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桜井美奈『復讐の準備が整いました』第10回

 放課後の部室で、葵が次の作品のネームを描いていると、由利がポツリと「面白かったなあ」とこぼした。意図して話したわけではなく、思わず口からこぼれたような言葉が、葵は気になった。

「さっき読んでいた本のこと?」

「え、ああ……いえ、じゃなくて葵さんの投稿した作品」

「は?」

「今、結果待ちの作品。面白かったなって思っていたんです」

「えー、今ごろ?」

 投稿したのは文化祭のあとで、もう1か月半前のことだ。

 内容は、昨日の自分からメッセージが届く、という話だ。全部で24ページ。枚数が増えれば当然作画に時間を要するが、仕上げの部分は由利も手伝ってくれたため、前回の16ページと同じくらいで描きあげることができた。絵を描くことに慣れてきたということもあるかもしれない。

「未来を示唆する内容って結構読んできたけど、過去からのメッセージって面白いなあって思って」

「そう言ってもらえて嬉しいな。ただ、もう少しラストをはっきりさせた方が良いと思ったけど、上手く表現する方法が思いつかなかったんだよね」

「確かにそこは、選評でも突っ込まれる可能性はあるかもしれませんけど……曖昧だからいいなあと思うところもありました。自分のところにもメッセージが届くかもしれないと思えたので。それより葵さん、作中では明かしませんでしたけど、誰が送っていたかを決めていますよね? いい加減教えてくださいよ」

 由利が結末を訊いてくるのはこれが初めてではない。そのたびに葵は「ナイショ」と言ってはぐらかしているが、諦める様子はなかった。

「そういうのは、作者だけが知っていればいいことでしょ」

「でもデビューしたら、編集者とは共有しますよね?」

「どうだろ……人それぞれじゃない?」

 葵にわかるわけがない。ただ、物語に描かなかったことを、あえて人に伝える必要はないと、葵は思っている。どう読み取るかは読者の自由だ。

「そういう由利は、何か描いてみたくならないの?」

 由利が漫画を投稿していた話は、葵はまだ知らないことになっている。本沢からもらった雑誌も、処分せずに家に置いてあるが、最近では無理に訊かなくてもいいかもしれない、と思い始めていた。でも『これから』のことは知りたい。

「えー……」

「教えてよ」

 葵が目を輝かせると、由利は少し遠くを見るように視線を上げた。

「ミステリーっぽい話を描いてみたいと思ったことはありますね」

「探偵ものとか刑事もの?」

「それもいいですけど、普通の高校生が、毎回事件を起こす話です」

「起こす側? 自分で事件を作っちゃうの?」

「いえ、意図的に起こすんじゃなくて、主人公が行動することによって、事件が発生してしまうって感じですね」

「ソレ、主人公は家に閉じこもってくれてた方が、世の中が平和な気がするけど……面白そうだね。みんな、オイ、お前が動くんじゃないよってツッコミながら読みそう」

「はい。だけど、最終的に主人公が動くことによって事件は解決して、発生前より状況が良くなるから、それでめでたし、と」

「えー、読んでみたい。読んでみたいけど、話を作るのが難しそう」

「そうなんです。ざっくりとした設定があるだけで、全然話をまとめられません」

 お手上げ、とばかりに、由利は両手を顔よりも高く上げた。

 由利が本気になれば描けると葵は思っている。すでに1度、漫画を仕上げて受賞もしている。中学生だったことを考えれば十分すぎる結果だ。

 イラストは描いているのだから、漫画に対して興味を失ったわけではないはずだ。単純に、漫画の難しさに心が折れた――のであれば、設定など考えるはずもない。

 葵のスマホが振動した。

「ん?」

 登録していない番号だった。携帯電話の080や090からではなく、頭に03とある。固定電話からのようだ。

 ――誰だろう?

 知らない番号の電話に出るのは躊躇う。だがこのときは、半分気まぐれ、半分好奇心から、通話のボタンを押していた。

「もしもし?」

『小野川さんのお電話で間違いないでしょうか?』

「はい」

 男性の声だ。年齢は、オジサンというほどではなさそうだ。電話の向こうから、他の人の話し声や別の電話のコール音が聞こえた。

『私、創文堂出版月刊クリスタル編集部の鹿瀬と申します。小野川さんが28回期に投稿した、“過去からのメッセージ”が佳作を受賞しましたので、そのご連絡をさせていただきました』

「え?」

 葵は飛び上がらんばかりの勢いで、イスから立ち上がった。

『おめでとうございます』

「は?」

 イタズラ電話だ。葵の頭に最初に浮かんだのはそれだった。

 だが、投稿した出版社も雑誌も、何よりタイトルも間違っていない。そしてそれを知っているのは、目の前にいる由利だけだ。

 由利の顔に緊張が浮かんでいる。静かな部室の中にスマホから洩れ聞こえる声で、由利も電話の相手が何を話しているか、聞こえているようだった。

『今回は残念ながら、デビューにはいたりませんでしたが、ぜひ今後、私と一緒にデビューを目指していければと考えております』

「はあ……」

 さすがに葵も、だんだんこの電話はイタズラではないのではと思い始めていた。

『今日のところは、受賞のご連絡と、ご挨拶をと思いましてお電話させていただきました。詳しいことは、応募要項に記載されていたメールアドレスの方にお送りしますので、ご確認いただければと思います』

 鹿瀬と名乗った相手は、まだ何やら話していたが、葵の耳にはほとんど言葉が入ってこなかった。

 それでも最後に「失礼します」と声を絞り出して、電話を切った。

「ねえ……」

 葵は腰が抜けてイスに座った。足に力が入らない。今、自分が聞いた言葉がとてもではないが信じられなかった。

「イタズラ……かな?」

「本物だと思います」

 由利は右手で自分のスマホを操作しつつ、左手にはなぜか葵のスマホを持っていた。

「何してるの?」

「番号検索です。本当に編集部からか、確認しています」

 由利が自分のスマホを葵の方に向ける。表示された検索サイトには、葵が受信した番号が、出版社の番号として載っていた。

「本物みたいですね」

「じゃあ……」

 そのとき、ブブブと葵のスマホが震える。メールが届いた。

 件名に、『月刊クリスタル編集部/鹿瀬修吾』とあった。文面は受賞を祝う言葉と、事務的なこと。そして今後新しいネームが出来たら見せて欲しいという内容だった。質問があれば電話でもメールでもSNSでも構わないと、すべての連絡先が書かれていた。

「本物だった……」

 ようやく葵も実感がわいてきた。だがまだ身体はフワフワとしていて、気持ちが現実に追いつかない。

「凄いですね。漫画家だ」

「いや、どうだろう……」

「ならないんですか?」

「じゃなくて……担当さんが付いたってだけでしょ。そこからデビューして連載して単行本を出して……それを何作も続けて活躍する人は、投稿している人たちの中の数パーセント……ううん、1パーセントにも満たないのかなって思うと、とても漫画家になれるとは……」

 本当は浮かれたい。だが葵は、自分の気持ちを落ち着かせるために、あえて冷静になろうとしていた。

「きっと今は、スタートラインどころか、どこにスタートがあるのか教えてもらったくらいなんだよ」

「だけど、その場所もわからない人の方が多いと思います。目指す場所がわかったのなら、葵さんはきっと、たどり着けるんじゃないですか?」

「えー……」

 由利なりに励ましてくれているのだと思ったら、葵は嬉しいやら照れ臭いやらで、顔を見ることができなかった。

「受賞したとなると……葵さんはこれから、担当さんと作品を作っていくんですね」

「そうなるのかな。まあ、見込みがないと思われたら、返事も来なくなるのかもしれないけど」

 ハハハ、と葵が乾いた笑いをこぼすと、由利も「大丈夫です」と笑った。だけどその笑顔が、少し寂しそうに葵には見えた。

 放課後、由利が部室に来ない日が増えた。

 最初は月曜日だけだった。だが、日を追うごとに他の日も授業が終わると、すぐに帰るようになった。3週間もすると、部室に来るのは週に2日程度になっていた。

 欠席の連絡は来るが、理由を訊ねても「ちょっと」としか言わない。

 会えば普通に話すし、校舎内で偶然会ったときは、由利の方から声をかけてくる。部室に来たときもいつも通りで、タブレットでイラストを描き、漫画本を借りて帰っていた。

 学年が違うから、すべてを把握しているわけではない。むしろ、知っていることは少ないかもしれない。考えてみれば、由利の交友関係は一切知らない。どんな友達がいるのかも、誰と付き合っているのかも少しもわからなかった。

「もしかして……」

 恋人でもできたのだろうか。校内に相手がいれば気づくかもしれないが、相手が別の学校の人であれば、由利が黙っていれば、わかるわけがない。

「そうなのかなあ……うん、それはそれで、仕方がないか……」

 祝福してあげなければ、そう思うけれど、素直におめでとうとは言えないのは、葵が寂しさを感じているからだろう。

 部活に入ってきてくれて、漫画の話で盛り上がることができた唯一の人だから。

「いやいや、今はプロットを作らなきゃ!」

 葵は雑念を振り払うように頭を振って、紙に向き直った。

 プロットは、漫画の設計図のようなものだ。漫画の流れやキャラクターの設定などを固める必要がある。

 葵はこれまで、プロットを作り込まずに、ネームを描いていた。

 鹿瀬に言わせれば、漫画家ごとに作品作りの方法は違い、プロットよりもネームで固めていく人もいるらしい。逆に、びっしりと設定を作り込む人もいるという。

 どちらのタイプでも良いと言われたが、今は色々試してみて、自分に合ったスタイルを見つけなさいと言われた。それは葵も納得した。

 鹿瀬にはすでに4回、プロットを見てもらっている。だが全然OKがもらえない。
 今のところキャラクターが弱い、とのことだった。確かに投稿した作品でも、キャラクターの弱さを指摘された。

 なかなか次の作業であるネームに進めないことに、焦る気持ちはある。これまで由利には相談に乗ってもらっていたが、それでも自分が決めて原稿を描いていた。

 それが今は、鹿瀬の意見を聞かなくてはならない。

 指摘してもらえるのはありがたいが、自分が思ったように進められないことに葛藤もあった。

 葵は鉛筆を置いて、ふぅーっと深く息を吐きだした。

「あーあ」

 やっぱり由利とも話したい。1人きりの部室に寂しさを感じていた。

※ 次回は、2/25(火)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)