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桜井美奈『復讐の準備が整いました』第9回

第3章 小野川葵 17歳


 2学期が始まった。だが、葵と由利の2人は、夏休み中に何度も部室に来て文化祭の準備をしていたため、授業が始まってからも、休み気分は抜けきらなかった。

 文化祭では、2人で本を作ることにしていた。もっとも、時間も予算も限られている。何より葵は、投稿用の漫画も描きたい。由利にしても、何点もイラストを描くのは難しく、何を載せるかに頭を悩ませた。

 それでも方向性が決まると、2人は1分1秒すら、時間が惜しいと思いながらペンを走らせていた。

 そんな時間のない中、普段なら放課後にしか来ない部室に、葵と由利は朝から集まっていた。2人で机の真ん中に置いた、今朝発売されたばかりの雑誌を立ったまま見下ろしている。早朝からオープンしている書店で購入してきた。

 葵は震える手で、目次を開く。

「ええと、253ページから、と」

 目的の場所を確認する。だがそこを避けるように、葵は冒頭のプレゼントページを開いた。

「今月は、『マイナス3℃の世界』の全員プレゼントだって。あー、巻頭カラーだ。そうだよね、4巻が発売されるしね。ようやくオリンピックが開幕するでしょ。誰が勝つか――」

「葵さん! 現実逃避をしてないで、早く253ページ開いてください!」

 丁寧に話してはいるが、由利の口調には、有無を言わせない強さがあった。

「見ようと思えば、日付が変わってすぐに、電子書籍で確認できたのを我慢していたんですから!」

 それを言われると葵は言い返せない。どうしても一緒に結果を確認して欲しいと、葵が頼んで、いつもより30分早く登校してもらったからだ。

「ごめんって。でも、結果を知ったら、希望が無くなるじゃない」

「雑誌が発売された今、見ようが見まいが、結果は同じです」

 確かに結果は変わらない。そして、望外な結果でないことはすでにわかっている。

 それでも、だ。それでも、この前葵が投稿した結果が、どうであったかこの雑誌に書いてあると思うと、見るのが恐い。

 とはいえ、1時間目の開始が迫っているため、葵は勢いよく雑誌を開いた。運がいいのか悪いのかわからないが、目的の253ページが1発で出た。

 投稿の結果は、上位受賞から順に掲載されている。真っ先にデビュー! という大きな文字が目に入った。そこには葵の名前はなかった。

「こういう人には、事前に連絡が行っているって話だよね」

 だから、連絡がなかった葵は上位にいるとは思っていない。ただ選外の中でもランク分けがある。それに入選していても、下位の方だと連絡がない、という話を、ネット上で見たことがあった。

 チラッと隣にいる由利をうかがい見る。出版社によって違いはあるかもしれないが、1度入選している由利に訊けば、そのあたりのことがわかるかもしれない。ただ今は、それを訊くタイミングではなかった。

「葵さん、次のページをめくってください」

「ごめん、ごめん」

 さすがに覚悟を決めた。葵はページをめくる。

 直視したくないが、結果は気になる。薄目で素早くページの端から端まで目を走らせた。

「あ!」

 先に反応したのは由利だった。ココ! と、弾んだ声で左側のページの1番隅の場所を指さした。

「うわあ……」

 期待賞という名前で、小さく名前があった。プリクラよりも小さいが、扉絵の1部も載っている。賞金3000円。賞と名の付くものの中で1番下のクラスだが、前回と比べると一歩前に進んでいた。

「嬉しい……」

 タイトルは『落とし物』。買ったばかりの消しゴムを授業中に落としてしまい、それを捜し回る1日、という16ページの漫画だ。いろいろ考えているネタの中ではずいぶん小ぢんまりとしているが、壮大な物語は、葵には短い枚数で収めることができなかった。

 選評を読むと、やはりまだ絵が粗いということと、ストーリーに広がりがない、とのことだった。

 指摘されていることは、葵も自覚していた。だから、結果が嬉しくても満足はしていない。ただ、わずかでも成長していることが嬉しかった。

「良かった」

 少しだけ、明るい場所に近づいたように感じていた。

 文化祭には、全部で16ページほどの本を作った。すべて学校のコピー機で白黒印刷したものだ。できれば表紙だけでもカラーにしたいと本沢に頼んだが、迷う素振りもなく却下されてしまった。理由は「高いから」だ。

 表紙だけ少し厚みのある紙をもらえたが、何かの余りらしく、全部で15枚しかなかった。

 漫研の部室の前の廊下に長机を置き、そこに今回作った15部を並べる。

 葵と由利は、誰が持って行くか気になり、ずっとそれを見張っていた。

「先生がポケットマネーで、紙くらい買ってくれてもいいのに」

「それは、葵さんの描いた作品のせいじゃ……」

「えー、面白く描けたと思うんだけど。投稿作と違って肩の力が抜けて、良い感じにオチもつけられたし」

「まあ……面白かったとは思いますけど」

 由利の歯切れが悪い。

 文化祭用に描いたのは、学校にいる教師の名前を少しずつ変えて、3頭身キャラにした作品だ。教師の言動や口癖をやや誇張して登場させている。

「本沢先生以外に見られたら、マズくないですか?」

「でも本沢先生、1部持って行ったよ? 宮本先生や、田村先生に見せるって」

 ヤバッ……と、由利がつぶやいた。

「大丈夫だよ。シャレのわかる先生しか登場させてないから」

 1年生の由利よりも、その辺は葵の方がわかっているつもりだ。

 それに葵の漫画以外に、由利はイラストで、そして本沢にも参加してもらっている。さすがに本沢は絵を描かなかったが、これまで読んだお薦めの漫画を熱く語ってもらった。

「由利が描いた表紙、やっぱりいいよねえ」

 何度目かの讃辞に、由利は「もういいですよ」と、そっけない返事をした。

「それより葵さん、時間は大丈夫ですか? 12時半から1時半まで、クラス当番って言ってましたよね?」

 そう言って由利が葵に向けたスマホには、午後12時28分と表示されている。

 驚いた葵は、喉が詰まった感じで「ヤバ」と声が漏れた。

「由利はクラスの方はいいの?」

「事前にできることをしたので、文化祭当日の係は外してもらいました」

「そうなんだ。じゃあ、私ちょっと行ってくる。ここ、ヨロシク!」

「戻ってくるとき、ドーナツ買ってきてもらえませんか? 葵さんの教室の隣で売っていると思うので」

「オッケー。適当にチョイスするね。リクエストがあったら、あとでメッセージ送って」

 2階にある葵のクラスは教室でダーツや輪投げなどのゲームを行っている。得点によって景品――駄菓子がもらえるという、準備も手間もかからないものにした。ヤル気のなさが表れているが、葵もクラスより部活の方に力を入れたかったこともあり、異論はまったくなかった。当番も1時間ほどで交代できる。

 だが、混み合う廊下を縫うように走って教室へ行った葵は、「やっぱいい」と、その前の時間から当番をしていたクラスメートに教室を追い出された。

 いつの間にか仲間内で遊んでいて、部外者お断りの状況になっていたらしい。

「人は足りてるから。小野川さんはせっかくの文化祭、楽しんできて」

 葵がいたほうが邪魔なんだろうと思っても、そこは顔に出さない。

「ありがとう。じゃあよろしくー」

 見回りの教師に見つからないうちに逃げようと、葵は漫研の部室の前に走った。

「もっと早く言ってくれれば良かったのに」

 愚痴が零れるが、葵も助かったと思っている。当番などやりたくないし、由利と一緒にいるほうが楽しい。

 階段を1段飛ばしで駆け上がり、漫研の部室を目指す。が、階段を登りきり、部室の前の廊下が見える角を曲がったとき、葵は足を止めた。

「あ……ドーナツ買うんだった」

 どうせなら、ドーナツだけでなく、他にも何か買っていこうか。

 そんなことを考えながら、葵は駆け上がったばかりの階段をまた、降りていた。

「1冊減ったんだ!」

 ドーナツを頬ばりながら、葵は部誌を指さした。

 机の上には、ドーナツとたこ焼き、そしてチョコバナナがあった。手早く買えるものを選んだら、微妙な取り合わせになってしまった。

「はい! 1人だけもらってくれました」

「そういえば……由利、誰かと話していたね」

 葵は、ドーナツを買い忘れて戻ったことを由利に説明した。確かにあのとき、長机を挟んで由利が誰かと話していた。その人がもらってくれたのだろう。

「はい、この学校の生徒ではなさそうでしたけど。卒業生か、誰かのお兄さんでしょうか」

「どうだろ……でも、在校生じゃなければ、部員は増えないね」

 由利は3種類のドーナツを前に眉間にシワを寄せていた。

「他に買ってきて欲しいドーナツあった?」

「そうではなくて、部誌をもらって行った人、何で持って行ったのかな、と思って」

「どういうこと?」

「漫画が好きそうには見えなかったので――っと、よし、これにしよう」

 由利は砂糖がたっぷりまぶしてある、フワフワタイプのドーナツをつかんだ。

「どうしてそう思ったの?」

 口の周りが汚れるのを気にしない様子で、由利はドーナツにかぶりつく。おいしー、と目を細める姿を見ながら、葵は答えを急かした。

「ねえ」

「はい、えっと……部誌をパラパラ見ていたんです。中身の確認って感じで」

「うん、だいたいそうするだろうね」

「で、執筆者たちのプロフィールを見て、しばらく止まっていました」

「プロフィールで? 漫画じゃなくて」

「はい。なので、最初、葵さんの知り合いかと思ったりもしたんですけど……そういうことは一切言いませんでしたし、気まぐれですかね?」

「さあ……誰だろう? まあ用があるなら、あとで声をかけてくるかな」

「ほおですね」

 よほど空腹だったのか、口の中をドーナツでいっぱいにしている由利の発音は不明瞭だ。

 ゆっくり食べなさいよ、と注意しながら、葵は部誌を持って行った男のことが気になっていた。

※ 次回は、2/20(木)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)