北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第4回
第1峰『密命』其の参
決闘シーンこそが佐伯時代小説の華である
清之助というスターを得たことで、シリーズの主要なメンバーが出揃った。巻を追うごとに腕を上げていく清之助を見守りつつ、一喜一憂せずに読書を楽しめるようになってくる。エピソードの作り方や解決へ至る過程もそつがなく、文章もなめらか。それもそのはず、その頃になると佐伯泰英は遅咲きの新人ではなくなっているのだ。
惣三郎も踏ん張っている。最近ではもっぱら、将軍・吉宗のために汗をかくようになり、剣の冴えも相変わらずだ。娘たちはまだ嫁入り前。あっさりと老け込むわけにはいかない。
あらすじを追うのが趣旨ではないので詳細には触れないが、中盤を盛り上げるのは再び活発になった刺客との死闘だ。舞台も江戸を離れ、尾張あたりまで拡大する。これほど剣を使う場面が頻出し、9分9厘勝利を収めると知りながら緊迫感を失わないのはどうしてなのか。
たとえば、こんな場面に私はしびれる。
〈「おおおっ!」
沢渡が腹の底から絶叫すると突進してきた。
上段の剣が迷いなく振り下ろされた。
惣三郎も踏み込んだ。
豊前の刀鍛冶高田酔心子兵庫が鍛えたかます切っ先が、かがり火を背後から受けて煌き、大きな放物線を描いた。
それは、沢渡が想像もし得ない力で伸び上がってきて、上段の剣を振り下ろしつつ飛び込んできた下半身を存分に撫で斬った〉(巻之八 悲恋 尾張柳生剣)
剣による闘いは、ほとんどの場合、一太刀で決着がつく。道場での稽古を除けば、延々と刀を交わすことなど皆無に近い。双方の刃が交錯する一瞬を描くのは、ほとんど様式美の世界だ。
急成長する清之助も負けてはいない。惣三郎の息子で将軍吉宗にも気に入られていることから、刺客に狙われまくる。もちろん連戦連勝。江戸剣士グランプリで活躍してその名を知られるようになり、どこへ行っても「金杉清之助様ではありませぬか」と声をかけられて親切にされ、お返しとばかりに相手のピンチを救うさわやかさだ。
向上心に満ちた清之助は、訪れた地の道場へも積極的に顔を出す。どれほど成長しているのかを示す描写は、もはや何が起きているのかもよくわからないほどすごい。
〈清之助は横手に回した剣を一拍の間もおくことなく、鋭角に虚空に撥ね上げた。すると炎が消えて浅い湾れ刃に金筋や稲妻が入った綱光の刃に戻った。
静かに綱光が清之助の頭上に掲げられていた〉(巻之十三 追善 死の舞)
そして、感心しているうちに何ページも読まされてしまう。とにかく刀さえ持たせれば、迫力ある場面が読めるのだ。ある程度パターン化しているのは否めないが、〝お約束”がしっかりと守られる心地よさがマンネリ感を上回るのだからやめられない。
筆を尽くしてバラエティ豊かに描き分けられた決闘シーンこそ、佐伯時代小説の人気を高めた立役者だと思う。全作読破ををもくろむ私は、これからどれほどの対決場面に快哉を叫ぶのだろうか。
迷走と開き直りの先にたどりつく、誰も予想しないエンディング
順調に盛り上がるはずが……惣三郎の奇怪な行動
『密命』シリーズの中盤は、高速道路を安定走行しているような読書ができた。主要な登場人物の特徴や性格が頭に入っているので行動が予想しやすい。わざわざ心理描写しなくても、さりげない会話の端々から心情がわかるようになってくる。
清之助の修行の旅は、まだ終わる気配がなく、群がる刺客を斬り捨てつつ西国から北陸に移動中だ。
この男、まあ失敗しない。危機察知能力が父の惣三郎並みに研ぎ澄まされてきたことが読んでいてわかる。江戸で帰りを待つ家族や恋人への手紙での連絡も欠かさず、ますます模範人間ぶりに磨きがかかってきた。
そういえば、清之助は江戸を出て以来、仕事らしいことをしていない。ふと、旅費はどうしているのだろうと思ったが、日銭稼ぎにあくせくする場面が一切ないのを思い出した。ありがたいことに、全国に名を知られているため、行く先々で親切を受けることになるのだ。完全にヒーロー待遇。私としては調子が良すぎるんじゃないかと思うこともあったが、中毒性の強いアクションシーンに浸っているうちに、これでいいのだと思うようになってしまった。
汚れのない強さ、明るさ、正直さ、まっすぐに剣の奥義を求める生き方こそが清之助の持ち味。それこそが、似たようなタイプでありながら武家社会の荒波にもまれて影をまとわざるを得なかった惣三郎との違いでもあるのだ。
さわやか清之助に押され、影が薄くなりかけていた惣三郎も、第15巻で踏ん張ってくれる。この巻は、次女が西国に連れ去られるというトリッキーな展開だ。娘を救うため、将軍吉宗の力となるため、久々に大暴れする惣三郎。歳を取ったとぼやいていたはずなのに、敵を前にしたときの集中力は天下一品。このところ清之助の無双ぶりを見せつけられていたのは、惣三郎の老いを強調するためでもあるのかと疑っていたが、そうならなくて安堵した。
読者はここまで、惣三郎と長い時間を過ごし、この人物に愛着を感じている。清之助が江戸に戻る前に倒れるようなことがあったら先を読む気が失せる人が多いだろう。
第19巻、待ちに待った新展開がやってきた。将軍吉宗が、第2回江戸剣士グランプリの開催を決め、第1回で活躍したお気に入りの剣士・清之助の出場を命じたのだ。なるほど、こうすれば修行に明け暮れる若武者を無理なく呼び返せるし、物語にもメリハリがつく。
清之助が主役を張る部分は、各地を転々とする。旅の相棒となる人もそのつど異なり、騒動にも事欠かず読みごたえがあるが、ただひとつ弱点と言えるものがあった。旅の目的が修行で、どこで良しとするかは清之助の判断に任されていることだ。父の惣三郎は、ひとりの剣士として息子を認めているので口出しをしない。が、旅を終えるきっかけを吉宗が与えるなら重みは十分だ。
残りは7巻。将軍吉宗を憎む尾張勢との果てなき戦いを軸に、清之助の修行の仕上げと江戸で待つ恋人との再会、惣三郎の引退への道、娘たちの結婚など、緊張感を持続しながらハッピーエンドに向かっていくルートが見えてきた感じがする。金杉父子の強さと、けなげに家を守る妻や娘、彼らを温かく見守る市井の人々まで、大団円を祝う役者も揃った。この大長編を支えてきた人たちは、階級や貧富の差はあれ、いい人たちばかり。この後に登場する新キャラクターが、鉄壁の布陣を破れるとは思えない。
しかし、いたのである。うかつにも、私はどこか影を感じさせながら、ここまでそれをさらけ出すことのなかった人物を忘れていたのだ。
金杉惣三郎その人だ。
家族バラバラの最終盤、この物語はまとまるのか?
第1回ではダークホース扱いに過ぎなかった清之助が大本命と目される第2回大会。前回以上の規模で、全国から猛者を募ることになった。とはいえ、これだけ念入りに修行を積み、修羅場をくぐらせた若武者が簡単に負けたのでは読者が納得しない。
大変な思いをしながら勝ち進み、誰もが納得できる形で主役の新旧交代を果たしたところで最終巻を迎える。娘たちの結婚式で男泣きする惣三郎や、純情青年の清之助が恋人と結婚して迎える初々しいラブシーン。よくありがちな締めくくりだが、佐伯泰英ならきっとうまくまとめてくれる。
『密命』シリーズ完結まで16年。重版さえ未経験だった作者は、いまや平成を代表する時代小説のベストセラー作家になった。第1巻が出た当時は寂しかった書店の時代小説棚には、いまや毎月新刊があふれんばかり。時代小説ブームをけん引し、文庫書き下ろしの出版形態を定着させた功績は計り知れない。
その佐伯泰英が『密命』シリーズを大事に思わないはずがない。とびきり入念に考えを巡らせて、読者を頂に導いてくれるのではないか。私は疑うことなく、山頂が迫る8合目以降の快適な登山を思い描いていたのだった。
ところが第20巻の第5章「尾瀬ケ原の靄」で、粗削りながら素質豊かな桂次郎という若者と稽古をした後、長老にかけられた言葉ですべてが変わる……。
〈「あの者を清之助の好敵手に育て上げるには尋常一様のことでは済むまい。そなたも身を捨てる覚悟が要ろう」
惣三郎の胸に佐太夫の一語一言が響いた〉
どうして清之助の好敵手を惣三郎が育てるのか。説明らしきものがないまま話が始まり、ほんの数行で、完全に流れが変わったことだけが読者に知らされるのだ。
〈奥山佐太夫が車坂の石見道場を訪れた翌日から、神保桂次郎の姿を石見道場に見ることはできなかった。
そして、金杉惣三郎も上覧大試合の世話役を辞する書状を老中水野忠之に宛てて残し、芝七軒町の長屋から忽然と姿を消した〉
その後、場面は清之助のいる尾瀬ケ原に切り替わり、やはり説明は皆無。読者はいったん置き去りにされてしまう。なんなんだ、この父子は。惣三郎まで桂次郎を連れて修行の旅に出てしまったではないか。
勘の鈍い私でも、佐伯泰英がもうひとつギアを上げて、終盤の盛り上げにかかったことはわかるが、惣三郎の心の変化にいまひとつついていけないのも正直なところだ。一家の長という立場を放り出して家族は、江戸の暮らしはどうなる。妻のしのや、ふたりの娘が何をしたというのだ。
シリーズ化が決まると、佐伯泰英はこの物語を家族小説にしたいと考え、実際にそうしてきた。中盤までには体制が整い、家族のどこからでも枝葉を伸ばしてエピソードを紡ぐことができるようになっていたと思う。そこから主軸として選ばれたのが、剣術を極めんとする清之助。この方針は以後、ブレることなくここまで継続され、読者も喜んでついてきていた。
惣三郎には長期間に及ぶ「密命」からの解放というゴールがある。清之助には大会で優勝して父に認められるというゴールがある。そこへたどりつくには、ふたりにもうひと暴れしてもらわなければならない。私は『密命』に決着をつけるため、父と息子が一緒に行動する機会を温存しているのではないかと考えていた。これは絶対に盛り上がるし、最後を飾る大会へのスムーズな流れを作ることにもつながるだろうと。そうした妄想が、惣三郎の勝手な行動で棚上げになってしまったのだ。
どうしてくれる惣三郎、いや佐伯泰英。そしてどうなる、『密命』シリーズのたどりつく先……。
『密命』のラストにこめられた思いとは
糸の切れた凧となり行方をくらました惣三郎はどんどん無口になり、心を閉ざす。桂次郎に対してもそうなので、弟子が心情を代弁することもない。
必然、物語を前に勧めるエンジンは清之助が担う。こちらは常に安定している上、惣三郎の出奔についてもよく知らず、活きのいい太刀裁きで引っ張って行ってくれる。大会への出場と、優勝という目標ができたことで、旅の終わりも見えてきて、かつて稽古を重ねた道場で、技の仕上げにかかっていく。
江戸の家族は、待てど暮らせど音沙汰のない惣三郎を思いつつ呆れている。妻しのなど、惣三郎のことはもうあきらめたと言わんばかりの態度で、娘たちの気持ちを前に向わせようとするのが痛々しいほどだ。
しのが、愛する惣三郎は家族を捨てて悔いがないほど剣術に取り憑かれ、その〝病”は生涯治ることはないと見抜くまでの葛藤は、シリーズ中でもっとも胸を締めつけられる場面だろう。
しかし、自らが育てた最強の弟子と、最愛の息子を将軍が見守る晴れ舞台で対戦させるという惣三郎の野望はおさまる様子もなく、山ごもりする弟子を隣の山からこっそり見守るという、わけのわからない行動を取らせるまでになるのである。しかも、数巻にわたって説明らしいことはないままだ。
想像にすぎないが、老境を迎えた剣士を突き動かす意志の強さは、佐伯泰英自身の想定さえ上回ってしまったのではないだろうか。よく小説家が口にする、登場人物が勝手に動き出すというやつだ。
どうなってしまうんだ惣三郎。なんとかしてくれ清之助。息を呑んで見守るしかない読者をあざ笑うように、千載一遇のチャンスだった仙台で、清之助の姿を見るや姿をくらます惣三郎と桂次郎である。
同じ剣の道を選んだ父と息子。子が親を超えようとするテーマはよくあるが、親を超えようとする息子に対して、父としてではなく、剣士としての関係を優先させる父がここにいる。
もう無理だ。この大河剣豪小説に、絵に描いたようなハッピーエンドは訪れないと、読者も覚悟を決めるときがきたようだ。
大会という節目に向って、剣豪たちが江戸に集結してくる。清之助も実家に戻り、惣三郎不在のままの一家団欒の時間を過ごす。それぞれが哀しみをいったん忘れ、明るく描かれるこの場面は深みがあって胸が締めつけられる。
最後に惣三郎たちも江戸に帰り、雌雄を決する大会が始まる。そのクライマックスがどうなるか。惣三郎は、桂次郎は、清之助は、家族たちは、藩主との絆は。読み通してきた読者ならいろいろ想像してしまうだろう。
ここでは、結末は書かない。こんなに意外で、それなのにガッカリしないエンディングは、予備知識なしで読んで欲しいからだ。おそらく、数あるシリーズの中でも屈指の、奇妙な味を持つ終わり方であるはずだ。もしかすると、作者自身も、書き上げた最終巻を読んで「こんな話になるなんて」と思ったかもしれない。私の感想を一言だけ記すならば、こうなる。
佐伯泰英、まんまとやってくれたよ!
※ 次回は、6/8(土)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)