桜井美奈『復讐の準備が整いました』第1回
プロローグ ~リリ 15歳~
全身を黒一色で統一したリリが広場に姿を現すと、その暗い装いとは裏腹に、街灯に引き寄せられる夏の虫のように、人々が近づいてきた。
「ある?」
2週間ぶりにもかかわらず、挨拶はない。目的はたった1つしかないため、挨拶など必要ないからだ。
リリに声をかけてきた少女は、長い付けまつ毛にたっぷりとマスカラを塗っていて、瞼が重そうだ。年齢はリリより1つ上の16歳。半年前までは高校に通っていたが、今は自宅にも帰っておらず、当然学校には行っていない。だがそれを咎める人など、ここにはいなかった。
人々の出入りのサイクルが早いここで、半年もいるのはかなり長い方だが、それを知っているリリも人のことは言えない。もっともリリは、家には帰っている。気候のいい時期に、1度外で夜を明かしてみたが、横になっても眠れず、どんなに居心地が悪くても、自宅のベッドの方が深い眠りにつけることがわかった。それ以来、野宿はやめた。
「あるよ。でも、やめた方がいいよ」
「えー、なんで?」
「何でって……」
人づてに、少女が入院していたことをリリは聞いていた。もちろん、その理由もだ。
「飲みすぎたんでしょ?」
「知ってたんだ」
ケタケタ笑っているが、その目はどこか濁っている。左手にはアルコール度数の高い飲み物が握られていた。だが、入院した理由はそれではなかった。
「お酒と一緒に飲むのは危ないよ」
「うるさいなあ。そんなこと知ってるし」
吐き捨てるように言われると、リリも相手をするのが面倒になった。それに、注意しながらも、薬を持ってきている時点で、リリも人のことは言えない。本当にやめて欲しいと思っているのなら、ここへ来るときに持ってくるのは薬ではなく、別の支援のはずだ。
「で、どれだけいるの?」
「あるだけ」
それしか選択肢のないような口ぶりだ。
呆れつつもリリは「全部は売れない。他の人にも頼まれているから」と断った。
少女にしても、断られることはわかっていただろうに、あからさまに不貞腐れる。
でも、どれだけ渡しても、満たされることがないのは、本人が1番知っているはずだ。
「じゃあ、1回分だけでいいから」
「今、1回に何錠飲んでいるの?」
「50くらいかな」
先月リリが売ったときは、30だったはずだ。入院したにもかかわらず、少女は少しも懲りていないらしい。
「増えてるね」
「それくらい平気でしょ。もっと多い人もいるし」
薬の摂取許容量は、体型や体質、体調によっても大きく左右される。他の誰かが大丈夫であっても、それがすべての人に当てはまるわけではない。そもそも、すでに摂取量は規定よりも大幅に多い。平気なはずはなかった。
だけど、ここで正論を振りかざしたところで、その言葉に説得力がないことは、誰よりもよくわかっていた。リリ自身がそれに加担しているからだ。
少女が求めた量をカバンから出すと、金と引き換えた。
「そのお金でまた、シュウのところへ行くんでしょ」
「関係ないでしょ」
「ま、お金がないと、忘れられるからねー」
「うるさい!」
リリが苛立ちを見せると、少女が異様に大きな声で笑った。
「なんで? 事実を言っただけじゃない」
少女は愉快そうに身体を震わせながら、リリの肩に腕を回して、耳元でささやく。
「アンタが何しているかを、シュウに教えようかなあ?」
「そんなことしたら、もう2度と売らないから」
脅してくる相手など、構っていられない。
リリがきつくにらむと、肩に回されていた腕が離れた。不機嫌そうに鼻を鳴らすと、少女は離れていった。
言われなくても、自分がしていることが罪になることくらい知っている。
「バカバカしい」
薬で一時的に寂しさを埋めるのも、薬を売って得た金で寂しさを埋めに行くのも、どちらもバカのすることだ。
だけど……。
「満たされるのは、いっときなのにね……」
あとには必ず、むなしさと寂しさが襲ってくるとわかっているのに、今日もリリの足が向かう。
「バカなのは私だ」
どこからか「そうだね」という声が聞こえてきた気がした。
※ 次回は、1/23(木)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)