ロイヤルホストで夜まで語りたい・第7回「幸せな記憶を、またロイヤルホストで」(温又柔)
幸せな記憶を、またロイヤルホストで
温又柔
両親の家と、妹一家が暮らすマンションと、わたしの住んでいるところの、ちょうど真ん中あたりに、ロイヤルホストがある。
わたしが、母と妹と時々そこで会うのは、みんなにとって便利だからというだけではもちろんない。お店の居心地が良くて、何よりも、何を頼んでも絶対に美味しいからだ。
その日のわたしたちはとびきり幸運で、特等席、とわたしが密かに呼んでいる窓際の一番奥まった4人がけの席に案内される。
まだ、モーニングタイムが終わったばかりの時間帯。
わたしは迷わず、あつあつ鉄板和風ハンバーグのおろしゆずぽん酢ソースを頼む。妹はさんざん悩んだあと、国産豚ポークロースステーキのジンジャーバターソースを選び、母は前回すごく美味しかったからと、小さめのステーキランチ——100グラムのアンガスサーロインステーキに海老のグリルと蟹のクリームコロッケ——に決める。
もちろん全員が、オニオングラタンスープセットのライス付きである。
デザートはあとで頼むことにした。
ドリンクバーで氷をたっぷり入れてきた1杯目のパラダイストロピカルアイスティ——これも、わたしの大のお気に入りだ——を啜りながら、親子3人でピイチクパアチクとばかりに夢中で喋っていたら、ふと妹が、幼稚園からかな? とスマホを耳にあてる。甥っ子の幼稚園からではなく、上海にいる父からの電話だった。よく見たら、母とわたしのスマホにも父からの着信が。妹が、おねえちゃんなら隣にいるよ、と言って自分のスマホを渡してくれる。すぐに父の明るい声が聞こえてくる。
「生日快樂(shēng rì kuài lè)!」
その日は、わたしの誕生日だった。いつからか父は、自分がどこにいても、毎年わたしたちの誕生日には必ず電話をしてくれるのだ。
特別な日にかかってくるのもあって、父との電話はいつも嬉しい。
昔々、父がまだ日本で働いていた頃、夕方になると電話が鳴る。父だ。母が、わたしにも受話器の向こうの声を聞かせてくれる。
——パパ、もうすぐ、ケロケロケロケログァッグァッグァッ。
来日してまもない頃から父は、日本語の「帰る」が「カエル」と同じ響きであることをとても気に入っていたのだ。わたしが幼稚園で習った「かえるのがっしょうを歌って聴かせてからは、会社から帰る前の電話で必ず、ケロケロケロケロ、グァッグァッグァッと歌ってくれるようになった。
たぶん、わたしたちの一家がずっと台湾で暮らしていたら、会社から帰ってくるのを知らせるのに、父が「かえるのがっしょう」を口ずさむことはなかっただろう。
日本語は、幼いわたしや日本生まれの妹にだけでなく、とっくに大人だった父や母にも、そんなふうに楽しい影響を与えていた。もちろん、0歳から3歳までしか台湾にいなかったわたしとちがって、両親が中国語を忘れることはなかったのだけれど。
たぶん、まだ10歳にもなっていなかった頃だと思う。わたしは、自分がたくさんの中国語を忘れていることに気づく。それで自分の覚えている中国語をできるだけたくさん思い出そうとしてみた。
チョコレートは、巧克力(qiǎokèlì)
ケーキは、蛋糕(dàngāo)
アイスクリームは、冰淇淋(bīngqílín)……
どれも食べ物ばかりなので、なんとなくおかしくなる。しかも、中国語で知っている食べ物は、日本語で言うよりも、妙に美味しそうなのだ。
(自分だけがそう思うのかな?)
それでわたしは妹に聞いてみた。幸い、その頃の妹はただの赤ちゃんの段階を過ぎて、わたしの話し相手として十分に役に立つようにはなっていた。
「ねえねえ、チョコレートっていうのと、巧克力っていうの、どっちが美味しそうだと思う?」
わたしに相手してもらえるだけでも喜ぶ妹が目を輝かせながら、
「巧克力(qiǎokèlì)!」
と答える。妹も同じだと知ってわたしはますます興奮する。
「そうだよね、巧克力の方が美味しそうだよねえ」
妹は、巧克力(qiǎokèlì)と口にすること自体が楽しくなってきたようで、qiǎokèlì、qiǎokèlì、と連呼する。妹の弾んだ声を聞いていると、わたしもますます、巧克力がすごく美味しそうに思えてくる。
「じゃあ、ケーキと蛋糕だったら?」
「蛋糕(dàngāo)!」
「だよね、だよね。じゃあ、アイスクリームと冰激凌は?」
「冰激凌(bīngjilíng)だよ、もちろん」
わたしたち姉妹は、どんどん嬉しくなって、確信を深める。
チョコレートよりも、qiǎokèlì、ケーキよりも、dàngāo、アイスクリームよりも、bīng qí lín ……食べ物は、日本語よりも中国語で呼んだ方が美味しそうだ。
もちろん、わたしはちゃんと知っている。別に、誰にとっても、日本語よりも中国語で言った方が、なんでもかんでも美味しそうに聞こえるわけではない。そんなわけがない。
たまたまわたしや妹が、そうであるだけなのだ。
何しろわたしたちは、父や母の声をとおして、巧克力(qiǎokèlì)や蛋糕(dàngāo)という響きと一緒に、チョコレートやケーキのおいしさを知った。要するにわたしたち姉妹は、台湾の音を、たっぷりと日本に持ち込んだ両親のもとで、たらふく幸福を享受してきた。わたしたちの記憶の中のいくつかの食べ物をあらわす中国語の響きには、その幸せな記憶が寄り添っている。
わたしはふと思いつき、妹にわざと言う。
「今度、パパがカエルしたら、またみんなでここに来ようね」
妹は、わたしの言いたいことをすぐに理解してくれる。
「そうだね、パパが、ケロケロケロケロ、グァッグァッグァッしたら……」
こらえきれず笑いだすわたしたち姉妹を、母がニコニコ見守っている。熱々のハンバーグとステーキがちょうど運ばれてくる。
前夜から楽しみにしていたおろしゆずぽん酢のハンバーグを思い切り味わいながら父が今度帰国したらまたここに来ようと改めて思う。そのときは、10歳になる姪っ子と5歳の甥っ子も連れて。そして、今はまだ日本語しか知らないはずの妹の子どもたちに、ステーキは、牛排(niúpái)、ハンバーグは、漢堡排(hàn bǎo pái)、それに、パンケーキは、鬆餅(sōng bǐng)と言うのだと教えてあげようかな?
幸い、わたしたちみんなが住むこの町で、美味しい牛排(niúpái)や漢堡排(hàn bǎo pái)、鬆餅(sōng bǐng)を食べたくなったら、ロイヤルホストがある。わたしたち一家の幸せな記憶は、きっとここでまた積み重なってゆく。
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