
「死んだ上司の悪口を言いたくはないんですけど、わたしセクハラを受けていたんです」――中山七里「特殊清掃人」第13回
自宅で突然死したイネ・ライジング社長の伊根欣二郎と恋人関係にあった部下たち。五百旗頭は、それぞれから事情を聴くことになった。
次に現れたのは二十代後半と思しき肉感的な女性だった。
「はじめまして。広報課の石田未莉です」
智美とは打って変わって、こちらは挨拶から食いつき気味だった。
「伊根社長の部屋をお掃除してくださったんですってね。本当にありがとうございました」
「呼ばれた理由は承知されてますよね」
「社長と個人的に深い付き合いだった人間に、形見分けの資格があるかどうかの確認ですよね。最初にはっきりさせておきますけど、わたしは積極的に手を挙げます」
見事なまでの言行一致、未莉はその場で挙手してみせた。
「そもそも形見分け以前に慰謝料だと思っていますから」
「慰謝料とは、どういうことですか」
「死んだ上司の悪口を言いたくはないんですけど、わたしセクハラを受けていたんです」
パワハラの次はセクハラか。
「伊根社長の評判、お聞きになりましたか」
「取引先や社員には有能さと篤実さをアピールしていた、と」
「あー、それ、秘書の浜谷さんの言い草ですよね。でも社長は、有能ではあっても篤実ではなかったです。社員には気の良いスケベ親父で人気あったんですけどね」
「それは大っぴらに言われていたんですか」
「社員からは『きんちゃん』と呼ばれることの方が多かったですね。偉ぶらず人懐っこい性格だったので好かれていました。『きんちゃん』と呼ばれても、怒るどころか逆に喜んでました」
「社員から好かれていた社長がセクハラですか」
「『人間は下半身にも性格がある』とか言って、広報への依頼や指示にかこつけて接触してくるんです。あ、この場合の『接触』は文字通りの接触ですよ」
「石田さんは伊根さんと付き合っていたと聞いていますが、そうじゃないんですか」
「付き合っていたというのは語弊があります。セクハラの延長で無理やり付き合わされていたんです」
「抗議しようという気にはならなかったんですか」
「給料がよかったし、ヒラ社員が拒否できる空気じゃなかったです。ウチの会社、労働組合も社員相談窓口なんて洒落たものもありませんから」
理不尽な扱いを暴露する未莉は、しかし正直でもあった。
「訴えなかった理由はもう一つ。伊根社長とベッドをともにすると、少なくないお小遣いをくれたんですよ。何だか買われたみたいだけど、タダよりはマシかなって」
「腹が立ったでしょうね」
「腹は立ちました。でも何しろ『きんちゃん』ですからね。困ったことにどこか憎めないんです。で、こんなわたしだから形見分けを受ける資格があると思うんですよ」
「あなた、セクハラされたんでしょう」
「セクハラ自体はおぞましい行為で許せないけれど、人間としての伊根社長には抗いがたい魅力があるんですよ。『英雄色を好む』つて言うんですか、ちょうどそんな感じで」
未莉にもセクハラを助長させる原因があると叩かれそうな発言だ。
「伊根さんの部屋にも何度か泊まったようですね」
「いちいち数えたことはないですけど」
「形見分けの参考にさせていただきたいのですが、部屋の中に高価なものはありましたか」
「うーん、ブランド品にはおそろしく興味のない人でしたからね。時計は国産品だし、スーツは全て既製品だし。あ、壁にリトグラフが飾ってあったけど、あれが結構な値打ちものかもしれない」
伊根の部屋に高価なものは存在している。だがリトグラフではない。
酒だ。
これは現場を検証した諏訪から聞いたのだが、ダイニングの隅にあった家庭用ワインセラーに陳列されていたワインはその多くが超のつく高級品だった。中には一本三百万円もするドン・ペリニヨンの1959年ものも鎮座していたという。だがこうして話を聞いている限り、智美も未莉もワインには言及していない。伊根から全く知らされていないのか、それとも五百旗頭の前では黙っているのか。
「いくら好人物でも臍から下は別人。わたしはそれをきんちゃんから学びました」
「授業料は高かったですか」
未莉はしばらく考え込んでから、ゆるゆると首を横に振った。
「まだ分からないです」
※毎週金曜日に最新回を公開予定です。
中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊