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「遺品整理は遺族のためでもあり、同時に亡くなられた方のためでもあります」――中山七里「特殊清掃人」第7回
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「遺品整理は遺族のためでもあり、同時に亡くなられた方のためでもあります」――中山七里「特殊清掃人」第7回

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秋廣香澄は半年前に〈エンドクリーナー〉に転職したばかり。同世代の女性・関口麻里奈が孤独死した部屋の清掃依頼があり、上司の五百旗頭とともに部屋の清掃を始める。が、床材を剝がすと……。


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 すみは持ち出した床材の一片を陽光の下に晒してみる。コーティングに阻まれた文字も明るいところなら凹凸で判別できる。

 おそらくボールペンの先で書いたらしく凹凸は克明だった。

『みんな、滅びろ』

 目を皿のようにして何度も見つめたが、やはりそう書いてある。

さん、これ」

 横から五百旗頭が覗き込む。

さんの遺書でしょうか」

「彼女は自然死だったんだろ」

「心原性脳塞栓症は全身麻痺や意識障害を伴うそうで、担当の刑事さんはスマホに手を伸ばす間もなかったんじゃないかと言ってました」

「今日び、誰かに何かを伝えるのなら書くよりスマホだろう。実際、遺書をスマホに遺すヤツも少なくない。第一、意識障害が襲ってきた時点で遺書を書くのは無理筋だと思うけどなあ」

「遺書じゃなかったら何なんでしょう」

「単純に恨み言だろうな、世の中に対する」

 五百旗頭の答えはなるほど単純で、そして冷徹だった。まだ意識が混濁する前、三十路の独身女性が虚空に吐き出す呪詛には哀感が満ちているが、煎じ詰めればただの独り言でしかない。

 どうせフローリングの床に吐き散らかした恨み言だ。誰に読ませるものでもない。

 いや、違う。

 今こうして、自分が読んでいるではないか。

「そろそろ乾いた頃だ。仕上げといくか」

 二人は消臭剤の缶を携えて最終工程に向かう。部屋に入るなり窓とドアを開放して中の空気を入れ替える。死臭の漂う淀んだ空気が排出され、初夏の清新な風が流れ込んでくる。

 空気が完全に入れ替わったのを確かめてから、最後に消臭剤を振り撒く。市販の消臭剤では不安が残るため、〈エンドクリーナー〉では特製の消臭剤を用いる。五百旗頭が数種類の消臭剤をブレンドした言わば〈五百旗頭スペシャル〉であり、消臭効果も持続時間も市販のそれとは比べものにならない。

「作業終了」

 五百旗頭の言葉を合図に撤収し、ワンボックスカーの前で防護服を脱ぐ。脱いだ防護服は焼却用の箱に、他の道具は元の場所に戻して全作業が完了した。

「早速、確認してもらおうか」

 大家のなりとみあきを呼んで、部屋の中に入ってもらう。晶子は目を見張って感嘆の声を上げた。

「綺麗。ちゃんと元通り」

「室内清掃ということでしたが、床材の一部を張り替え、も補修しました。二トントラックを使用したので、その分費用は高くなりました」

「部屋さえ綺麗になれば何も文句はありません」

 すっかり失念していた。ハウスクリーニングの費用は彼女ではなく、麻梨奈の母親が支払うのだ。

「ご苦労様でした」

 もう用はないとばかり、晶子は一礼することもなくそそくさとその場を去る。

 敷地にはまだゴミ袋が残っているが、やがてしらの第二便が回収にくるだろう。

「大家さんのチェックも済んだし、会社に戻るか」

「白井さんを待たなくていいんですか」

「信頼しているから。事故物件を綺麗にしたら次は手前の身体を綺麗にしなきゃ。あの熱気の中、汗だくだったじゃないか」

 汗も臭いも気になるので一も二もなく了解した。

「でもあの大家さん、店子に対する同情とか憐れみとかないんでしょうか」

「立つ鳥跡を濁さずってのが基本にあるなら、あの濁し方じゃあドライにもなるさ」

「ちょっと世知辛い気がします」

「彼女の恨み辛みがこびりついた部屋を掃除した。それで俺たちが怨念を取り除いてやったと考えれば世知辛くもないだろ」

「何だか祈禱師みたい」

「祓うものが悪霊か悪臭かの違いだ」

 帰り支度を済ませてワンボックスカーに乗り込むと、五百旗頭はこちらの手元に視線を投げてきた。

あきひろちゃん、その板切れ」

「ええ、麻梨奈さんの『みんな、滅びろ』」

「そんなもの持って帰ってどうすんだよ」

「クリーニングの途中で気づいたことがあるんです。それが本当なのかどうかを確かめたくて。余計だったでしょうか」

「そうさな」

 五百旗頭はエンジンを始動させると、もうこちらを向かなかった。

「依頼された内容は済ませたしな」

 それきり言葉は続かなかった。

 もう余計な真似はするな、なのか、それとも勝手にしろという意味なのか。

 香澄は後者を採用することにした。


      4


 次の日曜日、香澄は休日を利用して江東区有明に足を延ばしていた。ここに麻梨奈の勤めていた輸入車ディーラーの店舗がある。

 香澄が職業と氏名を名乗ると受付の女性は一瞬困惑顔を見せたが、すぐに応接室に案内してくれた。

 待つこと五分、姿を現したのは営業課の社員だった。

「お待たせしました。営業課のおおと申します」

「〈エンドクリーナー〉の秋廣です」

「本日は、以前弊社に勤務していたせきぐち麻梨奈さんの件でお出でになられたと伺いました」

 香澄は〈エンドクリーナー〉が事故物件の清掃の他、遺品整理も行っていることを説明する。

「左様ですか。関口さんが亡くなったのは新聞報道で知り、わたしたちも悲嘆に暮れていたのですけど、どうして遺品整理に弊社が関わるのでしょうか」

「関口さんは自宅アパートのクローゼットに相当数の服を収納していました。ひょっとしたら御社の制服も紛れ込んでいるかもしれないんです。それでご確認いただきたいと考えまして伺った次第です」

「退職時に貸与物は返却してもらう決まりなんですけど……まあ確認だけなら」

 香澄はスマートフォンのフォルダーに収めた衣服の画像を一枚ずつ見せる。だが、この中に制服が紛れ込んでいないのは最初から承知している。麻梨奈のかつての勤め先から話を引き出すための方便に過ぎなかった。

 だが方便と決めつけるのは早計だった。次々に移り変わる画像の一枚に大田が小さく叫んだのだ。

「この服は見覚えありますよ。会社の支給品じゃないんですけど、これで関口さんは一躍有名人になりましたから」

 思いがけない反応に香澄の方が慌て気味になる。

「その時の事情を教えてください」

「東京モーターショーはご存じですよね。弊社も参加企業に名を連ねていて、その年のコンセプトカーをブースに展示します。こうした新車の展示で付き物と言えばコンパニオンですが、秋廣さんはこうした女性コンパニオンについてどう思いますか」

「展示会の華、でしょうか」

「ええ、そういう見方が圧倒的ですね。場が華やかになるとかクルマの見栄えがよくなるとか、よく分からない理屈が大手を振って罷り通っていた訳です。モデルさんに胸元の大きく開いたレオタードとかミニスカとか着せて。でも、それって所謂オジサンのセンスあるいは好みに過ぎないじゃないですか。少なくとも女性がそのブースを覗いて購買意欲を搔き立てられるとは到底思えません」

 言葉の端々に控え目ながら憤りが聞き取れる。女性コンパニオンについていささか不快に感じていたのは香澄も同様だ。新車に若いグラマラスな女という取り合わせが中年男性の性的嗜好に思えてならなかった。

「以前はそれで通用したんです。クルマを買うのも運転するのもほぼ男性でしたからね。主たる購買層が男性となればマーケティングの手法として若くてグラマラスな女性コンパニオンが採用されるのはむしろ当然と言えるでしょう。でも時代は変わりました。購買層に占める女性の割合が男性のそれに拮抗し、コンセプトカーと女性コンパニオンの関連性に疑問が持たれ始めたのです。昨今はフェミニズムの影響もあって、欧米のモーターショーでは女性コンパニオンを採用する企業が減少気味になっています。弊社も例外ではなく、女性コンパニオンの採用は見合わせようという社内コンセンサスが取れようとした時、いきなり手を挙げたのが関口さんでした」

「関口さんは何を言ったんですか」

「それなら自分がコンパニオンを務めると。上は本社の役員、下は営業所の社員に至るまで大騒動でしたよ。普通女性コンパニオンは各派遣事務所から回してもらうのが常なんですけど、それを自社の社員で賄おうというのですから。破天荒な申し出だ、目立ちたいにも程がある。当初は否定的な意見もありました。ところが本社のCEO(最高経営責任者)がGOサインを出したものだから、一気に空気が逆転してしまったんです」

「素晴らしい社風ですね」

「その記念すべき一枚がこれです」

 大田はスマートフォンに映し出された画像を誇らしげに見つめる。

「モーターショーにおける弊社の考え方が一変した瞬間でしたが、同時に関口さんの人物評が一変した瞬間でもありました」

「関口さんの人物評はどんな風だったのですか」

「高身長で目立つけれど性格は控え目。真面目だけど、いつも他人の背中に隠れているような印象でしたね。クラスに一人くらいいませんでしたか。外見が派手なばかりに内向的になるような子」

「いましたいました」

「関口さんがまさにそれでした。要するに目立たない優等生といったところですね。もちろん目立とうが目立つまいが、真面目であることが肝心で、全ての仕事にとって一番重要な要素ですからね」

 香澄は同意を示す意味で頷いてみせる。輸入車ディーラーという業界は華美なように見えるが、魅力ある製品を提供し価値を知る者が購入するという点では他の業界と変わらない。大金が動くのであれば、真面目さや慎重さがより必要とされるのは当然だ。

「ところがモーターショーにコンパニオンとして参加した途端、彼女の人物評はまるで別物になります。本人にはコンプレックスだった高身長が華やかな舞台では却って有効に機能したんですね。弊社のブースは物珍しさも手伝って黒山の人だかりとなり、関口さんは一躍弊社のマスコットキャラクターになった感がありました」

「マスコットキャラクターになったのなら、本人の意識もずいぶん変わるでしょうね」

「ええ。モーターショーを成功に導いたのは関口さんと言っても過言ではありませんから。彼女は見違えるほど活発になり、彼女の周りにはいつもスポットライトが当たっている感じでした。あ、そうだ」

 大田は自分のスマートフォンを取り出して、こちらに液晶画面を差し出す。

「ちょうどその頃、女子会で撮った写真です」

 場所はどこかの居酒屋だろう。写真では大田を含め数人の女性がテーブルを囲んでいる。ひときわ背が高いのが関口麻梨奈に違いない。

 本人のことを調べているにも拘わらず、生前の彼女を見るのはこれが初めてだった。なるほど大田が言った通り、麻梨奈のいる場所だけが華やかな空気に包まれているようだ。

「モーターショー以前も以後も関口さんは営業課に所属していました。雰囲気が変わっても彼女の真面目さは変わらなかったので、仕事をする上でずいぶん助けられました」

「課長さんの補佐でもされたんですか」

「いいえ、関口さんの業務は各種イベントの見積りや集計といった地味な事務仕事でした。だからこそコンパニオンという派手な姿に痛快なギャップがあったんです」

 いよいよ香澄は最大の疑問を投げかけてみる。

「傍で聞いていても羨ましい職場環境です。でも、それならどうして関口さんは会社を辞めてしまわれたのですか」

 途端に大田の表情が痛ましげに歪む。

「答えなければいけないことでしょうか」

「遺品整理を依頼されている立場としては、生前の関口さんが誰にどんな思いを抱いていたのか知っておく必要があります」

「弊社が遺品の受け取りを謝絶してもですか」

「遺品整理は遺族のためでもあり、同時に亡くなられた方のためでもあります」

 偽善のように聞こえるが、この言葉に噓はない。少なくとも今の香澄は麻梨奈の怨嗟を晴らすために動いている。『みんな、滅びろ』という最期のメッセージの意図を解明することが彼女への供養だと信じているからだ。

前回(第6回)                         次回(第8回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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