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麻見和史『殺意の輪郭 猟奇殺人捜査ファイル』第11回




 JR赤羽駅から徒歩約七分。住宅街の外れに目指す場所があった。

「あそこです。このへんの住宅街では、前に聞き込みをしたことがあります」

 広瀬は辺りを見回しながら言った。彼女は先月まで赤羽署に勤務していたから、土地鑑があるのだろう。

 目的地は赤錆の目立つ、角張った建物だった。風雨で汚れた看板に《勝山建材》と書かれている。以前その会社の倉庫として使われていたのだろうが、今はひとめでわかるとおり廃墟となっていた。

 その廃倉庫の前には数台のパトカーが停まっている。制服警官や私服の捜査員たちが忙しく出入りしていた。そして、その様子をじっと見ているのは近隣住民たちだ。

 尾崎は野次馬という言葉が好きではない。現場を調べる警察官としては、彼らはたしかに厄介な存在だ。興味本位で集まってきて写真を撮ったり、噂を広めたりする人々は、しばしば捜査活動の妨げになる。だが、それをもってただ迷惑だとするのは間違っている。なぜなら、集まった人々の中には情報を持っている人物がいるかもしれないからだ。近隣に住んでいたため現場の異変に気づいた、というケースもあるだろう。不審者を目撃したというケースもあり得る。そういう人たちを見つけて情報を得るのは、初動捜査として大事なことなのだ。だから、彼らを単なる野次馬とは思いたくなかった。

 広瀬とともに白手袋を嵌める。それから、立ち番の制服警官に近づいていった。この現場の保全を行ったのは赤羽警察署の捜査員たちだ。

「お疲れさまです。深川署の尾崎といいます」

 署に設置された捜査本部に所属していること、そこからの指示で臨場したことを説明した。そうこうしているうち、倉庫の敷地内から見知った男性がふたりやってきた。

「来たか、尾崎」

 そう言ったのは捜査一課五係の片岡係長だ。水玉模様のネクタイを締めている。

 もうひとり、片岡に付き従っているのは先ほど通話した加治山班長だった。彼は眉間に深い皺を寄せている。加治山は尾崎に向かって軽くうなずいてみせた。

「三好事件と共通点があると聞きました。どういうことでしょうか」

 尾崎は片岡に問いかけた。

 今朝の会議で尾崎は片岡を見た。あのときも彼は厳しい表情を浮かべていたが、今その顔はさらに厳しく、そして険しくなっている。

「遺体のそばに鎖が置かれていた」片岡は言った。

「三好の現場にあったものと同じ、ということですか」

「ああ。犯人はあれをトレードマークにしているようだ」

 なるほど、そういうことか、と尾崎は納得した。

 三好事件の現場になぜ鎖があったのか、ずっと疑問だった。もし犯人が故意に残したのなら、理由があるに違いない。だが、あの鎖にどのような意味が隠されているのか、今までわからなかった。

「自分がやった、という印だったわけですか」

 同じものを置いていくことで、これは自分の犯行だと主張していたのだろう。

「おそらくそうだ。警視庁に届いたメールからも、それがわかる」

 片岡はポケットから畳んだ紙を取り出した。彼がそれを広げると、パソコンで打ったらしい文章が現れた。

 
《アカバネニ アル カツヤマケンザイノ ソウコヲ シラベナサイ キミタチニ プレゼントガ アリマス アノ クサリハ ワタシノ サイン》
 
 尾崎はその文章を二回読んだ。広瀬も近づいてきて、横から紙を覗き込んだ。

「このメールを犯人が送ってきたんですか?」

「正確に言えば『犯人らしき人物』ということになるが、内容から見て間違いあるまい。これは奴の犯行声明だ」

 低い声で片岡は言った。高ぶる気持ちを抑えているようだが、内心の苛立ちが滲み出ている。警察をあざ笑うような犯人の行動に、憤りを感じているに違いない。

「犯人は事件の現場を教えてきたということですよね」

 尾崎が尋ねると、片岡の隣にいた加治山が答えた。

「そういうことだ。奴は事件を隠そうとはせず、早く遺体を発見させようとして情報を送ってきた。愉快犯というべきなのか……。まいったな」

「自分の犯行を自慢したいのかもな」片岡は腕組みをした。「わざわざメールしてきたことから、警察に何らかの恨みを持っていることも考えられるが……。この件、君たちはどう思う?」

 片岡は尾崎たちのほうを見て尋ねた。尾崎が思案していると、横で広瀬が口を開いた。

「警察に対しては、多くの人が当たり前のように、不信感や反感を抱いているものと思います」

 何を言い出すつもりかと尾崎は身構えてしまった。それには気づかない様子で、広瀬は続ける。

「ですが、普通の感覚を持っている人間であれば、警察に犯行声明を送ってきたりはしません。それを実行したということは、この事件の犯人はよほど低レベルの人間か、またはよほど頭の切れる人間か、どちらかです」

「頭が切れる人間だと思う根拠はあるのか」

 首をかしげて片岡が質問する。広瀬は即座に答えた。

「警察に情報を与えることで、私たちの捜査をコントロールしようと企んでいる可能性があるからです」

「捜査をコントロール?」

「はい。犯人は三好事件でも今回の事件でも、みずから警察に連絡してきたと考えられます。つまり自分に都合のいいタイミングで遺体を発見させ、私たちに捜査をさせているわけです。犯人はかなり綿密な計画を立てていて、その計画どおりに、言うなれば自分のタイムテーブルどおりに犯行を進めているということです。頭が切れると感じたのは、そういう部分についてです」

 そこまで、広瀬は一気に説明した。

 片岡はしばし考え込む。それから彼女に向かって言った。

「たしかに、我々が事件を未然に防ぐことは難しい。その意味では、主導権は犯人にあると言ってもいいだろう。しかし、だからといって警察が犯人にコントロールされていると考えるのは間違っている。最終的には我々が奴を逮捕する。必ずだ」

「わかりました」広瀬はうなずいた。「この事件の犯人はある程度頭の切れる人間だと思いますが、私たちをコントロールするほどの力はないということですね。理解しました」

「君だって、犯罪者に好き放題やられたのでは我慢ならんだろう」

「もちろんです」

「では、この捜査に全力を尽くしてくれ。犯人を恐れたり、過大に評価したりする必要はない」

「承知しました」

 広瀬は姿勢を正し、深々と頭を下げた。つられて尾崎も目礼をした。

 このとき、尾崎はようやく広瀬の行動パターンがわかったような気がした。彼女はあまり空気を読むことをせず、遠慮なしに疑問点や意見を口にすることが多い。だがそれは上司に刃向かおうというのではなく、自分の考えを報告しているだけなのだ。基本的には上意下達を厳格に守ろうとするから、仮に自分の考えと違っていたとしても、上司の判断には必ず従うのだろう。

 それさえわかってしまえば、無理なく接することができるのではないか、と思えた。

「では遺体を見てもらおう」加治山班長が倉庫のほうへ顎をしゃくった。

「かなりひどい状態だ。覚悟しておいてくれ」

 加治山がそんなことを言うのは珍しい。尾崎は眉をひそめて尋ねた。

「三好事件と比べて、どうですか」

「……あれよりひどいと思う。まったく、厄介なことだ」

 眉間に皺を寄せたまま、加治山は言った。
 
 情報によると、倉庫が使われなくなってから三年ほど経っているらしい。

 しかし建物の中にはスチール製の棚や、荷物を搬送するためのパレット、大型小型の木箱などがあちこちに残されている。通路と作業エリアを仕切るためのパーティションもあって、見通しがよくない状態だ。

 こんな場所が長いこと放置されていたら、犯罪者に目をつけられても仕方がない、という気がした。いくつかある出入り口のドアは、もともと施錠されていたそうだ。しかし何者かが窓ガラスを割って侵入し、中からドアを解錠したものと思われる。一度そうなってしまえば、あとは出入り自由だ。被害者を連れ込むこともできただろうし、遺体を運び込むことも可能だっただろう。

 倉庫の中ほどの一画、パーティションの向こうに鑑識課員たちの姿が見えた。顔を寄せ合って小声で相談する者、フラッシュを焚いて写真を撮る者、どこかへ電話連絡する者などがいる。

 片岡係長はパーティションの端を回って、鑑識課員たちのいるそのスペースに入っていった。加治山班長、尾崎、広瀬の順であとに続く。

「証拠品の採取は一通り終わっているな?」

 片岡が確認をとった。中年の鑑識課員がうなずいて、どうぞ、と一歩うしろに下がる。

「交番の警察官が駆けつけたとき、床には鎖が落ちていたそうだ」片岡が説明した。「メールに書かれていたとおりだ。鑑識で調べてもらっているが、三好事件の遺留品と同じ種類のものらしい」

「犯人の言うとおりだったわけですね……」

 尾崎たちの前に遺体があった。

 その人物は床に座り込んでいた。両脚を前に伸ばし、上半身をうしろの壁にもたせかけている。スニーカーに紺色のズボン、ボーダーのシャツ、その上に灰色のジャンパーを着ていた。

 体格からすると男性だろう。だが顔を見てもすぐには人相がわからない状態だった。

 その人物の顔は血だらけだったからだ。

 近づいていって被害者の顔を覗き込んでみた。そこで尾崎は息を呑んだ。

「……眼球がない」

 左右どちらもそうだった。刃物か何かで抉り出されたのだろう。もともと眼球があった場所は血まみれの窪みになっている。その部分から赤い血液が顎へ、そしてシャツの胸へ、腹へと伝い落ちていた。

 隣にいる広瀬も、さすがにこの損壊状況には驚いているようだった。彼女は顔を強張らせ、遺体の眼窩を凝視している。

 尾崎は辺りを見回したが、床の上に血痕は残っていなかった。その振る舞いに気づいたのだろう、片岡係長が説明してくれた。

「眼球はどこにもなかったそうだ。犯人が持っていったらしい」

「何のために……」

 思わず、尾崎はそうつぶやいていた。目を抉るという行為だけでも衝撃的だというのに、犯人はそれを持ち去ったという。左右ふたつともだ。

「勲章でしょうか」広瀬が言った。「自分がこれをやったという証拠に、持って帰ったのかもしれません。保管しておいて、定期的に眺めて楽しむとか。……あるいは、何か別の目的があったのかもしれませんが」

「別の目的? いったい何なんだ」

 尾崎はそう尋ねたが、苛立ちから、つい責めるような口調になってしまった。本来、追及されるべきは犯人であり、広瀬に敵意を向けるのはおかしいと自分でもわかっている。だがこの異様な死体損壊の現場を見て、尾崎は平常心を失いかけていた。

「はっきりとはわかりませんが……」広瀬は思案する様子を見せた。「その目を何かに使うとか、誰かに譲り渡すとか」

 尾崎はしばらく彼女を見つめていた。どうも、うまく考えがまとまらない。口をへの字に曲げて、遺体のほうへと向き直った。

「そのほかの情報だが」加治山班長が口を開いた。「遺体の頭には黒いポリ袋がかぶせられていたらしい。……そうですよね、片岡係長」

 そのとおりだ、と片岡はうなずく。

「俺や加治山さんがここに着いたときには、もう鑑識が袋を外していたんだがな」

 片岡は鑑識課員のひとりを呼び、何か指示を出した。鑑識課員はデジタルカメラの液晶画面をこちらに向ける。尾崎と広瀬は画面を覗き込んだ。

 加治山たちの言うとおりだった。座り込んだ姿勢は今と同じだが、頭部が黒い袋ですっぽり覆われている。その袋を取り除いたとき、眼球のない血だらけの顔が現れたというわけだ。確認した警察官は大きな衝撃を受けたに違いない。

「首に索条痕があった。ロープなどで絞殺されたものと思われる。そしてこの損壊……。三好に続いて、きわめて猟奇性の高い事件だ。何が犯人をここまで動かしたのかがわからん」

「恨みですよね」広瀬が言った。「それしか考えられません。死後の損壊だとは思いますが、犯人は被害者の視力を奪っていきました。袋をかぶせているから、光を奪ったとも言えます。犯人の強い悪意と怒りが感じられます」

 尾崎は片岡係長のほうを向いて尋ねた。

「この被害者の身元はわかっているんですか?」

「ああ、そうだった。加治山さん……」

 片岡に促され、加治山は自分のメモ帳を開いた。ページをめくって、書き留めた内容をチェックしたようだ。

「ジャンパーの内ポケットにホームセンターの会員カードがあった。被害者は白根健太郎、三十二歳。飲食チェーン勤務。住所は池袋本町だ」

 加治山は詳しい住所を教えてくれた。尾崎と広瀬はそれをメモする。

 犯人からのメール、そして残酷な死体損壊の手口、駄目押しとして遺留品の鎖。これらを見て、三好事件と同じ人物の仕業に間違いないことがわかった。

「怨恨の線だとするなら、犯人は手島恭介と白根健太郎さん、両方を憎んでいたはずですよね」

 尾崎の問いかけに、片岡係長が「そうだな」と応じた。

「ふたりをこれほどまでに憎んでいた人間が、どこかにいるはずだ。関係者を徹底的に洗わなくてはならん」

「このあと白根健太郎さんの自宅を調べたいんですが、よろしいですか? 我々は鑑取りの担当です。友人や知人がわかれば、すぐ情報収集に行けます」

「わかった」片岡はポケットを探った。「現地に捜査員が入っているはずだ。これから尾崎たちが行くことを連絡しておく」

「ありがとうございます」

 頭を下げて、尾崎はうしろを振り返った。そこにはコンビを組む広瀬がいる。

 ひとつ呼吸をしてから、尾崎は言った。

「我々は白根健太郎さんの家を調べる。池袋に行くぞ」

「了解です。一番早いルートを調べます」

 広瀬はバッグからスマホを取り出した。手早く画面を操作して、彼女はネット検索を始めた。

※ 次回は、4/12(金)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)