見出し画像

鈴峯紅也『警視庁監察官Q ZERO2』第8回

15


 大井町を離れた観月は、急ぎその足で〈蝶天〉に出勤した。

 駆け込みの到着は6時59分だった。

「セーフ」

「何がセーフだね」

 と、ミーティングを始める直前の児玉が怪訝な顔をする。

 なんでもありませんと惚けて、バーカウンターの1番手前のスツールに腰掛ける。

 カウンターの上に置かれた、〈本日のスイーツ〉のケースに手を伸ばす。

「まっ」

 思わず声になった。

 この日のスイーツは、春先取りの梅が香る、本わらび粉と白加賀梅を使った目にも鮮やかな梅わらび餅だった。

 間に合ってよかったとしみじみと思う。このために急いだのだ。

 ケースの中には、まだだいぶ残っていた。食べないキャストも多い中、1個で終わらないのが観月だった。それを知らないのは新人ということになる。

 2つ食べ、3つ食べると近くの視線が気になった。行為をじっと見ている感じだ。

 珠美、いや、ジュリだった。目だけで挨拶というか、合図をした。

 ジュリはすでに着替えていた。だいぶ早く来たようだ。緩いウェーブのミディアムヘアも、すでに綺麗に巻いていた。

 化粧やこういった身支度に、普段から慣れているのだろう。

(ま、私はどこまでいっても慣れそうもないけど)

 そう思いながら口にするスイーツの4つ目が膝にこぼれ、観月は手で叩いたがジュリは顔を顰めた。

 たしかに、ドレスだったらと思うとさすがに観月もそうなる。クリーニング代も馬鹿にならないというか、その前にシミが落ちるかどうかの大問題だ。

 6つ目を堪能し、7つ目に手を伸ばそうとしたところで、ミーティングは終了した。

「では、よろしくお願いします」

――よろしくお願いしまぁす。

 店長の掛け声に続き、キャストのみんなと一緒に慌てて頭を下げた。

 その後、ドレスに着替えるべくキャスト部屋に向かおうとすると、副店長の田沢の声が掛かった。

「あ、ミズキちゃん」

「はい」

「今日はここでいいから」

 こことはつまり、カウンターバーということで、観月はバーテンダーということだ。

「あ、ホールはいいんですか」

「最初から3人多いところに、新人のジュリちゃんも含めてスタートで8人、中盤までにもう5人確保したからね。多分、もう大丈夫。その代わりさ」

 副店長は声を潜めつつ顔を寄せてきた。

「今日はアキホさんが、正月寄席の引けた大師匠を連れてくるから」

「大師匠?」

「ほら。年末にここに座って動かなかった」

「ああ」

 すぐに理解した。

 東京落語の、某名跡の止め名の大師匠だ。

 元々アキホが別の店にいた頃からの上客らしいが、〈蝶天〉のカウンターバーを好感し、昔よりも頻繁にアキホに声を掛けてくれるようだ。カクテル好きはいいが、蘊蓄を語り始めたら止まらないのが玉に瑕というところだろう。年末の件から言えば、カクテル一杯につきおよそ15分、計1時間半は断続的に話が止まらなかったお爺さんだ。

「了解です。じゃあ、うちのグループの娘たちをよろしく」

「わかってる。アキホさんのとこで見てくれるはずだ」

「バーターですね」

「そういうこと」

「じゃあ、着替えてきます」

 1本の筒のようなドレスを着るより、きちんとした着こなしをしなければならない分、バーテンダーの制服は気を遣うが心身が引き締まる。

 ホールに入る田沢と別れてキャスト部屋に向かう。

 と、

「ああ。ミズキちゃん。あのさ」

 本社部屋の奥の方から、聞き覚えのある声がして、顔を覗かせた児玉が手招きした。

 ということは――。

「あ、届きましたか」

 迷いなく本社部屋に向かいながら観月は児玉に問い掛けた。

「うん。届いたけどさ。本当だったんだねえ」

「そうですけど。あれ? 噓だと思ったんですか」

「噓っていうか、冗談だと思ってた」

「今まで私が噓や冗談を言ったことがありますか?」

 児玉は目を泳がせた。

「ないねえ」

「ですよね。ちょっと失礼します」

 一礼し、観月は本社部屋に入った。

 昨日でだいぶ小さくなった山の手前に、同じような高さの山が出来ていた。

 目見当だが、届くべくして届くはずの総数に間違いはなさそうだった。

「そうですね。これです。有難うございます」

「これってさ。まだ届くの?」

 児玉の声が少し違った。観月の知識からすれば声の律動は、戦々恐々、といったものか。

 はて、何を恐れ戦くことがあるのだろう。変わったことを聞くものだ。

「そうですね。足りないですから」

「はあ。足りないんだ」

「ええ。あ、でも安心してください。明日届く分で終わりですから」

「あっそ」

「今日も初出勤の人たちに分けますから、ひと山はなくなりますよ。残っても後でひと山にまとめますから」

「そうね。よろしく。ちょっと狭いって言うかさ。ははっ。圧迫感があってね」

「了解です」

 では、と言って頭を下げ、キャスト部屋に向かう。

 早く着替えて、また十数個の土産袋を作らなければならない。

 キャスト部屋ではジュリと、ジュリより1回り小柄な、ユウミという娘がアキホのグループに交じって話をしていた。今日、観月のグループからの出勤はジュリと、このユウミしかいない。

「シオリさん。よろしくお願いします」

 GLとして声を掛ける。シオリはアキホの片腕というか、出来る綺麗なお姉さんだ。後輩の面倒見もいい。

 シオリは観月に片手を挙げ、ウインクしてみせた。

「うん。わかってる。任せて」

「お礼に、昨日と同じくらいのお土産、差し上げますから」

「えっ。あれってみんなで食べる分じゃないの?」

「やだなあ。シオリさんって、冗談もお上手なんですね」

 要らないんだけど、と言っていたような気もするが、今は聞き流す。

 早く着替えて土産袋を作って、バーカウンターの向こうで準備しなければならない。

 バタバタと準備をし、バタバタと所定の位置に着き、アキホと大師匠が来て本当にバタバタし、なかなか慌ただしい一夜になった。

 この慌ただしさは伝播するというか、実際にはお客側が運んできたようなものでもあった。

 積雪予報が来客の入りも引けも、全体に早くしたのかもしれない。それで全体に慌ただしかったようだ。

 最大瞬間風速的に前日以上に店が混んだ実感はあったが、結局、閉店は前日より少し早いくらいになった。

 閉店と同時に、児玉と田沢は会計スペースと本社部屋に分かれて売り上げの集計作業に入り、若いスタッフは後片付けと掃除で、ホールではラストまでいたキャストが、GLやフロアマネージャーとミーティング、というのが閉店後の決まりというか、常だった。

 この日は時間が早いこともあり、出勤のキャストがほぼ全員、ラストまで残ってミーティングに出た。観月がキャストたちを引き留めたということもある。

 そこで、〈和歌山土産詰め合わせ〉の紙袋を配った。

――へえ。

――うわ。

――重っ。

――デカっ。

 人は口々に、様々な言葉を発する生き物だ。

 配り終え、キャストのみんなと帰り支度をして外に出る。

 人通りも少ない並木通りは、積雪予報の確からしさを示し、渡る風が凍えるほどに冷たかった。間もなくの、夜半の雪は間違いのないところだろう。

 寒いね、と仲間たちと囁き合っていると、少し近くの路上パーキングに停められた1台の白いベンツから男が降りてきた。

「どうも。今晩は」

 誰にともなく、男はそんな言葉を白い息とともに吐いた。

 高そうなスーツを着ているが、こなれた感じはなかった。20歳は越えているだろうか。そんな若さだった。

 邪気のある目がきつく見え、それだけは一端に男から全体に青臭さを排除した。

「流石に、銀座に名高い〈蝶天〉の方々だ。皆さんお綺麗で、本当に揚羽蝶のようですね」

 男はおもむろに寄ってきた。

「誰さんですかぁ」

 聞いたのはクロエという、GLの1人だった。

「これは、申し遅れました」

 胸ポケットから名刺入れを出し、男は1人1人に名刺を配って回った。

 観月も受け取り、目を落とした。

 JET企画の八坂、とあった。暮れに名刺をもらった戸島という男のエムズ同様、法人格はないようだ。ただ、出資者がいて現在、会社設立の準備中らしい。すでに1等地のテナントビルに、それなりの事務所を構えていると、そんな自慢ともつかないことを名刺を差し出すときに本人が言った。

 たしかに、秋葉原の駅からすぐ近くの住所が名刺には記載されていた。

「戸島が皆さんとお近付きになったという噂を聞いたものですから。私も是非、と思いましてね」

 八坂が名刺を配り終わり、一同を見回した。

「それにしても、今日はどこかの初売りですか。皆さん、同じ福袋ですね」

 誰かが笑った。

 観月は喜と哀の感情にバイアスが掛かって表情を作るのは苦手だが、だからといって怒らないわけではない。

「ちょっと。これのどこが福袋よ」

 と、たしかに紙袋が重そうなキャストたちを分けて観月は前に出た。

「えっ。違うんですか」

「大きさは同じような物だけど、近鉄と高島屋とVIVOが交ざってるでしょ。東京のどこに行ったら、この3つのデパートの福袋が買えるっていうのよ」

「――よくわかりませんけど。それって大事ですか」

「大事じゃないなら突っ掛からないで」

「えっと。――ははっ、参ったな。とにかく、すいません」

「なんであやまるのよ」

「うわっ」

 八坂は一瞬、寒空を見上げた。

 ミズキらしいわねぇ、と別の誰かが言った。

「ああ。ミズキさんとおっしゃるんですか」

 八坂はその誰かの声を、さりげなく取っ掛かりにしたようだった。

「変わってるけど面白い人だ。今後ともよろしく」

 観月の反応は待たず、ひと息に言って全体を見回した。

「皆さんも、よろしくお願いしますね」

 よく言えば若さに似ず対応力の高い男、ということになるのだろうか。

 それにしても、相対的にはこの前の戸島とも子安とも違い、粘っこい感じだ。

「皆さん。間違っても戸島なんていう、ガサツで野蛮な男に引っ掛からないでくださいよ。なんたって、あそこは素人女性を泣かせる事務所だ。私は何人も知ってますから。私はね。女性が悲しむ姿は見たくないんです。なので皆さんも何か考えることがあったら、是非JET企画へどうぞ」

 知らないよぉ、とまた別の誰かが声を上げた。

「そりゃあ、そうです。当然です」

 手を上げ、八坂は大きく頷いた。

「なんたって、JET企画はこれからの会社ですから。でも、だからこそ、業界的な柵も何もないんです」

 八坂はまた一同を見回した。邪気のある目はそのままだったが、それを上回る熱量も見えたか。

 熱量はそのまま、光だ。

 誘蛾灯。

 誘われた蝶は、焼け落ちる。

 そんな危うさを観月は思った。

「どうです? 一緒にビッグになりませんか。お金も名声も、何もしなければ得られませんよ。手を上げ、掴もうとした人だけがビッグになれるんです」

 どうですか、どうですか、と八坂はキャストたちの間を動いた。

 ちょうど、雪が降ってきた。粒の細かな雪だった。

「みんな。早く帰ろう。グズグズしてると、電車止まるかも」

 観月の一声が、キャストたちに絡みつくような粘っこい、誘蛾灯の明かりを断ち切った。

16


 前日はフリーだったが、6日は1限から3限まで、観月は授業が詰まっていた。

 いよいよ本格的な、そして2年次最後の大学生活が始まった感じだった。

 授業から補講へ雪崩れ込み、そのまま試験へ。

 ここからの1ヶ月がつまり、駒場キャンパス生として最後の1ヶ月になる。

 そのつもりの意気込みはあり、あってもドミトリーの朝食は恒例として駆け込みになったが、1限から揚々として観月は授業に参加した。

 この日は前日に引き続き、大井町に行く日だった。

 この日までは玲の方でも冬期講習があったが、時間の設定は観月の授業が優先され、4時からにしてもらった。3限の終わりが3時近くになるからだ。

 だが、駒場キャンパスに来てみれば、教授の体調不良で3限の授業が休講になるという張り紙が掲示板に出されていた。

 その関係で、観月は午後が丸々の空き時間になった。

「さて、どうしようかな」

 2限が終わってから、取り敢えず昼食を学内の生協食堂で取り、キャンパスプラザB棟にある所属サークルの部室と、キャンパスプラザ全体の見知ったサークルを覗き、ついでに学生自治会にも顔を出す。

 まだ2年生ではあるが、観月は〈特例届出学生団体〉として公認されているテニスサークル、ブルーラグーン・パーティの部長だった。

 逆に、観月が部長を務めるからブルーラグーン・パーティが〈特例届出学生団体〉として公認されているといってもあながち間違いではない。

 いずれ観月の卒業までには、観月ではなくサークルの活動自体の品質で公認を続けられるようにしなければ、というのが部長としての観月の、目下の大きな課題だった。

 ともあれそんな現状、サークル活動を円滑に進め、今後に繋いでゆくためには、学生自治会や他サークルとの日頃の付き合いは大事だった。

 特に折々の挨拶は重要だ。

 それで、嫌々ながらにも、無表情な顔を出す。

「明けましておめでとう」

 それだけのことだったが、行く先々ではどこもみな、観月の顔を見ると挨拶の前にびくついた顔をし、その手元に目を落としてきて、なぜかほっとしたような顔になった。

 よくはわからない。

 どうにも不思議なことだ。

 ただそれが、

「来週、帰省のお土産持ってきますから」

 と挨拶に続けてそう言うと、たいがいのところが突然真顔になり、人によっては見ていないにも拘らず、

「要らない」

 と、激しく首を横に振る者も出る始末だった。

「あ、要らないって言うと棘があるみたいだけどさ。ほら。授業と補講なんてのは、ほんの数日だけでさ。その後すぐに試験に突入するじゃない? しかも2月の初旬までの長丁場でさ。だからほら、この部室にもね。立ち寄る人間がさ、普段より目に見えてさ、凄ぉく減ってくるんだよね。そこに置いておいて、ダメにしちゃうのも忍びないしさ。どうせなら美味しく食べたいじゃない?」

「――」

 置いておく?

 ダメにしちゃう?

 どうせなら?

 とは、いったい何のことを言っているのだろう。

 そもそもお土産などは、みんなで食べたらその、〈ほんの数日〉で消費出来るようなささやかな量だし、罷り間違って残ったとしても、万が一のときの賞味期限のことも考えてあるから観月としては抜かりはない。

 1番短い総本家駿河屋の栗果でも賞味期限は14日間あるし、福菱のかげろうなら40日、はまゆうはなんと2ヵ月だ。

 元来、お土産とはそうして、相手のことを考えて贈るものだ。

 みんな、何をそんなに遠慮しているのだろうか。

 過ぎた遠慮は無遠慮とイコールで、遠慮されるとこちらもかえってさらに気を遣わなければならないと言うのに。

 2倍の量を渡せば、喜ぶだろうか。

 そんなことをつらつらと考えながら駒場キャンパスを巡るうちに、ふと思い立って早めに大井町に行くことにした。

 今のうちに挨拶というか、筋を通しておかなければならないところを思い出したからだ。

 観月が向かった場所は、大井町総合病院だった。

 その6階の入院病棟、玲の母・愛子の病室だった。

 大事な娘さんの、人生の岐路に手を添えている自覚があった。家庭教師を引き受けた以上、多少なりともそんなふうに責任は感じていた。

 母親である愛子にもきちんと挨拶し、娘さんに対し、時に厳しく接することもある家庭教師という役回りの了解を得ておこうと思ったのだ。

 病院に到着したのは、3時を回った頃になった。かえって面会時間にはちょうど良かったかもしれない。

 ナースステーションで愛子の病室を聞く。

 愛子は、ICUにほど近い個室に入院しているようだった。

 容体が急変する可能性の有無。

 そんなことが、病室の位置に現れるということは観月も知るところだ。

 ノックをして、答えをもらって入室する。

 ベッドの上に上体を起こして座る愛子は、なるほど輪郭と言い鼻筋と言い、玲の母親で間違いない女性だった。

 その細面に窶れの色は濃かったが、かつては銀座に出ていたという美貌の片鱗はたしかに窺えた。

「初めまして」

 小田垣観月です、と丁寧に名乗った。

 多少探るようだった愛子の目が、それだけでだいぶ柔らかくなった。

「ああ。娘からも、保険会社の井ノ原さんからも聞いてます。娘の」

「はい」

「少し変わっている先生」

「どうでしょう」

 愛子は微笑んだ。そうするとさらに、玲と愛子は重なるようだった。

「今さっきまで、玲はここにいたんですよ。ほんと、入れ替わりぐらい」

「そうですか」

「今日も家庭教師の先生が来るって」

「ええ」

 丸椅子を勧められた。

 座って、玲の受験への準備状況を少し話した。

 少しでも、愛子が玲のことをまったく心配していないことはわかった。

 いや、信頼しているというか、本人に任せているということがよくわかった。

 しっかりとした絆で結ばれていることが理解された。

 他に観月から話すことは特になかったが、

「私たち母娘のことを、あの人からはなんて聞いてるの?」

 間を見計らうように、愛子はそんな問い掛けをしてきた。

「あの人、ですか」

 観月は反応して小首を傾げた。

「えっ。ああ」

 愛子は病室の外を気にする素振りをみせた。

「誰もいませんよ」

 観月の真顔に、一瞬怪訝な顔をするが、安心させるように観月は頷いてみせた。

「わかるんです。この程度の距離なら。私には」

「わかるって?」

「誰かが近くにいるかどうか。そこで見聞きしてるかどうかくらいの気配なら。ただ、その機微になると、目の前に立たれてもよくわかりませんけど」

 それも関口流古柔術の内。

 あるいは無い物ねだり。

「ああ」

 理解したようで、愛子は小さく頷いた。

「ほんとに、変わってるわね」

「どうでしょう」

 愛子はまた微笑んだ。

「あまり名前は出したくないけど。――沖田さんよ」

「ああ」

 そういうことか。

 観月は理解した。

 元〈Bar グレイト・リヴァー〉で剛毅に聞いたままを話す。

 隠し立てはしない。隠すようなこともない。

「そう。そこまで」

 愛子は深く頷いた。

「そこまで話したのね。あの人が」

 そこまで、という言葉が、さらに胸襟を深く開くための鍵だったか。

 先程来より、さらに観月に向ける目が柔らかくなった気がした。

「ねえ。先生。娘のこと、玲のこと、よろしくね」

 口調も少し、砕けたものに聞こえた。

「私の希望なのよね。生きる希望。いえ。生きる力。生きる意味」

「それは、母性愛といったものでしょうか」

「そうね。わかる?」

「いえ」

「親になったらわかるわ」

「わかるでしょうか」

「わかるわよ。だって、1番深いところのものだもの」

 いずれね、と囁かれた言葉を抱くようにして病院を後にし、マンションへ。

「いずれ、か」

 考えても短い道中では理解も把握も出来なかった。

 いずれは深く、やはり遠い。

 今はそこまで。

 今はそれくらい。

 玲はすでに部屋着に着替え、自習しながら待っていた。

 観月の与えた設問ナンバーで、100を超えたところのようだ。

 玲なら昨日からの今日で、そのくらいは進めるだろう。

 コートを脱ぎ、ハンガーに掛ける。

「病院でさ、お母さんに会ってきた」

「えっ」

「よろしくって言ってもらったわ。お墨付き、公認をもらったってことで、ビシビシいくわよ」

「はい」

「お母さんも、早く元気になるといいね」

 玲は大きな笑顔を見せた。

 やはり、愛子と重なるようだった。

 玲が前に出ると、愛子に重ねるよりも笑顔が輝いて見えた。

 中学3年生に、生きる力をより強烈に感じるからだろうか。

 羨ましくも、綺麗な笑顔だと観月は思った。


※ 次回は、2/8(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)