
鈴峯紅也『警視庁監察官Q ZERO2』第17回
33
〈長江〉の店内は静かなものだった。と言って誰もいなかったわけではない。2人いた。
坂井とそして、沖田剛毅だった。
「いらっしゃい」
観月が入ると、坂井は丁寧に腰を折った。一瞬、頷いたかもしれない。そんなふうにも見えた。
ふん、と剛毅が鼻を鳴らした。
「こいつがどう言ったか知らねえが、本当に来やがったか。――ま、来たら入れろと言ったなあ俺だが」
剛毅はカウンターの真ん中に座り、いつも通り、シンガポール・スリングを舐めていた。
何も言わず進み、観月は剛毅の隣に座った。
何を、と坂井が聞いてきた。
「同じ物を」
かしこまりました、と言って、まずはドライジンをシェイカーに注いだ。
次いでレモンジュース、シュガーシロップの順に注ぐ。
「へっ。同じ物ってか」
手際を眺めながら剛毅が言った。
「ええ。対等な物を」
「いい度胸だ。10年、いや、100年早え気もするが」
「10年後に会うつもりはないですし、100年後はどっちも死んでますから」
「なるほどな。――で、なんだって?」
ちょうどそのとき、どうぞ、と言って坂井が出来上がったシンガポール・スリングを差し出した。
簡素ですっきりと――。
それが、高木明良から坂井に受け継がれ剛毅が愛する、サヴォイスタイルのシンガポール・スリングだ。
ひと口呑んで、胃の底に落とす。
味わいは、同じ物を呑んだ男に抗う熱を観月の中に生んだ。
隣に座って同じ物を呑んで――。
それで辛うじて、闇と対等でいられる気がした。
この場合、カクテルは闇に抗うエネルギーだ。
「私は、囮ですか」
斬り込めば、今度は剛毅がひと口やった。
「ほう。勘が鋭いな」
「勘? 冗談じゃないです。1歩間違えれば、ただでは済まないところでした」
「だがあんたは、かすり傷ひとつ負ってねえ。そういう意味じゃ、選んで正解だったな」
「やっぱり」
そう言えば、なんで囮だって思ったんだい、と剛毅は聞いてきた。
「聞かれましたから。去年、銀座で投げ飛ばした男に」
――どこに隠したっ。
玲がいなくなったことに気づいた日、大井町で数原はそんなことを叫んだ。
「どこにって言われても、私は何も隠してません。けれど考えれば、急に隠れたものがあります。初め、その親子のマンション前で絡んできた連中は、てっきり私を狙ったものだと思ってました。その辺も思惑通りですか?」
「さあな。ただ、あんたと美加絵の出会いは聞いてたからな。大立ち回りだって?」
「住んでる寮にいて、ふと思ったんです」
剛毅の問いには答えず、話を先に進めた。
「連中の狙いは私じゃなく、玲ちゃんたち母娘だったんですよね」
剛毅はもうひと口やり、そうだな、と言った。
「ま、そんなもんだ」
「曖昧ですね」
「あんたぁ、こっちの住人じゃねえからな」
「えっ」
答えの方向が意外だった。それで意表を突かれた。
「ただよ。玲の家庭教師を頼んだ目的は、あんたに言った通りだ。そこに曇りはねえんだがな」
「それって」
「済まねえ、と思わないでもねえんだ。けどな、言ったよな。俺ぁ、あの母娘には近付けねえんだ。だからよ、この間あんたと出会ったのは俺の運だと思ってよ。使った。悪ぃと思いながら使った。だってそうしねえとよ」
あの子が受験に集中出来ねえと思ったからよ、と剛毅は続けた。
どうしようもなく、こうなると話の主導権は向こうになる。
「前にも言ったがよ。明良とあの母娘のことを知ってるなあ、俺と源太郎ってぇ、あんたに関係ねえ野郎くれえだと思ってたんだ。本当によ。それが、まさかとは思ってたが、もっと関係ねえ野郎、いや、もっと怖ぇ野郎が――。いや、どこまで考えてもきりはねえ。けどよ、30年だ。30年、さざ波は立っても、大波を被ることなく、この店と明良はやってきた。15年、あの母娘は生きてきた。それはたしかだ」
剛毅はグラスを傾け、半分ほどを呑んだ。
「けどよ、明良がやってた頃のこの店ぁ、よくも悪くも、間にある店だった。それもたしかだ」
「間、ですか」
「表と裏、希望と絶望。光ぁ闇を消そうとし、闇は光を飲み込もうとしてよ。そんな店の事情だ。どれほどの人間が出入りしたかは俺も知らねえ。さだかじゃねえ。そんな店の表も裏も、希望も絶望も綯い交ぜにして、人の口に戸は立てられるもんじゃねえ。わかるかい。そんなもんだろ」
観月は答えなかった。ひと口呑んだ。
剛毅はグラスを弄んだ。
「明良が向こうに帰ったってことでよ」
氷が鳴った。
「そんな店のあることないことが、噂んなって流れたみてえだ。残した物があるかもしれねえってな」
「残した物って」
「それはよ」
聞かねえ方がいいと剛毅は言った。
なかなか話のペースは握れない。
「それで、どっかの誰かがあの母娘にもちょっかいを出してきた。俺ぁ、さっきも言ったもっと怖ぇ野郎辺りじゃねえかと思ってんだが、それはわからねえ。もっともよ、あんたも実感してるよな。半信半疑の尾行に張り込み。向こうもその程度だ。噂に乗っただけで、何かを掴んでるわけじゃねえ。だから俺ぁ、すぐに止むと思ったんだ。ただ、実際に動いてんのがこっちの馬鹿どもでよ」
「それが、狂走連合って」
観月は呟いた。
――俺はよ、狂走連合8代目総長、子安明弘ってんだ。
碧の綿ビロードにキルティング加工を施したスカジャンを着た、大柄な総長を思い出す。
そうだ、と剛毅は言った。
「その狂走連合の馬鹿どもがよ。勝手に、いずれ押し込んででもってえ勢いに盛り上がりやがった。どうでもいい連中だが、数だけは馬鹿みてえにいてよ。下手に触りゃあ、上手の手から水も漏れる。警察沙汰にもなりかねねえ。そんなことになっちまったらってな。受験だよ受験。1番大事なのはよ、玲の受験なんだ。そんなとこで出会ったのが、あんただ。強えって聞いたし、頭も度胸も抜群だって聞いた。使わねえ手は、俺にはなかったな」
「よくわかりませんが」
「なにもなきゃあ、これ以上ねえ家庭教師。なんかありゃあ、引っ被ってもらう。へへっ。こっちぁ囲みの外から見てた。大所高所ってやつかい。あんたが手ぇ出したタイミングで、全部動かした。愛子の病院も、玲の住まいもよ。どうだい。俺もまだまだ、考えるもんだろ」
観月は答えなかった。
剛毅はまた呑んだ。
「お陰で、玲は落ち着いてよ、静かによ、受験勉強に集中出来るってもんだ」
呑んで、深い息を吐いた。
「せめて受験が済むまではってな。思ってんだ」
それでようやく、観月はすべてを理解した。
「一介の学生に背負わせるには、責任と危険が大き過ぎるとは思わなかったんですか」
「思ったよ。けどよ、俺ぁそんなこんなも含めて、別にいい人間じゃねえよ。俺ぁ、紋々背負ったヤクザだ」
「それはわかってます」
それによ、と言いながら、剛毅は空になったグラスをカウンターの内側に突き付けた。
何も言わず、坂井は同じ物を作り始めた。
ドライジン、レモンジュース、シュガーシロップ――。
「それによ。暮れに頼んでから、少しばかりあんたのことも調べた。あんたぁ、思う以上に周りに色んなもんを纏ってた。柵ってえのか? 一介の学生だって? へっ。笑っちまうぜ」
「なんのことでしょう」
「それでいいんじゃねえか。こういうもんは、わかろうとしたら消えちまう、泡みてえなもんだ」
どうぞ、と新たなシンガポール・スリングがカウンターに置かれた。
手に取って剛毅はひと口やり、「ああ。やっぱり旨えなあ」と言ってグラスを見詰めた。
「せめて受験が済むまではってな。思ってんだ」
もう1度、同じことを剛毅は口にした。
目が遠くグラスを透かし、どこかを見ていた。
ここではないどこかだ。
「今週の木曜でしたね」
玲の受験日だ。
剛毅は頷いた。
「ああ。受かるといいよな」
雰囲気が少し和らいだ。好々爺の風情だ。
「受かりますよ」
「ああ。俺もそう思ってる。いや、願ってる。受かりゃあ、こんな茶番はここまでだ。だがよ。万が一駄目だったときのことを考えりゃ、最悪滑り止めに受かるまでってえ話になる」
「そうなると3月ですね」
「最悪の最悪を考えりゃな」
観月もグラスに口を付けた。
いつの間にか空だった。
「どうぞ」
グラスが坂井の手によって替えられた。
ホワイトレディ。
坂井の得意のひと品だった。
ひと口呑んで、観月は剛毅の方を見た。
「いいですよ」
「なんだ?」
「囮の役。このままでいきましょう」
目を細め、剛毅も顔を観月に向けた。
それはそれは、人の中を覗こうとするような目だった。
だが、いくらヤクザの親分でも、経験を積んだ年長者でも、そんなもので観月の中を覗くことなど出来るものか。
なぜなら、言った観月自身がわからないのだ。
「本気かよ。ええ?」
「その代わり、1発殴らせてくださいって言ったら、受けますか」
一瞬、店の空気が凝ったような気がした。
だが、すぐに溶けた。
「あんた。面白えな」
「自覚はありませんが、たまに言われます」
剛毅は口を開けた。大きな声が出た。
笑ったようだ。
「いいぜ」
と――。
許可の間に間に付け込むように、観月は無拍子の拳を真っ直ぐに突き出した。
突き出して引いた。
観月の拳は、剛毅のこめかみを強く擦るようにして動き、電光の速さで戻った。
剛毅の大笑が、間の抜けた顔で固まった。
観月はホワイトレディを呑んだ。
「おい。今のってなあ」
「私なりに殴らせてもらった。そんな感じです」
呆気にとられた顔、というのだろうか。
1本取った、取られたというのは、海を渡った鉄鋼マンたちが日常的によく使っていた言葉だ。
「大井町の部屋に貴重品とか、本当に残した物なんかはありませんよね」
「ねえよ。ねえはずだ」
「ならいいです」
剛毅は、グラスの残りをひと息に呑んだ。
「なんだかわからねえが。いいってんなら、後は頼んだぜ」
言って立ち上がり、出口へ向かった。
「ああ。じゃあよ。別報酬ってわけじゃねえが」
1度立ち止まり、剛毅は声だけ伸ばした。
「玲が合格したらよ。この店が有る限り、呑み放題にしてやるよ」
「有難うございます」
「その代わりっちゃあ、なんだがよ」
「えっ。なんの代わりですか」
「へっ。細けえこと言うなよ。だから頭のいいのってのはよ」
「それもたまに言われます」
「だろうな。俺ぁ、本当はあんまり好きじゃねえんだ。だからよ。もう2度と会わねえからよ。外の看板が消えてるときはよ。そんときだけはよ」
これからは店に入るな、と言い置いて剛毅は外に出て行った。
1人残って、観月はホワイトレディに口を付けた。
剛毅のこめかみに伸ばした手の、握ったままの拳を見る。
「何か仕掛けましたか?」
坂井が笑顔で聞いてきた。
そう聞いてくる以上、この男もなかなかの曲者ということだろうか。
「いえ」
無表情はこういう場合、便利だ。
34
水曜日になった。
この日、観月は朝から駒場キャンパスに向かった。
授業や補習があるわけではない。ブルーラグーン・パーティの、いわゆる自主トレのためだ。
前日のうちに梢や河東ら数人の部員に連絡を取り、構内のテニスコート2面の使用許可申請は済ませていた。
天気予報は1点の曇りもなく晴れだった。
午前中一杯を掛け、総勢20人余りで汗を流す。
冬場は身体を作りにくいが、少しずつ温め、少しずつ起こしてやる。
怪我がなければ、まずはそれでいい。
この日の自主トレは自主トレという名の、観月にとってはウォーミングアップだ。
終わった後は、着替えてみんなで昼食を摂るが、
「あれ。観月は着替えないの」
梢にそんなことを聞かれた。
たしかに。
「そうね。着替えてはいるんだけど、わかりづらいかな」
トレーニングウェアから、着替えたのは別のトレーニングウェアだ。
他人の目には奇異に映っても気にしない。これは観月なりに午後の行動を鑑み、動きやすさを第1に考えた結果だった。
昼食の後で部室に入り、2時を回ったところでショルダーバッグを背負った。
「じゃ、ちょっと行くところがあるから帰るね。お先に」
「わかった。バイバイ」
奥の方で、梢が手を振って応えてくれた。
部室の外に出ると、近場を河東がうろちょろしていた。
部室の中にいる梢が気になるのだろうが、そこだと煙草が吸えないという小さなジレンマと戦っているのが、あからさまにして見え見えの様子だった。
ちょうどよかった。
「先輩」
声を掛けた。
「ドキ」
河東は飛び上がるポーズをとったが、会話には何の影響もしない。
「もしかしたら後で連絡します。連絡しないかもしれません」
「ドキドキ。それって」
「お願いしたいことがあるかもしれないってことです。なければ連絡しません」
「ガックシ。でも了解」
河東はこういう、愛すべき理学部3年の先輩だ。
「ドドンッ。部長。俺は明日は、本郷の研究室だよ」
「あら、偶然。私も検査の日なので、本郷です」
「バダダンッ。奇遇だね」
「そうですね」
駅へ向かう。
正門近くで、1号館の方から観月を呼ぶ声がした。真紀だった。
「観月ぃ。どっか行くのぉ」
全体、周囲にここ最近だとお決まりのような、気になる気配がちらほらとあった。
だから、観月も真紀に対する返事の声を張ってみた。
「うん。ちょっと大井町までぇ。じゃあね」
手を振って観月は正門を出た。
そのまま真っ直ぐ、京王井の頭線に乗って渋谷に出る。
大井町に着いたのは、午後3時を回った頃だった。
そこから、〈和進レジデンス1番館〉を目指す。
そろそろ夕陽の傾き始める頃だった。
植え込みに沿った幾つかのベンチに人はいたが、スタンド灰皿の近くには誰もいなかった。
暫時そこに立って、周囲を見渡す。
(いい感じね)
フラグの1、ではないが、予定通りだ。
「あら。久し振りね」
すでに顔見知りになったお婆ちゃんが、シルバーカーを押しながらエントランスから出てくる。
「そうですね。こんにちは」
観月は軽く会釈し、入れ替わるようにマンション内に入った。
合鍵で部屋に入り、カーテンを半開きにして電気を点ける。
これでフラグの2、いや、目的の達成だ。
それからおもむろに、3LDKの部屋内をひと巡りする。
洗面所には母娘の歯ブラシがそのまま残っている。歯磨き粉もそのまま、櫛も数本あって、ドライヤーはない。
続けて玲の部屋も覗く。
ベッドからはジンベエザメとダンボのぬいぐるみだけでなく、そういえば枕もなくなっていた。
床で切れ毛や抜け毛が少々の埃に絡んでいる。
ベッドの上にも同様の、観月より少し長い髪。
「ま、私の部屋より断然綺麗だけど」
両親が聞いたら嘆息しそうなことを呟き、とにも集めるようにして、簡単な掃除をする。
他の部屋も同様だ。
「よし」
気が付けば陽が暮れていた。
カーテンの隙間から闇を覗き、丁寧に閉める。
「そろそろいいかな」
軽いストレッチで身体の具合を確認し、帰り支度で外に出た。
案の定、スタンド灰皿の周辺には8人ばかり、目付きの悪い連中が集っていた。
その代わりというか当たり前というか、その8人以外、植え込み周辺のベンチにはいない。いるわけもない。
パンチパーマにリーゼントに、剃り込みに坊主。
そんな剣呑な全員が一斉に、観月をあからさまに睨んできた。
剣呑な気、圧気、邪気。
とはいえ――。
だからどうした。
そういうものを観月は恐れない。
そういうものに触れると、不思議と昔から観月は腹が据わる。感情にバイアスが掛かっているから、というわけではない。
これは、関口流古柔術の鍛えと言えるかもしれない。
「あんたたち、狂走連合でしょ」
真っ直ぐに進み、観月は男たちの前に立った。
子安も数原もいなかったが、前回、病院近くで投げ飛ばした男が2人ばかり入っていた。
他に記憶を遡れば、駒場キャンパス近くで7回見た顔が1人、大井町の駅近辺で6回見た顔が1人、銀座の並木通りで四回擦れ違った顔が1人いた。
なるほど、常に見張られていたということかもしれない。
観月が気配を感得した回数は、さすがにその数には届かない。
関口の爺ちゃんらに言わせれば、まだまだ未熟、ということになるか。
言って笑ってくれるか。
「ああ? だったらなんだって?」
6人は怒気もあらわに前に出てくるが、投げたことのある2人は6人の後ろの、金魚のフンだった。
後ろに隠れて怖がっているようだが、逆にお生憎様、と言ってやりたい。
戦いは最後の手段であって、今日の目的ではない。
やおら、観月は先頭のリーゼントに鍵を投げた。
マンションの鍵だ。
「ああ?」
反射的に受けはしたものの、わからないようだ。
「部屋はわかってるわよね。7階よ」
「んだってぇ?」
わからないでただ凄んでいるさまは、実に不格好だった。
笑ってやりたい。
笑えるなら。
「見てきなさいよ。何もないから」
「手前ぇ。本気か」
「当然。でも鍵は返して欲しいから、私はあそこにいる」
観月は、区道を挟んでマンションとは真反対に位置する公園を指差した。
常夜灯が点々と灯るだけで、人はいない。
「気の済むまで見てきなさいよ。ああ。寒いから手早くね。マンションだから他の人の迷惑にならないように。最後に鍵は閉めて、電気は当然、消してきて」
言いながらも、観月はすでに歩き出していた。
「おい」
背後にリーゼントの声が聞こえ、8つの足音が聞こえた。
その後、リーゼントを筆頭に7つの足音がマンションのエントランスに駆け、ひとつが観月の背後に付いた。
「逃げないけどね。鍵を返して欲しいって言ったでしょ」
背後の男に声を掛けるが、答えはない。ただ影のようだった。
観月は自身で言った通り、公園に入って待った。
そのうちには陽が落ちて暗くなる。
マンションの住人が何人か出ては、スーパーのポリ袋を提げて帰った。
やがて――。
肩を怒らせた影が七つ、マンションを出て区道を渡り、公園に来た。
「どう? 何もなかったでしょ。これでわかった?」
「ちっ。どこに隠しやがった」
「なにそれ。この前、数原って人が同じことを言ってたわよ。だから開放して中を見せたのに。これでもわからないの? 同じことの繰り返し? 馬鹿じゃないの? もっと学習しなさいよ。馬鹿じゃないんなら」
「んだとっ」
リーゼントが怒気丸出しに右手を出してきた。
望むところだった。
出来るだけ素早く、出来るだけ派手に。
即妙体はすでに完成していた。
この程度の相手なら、動き出した観月は無人の野を行くごとし、無敵だ。
左にかわしながらリーゼントの額を掴み、右足を掛けて後ろへ押し倒す。
夜だ。とにかく倒せば、地面までの見当すら不安定な公園では、受け身もろくに取れはしない。
「ぐあっ」
確認はしない。すでにその場にもいない。
身を沈めて足を回し、出てこようとしていた2人分の差し足を刈る。
リーゼント同様、何もわからないまま暗い夜空を振り仰ぎ、次いで背中に来るのは重い衝撃だ。
この2人分は苦鳴を聞いてもいなかった。
流れる清流は激流にも濁流にもなることこそあれ、留まらない。
4人目を背負い、5人目を巻き込む。
6人目は腰に乗せて大きく飛ばした。跳ね腰の応用、いや、源流だ。
この間に瞬き5つを費やしただろうか。4つ半、もしかしたら4つ。とにかく瞬殺だ。
ダメージから回復出来た者は誰もいない。
観月に触れられた全員が、公園の中をのたうった。
1人、常夜灯の下に観月は立った。
ひと息吐き、最後方で動かなかった2人を見る。
どちらも苦笑い、といった顔で両手を上げる。
「鍵」
観月は全体に向け、毅然とした声を投げ落とした。
後頭部を押さえながら、リーゼントが起き上がるところだった。
「鍵。聞こえないの!」
「くっ」
ポケットから取り出し、リーゼントが投げてよこした。
受け取って仕舞う。
それで観月に、この場にいる必要はもはやなかった。
「数原にでも子安にでも、どっちでもいいわ。言っておきなさい。噂は噂で、そんなものに踊らされるのは小物、あるいは子供だって」
――クソッ。
誰かが言った。
――覚えてろよっ。
誰が誰でもよかった。
取り敢えず、悪態だか捨て台詞だかを口にはするが、気配には怯えを含んだものしかない。
確認し、睥睨し、観月は公園を後にした。
少なくともこれで、狂走連合の意識が大井町を離れてくれるなら。
玲の受験が何事もなく済むのなら。
それが〈長江〉での営業期間呑み放題の、沖田剛毅との契約だ。
背後で狂走連合の連中が、口々に何かを喚いていた。
つまり、なんとやらの遠吠えだが――。
(これで懲りて、くれるわけはないみたいね)
表情が動くなら、苦笑の場面か。
区道を渡ると、携帯が振動した。
梨花からだった。
「はい」
――褒めて。
「偉い。何を」
――わかったわよ。転院先の病院。
「偉いっ」
同じ言葉の強弱でなるほど、観月は自身の感情の高ぶりというものを理解した。
※ 次回は、3/1(土)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)