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桜井美奈『復讐の準備が整いました』第3回
翌日の昼休み、葵が部室で弁当を食べていると、顧問が紙袋を抱えてやってきた。
「先生、また漫画買ったんですか? こんなに買ったら、凄い金額になると思いますけど」
本沢が部室の本棚に20冊ほどの本を詰めていた。最近、ハイペースで本が増えるため、本棚の空きスペースが少なくなっている。
「趣味がこれだし、読みたい本が沢山あるからね」
「大人は良いですね……」
「まあね。でも子ども時代の、1冊を大切に読むのもいいと思うよ。今は買えるようになったけど、その分、じっくり読むことが減ったのはちょっと寂しいから」
「じゃあ、1冊ずつ買って、じっくり読めばいいじゃないですか」
本棚に手をかけたまま、本沢が振り返る。
「買えるのに我慢するの? 読みたいのよ」
真顔の本沢は、少し怖かった。
葵の両親は漫画を読まない。読書はするものの、専門書やノンフィクションの類ばかりで、小説すら手にしている姿は、見たことがなかった。それは、読んでも教養として得るものがないからと思っているような気がする。
「あれ? あそこ、5冊ほどないけど?」
本沢が本棚の上部を指さした。
「貸し出し中です」
漫研部の部員は2人しかいない。葵が貸し出し中と言えば、誰が借りたのか、本沢もすぐにわかったようだ。
「由利さんが借りたのね」
放課後に5巻まで読んで、あとは持ち帰った。昨日ずっと読んでいたが、さすがに18時になると帰った。あの調子では、きっと帰宅後も読み続けていたに違いない。
本沢は葵の真向かいに座った。
「どう?」
「どう、とは?」
「由利さんとのことよ」
含みのある顔をしている本沢を見て、葵は「あっ」と声を漏らした。
「ひょっとして、漫研をやめるって、先生のところへ行きましたか?」
「え?」
「担任だから、伝えやすいですよね。もしかして先生、私に探りを入れていますか?」
「ええ?」
「本の返却は急がないって伝えておいてください。私はもう、何度も読んだので」
立ち上がった葵が早口で一気に話すと、本沢がきょとんとした表情をしていた。
「えっと、小野川さん?」
「本の返却もここへ来るのが嫌なら、先生に渡してもらっても――」
「小野川さん!」
本沢が葵の話を遮るように声をあげた。
「ちょっと落ち着こうか?」
ね? と、本沢が微笑んでいる。
葵がイスに座ると、空気を換えるように、本沢は小さく咳払いをした。
「何か誤解があるようだけど、由利さんは、漫研をやめるとは言っていないから。そもそも、漫研に入ったって報告をもらっていないし」
「でも先生、由利が漫研に入ったこと、知っていましたよね?」
「それは一昨日、由利さんに、漫研について訊ねられたから、きっとこの部屋にきたのだと思って」
そういえば、由利は担任に漫研のことを聞いたと言っていた。
「何かあったの?」
「何かと言うと……」
葵は入部初日の自分の態度と、昨日のことについて話す。
一部始終聞き終えた本沢は、納得したようにうなずいた。
「入学式からそんなに時間が経っていないから、私もまだ、生徒のことをすべてわかっているわけではないけど……確かにもうちょっと距離感は考えた方が良かったかもしれないね。でも、慣れていけばきっと大丈夫じゃないかな」
「だけど、初対面でグイグイ行きすぎたし……訊くにしても、もう少し仲良くなってからにすれば良かったなって」
本沢は悩ましそうに、眉間に薄くシワを刻んだ。
「その場にいなかった私には判断できないけど、漫画を読んでいるときに話しかけられたら、私でも同じ態度をとるかも。小野川さんはどう?」
「それは……相手次第かもしれません」
どこまで集中して読んでいたかにもよるかもしれない。ただ、冷静になって考えてみると、そうかもしれないとも思う。
「2人しかいない場所で、無言も居心地悪いと思うから、適度に話しかけてもらえるのはありがたいとは思うけど?」
「そうでしょうか?」
「私は無言だと歓迎されていないような感じがするからね。まあ、相手を見ながら、距離の取り方を考えていくことは必要だけど、少なくとも小野川さんが、意地悪をしようとしての行動とは思わないから、きっと、由利さんにも伝わっているはずよ」
「だと良いんですけど……私、あまり、人とうまく付き合えなくて」
そもそも葵がここまで悩むのは、クラスメートとも、あまり良い関係が築けていないというのがある。昔から人づきあいが上手くない。
ただ、仲間外れにされるというのとも違う。最初のうちに、相手と上手くいかなそうだと思うと、葵の方から離れる。葵は誰かとぶつかることが苦手だ。それによって傷つくことを避けてしまう。
だけど、大好きな漫画のことを話せる人が来たから、いつになくテンション高く由利に接してしまった。
本沢は腕時計で時間を確認してから、イスから立ち上がる。
「本当に嫌なら、昨日もここに来なかったと思うけど?」
「そうでしょうか?」
「とも言い切れないけど」
「どっちなんですか……」
「ま、放課後になればわかるでしょ」
本沢の適当な発言のせいで、葵は午後の授業中、由利が来るか気になりながら、過ごすことになる。
そんな葵の不安など知ったことじゃないとばかりに、本沢はじゃあねとドアの方へと歩いた。が、出る直前、振り返って少しばかり何かを含んだ笑みを浮かべた。
授業が終わると、掃除当番を適当に済ませて、葵は部室へ走った。
ドアを開けると、そこには当然のように自分のイスに座った由利がいた。昼休みにはすっぽり空いていた本棚のスペースは埋まっていた。
「こんにちは」
挨拶をしてきたのは由利からだった。戸惑いながらも葵は「こんにちは」と返した。
由利の机の上には、また別の漫画が積まれている。昨日のシリーズは全部読み終えたらしい。今読んでいるのは、昨日本沢が置いていったもので、比較的最近発売された作品だった。由利が何を基準に本を選んでいるのかわからない。
訊いてみたい気もしたが、あまり突っ込みすぎてもまた拒絶されるかもしれない。
葵はノートを広げて、アイディアを書き始めた。今書いているのは、昨夜思いついた話だ。
毎日夜12時になると、鳥になる少女の物語だ。少女は厳格な家庭に育ち、外出するにも許可が必要で、常に監視の目があった。自由にできる時間は少なく、同じくらいの年代の友人もいない。家には家庭教師が来て学ぶことはできるが、その間も常に監視されていた。
ただ、その中で1人の教師が、外の世界があることをこっそり教えてくれる。どうしても外の世界を見たくなった少女の前に、ある日不思議な薬が届けられる。それを飲めば、鳥になれるというものだった。ただし、鳥でいられるのは1時間だけ。そしてその間に家に帰ってこないと、人間の姿に戻ってしまう。
ここまで考えて葵は、鳥から人間に戻ったとき、着ていた服をどうするかで悩んだ。
このストーリーだと必ず、話のどこかで、1時間以内に帰れなくなり、元の姿に戻るシーンを出すことになるだろう。
「まさか、裸ってわけにもいかないだろうけど……」
細かいことではあるが、葵はこういったことが気になってしまう。葵自身が納得できる答えを見つけられないと、そこで物語がストップする。
「そもそも、鳥になれるわけないんだから、細かいことは気にしなくていいのかなあ……」
「細かいこと?」
由利が本を閉じて、葵を見ていた。
「ごめん、うるさかったよね?」
ハッとして由利の方を見た葵は、昼休みに本沢が言っていたことを思い出した。
『わざと音を出して、反応を見てみればいいじゃない』と。
集中していればしているほど、話しかけられたときに、うっとうしく感じるだろうとも言っていた。
わざとではなかったが、葵は独り言を口にしていた。
見たところ、由利は不機嫌そうではなかった。
少なくとも昨日は、読書を邪魔されたことにイラついたという、本沢の意見が正しいのかもしれない。3冊ほどの漫画は、もう読破したようだった。
由利は本棚に本を戻すと、再びイスに座った。
「細かいことって何ですか?」
「まだ全然、穴だらけの設定だから、聞いてもつまらないと思うよ」
「鳥たちが人間のように生活する話ですか?」
「え? ううん、違う。人間が1日1時間だけ鳥になって、外に行く話」
まとめすぎたせいか、それだけでは伝わらず、結局今、考えている部分を由利に説明することになった。
聞いている間、由利は特に迷惑そうにする様子もなく、むしろ興味を示すかのように、前のめりになっていた。
「なるほど。それで、服をどうするかで悩んでいたんですね」
「そういうこと」
「それ、以前似たような話を読んだことがあるような気がします」
「私、パクった?」
「そうじゃなくて……、なんてタイトルだったかなあ……」
由利は悩ましそうな様子で、本棚の前に立った。
「少女漫画なの?」
「確か、少年漫画だったと思います」
「だったら、ここにはないかな。ここは、少女漫画の方が多いから」
背表紙には、ピンクやゴールドの色味が多い。寒色系の背表紙は全体の3割程度しかなかった。
「歴代の部員は、女子の方が多かったって本沢先生が言ってた。まあ、先生も持ち込むのはほとんど少女漫画だしね。私は、新しい少年漫画も欲しいけど」
「そうですね」
由利が同意したことで、葵も、何とか部費をもらえないだろうかと考える。
だが、部員が増えたら増えたで、面倒事も増えるだろう。何より、今さら漫研に入ってくれる人がいるかは怪しい。すでに、ポスターは校内の目立つところに貼り、部員募集の案内は出している。だが今のところ、見学者もいない。
由利がまたイスに座った。
「いっそのこと、裸で困っているところに、助けてくれる人がいる、という設定でもいいんじゃないですか?」
「助けてくれる人?」
「はい、王子様的な存在が現れて、ヒロインをピンチから助け出す。王道すぎる王道ですけど、それは必要かなあとも思いますし」
「なるほど……」
葵は今の会話をノートに書き留めた。
「ピンチのときの王子様か」
「シンデレラがガラスの靴を落としたとき、拾って届けてくれたのは王子様ですからね」
「あれもよく考えると、魔法で変化した靴が、なぜ時間になっても、元の姿に戻らなかったのか疑問なんだけど」
「諸説ありますけど、馬車などは魔法によって変わったものだけど、ガラスの靴だけは、魔女からもらったモノだった、みたいなことを、前にネットで読んだことがあります」
「そうなの?」
「自分で確認したわけじゃないので、間違っているかもしれませんけど……」
人と話していると、頭の中にあったバラバラだったものが、少しずつ整理されていく。
「あとで調べてみるね。ありがとう、話に付き合ってくれて」
「そんな、全然……」
由利が照れている。こんな表情をするのかと、少し意外だった。
そしてもう1つわかったことがある。由利は漫画の話なら饒舌になるということだ。
意外に簡単なことだった。
漫画があればそれでいい。自分と由利の間には、それだけがあればいいんだ、とわかった。
※ 次回は、1/30(木)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)