行った。1本800円。そっと棚に戻した。

年森瑛(としもり・あきら)
1994年生まれ。作家。『N/A』で第127回文學界新人賞を受賞し、デビュー。

見出し画像デザイン/撮影 高原真吾

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