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ロイヤルホストで夜まで語りたい・第9回「ねえ、夜のロイヤルホストを見に行こう」(古賀及子)

多々あるファミリーレストランの中でも、ここでしか食べられない一線を画したお料理と心地のよいサービスで、多くのファンを獲得しているロイヤルホスト。そんな特別な場での一人一人の記憶を味わえるエッセイ連載。
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ねえ、夜のロイヤルホストを見に行こう

古賀及子

 夜、自転車をぎ出すと昼よりも速く感じる。ロイヤルホストを見に行く。
 大通りをしばらく、それから細いバス通りに入る。まっすぐこぎ続けると幹線道路にたどりついて、その道沿いに、1階が駐車場で2階が店舗の造りのロイヤルホストがある。暗い道をトラックやタクシー、乗用車がびゅんびゅん行ききする道の向こうで、全体をぼうっとオレンジ色に光らせている。煌々こうこうとしながらもやわらかいあかりのなか、店内でくつろぐお客さん、立ち働く店員さんが見える。観葉植物の緑が明るい。
 夜のロイヤルホストを見るときは、近くまで行かず、道の向こうからひとつの景色としてながめる。とくに何かを確認することもなく、ただ見る。何分も見るわけじゃない。数十秒くらいかもしれない。きれいだなとわかったらもう帰る。そういう、これは趣味なのだ。

 自宅から自転車で20分くらいのところにロイヤルホストが何軒かある。中高生時代をすごした埼玉の山の中ではこうはいかない。私は不器用で、田舎の暮らしにうまく自分を沿わせることができなかった。転がって逃げるように東京へやってきた。だから、都市に暮らすからこそ受けられる種類の恩恵は心底うれしい。
 大通りには出ずに、街灯の明かりが道に落ちる住宅街を抜けたところにふっと現れる店舗にも夜に行く。誰もいない小さな公園や小学校のグラウンドを横目にゆっくり漕いでたどりつくこの店は、2階建てではなく駐車場が店舗の建物のとなりにある1階建てのタイプだ。大きな平屋のお屋敷みたいにずっしり根を下ろすように建つ。それほど幅の広くない道に面して、通り過ぎる車たちに対して控えめに、店内のライトのひとつひとつの灯りが外から数えられるように発光する。
 一番好きなのは、大通りをずっとまっすぐ走って、坂をのぼったところに建つマンションの、1階部分に埋まるようにはまりこんだ店舗だ。マンションの窓のひとつひとつが闇に向けて白く明るいいっぽうで、ロイヤルホストの部分だけがオレンジ色に光る。重量を感じさせながら暗い道を行き来するトラックの圧倒的な現実性とオレンジの光が、視界のなかで不思議と結びつかない。別の世界としてある。現実の実感のしっかりある、それは非現実だった。

 夜のロイヤルホストを見に、夏も冬も自転車で走った。
 夏は暗がりのなかに昼に注いだ太陽光のきびしさが残って生ぬるく蒸した湿気を、自転車の車輪と、漕ぐ足の回転でかきわけるみたいに進む。風が髪をかき上げて毛の隙間を抜けて地肌が涼しい。冬は耳たぶがちぎれないように首から耳の半分までマフラーできつく覆って、最初だけ、寒いのをこらえる。徐々に体の真ん中の部分から血が巡って温かくなって吐く息が背後へ背後へ白く流れた。

 中学生の頃、冬が来て日が短くなると、登下校を一緒にしていたグループの中のひとりが「ねえ、夜景を見に行こう」と言い出すことがあった。同じ中学校に通う私たちは全員が山を切りひらいて創り出されたニュータウンに暮らしていた。山麓から中腹まで、斜面にびっしり一軒家が並ぶ。中学校はその全ての住宅街を見下ろす山頂の近くにある。中学校を通り過ぎて山を登り切ったところで後ろを振り返ると、私たちのニュータウンがまばゆい光になって暗闇に現れる。きれいだね、きれいだよねと、私たちは言うだけ言って山を降り、斜面に建つそれぞれの家に帰った。
 でも私はちょっと、きれいだけれどそれが何だろうと生意気なことをずっと思っていたのだった。そもそも「夜景」とは、もっとこう、ちゃんとした景色であってこそそう呼べるものなんじゃないか。夜景っていっても、私たちの家じゃんと思った。どう興奮していいのかわからなかった。
 その後、東京に出てきて、アルバイトを終えて夜、自転車を漕いで自宅に戻る途中の道にロイヤルホストがあった。独特の邸宅のようなたたずまいは昼もかっこいいけれど、夜は別の時間のなかにあるように見えた。一切が片付いて、まったくおさまりがいい。生真面目で安定していて、落ち着いている。にぶくオレンジに輝いて包まれて、なかにいる人たちがみんな、守られているように安心に感じた。何も起きない物語のような空気が流れて、うっとりするでもなく、ただ、いいなと思った。

 酔狂にも、わざわざ夜の家から自転車を漕ぎ出してロイヤルホストを見るためだけに出かけるようになったのは、アルバイトをやめてから何年もあとのことだ。ふたり子どもを産んで、まだ小さな彼らの世話で手がいっぱいの頃だった。
 夜になって、子どもたちが寝て、自分ももう眠って明日に備えたいのだけど、ちょっとだけあのときの私は悔しかった。今日も子どもたちを見守って生かすことができて、会社の仕事もなんとかまとめた。十分だけど、なんだかそれだけじゃちょっと悔しい。
 あまりいろいろ考えるつもりも気力もなくて、でも体だけは妙に動けた。
「ねえ、夜景を見に行こう」
 ピンときた。こういうときに光る景色は見るものなんじゃないか。友だちに誘われて判然としない気分で山の上から見下ろした家々の光を思い出した。きらきらまたたく私たちの家と、自転車で通りがかりに見たオレンジに光るロイヤルホストが、「夜景」として重なった。
 子どもたちと夕食はすませたあとだから、ただ行ってながめて帰って、帰ったら寝た。ただの趣味として可笑しなことをしているのが、ちょっと誇らしかった。

 ながめるだけながめておきながら、実はロイヤルホストの店内に頻繁に入るようになったのは最近になってからだ。小さな子どもたちを連れて自転車で20分走るのは難しく、家族で訪れるタイミングは 逃したまま。数年前にロイヤルホストの大ファンだという友だちができて、彼女に連れて行ってもらうことでやっと行きつけるようになった。
 私たちは平日の昼に自転車で集まる。意気揚々と席に案内してもらってメニューを開いて、今日はデザートまで食べたいからあんまり満腹にしないように、選ぶのは「食いしんぼうのシェフサラダランチ 」にしよう。満腹にしないように……とはいえ、このサラダには海老もチキンもついてくるから満足感は十分だ。ランチスープは330円 足せばオニオングラタンスープにできてしまう。私たちは目くばせをして必ずスープを変更する。
 デザートは、小さなサイズをありがとうございますと、深々とお辞儀をしたくなるほろにがカフェゼリー がちょうどいい。ドリンクバーでコーヒーを飲んで、パラダイストロピカルアイスティーも飲む。どのテーブルもなんだかみんなゆっくりしている。この日はとなりの席で会社勤めだろうか、スーツの男性の3人組がそろってステーキを食べたあと、コーヒーを飲んで帰っていった。何かいいことでもあったのかな。
 夜に見た、闇に光るロイヤルホストの写真がせめて残ってやしないかと、当時の写真を探してみたのだけど、カメラロールには今はもう中学生と高校生になった子どもたちの幼児のころの写真ばかりで夜の写真はどこにもない。もうスマホは持っていたはずだから写真くらい撮ってもいいのに、本当に見て帰るだけだった。まぼろしみたいな記憶だ。
 あのころ、保育園に通っていた子どもたちと、気づけばあと何年一緒に暮らすのだろう。場合によってはもう数年かもしれない。自転車にまたがったまま道の向こうから光るさまを見たあのロイヤルホストは、3軒とも今も頼もしく営業を続けているというから、今すぐにでも家族で行っておくべきだ。

 現実の実感のしっかりある非現実のようだとながめた夜のロイヤルホストが、いよいよ私にとって現実になるんだなと、思うけれど大したことではなくって、なんだか笑ってしまう。

古賀及子(こが・ちかこ)
1979年、東京都生まれ。エッセイスト。

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