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桜井美奈『復讐の準備が整いました』第6回

第2章 リリ 16歳


「あれ? 久しぶりだね」

 リリが新宿に姿を現したのは1か月ぶりのことだ。だから、久しぶりと言われることには疑問はない。ただ、親しそうに話しかけてきている少女の名前が思い出せず「そうだね」と返事をしながら、リリの頭はフル回転していた。

 レナ……ではない。エリ……でもない、と思ったところで、エナだったことを思い出した。

「エナも来てたんだ」

「まあね。お互い、タイミング合わなかったみたいだね」

 エナが普段何をしているか、リリにはわからない。ここに来る人たちの中には、自分のことを知って欲しいとすべてをさらけ出す人もいれば、素性を隠したがる人もいる。
明らかに年齢を偽っている人もいれば、学生証まで見せるオープンな人もいる。

 エナはほぼ素性を隠していて、当然本名も知らない。知っているのは、利用している鉄道の路線くらいだ。1度、誰かが根掘り葉掘り質問をしたことはあったが、エナは貝が閉じたように口を開かなかった。

 もっとも、リリも似たようなものだ。住んでいるところも、どこの学校に通っているかということも、誰にも言わなかったし、ここへ来るときはメイクも濃くしている。ここには日常を持ち込みたくない、と思っていた。

「リリ、最近行った?」

 どこに? などと問い返す必要はない。少しばかり意地悪い笑みを浮かべているエナと言い争うのも面倒くさいリリは「親がうるさくて」と、答えるにとどめた。正確には、「親がうるさく言うから、お金を調達するすべがなかった」だが、そこまで説明をする必要はない。ここに来る子たちは、親が過干渉か、無関心かのどちらかだ。

「あー、一緒」

「え?」

 絶対にマウントを取られると思っていたリリは、意外な返答に、少し拍子抜けした。

「うちの親もそう。金遣いがどうのって、もっともらしいことを言いながら、実際は世間体なんだろうね」

「……だね」

 エナが自分のことを話すなんて珍しい、とリリは思った。

「くだらないって言われたんだ。推し、なんて言っているけど、カモにされているって、どうしてわからないんだって。こっちだって、そんなことくらいわかってるよね」

 よほど腹に据えかねているのか、エナはリリに同意を求めるように強く迫ってくる。

 でも、リリは素直に「そうだね」とは言えなかった。

 大人が言うことは、いつだって金属でできた固い箱だと、リリは思っていた。

 自分たちの正しさに間違いはなく、その言葉の箱の中に、子どもを押し込めようとする。そこに入れられたら、泣こうが叫ぼうが、助けを求める声は届かない。場合によっては、もっと頑丈な箱に閉じ込められる。

 そしてどこかで、それは正しいのかもしれない、とリリも思うときがあった。学校を休んで遊び、素性のわからない人たちと付き合う。そんな自分の行動の危うさに、まったく気づいていないわけではなかった。

 それでも、息苦しさに心が削られて、自分が消えていく感覚に襲われていた。そこから逃れたくて、リリは居場所を探したのだ。

「今日は行くつもりだよ」

 リリが余裕を見せると、エナがカバンに視線を向けた。

「また、やったの?」

「関係ないでしょ」

「最近このあたり、警察が来ているから、見つかるとリリがヤバいってだけ。忠告だよ」

「違うし」

 否定の言葉は上滑りした。

 そして、噓だということくらい、エナだってわかっているだろう。だが、それ以上は追及してこなかった。

 ここは、噓も本当もない場所だ。

 真実でなくても、噓だと思って話しているわけでもないときがあるから、追及するだけ無駄だ。それに、自分が関係していなければ、誰もそれほど興味はない。

「ま、うまく行くといいね。最近、新しい人が見つかったみたいで、リリのこと、忘れているかもだから」

 捨て台詞を吐いたエナは、手を振りながら歩いて行った。

 怒りなのかくやしさなのか、リリはエナの背中を見ながら拳を握っていた。しばらく深呼吸を繰り返して、どうにか気持ちを静めてから、リリは近くに座っていた、知り合いの1人に声をかけた。ただ知り合いではあるが、名前は――偽名すら知らない。お互い、気づいたときに「あ」とか「よ」と言って話し始めるし、用件は一つしかなかったからだ。

 少年は夏でも長袖を着ていて、手足が隠れている。でも、袖口から見える手首は骨と皮だけだ。顔を見なくても少年を認識できるのは『QLTAM』のロゴの入った帽子をいつも被っているからだ。

「いる?」

 リリの短い質問に、声をかけられた少年は、顔を上げて「ああ……うん」とダルそうに答えた。いつものことだった。

「あるだけちょうだい」

「ダメ。ひと箱だけ」

「それじゃあ、効かないんだ」

「今、何錠飲んでいるの?」

「えー、そんなに飲んでないよ」

 曖昧な答えに怖くなる。

「ちゃんと答えて」

「60くらいかな」

「多すぎ」

 以前にも似たような会話をしたと思ったが、相手が違う。あのとき見た少女はもう、ここにはいない。別の場所へ行ったのか、今日は来ていないのかは、リリにはわからなかった。

「お願い、頼むよ」

「ダメだってば」

「じゃあ、市価より高く買う。早く現金が欲しいんでしょ?」

「でも……」

 リリは躊躇したものの、ダメ、と突っぱねられなかった。さっきエナが言っていた、他の客の存在が気になって仕方がなかったからだ。もちろん、1か月も行かなかったのだから、新しい客がついていることくらいわかっている。ただ、今でもリリの居場所があるのか、すぐにでも店に行って確かめたかった。

 それでも、言われるがまま薬を売るのは躊躇する。リリが拒むと、少年はニヤッと口を開けて白い歯を見せた。

「入手方法は黙っておくから」

「――え?」

 リリの心臓がドキッと跳ねた。

「それとも、最近、よく警察来るから、言っちゃおうかな」

「そんなこと……」

 そこまで言って、リリは言葉を続けられなかった。エナの話からも、警察官が見回っていることは確実で、告げ口するというのは脅しではないからだ。

 リリが薬を手に入れる場面を、実際に見られたわけではないから、警察に告げ口されたところで、捕まりはしないだろう。都内にドラッグストアは星の数ほどあって、リリも用心して、この近くの店には立ち入っていない。だけどもし、店の防犯カメラを調べられたら、言い逃れができなくなる。

 そんなことがもし、親に知られたら――。

 リリの背中がぞわっとした。

「持っているの、全部売ってよ」

 足元を見るように、少年が、ね? と、わざとらしく小首をかしげる。言いくるめられるのは癪に障るが、少年はリリが薬を売らなくても、他から入手するだろう。

 リリはため息とともに「5箱」と答えた。

「少なっ! 本当にそれで全部?」

 疑う少年の前にカバンを開けて中を見せる。

 カバンの中身を確かめた少年は、リリの言葉を信じたらしい。急速に興味を失ったように、つまらなそうな顔をした。

「じゃあ、それだけでいい」

「1度に全部飲まないでね」

「わかってるよ」

「絶対だよ。飲む量は増やさないでね」

「わかってるって。早くちょうだい」

 言い争うことが面倒になったリリは、店頭で売られている値段に、さらに少し上乗せして、持っていた薬をすべて渡した。

 普段なら、絶対にこんなことはしない。

 だけど、さっきエナから聞いたことが気になっていて、早くこの場から立ち去りたかった。

 薬を手にした少年は、もう、リリの存在など目に入っていない様子で箱を開けていた。

※ 次回は、2/11(火)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)