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ロイヤルホストで夜まで語りたい・最終回「褪せない夢」(平野紗季子)

多々あるファミリーレストランの中でも、ここでしか食べられない一線を画したお料理と心地のよいサービスで、多くのファンを獲得しているロイヤルホスト。そんな特別な場での一人一人の記憶を味わえるエッセイ連載。
いよいよ最終回です!

褪せない夢

平野紗季子

 幸せってどういうことかというと、例えば体のしんまで冷え切った夜にオレンジ色のロゴが輝くロイヤルホストへ駆け込んで、熱々のコスモドリアを食べること。今日の飾りレモンの立ち具合は国立競技場みたいだ〜、と喜んだりすること。途中から追いレモンと追い黒胡椒をマストでお願いしてガリガリやらせてもらうこと。ハフハフしながら中から甘い栗が飛び出すのを喜ぶこと。チキンは空で、マッシュルームは陸で、エビは海で、このドリアには世界があるからコスモポリタンなドリアなんだ〜、と壮大な由来に浸ること。そうこうするうち体は温まり、さっきまでせせこましく些事さじに囚われていた心持ちはコスモのちりとなって消えていく。私の心はちょうどコスモドリア一人前分欠けていたのか、と気付かされる。コスモドリアの縁取りで欠けていた自分の心を思うと、愛おしい気持ちにさえなる。
 調子のいい時は最後に季節のブリュレパフェを食べるが、そうでもない時はデザートがわりにパラダイストロピカルアイスティーを飲み、ぼんやりする。昔はこのハワイの空港みたいな匂いのフレーバーティーが苦手だったのにな。でも、好きになっちゃったんだよな。なぜって、ドリンクバーが導入される前のロイヤルホストにはウーロン茶的無難茶が存在しなかったから。冷たいお茶が飲みたい時はトロピカルアイスティー一択だったから。しかもトロピカルアイスティーは無料だったから。それで我慢して飲んでいたら、そのうち好きになってしまったのだった。嫌いなものが好きになると忘れられない味になる。アウェイがホームになる時のときめきのこと。

 ロイヤルホストはこうしていちいち私の人生に爪痕つめあとを残してきた。
 そうなることは、最初から決まっていたのかもしれない。なんせ私はロイヤルホストの斜め前の病院で生まれたのである。そこは福岡、ロイヤルホストのお膝元ひざもと。私はロイヤルホストのある街で、ロイヤルホストに見守られながらすくすく育ち、平野家は何かいいことがあってもなくてもたびたびロイヤルホストを訪れた。親戚が集合する時は、ロイヤルホストで焼肉を食べた。あのロイヤルホストのテーブルに!焼き肉コンロが埋め込まれている時代があったよね……! 歴史の生き証人のような気分でロイヤル焼肉の話をこれまで何度となく人にしたことがあるけれど、いつも自分だけが盛り上がっている感じになる。なんじゃそれ、という顔をされる。そうかそうか。東京の人とかは知らないか。あの頃のロイヤルホストは焼肉屋でもあったし、あの頃のユニクロは、赤に白抜きの男女のシルエットが手をつないでバンザイしていたのだった。あれは、めちゃくちゃラジオ体操感があったよね。90年代の西日本ロードサイドの風景だ。

 私が5歳になる頃に、平野家は東京に引っ越したのだが、相も変わらずロイヤルホストは私の人生のそばにあり続けた。外食との付き合いをロイヤルホストから始められたことは、大きな幸運であったと思う。
 ロイヤルホストの創業者である江頭匡一えがしらきょういち氏は「日本一のレストランを作りたい」という夢を掲げて、前身となる「ロイヤル中洲本店」を開業した。シェフ(横浜のホテルニューグランド出身)もスタッフも空間もすべてが一流のフランス料理店、夜9時以降はバンドが入る豪華絢爛けんらんな一軒で、かのマリリン・モンローも来店したほどだ(そのことを今もメニューで訴え続けてるところ、好き)。ある時江頭氏は街角の靴磨きの女性が「一度でいいからロイヤルに行ってみたいもんだね」と話しているのを聞く。その時に浮かんだのが「一般の人の手に届き、それでいて贅沢ぜいたく感のある店を作ろう」という構想だった。
 だからこそ。ロイヤルホストは外食の夢を失わない。どんなに身近な存在になったとてHospitality Restaurant の矜持きょうじが、料理にメニューに接客にカトラリーにさえ、息づいている。だから、テーブルにおすすめの一品を貼らない。宣伝BGMを流さない。器はNIKKOで、カトラリーはNoritake で、床は多くの面積が絨毯じゅうたんだ。各国料理フェアをやり続けてきたのだって、私たちに新しい味をもたらさんとする外食屋としての使命だったのだろう。

 ロイヤルホストでは試験勉強をしたし、打ち合わせをしたし、デートをしたし、黙々とひとり飯をしたし、友達の失恋話を聞いてふたりで号泣もした。まるで帰巣本能のようにロイヤルホストへと足が向いてしまう私を、朝から深夜まで、いつ何時も受け入れてくれた。そのくせいつまでたっても外食の夢がせない。懐の深さと、終わらない憧れ。このふたつが奇妙とも言えるバランスで同居している。そんな店を私は他に知らなくて、ロイヤルホストはこの世界のひとつの奇跡だと思っている。

 謙虚さ、ものづくりへの誠実さ、思いがけないユーモアや品良き華やかさ。だけど身近でいつでだって寄り添ってくれる安心感。ロイヤルホストみたいな人になりたい。なれないけれどそんなふうに思ったこともあるくらいだから、先日ご縁あって「福岡のセントラルキッチンを見学しませんか」とお声がけいただいた時、嬉しさの圧力で心がポップコーンになって弾け飛んだ。もう元に戻ることはないだろう。
 ロイヤルホストの心臓部、そして、ハイリーコンフィデンシャルなプライベート。一体何から驚けばいいのか。目に映るものすべてに感動と感謝があった。だってさ、大きなキッチンの中で彼らが何をしているかというと、コンソメを引いているんですよ。大量のお肉や野菜をたっぷり用意して、一から、コンソメを、作っているんです。大きな飲食事業会社ともなれば、料理のベースとなるコンソメを専門の業者に依頼することも少なくない。でも、ロイヤルホストはそれをしない。社の歴史や、創業者の思い、フランス料理への敬意や、味への飽くなきこだわりが、それをさせない。だからおいしいんだ。あのオニオングラタンスープの深い味わいの裏には自ら仕込み続けるコンソメの大きな鍋があるのだ。その事実を肉眼で確認できたことが、ロイヤルホストへのロイヤルな気持ちを更に強固なものにしてくれた。私は一生、ロイヤルのロイヤルカスタマー(自称)だ。

 帰り際、創業家の方とご挨拶あいさつ(というか謁見?)させて頂いた際「ホストでは……」と何気なくお話しされるので、え、ちょちょっと待って!と会話を遮らずにはいられなかった。ロイヤルホストの中枢ではロイヤルホストは”ホスト”呼びされていた。ホ、ホストって、めちゃくちゃかっこ良くないですか⁉(滝涙)福岡県民は、ロイヤルホストのことをロイホでなくロイヤルと呼ぶ人が多く、私も敬意を込めてロイヤル様呼びをしていたのだが、まさか本家は”ホスト”呼びとはね……。完敗だ……(何に?)。こ
れからは私も、ロイヤルホストのことを、ホストと呼んでみたい。「ホストでごはん食べよ?」「ホスト集合」「今、桜新町のホストにいる〜」。……なんじゃそれ、という顔はしないでください。

平野紗季子(ひらの・さきこ)
1991年、福岡県生まれ。フードエッセイスト・フードディレクター。

★★『ロイヤルホストで夜まで語りたい』書籍化決定!★★

いよいよ1/20発売です。初回限定特典には、一色美奈保さんによる描き下ろしイラストを使用したステッカーつき。書籍限定で藤井隆さんとハリセンボンの近藤春菜さん・箕輪はるかさんによる特別鼎談も収録。
ぜひご予約お待ちしております!

★★【オリジナルグッズ&書籍プレゼント!】ハッシュタグキャンペーン実施中★★

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