上坂あゆ美連載「人には人の呪いと言葉」第9回
理性が性本能を制御してくれない
モルタルペンギンさん、こんにちは。
あなたは性的行為に対して強い嫌悪感があり、その一方で性欲が存在する自分に対して、気持ち悪さをお感じになっているのかなと受け取りました。
まず、“本能”ってなんなんでしょうね。モルタルペンギンさんは「本能=性的欲求」のように捉えられている気がするのですが、私は少し違う気がしています。
かつてとある男性が、「セックスってさ、カエルみたいな体勢で必死で腰振って、動物みたいで滑稽だなと思うよ」と、「キリッ」という効果音が聞こえてきそうなほどの真顔で言っていて、めちゃくちゃ笑いました。だってそれは、私とセックスした直後だったからです。やってんじゃねーか!! 彼は多分、欲望に駆られた獣みたいになっているときの自分が恥ずかしいのでしょう。それを冷静に捉えている俺、というポーズを事後に取ることで恥ずかしさをなんとか打ち消そうとしている……! 人間って……複雑で、面倒くさくて、面白!!
そもそも性欲に抗いたいとか恥ずかしいとか思うのって、あらゆる動物の中で人間だけだと思うのです。だから、性欲はあるけど抗いたいみたいな矛盾した思考こそが、むしろ人間という動物の“本能”であり、とても人間的な状態なのかもしれないですよね。
……そう考えると私は、性欲に対して恥ずかしいとか抗いたいとかあまり思っておらず、よく人から「人間味がない」と言われる理由なのかもしれないと、今気づきました。あらゆる欲を肯定している私は、人間である割に矛盾と葛藤が足りないということだったのかもしれません。勝手に勉強になりました。
自分の人間味の薄さを差し引いても、やっぱり私は本能的欲求が悪いこと、後ろめたいことだとは思いません。人間が一番忌避すべきなのは無気力・無欲求な状態だと思っているからです。現代社会において、空腹よりも怪我よりも、無気力であることの方がよほど死に至りやすい。なので本能でも怒りでも何でもいいからやりたいことがある状態の方が、まだ死を遠ざけることができます。
本能的欲求に良くない面があるとすれば、相手の同意なく自分の欲求を押し付けるなどで誰かを傷つけること、それのみです。もしかしてモルタルペンギンさんは過去に、同意なく性欲を押し付けられたことがあり、そのせいで“本能”ごと嫌になってしまったのかもしれません。だとすればそれは、同意のない強制、つまり暴力を振るった相手が悪いのであって、あなたは、そしてあなたが持つ本能的欲求は何も悪くありません。
私が尊敬している漫画家の椎名うみ先生は、「自分の気持ち(欲求)を否定することは、自分に対する暴力」と仰っていました。他人に暴力を振るってはいけないのと同じくらい、自分に暴力を振るってもいけない。自分の欲求を認められるのは自分だけです。お辛いかもしれませんが、どうかモルタルペンギンさんは、まずご自分の欲求を認めてあげてください。欲求を感じた自分を嫌悪するのをやめてあげてください。それが、過去に被害を受けた自分を大切にしてあげることにも繋がると思います。
ひととの関係を台無しにしてしまう自分が情けない
らふぇすたさん、こんにちは。決意表明をありがとうございます。
答えやアドバイスは求めていないかもしれませんが、あなたにどうしても言いたいことがあります。あなたは、「他者評価ばかりを気にしている人」ではないです。
だって、「ちょっと体力キツくて明日休ませてほしいんですけど」と申し出た場合の相手の心象のマイナスと、相談せず逃げ出した場合のマイナスでは、どう考えても後者の方がマイナスが大きくないですか。私などはなにか問題が起きたとき、「よりマイナスが少ない方」を必死で考え、迷いなくそちらを選びます。他者評価を本気で気にしているからです。仕事において相手に低評価を下され、「こいつはダメだ」と見做されることを想像するだけで、もう苦痛で苦痛で耐えられません。私のそれはもはや強迫観念じみています。これもあまり健康じゃないなということがわかってきたため、最近は他者評価を気にしない人を目指したいモードになってきていますが。とりあえず「他者評価ばかりを気にしている人」を名乗るのは、せめて私の強迫観念を越えてからにしてください。
変な方向に熱くなってしまいましたが、話を戻します。先ほど言ったように、あなたは結果的により大きなマイナスの選択肢を選んでいるわけなので、私に比べたら「他者評価ばかりを気にしている人」ではないように思います。じゃあなんなのかと考えると、「目の前の人の顔色を異常に気にしてしまう人」なんじゃないかと思いました。「短期的に人の機嫌を損ねることの恐怖が、他の何よりも上回ってしまう」という感じ。つまり、あなたが本当に恐れているのは、「他者評価が下がること」ではなく、「目の前の人に快ではない表情をさせてしまうこと」なのかなと思いましたが、いかがですか。
ところで、私の身近にいるとある人が、らふぇすたさんと近い傾向がありました。相手に失望されるのが怖くて大事な話を言い出せず、体調的にも無理をし続け、結果大迷惑をかけて仕事を辞める、みたいなことを数回やっていました。
彼の場合は、幼少期に母親から「何でこれやっていないの」「何でこんなことするの」と問い詰められ、何を答えてもお母さんの機嫌は直らず、ただただ謝罪を続ける時間が毎日のようにあったそうです。ただ、機嫌の良いときはとても優しく和やかなお母さんだったそうで、その経験から「とにかく目の前の人を怒らせない、失望させない」ということがいつしか彼の生存戦略になってしまったのだと言っていました。
自分が一番避けたいこと・恐ろしいと思うことって、根源的な呪いと密接であることが多いように思います。私が人から「できない奴だと思われたくない」「舐められたくない」と強烈に思ってしまうのも、過去の体験と関連があるような気がします。もしあなたが最も恐れているのが本当に「目の前の人に快ではない表情をさせてしまうこと」だとしたら、ちょっとした問題に直面したとき正直に打ち明けて、人はこんなことで怒らないんだという成功体験を積み重ねることが必要かもしれません。または他に最も恐れていることがある場合は、そのパンドラの箱を開ける勇気が必要かもしれません。
この失敗を踏まえて、どうからふぇすたさんがもっと生きやすくなることを願っています。
……同時に、私も私の呪いに向き合うべきだなと思いました。この理論でいくと、私はできない奴だと思われても、舐められても大丈夫だという経験を重ねた方が良さそうですが、それってなんなんでしょうね。自分の性質上、明確に順位がつくものの方が良さそうです。今後、急になんらかの大会とかに出場していたら、私が呪いと向き合っている証だと思ってください。
▽「人生の呪い」は下記より募集しております。
暗いことでも、明るいことでも、聞いてほしいだけでも、お悩み相談でも、なんでもOKです。
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