見出し画像

北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第13回


第6峰『長崎絵師』『異風者』


切れ味鋭い初期の傑作と唯一の読み切り作品

『長崎絵師通吏辰次郎』シリーズは、
サービス満点の〝チャンバラ南蛮定食〟だ

エンタメ要素のてんこ盛りで、のるかそるかの勝負をかける
 
 
 1999年1月に『密命 見参! 寒月霞斬り』で時代小説界にデビューした佐伯泰英が、翌2月に出したのが『悲愁の剣 長崎絵師通吏辰次郎』だ。作家として生き残るためには時代小説か官能小説しかないと言われて最初に書いた『密命 見参! 寒月霞斬り』を編集者に預け、出版できるか否かの返事を待つ間に2作目の『悲愁の剣 長崎絵師通吏辰次郎』を執筆し、他社へ持っていった。結果、両方とも出版されることになり、立て続けに書店に並ぶことになったという。
 
『密命 見参! 寒月霞斬り』が人生初の増刷となり、シリーズ化も決まって人気作家の仲間入りを果たすことになるが、同時期に執筆されたこの作品も意欲作であることに変わりはない。
 
 本来なら『密命』シリーズの直後に読むべきで、邪道な読書になるのかもしれないが、佐伯流時代小説が確立されてからの作品との比較をしたくてここで読むことにした。わずか2巻の最小シリーズだが、噴火を始めた〝佐伯山脈”の熱量を感じてみたいとページを開く。
 
 佐伯作品では、時代背景や主人公の造形、物語の核となる出来事を序盤で手際よく読者に伝えるのが恒例となっている。ここでも出だしからスピード感のある展開。詳細はわからないまでも、わずか十数ページのうちに主人公の通吏辰次郎が子連れで江戸へやってきた事情の概略や、5年間の海外渡航経験があることが明かされる。その直後に、浪人に絡まれる老人を助ける場面があり、辰次郎の正義感の強さや剣の腕前もきっちり書き込む。
 
 一直線に話が進んでいるということは、この老人の世話で江戸での生活が始められるんだろうなと思っていると、たちまちその通りになる。出だしをシンプルにして読者を作品の世界に引っ張り込み、先を読みたくさせることが重要だという考えは初期から一貫しているのだ。
 
 一癖あるのは辰次郎の経歴だ。出身は長崎で職業は南蛮絵師。初恋の人・瑠璃とは相思相愛の仲だったが、わけあって彼女は2人の親友である長崎代官の嫡男・季次茂之に嫁ぐことになった。
 
 しかし、陰謀によって茂之や瑠璃は無実の罪を着せられて島流しになったばかりか、何者かに惨殺される。急遽、放浪していた海外から帰国した辰次郎は真相を探るべく、瑠璃と茂之との遺児である茂嘉を連れて江戸にきた。
 
 長崎、南蛮絵師、陰謀、遺児、海外放浪。それに加えて、江戸で助けた老人というのが階級制度の最下層である非人を束ねる裏社会の実力者。一家惨殺のショックで口がきけなくなっている茂嘉は、おしのという目の見えない娘が世話をすることになる。家柄のいい武士である辰次郎も、江戸では外国帰りの怪しい絵描きであり、アウトロー的存在。さらに、辰次郎に絵を注文するのは吉原の太夫。権力とは無縁の彼らが、力を合わせて悪と戦う……。
 
 おもしろ要素がてんこ盛りだ。なんとしてでも時代小説家になってみせるという気合がみなぎっている。昼ごはんにしようと食堂に入ったら、やたらとにぎやかに盛り付けられた定食が出てきてしまったような感じだが、そこは時代小説以外のキャリアが豊富で並の新人とは違う佐伯泰英、華麗なアクションシーンと矢継ぎ早の展開でグイグイと読ませていく。
 
 試しに描いた南蛮絵(遠近法などを使った西欧風絵画)があっという間に高尾太夫の興味を引き、大仕事を任されるといった調子の良さはあるものの、本筋である真相解明がおざなりになることはないので気にはならない。目的を果たすことを第1に考える辰次郎が、江戸庶民との触れ合いに深入りせず、長崎絵師としての立場を崩さないので緊張感が切れないのもいい。
 
 目立つ活躍をする辰次郎が邪魔で仕方がない敵方の動きによって、真相は少しずつ漏れ出してくる。このあたりは、じっくり構えて老人が率いるくせ者集団を縦横無尽に働かせる手もあったと思う。後年手掛けるシリーズ物なら、おそらくそうしたのではないだろうか。
 
 しかし、1巻読み切りでこれ以上手を広げては収拾がつかなくなると判断したのか、佐伯泰英は序盤に提出したおもしろ要素で勝負を賭けてきた。気の利いたミステリー作品のように、瑠璃をめぐる謎、茂嘉をめぐる謎を盛り込んで、読者を驚かせてくるのだ。
 
 この大技は見事に決まるのか?
 
 私は1勝1分けかなと思った。瑠璃の謎は鋭く決まって最終章に結実し、この物語になくてはならないものとなっている。そもそも本作のタイトルである『悲愁の剣 長崎絵師通吏辰次郎』は2001年に改題されて文庫化されたときのもの。もともとは単行本として発売され、そのタイトルは『瑠璃の寺』。タイトルそのものに謎がかけられていた。
 
 一方、茂嘉の謎は消化不良に終わった感がある。種明かしされる以前に、読者が「もしかしたら……」と思う場面がないため唐突な印象を受けるのである。設定的にも、茂嘉が喋ることを拒否するかのように無言でいるからこそ辰次郎が活躍できるわけで、惨殺現場にいた茂嘉が見聞きしたことを語り始めたらちょっと困ってしまう。そのため、辰次郎と茂嘉の心が接近する場面を用意しづらくなってしまった。
 
 しかし、そんなことは小さな傷にすぎないと思う。本作は完ぺきな作品ではないだろうが、単純におもしろく、勢いを保ったまま最終ページまで読者を引っ張っていくパワーがある。シリーズ化を意識したら書けない作品であるところも、長期シリーズを読みなれたファンには新鮮なのではないだろうか。
 
 読み切りだったはずの本作には続編が生まれている。『密命』のヒットで執筆依頼が殺到し、2000年からは『夏目影二郎始末旅』、『古着屋総兵衛』を、2001年からは『鎌倉河岸捕物控』シリーズをそれぞれスタートさせることになるが、前述したように本作は2001年に改題して文庫化。南蛮絵師というユニークな主人公の活躍をファンが喜ばないはずがなかった。
 
 1巻で完結する作品として発表された本作に、なぜ期間を空けて続編が誕生したのか。出版社の希望もあっただろうが、私は読者が続編を求める声も大きかったのだと想像する。
 
 茂嘉の謎の消化不良もあって、終わった気がしないのだ。故郷の長崎へ帰るラストシーンで、辰次郎の傍らには茂嘉と、目の治療をさせるために連れていくおしのがいる。3人のその後が読みたくなるのは当然のファン心理と言えるだろう。

※ 次回は、8/10(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)