鈴峯紅也『警視庁監察官Q ZERO2』第1回
1
12月も中旬を過ぎると、本格的な冬将軍の到来となる。
東大本郷キャンパス前の銀杏並木も葉を落とし、本郷通りは一面の散り敷く黄金色に染まる。
この日の昼下がり、早くもビルの影が車道に伸び始めた本郷郵便局前の歩道を、1人の女性が歩いていた。
淡いグレーの地味なパンツスーツに身を包み、濃いグレーのコートを羽織った引っ詰め髪の女性だった。
一見すると学校の先生風でそれも主任クラスだが、よく見るとまだ若い。
主任に見えるのは偉そうというか、その堂々とした姿勢がそう見せるのだろう。
女性は厚生労働省に勤務するキャリアの、大島楓だった。
「ふうん。時間的にはそうでもないけど、懐かしいね。空間が懐かしいのかな」
本郷5丁目〈赤門前町会〉の掲示板の前で、1度立ち止まり、楓はそんなことを呟きながら手前の路地を曲がった。迷う様子はなかった。
楓が目指す場所は、知る人ぞ知る本郷裏界隈の中華菓子の名店〈四海舗〉だ。
楓にしても、訪れるのはずいぶん久し振りになる。
隘路に分け入り、道を折れ、眩暈がしそうなほど曲がりに曲がり、西陽を浴びる瀟洒な建物に辿り着く。
それが〈四海舗〉だった。
「我ながら、覚えてるもんだね」
楓は門扉を押し開け、スロープから玄関に至る階段を上がった。
玄関のアルミ製ドアを開け、カウベルの音と中華菓子特有の甘い匂いに迎えられ、店内に入る。
右手に冷蔵ショウケースがあり、左手には常温の陳列棚があった。
店内は右端がキャッシャー台になっていて、内側には中華風の、人形の像が鎮座している。
が――。
その漢服を着た木彫りの置物のような老女が、実は生きているどころかこの店の女店主、金村松子だということを楓は知っていた。
ただし、何度見ても慣れることはなく、その都度一瞬、今回こそ本当に木彫りではと疑うのは、これも紛れもない事実だった。
楓は3度、目を瞬き、木彫りを松子と認識した。
「店長。ご無沙汰」
そんな声を掛けると、松子は細い目を楓の方に動かした。
「おや。誰かと思ったら卒業以来、1度も顔を見せない薄情者じゃないかね」
「麻花巻の20本入りをふた箱、贈答用に包んでくれる?」
「喜んで。領収書は要るかね? 厚労省で。何枚でも書くさね」
要らない、と言いながら楓は顔を左に向けた。
そちらから壁際を鉤の手に曲がると細い通路があり、イートインスペースがある中庭に出られるようになっている。
「ねえ、店長。うちの会長、来てるって聞いたけど」
「ああ。奥にいるさね」
「じゃあ、杏仁豆腐と温かいジャスミン茶」
「はいはい。領収書は」
「要らない」
急にスイッチが入ったように動き出した松子に追加の注文をし、楓は奥の中庭に向かった。
壁際を右手に曲がり、奥に進むと古い木製の扉がある。その手触りも懐かしいものだった。
押して開くと、冬の外気が頰を撫でた。
中庭には四脚の椅子と、1台の円卓が置かれていた。
そこに、愛すべき後輩はこちら向きに1人で座っていた。
170センチに近い上背で、目が大きい瓜実の顔に、艶やかなマッシュボブの髪。
相変わらずボーイッシュだが、以前は高校生にも見えたものが、今はあまりそんな印象を受けないのは、年が明ければ東大法学部の3年生になるせいか。
(いや。違うな)
今までなら袖を捲った白シャツと黒のジーパン、足元はスニーカー一辺倒だったはずが、この日は違った。
黒のパンツスーツに白のカッターシャツを着て、紺一色のスリム・タイを締め、黒革のショート・ブーツを履いている。
どういう風の吹き回しかは知らないが、その格好が少なくとも年相応に見せている。
それが現在の、小田垣観月ということのようだった。
ただし、大きな変化はその服装くらいで、円卓の上に並ぶ条頭の空皿を数えれば、この女の変わらないことは明らかだ。
15皿。
そこまで数えて楓は計算を止めた。
ちなみに条頭は、薄く伸ばした柔らかい餅を細長く切り、あんこを包んだ上海の伝統甘味のことをいう。〈四海舗〉では5センチほどの長さの条頭が2本1皿で250円だ。甘さと値段はバランスがちょうどいいが、だからといって無尽蔵に食べられるわけではない。別腹だとしても無理がある。
〈普通の人間〉なら3皿でいい。5皿も食べれば胸焼けがするだろう。
「ああ。先輩」
無表情な後輩が、プーアル茶を飲みながら通る声でそう言った。聡明さとしっかりとした意思がよく伝わる声だ。
子供の頃の事故で感情の一部にバイアスが掛かり、表情が上手く作れなくなったことと引き換えに、その身に備えた超記憶力には驚かされたものだが――。
アイス・クイーン。
その呼称は言い得て妙だ。
無表情に対する心無い異名でもありつつ、超記憶力を始めとする小田垣観月という女性の能力と人格への尊称でもある。
「よお」
片手を挙げて声を掛ける。
「どうしたんですか。平日ですけど」
聡明な後輩の疑問はもっともだ。
「大きな声じゃ言えないけど、休みだよ」
言いながら楓はコートのまま椅子に座った。円卓の、観月と真反対の席だ。
「へえ。いいですね。けど、厚労省ってそんなとこでしたっけ」
「そんなとこじゃないよ。だから私はなんと、この前のサロン以来の休みだ」
サロンとは、〈Jファン倶楽部〉のメインイベントのことだ。要するに、小日向純也というプリンスにご出席いただいて直に愛でる会をいう。
それ以来とはつまり、楓の休みは11月20日の土曜以来ということになる。
「うわ」
観月は声だけで驚きを表した。
「厚労省って、もの凄いブラックですね」
「真顔でそう言われるとなんともね。まあ、反論も異論もないけど、私は大丈夫、だと思う」
楓は視線を、虚空に差し上げた。
白い雲が浮かんでいた。
「この前のサロンさ。よかったよねえ。夢の架け橋を渡る感じでさ。あれからずっとフワフワしてんだ。なんかさ、ヅカオタの心情がわかる感じ。だからさ。あたしは大丈夫。サロンがあればさ。半年は保つから」
「そんなものですか」
「それ以上のモノだってことが、あんたも厚労省に入ってみればわかるよ。――ああ。希望は外務省だっけ」
「はい」
「ま。どこも代わり映えはしないだろうけど。それでも、あれだ。厚労省よりはマシかなあ」
「やっぱり厚労省って、凄いんですね」
「――そうね。自分で言ってて悲しくなるけどさ」
「ご愁傷様です」
そうは言っても、表情は動かない。だからといって、扱いづらいわけではない。
最初は正直、楓も戸惑った。けれど腹を割って懐に潜り込んでみれば、普通の可愛い後輩だった。
いや、普通以上に人懐っこく、強く賢く、繊細で強靱で――。
とにかく可愛い後輩だった。
(まったく、不思議な女だよ)
楓は思わず口元を綻ばせた。
小田垣観月という後輩の存在を楓が知ったのは前年のことで、当然それは〈Jファン倶楽部〉の関係だが、そもそもこの倶楽部誕生の発端は2001年まで遡る。
当時3年生だった楓や宝生聡子らが参加している呑んだくれの会の2年生が、駒場で純也を発見し、酒のつまみにしているうちにその会から派生する形で、東大女子限定の13人で発足したのが〈Jファン倶楽部〉だった。
会長は大島楓で副会長は宝生聡子で、別に大学公認のサークルではなく飽くまで純也のファン倶楽部だ。
2003年の楓たちの卒業を以て散会になるかと思いきや、〈Jファン倶楽部〉は小日向純也を愛でるという目的以外に、ただの呑み会の色が濃い東大女子呑ん兵衛集団でもあった。卒業後のOGも呼べば集まって参加し、メンバーの入れ替わりはあっても常に呑み会自体は開催されるということもあり、3年の田川宏美という女を連絡係に、定期的に30人以上が交流する会として存続した。田川は嫌な顔一つせず、呑み会の幹事を引き受けてくれる女だった。
そんな田川から去年、ブルーラグーン・パーティの新歓合宿で新入生が大暴れしたことを、楓は呑み会の席で聞いた。小田垣観月という名前を初めて楓が耳にしたのはこのときだった。
「へえ。面白いのが入ったもんだ」
などと、そのときはそれで終わった。
今年の春になって、純也を前にしてその小田垣観月が公然と告白したことを聞いた。
このとき田川は目を吊り上げ、
「そうなんですよ。私たちを差し置いて」
そんな風に口を尖らせた。
「今に見てなさいって」
田川はこの言葉通りに小田垣観月という新入生に数々のちょっかい、嫌がらせを仕掛けたようだ。
「ねえ。楓、いいの?」
目に余ったものか、聡子は楓の耳に注意を吹き込んだものだ。
女のジェラシーは、と聡子は言ったが、それだけではないと楓は思っていた。
名目上の会長は変わらず楓だったが、この年度の開始辺りから、田川に現役のリーダーのような感じが出てきていたからだ。
アイドルのファンクラブの会長の気分も、きっとあったように思う。
そんな会を預かる者としての、歪んだ責任感、は間違いなくあったか。
「ま、それでも呑み会を仕切ってくれてるのは彼女だしね。その小田垣とかのお手並み、拝見しようじゃないか」
「それも酒のつまみ」
「そういうことだ」
結果として、観月は田川を始めとする会の連中や、個人的なJファンのやっかみやちょっかいや嫌がらせをことごとく撃退し、本当に楓に酒のつまみを提供してくれた。
その後、GW中に設定した定期的な呑み会のときだった。田川もそろそろ、就職に向けて本格的に忙しくなる時期だった。
次の連絡係を決めなければならないということもあって、田川は楓の席の正面に座った。
「どうする?」
楓が口にしたのは、このひと言だけだった。
田川は割り箸に紙おしぼりを挟んで振った。
悔しさはあって口には出さないのだろうが、ようは白旗だ。
小田垣観月には、敵わない。
「わかった。あたしが直接会ってみるよ。全部水に流してってのも虫のいい話の気もするけど、流してもらえればもっと面白い酒のつまみを聞けるかも」
楓はそのあとすぐ、共通の知人を通じて観月に連絡を取った。
忘れもしない。5月の8日の仏滅の土曜日だった。
東大病院に行くという観月とその後、本郷キャンパスで落ち合い、これまでのことを会長として詫び、これからを頼んだ。
「いきなりだけど、どうだい? 会長になっちゃえば? それで誰も文句も手も出さないよ。もっとも、もう文句も手も出す奴はいないだろうけど」
「はあ」
ちょうど、そんなところに楓を探して顔を見せたのが、杉下穂乃果という新入生だった。
「OGの大島さんですか。〈Jファン倶楽部〉会長の」
「会長は今からこいつだよ」
ということで、杉下穂乃果は小田垣観月という〈Jファン倶楽部〉2代目会長の誕生に図らずも立ち会うことになった。
そうしてこの年、小日向純也の卒業年度にして、新入会員はこの穂乃果ただ一人だった。
そんな会は小田垣観月を中心に、今も変わらず存続していた。
小日向純也というプリンスの魅力もさることながら、小田垣観月という変わったクイーンの求心力も間違いなく働いているだろう。
(まったくお前は、見ていて飽きないよ)
それが微笑の理由ではあったが――。
観月は、円卓の向こうで首を傾げた。
「何を笑ってるんですか」
「いや。別に」
椅子にもたれれば、ちょうどかすかに西風が吹き、足元の枯葉を卓上に巻き上げた。
2
松子が中庭に、杏仁豆腐と温かいジャスミン茶のポットを運んできた。
「進物はレジ横に、丁寧に包んで用意してあるさね。帰りに言っとくれ」
「ありがと」
言って、掬いたての杏仁豆腐を小振りのレンゲでひと口。
杏仁の香りが高く、甘みが優しい。
要するに、旨い。
そう褒めると、松子は細い目を閉じるほどにして、多分笑った。
「当たり前さね。うちの旦那の手作りだよ」
そう。出会えるのはレアだという松子の旦那に楓は1度も出会したことはないが、間違いなく1流の菓子職人だということは、どの菓子を食しても明らかだ。
――子供がいないんでね。菓子が子供のようなもんさね。手を掛けて、美味しく作るさね。
そんな呟きを聞いたことがあった。
――それをまあ、こっちは売るのが仕事だけどさ。イナゴの襲来みたいに食い尽くすのがこいつさね。
と、同じ場所で中華菓子を貪り食う観月に、松子が指を突き付けたのは今年の5月のことだったか。
会長を打診した後、就任祝いに何か奢ってやると言ったら、観月が指定したのがこの、本郷裏の名店〈四海舗〉だった。
なかなか通な女だ、とそのときは一瞬だが感心したことを思い出す。
そういえば、その日が仏滅だということを知るのは、松子が騒いでいたからだったか。
「なんかあったら呼ぶさね。注文ならすぐ来るから」
お盆を手に、松子が背を向けた。
楓はポットからジャスミン茶を茶器に注ぎ、ひと口含んだ。
温かさが舌を解すようだ。
「そう言えばさ。観月」
「はい」
ここから、2つある本題について、徐々に足を踏み入れる。
「お前、最近銀座でさ。何かしてないかい?」
表情は変わらないが、観月の背筋が一気に伸びた。
「さて、なんのことでしょう」
噓がつけない女だ。
いや、それ以上に――。
「あちゃ。それをなんで、あんたが知ってるさね」
昔から聞かなければ何も答えないが、聞かれたことには真正面から全部答える正直婆さんがまだ中庭にいた。
「やっぱりね」
「わははっ。じゃあ、ごゆっくり」
松子が小走りにそそくさと去る。
観月は小さく溜息をついた。
「先輩、なんで知ってるんです?」
「総務省と財務省に、在学時代に可愛がってやった連中がいてね」
観月が黙ってこちらを見ているので、楓は言葉を繋いだ。
「どっちも先輩って言えば先輩だ。お前の知らない男たちだよ」
言えば、観月は開きの大きい目の中で、それとわかるほど黒目を動かした。
「ああ。可愛がったって言うのはその、言葉通り、ですか」
「お前が何を考えてるかはひとまず措いとくとして、言葉通りって言えばその通りだよ。でも、幅は広いけどね」
「はあ」
「で、いろんな意味で従順なそいつらが言ってた」
曰く、
――銀座の資生堂パーラーを食い尽くす、〈同伴〉女がいる。
――銀座で半グレ相手に大立ち回りを演じた水商売の女がいる。
――宝生先輩の店に、〈アイス・ドール〉と呼ばれるホステスがいるという。
「なんて話を総合するとさ。あたしにはお前以外考えられないし、そんな女が他に何人もいるなんて想像出来ないんだけど」
観月は特に答えず、また黒目を大きく動かした。
本当に、感心するほど噓がつけない女だ。
「それにしても、なんでまたそんな」
「そんなっていうか、まあ、真面目にバイトなんですけどね」
観月は首を竦めるようにして頭を掻いた。
楓は左の掌を振った。
「いや、職業に貴賤を付けるわけじゃないよ。ただ、なんでお前が銀座にって、そこが疑問でね」
「キャリアには生活圏だと、宝生さんが言ってました。だから、銀座を知っておいた方がいいとも。それに乗っちゃった感じではありますが」
「キャリアには生活圏ね」
楓はジャスミン茶をゆっくり、もうひと口飲んだ。
「まあ、あながち間違っちゃいないけど。あんまり逸話を残すと、これはあんたの場合に限ってだろうけど、後が大変な場所でもあるね」
「了解です。――それで今日は」
「お前が提案した、ラストサロンについてさ。聞いとこうと思って」
これがまあ、本題の大きな1つであるのは本当だ。
「どう進めるって?」
「そうですね。まず打ち合わせは、年が明けた来年1月のですね、最後の大安の日にしましたけど」
ここで言う打ち合わせとは、純也本人も交えた少人数での、極々短時間だが夢の時間のことを指し、この少人数とは、会長の観月以外は常にクジ引きで決められる運と不運、悲と喜の分かれ目のことを指す。
「最後の大安ってことは」
「27日です」
「いいのかい? その頃はお前はまだ、学年末の試験中じゃないか」
聞いてみたが、聞いている途中で愚問だということを思い出す。
相手は超記憶の女だった。
「私にはなんの問題もありません。それに、大安ですから」
「あっそ」
「でも、今回も当たった強運の真紀は、あれです。なんか吼えてました」
「なんて」
「これで試験の地獄を、正気を保って生きられるって」
「ああ。あのガテン女なら言いそうだ。で、ラストサロンの日程はいつにするつもりだって?」
「結局は小日向先輩次第ですけど、今のところ、何もなければ3月3日が第1候補です」
「へえ。桃の節句かい。なんか乙女チックでお前らしくないけど」
「3月最初の大安ですから。ちなみに、第2候補が9日で第3候補が19日。どれも大安です」
「あっそ」
楓は杏仁豆腐を口に運んだ。
やっぱり旨い。
その後、楓は観月と場所の候補の遣り取りをした。
そして最後に、楓はコートのポケットから折り畳んだ1枚の紙片を取り出した。
円卓の上を観月の方に滑らせる。
「これは?」
「見りゃわかる」
観月は紙片を広げた。
「おおっ」
一瞥し、すぐに身震いを見せた。
寒いからではないだろう。
おそらく――。
驚いたようだ。
紙片には、〈Jファン倶楽部〉OG連中の、幸せ者からの幸せのお裾分けを集計したものが書かれていた。怨念の集計ともいえる。
「10月下旬のサロンの打ち合わせのときにさ。みんなノリノリで、せこい提案したんだろ」
「あ、しました」
観月は手を打った。
――じゃあじゃあこの際、大々的に赤坂辺りのホテルのホールを借りてさ。
――えっ、そんな費用、誰が持つの?
――出させるの。社会人の会員さんから。**さんとか××さんとかって、もう彼氏がいるのよ。
――マジマジ?
――ドクターと商社マンですって。
――出させましょう。その辺からも。J様を諦めたのかしら。夢がないもの。
――そうよねえ。それが良いわよねえ。悔しいものねぇ。
誰が誰かはどうでもいいが、そんな話になったと聞く。
「その集金のお鉢があたしに回ってきてさ。冗談のつもりで聞いたんだ。そしたらこうなった。みんなの彼氏自慢かね。集金のつもりが、あたしは募金の係員みたいになっちまった。大変ねぇとか、頑張ってねぇ、とか言いやがる奴もいてよ。――観月。ラストサロン、いい席用意しろよ」
「了解しました。この額なら、小日向先輩だけでなく、楓先輩もゴンドラで登場出来ますね」
「どこの結婚式場を借りるつもりだ。丸ごと借りられる額だぞ。却下」
「残念」
「でな、そんな集計も出来たし、進捗状況を聞いとこうと思う気持ちと休みが重なったんで、ドミトリーに行ったんだ。来年入省の、なんと直々の後輩までいるし、他にも知ってるのがまだあの女子寮には何人かいるしな。そう。在学中はそんな連中んとこに勝手に潜り込んで、寮長の沢庵も随分食わせて貰ったもんだ」
「ああ。そうですよね。この世で1番あたしの沢庵を食ったのは大島だって、私も竹婆に聞いてます」
「え、一番? あ、そう。――まあ、今日もお茶請けに食ったけどね。そしたら寮長がさ。あんたはこっちだって。この時間になったのは、そんなわけさ」
楓は杏仁豆腐を掻き込んだ。
掻き込んで食べ終えた。
甘かった。
甘かったが、この後は少々、苦い話になる。
「来週はあれだ。クリスマスだな。お前は、その銀座の店かい」
聞けば、はい、と言って観月は頷いた。
「繁忙期ということで、どうしても出てくれって言われました。私としては、授業が詰まってるんで避けたかったんですけど」
「ふうん。あたしはそういう店をまだ知らないけど、きっと派手なパーティーになるんだろうね」
「そうですね。大安ですし」
「大安?」
楓は腕を組んだ。
よくわからない。
「関係あるんかい?」
「松婆はあるって」
楓は周囲を見回した。
「あの婆さんの言うことだろ。噓臭いね」
「日本人はいいことは倍々に重ねるらしいです。一粒万倍日の天赦日の大安とかになると、宝くじ売り場の行列が長くなるって」
「おっ。ちょっと納得」
「私はトナカイらしいです」
「それはさらにわからない」
「あ、コスプレ・パーティーになるんで。私のコスチュームです」
「コスチュームね」
想像してみる。
どうやっても可愛くならないが――。
(まあ。本人がいいってんならいいか)
クリスマスだし。
大安だし。
さて、クリスマス・イブの大安になると、トナカイは何になるのだろうか。
(いや。考えない、考えない)
そんな話をしに来たわけではない。
トナカイを胸に捻じ込むように納得して、楓はジャスミン茶を口にした。
※ 次回は、1/23(木)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)