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吉川英梨『新人女警』第2回

新人女性警官が未解決の一家惨殺事件に挑む! 二転三転する容疑者、背後で暗躍する指定暴力団、巧妙に張り巡らされた伏線――。ラストに待ち受ける驚愕の真犯人とは!? 警察小説の新たな傑作誕生!!


 エミは特に体の異常はなく、八王子署に戻った。源田が地域課フロアで、日報を書いていた。エミを見て心配する。
「もう大丈夫なの」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、そこまで虫が苦手だと知らなくて、ごめんね」
「いえ――虫が苦手なわけではないんです」
 源田のデスクには、件の箱があった。耳を澄ますと確かにチリチリと音が聞こえる。
「もう一度、見せてもらってもいいですか」
「いいけど、倒れないでよ」
 エミは箱を開けた。箱の底に桑の葉が敷き詰められている。蚕は大きいものでエミの人差し指くらいの大きさがあった。
「全部で四匹いますね」
「四頭ね。蚕は『頭』で数えるんだよ。そして正確には七頭」
 源田が葉を捲ると、縁や裏側にも蚕がいた。最小のものは鉛筆の芯ほどしかない。
「源田さん、詳しいですね」
「八王子はまたの名を桑都、養蚕品の生産や流通で栄えた街なんだ」
 かつては甲州街道の宿場町でしかなかった八王子だが、明治時代に養蚕業が盛んになると、海外へ絹製品を出荷しぼろもうけをする絹商人が八王子に現れた。横浜に通じる現在の国道16号付近は「絹の道」「シルクロード」と呼ばれる。当時は絹製品を扱う繊維工場がたくさんあった。
「蚕は八王子が発展する基盤になったものだから、八王子市内の小学校は蚕を育てる授業があるんだよ。五月ごろから育て始めて、六月に繭になったら一斉に大鍋で煮たもんだ。いまは冷凍庫に入れておくんだったかな」
 源田は、小学生の忘れ物であること、いまは市内の小学生が一斉に蚕を育て始める時期だということ、チリチリという音から、中身が爆弾ではなく蚕だと気づいたようだ。
「夏休み明けに繭から糸取りをして、絹糸をつむぐ。自分が育てた蚕の絹でそれぞれ作品を作るんだよ。僕は割り箸を立体に組み立ててランプシェードを作ったんだけど、生糸をうまくとれなくて、スカスカだったなー」
 源田は箱の側面を見せた。『3年1組 田中はると』とペンで書かれていた。
「市内の小学生の忘れ物で決定ですね」
「いまのところ遺失物の届けは出てないよ」
 箱の中には桑の葉以外に、トイレットぺーパーの芯が入っていた。
「これは蚕の寝床ですか?」
「繭を作りやすくするために入れているんだと思う」
 大きい蚕を指さした。
「こいつが恐らくもう五齢だ。食べるのをやめて頭を左右に振るのが繭を作る合図だ。箱の隅や葉っぱの隙間に繭を作られたら、絹を取りにくくなるから、トイレットペーパーの芯の中に入れてやるんだ」
 ステレオタップコーヒーで少年が段ボール箱の中を気にしてニヤニヤしていたのは、繭を作りそうな蚕がいたからだろうか。母親は単に電車の時間を気にしていただけか。
 エミは椅子に座り、箱の中の蚕を見つめた。なぜ蚕を見て突然十一年前の事件現場がフラッシュバックしたのだろう。
 隣の源田は箱の中身を見て、心配し始める。
「桑の葉がもうしおれてきちゃってる。新鮮な桑の葉を取ってきてやんないと」
 そういえば、と源田は懐かしそうに言う。
「蚕は毎日自宅に持ち帰って飼育、もちろん餌の桑の葉も自分で探しに行くんだよ」
「学校が配らないんですか?」
「桑都なんだよ、ここは。桑の木はそこらじゅうに生えてるよ。休憩中に浅川沿いを散策してみるか。桑の木があるはずだから」
 八王子警察署は八王子市のちょうどおへその部分、元本郷町というところにある。かつては八王子駅の北側、元横山町に庁舎があったが、二〇一七年に移転した。人出が多い駅周辺や、市内最大の通りである甲州街道からも離れた、浅川沿いだ。北浅川と南浅川の合流地点に近く、河川敷には豊かな緑が残っている。
「私が桑の葉を探してきます」
 掛け時計を見る。十七時を過ぎていた。
「ビラ配りは? 今日は大切な日なんだろ」
「桑の木が見つかれば、あの事件に関してなにかわかる気がするんです」
 源田はぽかんとしていた。
 
 エミは巡回用の自転車で署を出た。浅川にかかる鶴巻橋を渡り、秋川街道の東楢原の交差点を右折した。武工学院大学や創形大学を抜けると目の前に緑豊かな滝山丘陵が見えてきた。広大な森とオレンジ色の屋根の連なりが見えてくる。
 アザレアおおるり台だ。
 滝山街道を折れて路地に入る。日暮れにはまだ早い十七時半、欅の木々が緑のトンネルを作っている。アンテナをつけた中継車がずらりと並んでいた。アザレアおおるり台事件から十一年の今日、夕方のニュースで現場から中継するのだろう。
 楓から電話がかかってきた。
「エミ、どこにいるの。ビラ配りの時間だよ」
「――ごめん。手があかなくて」
「ステレオタップコーヒーの爆弾騒ぎ? 中身は虫だったんでしょう」
 楓はエミが卒倒して運ばれたことを知らないのだろう。呑気な調子だった。
「ただの虫じゃない。十一年前のアザレアおおるり台事件につながる虫かもしれないの」
 エミは電話を切り、アザレアおおるり台の敷地内に入った。各棟を結ぶように洒落た石畳の小径が続く。小径からそう離れていない場所に、桑の木があるのではないか。
 ――あの日、殺害されてしまった琉莉は、小学校三年生だった。源田の言う通りなら、転校してすぐに蚕を飼うことになったはずだ。
 エミは今日、ステレオタップコーヒーで卒倒した瞬間の記憶を呼び戻す。蚕を見て突然記憶に蘇ったのは、立花家の上がり框に敷かれた玄関マットだった。エミは当時、入るのを躊躇していたが、玄関先にいた白い幼虫に驚いて飛びのき、中に逃げ込んだのだ。
 ――あれは蚕だった。
 エミはそのことを今日になって思い出した。室内の光景が衝撃的すぎて、玄関先にいた蚕のことなど忘れていた。警察がかけつけたときには、桑の葉を求めた蚕は建物の裏の雑木林に入っていったのだろう。蛾の幼虫が現場にいたところで、警察官は気にもとめなかったかもしれない。
 エミはアザレアおおるり台2号棟周辺に桑の木がないか探し歩く。ごみ集積所があった。八王子はごみの分別が厳しい。資源ごみも、ペットボトル、ビンとカン、紙、段ボール、紙パックと、かなり細かく分別ルールが決まっている。そのルールを絵柄で記した看板が取り付けられていた。
 エミはスマホで源田に電話を掛けた。
「源田さんって八王子の生き字引ですよね」
 とりあえずおべっかから入る。
「まあ、僕をそう呼ぶ人は多いね」
「ならば、二〇一二年の五月二十三日水曜日、もしくは二十四日木曜日、おおるり台地区は、なんのごみ収集日だったかわかりますか」
 調べてもらおうと思ったのだが、源田はあっさり答えた。
「おおるり台地区の収集パターンはずっと変わっていないはずだよ。第四水曜日は収集が休み、翌日の第四木曜なら、紙ごみと缶ごみだね」
 エミは礼を言って電話を切った。ごみ集積所の先にようやく、桑の木を見つけた。
 エミの背丈を超すほど高く太い幹は、豊かに桑の枝葉を茂らせていた。桑の木の根を覆いつくすように群生する、紫色の花に目が留まった。小ぶりで控えめだが、鮮やかに発色する。あの日、現場に落ちていた花と同じだ。
 立ち上がり、エミは確信する。
 容疑者を絞り込めるかもしれない。
 
 八王子警察署の駐輪場に自転車を置いた。日が落ちたとはいえ、五月の陽気の中で自転車を三十分近く漕いだら、汗がどっと出てきた。今日の八王子警察署はロビーにもマスコミがいるので、身なりに気を使う。記者やレポーターはみなビラを手に持っていた。
『忘れないで! 八王子おおるり台女性三人殺害事件から今日で十一年』
 エミは地域課へ行き、源田のデスクの上に置きっぱなしになっていた蚕の箱を開けた。古い桑の葉を取り出して、新しい葉を入れる。七頭の蚕たちが一斉に飛びつき、チリチリと音を立てて食みはじめた。
 エミは四階にある小会議室に向かった。『八王子おおるり台女性三人殺害事件 特別捜査本部』の垂れ幕がかかる。事件発生から三年ほどは、大会議室に特捜本部はあった。年数が経つごとに人数が減っていき、現在は八人の専従捜査員がいるのみだ。
 今日は事件発生からちょうど十一年、小さな会議室では入らないほどの人が捜査本部に集まっていた。かつては専従捜査員だった者や有志でかけつけた刑事たちは、駅前でビラ配りを終えて戻ってきていた。楓の姿もある。
「起立!」
 専従捜査員八名のトップに立つ、矢橋警部が号令をかけた。この特捜本部の長だが、今日は警視庁本部から刑事部長や捜査一課長が顔を出しているので、司会進行に徹しているようだ。最前列には他の専従捜査員七名が並んで座る。他、集まった刑事や関係警察官らが一斉に立ち上がったとき、床が振動で揺れる。
 その気合は十一年間も空回りしている。新証拠が出たとしても『時間経過』という壁に阻まれて、捜査が進展することはない。この手の専従捜査員に捜査一課のエースが配属されることはないし、希望して入ってくる者もめったにいない。
 そんな中で、「我こそは」と手を挙げ、二十六歳で刑事になって以来ずっとここで専従捜査員をやっている者がひとりいる。
 間中脩平、三十五歳の巡査部長だ。最前列の左端に立っている。エミは後ろの扉から中に入り、椅子には座らず、会議を見守った。
「黙祷!」
 捜査本部の大時計が、事件発生時刻である十九時四分を差した。エミは男たちの中に埋もれながら制帽を取った。
 いま目を閉じたら、あのときエミが五感でとらえた全てが蘇り、心が壊れそうだ。ぐっと歯を食いしばり、目を見開いていた。
 黙祷が終わり、号令の後、一同が椅子に座った。間中が壇上に立ってマイクを握った。白い壁に、プロジェクターで三つの遺体の画像が映し出された。
 八王子警察署の若手は目を逸らした。楓も俯いてしまう。当時、楓は十二歳――どういう状況下で、転校した親友が惨殺され、それを別の親友が発見したと、知ったのだろう。楓は第一発見者であるエミの心情を慮ってか、自分が当時どう感じたかを口にしたことはなかった。
 間中がマイクを握る。
「私はこの事件当時は交番巡査として勤務し始めたばかりの二十四歳でした。通報を受けて最初に駆けつけた警察官でもあります。当時、アザレアおおるり台201号室の惨状を目の当たりにしたときの衝撃は……」
 間中はそこで口ごもり、しばらく言葉を紡げない。
 
間中脩平、二十四歳の回想
 
 二〇一二年五月二十三日、間中脩平は十五時勤務開始の第二当番、夜勤だった。おおるり台交番の休憩室で人気中華店『新京亭』の出前を先輩と食べていた。安くて早くてボリュームがあり、二十四時間営業なので警察官にはありがたい店だ。
 間中は夕刊を捲り、ため息をつく。
「震災から一年経ったとはいえ、原発事故は収束していないのに新聞もテレビのニュースも取り上げなくなってきましたね。東京スカイツリーの紹介とかもうすぐ皆既日食とか、どうでもいいですよ」
「そう言うなよ。うちの子は皆既日食観察セットを買ってきて楽しみにしてんだから。そんなに東北が気になるなら、警備関係の先輩を紹介しようか? 再来月には震災派遣だと言ってたよ」
 是非に、と間中は胡座の足を正座に変えて、先輩を拝む。
「いいの? 絶対に機動隊に引っ張られるよ」
 機動隊は万が一の騒乱や災害のときに最前線に立たされる『ザ・肉体労働』の隊なので、配置を嫌がる人が多い。
「機動隊は本望っすよ。俺の祖父は六〇年代の安田講堂事件のときに――」
「放水してた人?」
 先輩は大笑いした。間中は不愉快になる。
 署の地域課から至急報が入った。一一〇番通報が入ったときに、地域課を通して受持区の交番に一報が入る。おおるり台交番は街道沿いなので、交通事故やトラブルの通報がほとんどだ。滝山丘陵でイノシシの目撃情報があり、さす股と網を持って出動していったのが、間中が配属されて以来唯一の大きな事案だった。無線に出る。
「こちらおおるり台交番、どうぞ」
「こちら地域課連絡係。一九二五、おおるり台三丁目二十四番地五の集合住宅アザレアおおるり台敷地内2号棟前私道にて、血のついた足跡があると通報あり」
 間中は棚から八王子管内の地図を出し該当箇所を見つけた。
「とりあえず臨場します」
 通報者の情報をメモし、出動準備をした。先輩は五目ラーメンを必死にすすっていた。
「野生動物かなにかでしょう。俺ひとりで臨場しますから、ごゆっくり」
 間中は自転車で北へ向かい、滝山街道を渡って、滝山丘陵のふもとまでやってきた。アザレアおおるり台入り口のアーチをくぐり、敷地内の看板を確認しながら2号棟を目指す。老人と、赤ん坊を抱っこした若い女性が待ち構えていた。
 老人は管理組合の理事長で、子連れの女性は203号室の住民、鎌田涼香と名乗った。十九時四分ごろ、窓の外から人の怒鳴り合う声がしたので玄関の外に出てみたが、誰もおらず、血のついた足跡だけが残っていたという。
 間中は懐中電灯をつけ、鎌田涼香が指さす地面を照らした。確かに血のゲソ痕があった。間中と同じ二十七センチくらいだ。
 間中はゲソ痕の背後にあるアザレアおおるり台2号棟に向き直る。目の前は201号、立花と表札が出ている。察したかのように管理組合の老人が言った。
「立花さんは黒塀通りの芸妓さんなの。客とトラブルでもあったのかな」
「黒塀通りというのは……」
「三崎町の方にある、お座敷遊びができるところだよ。警官でも、若いあんちゃんは知らないか」
 三崎町を含むJR八王子駅北口の西側エリアは東京都西部最大の繁華街で、風俗店も多い。一歩路地に入ると怪しいパブやスナックが建ち並ぶ。
「202号室の方は?」
 表札が出ていなかったが、ガレージは開けっぱなしで車はなく、引越屋の名前が入った段ボール箱が積みあげられていた。明かりはついていない。
「ここはつい一週間前に越してきたの。なんて方だったか……」
 間中は血のゲソ痕を踏まないように歩きながら、懐中電灯で足跡をたどった。
 201号室の門扉から続いているようだが、小径のすぐ脇で途切れていた。ここでクルマに乗って立ち去ったと考えるのが自然だ。門は閉まっていたが、階段の途中に置かれた植木鉢がひっくり返り、土が散乱していた。玄関は閉ざされ、沈黙している。間中は住民二人に室内に戻るように伝えた。
 二人を見送った後、無線で続報を入れた。交番の警察官に貸与される端末、Pフォンに地域課長から、電話がかかってきた。
「おおるり台交番の全員に応援に行くよう指示を入れた。署の刑事たちはいま出払っていて二十分はかかる。201号室から人の気配は?」
「ありませんが、明かりはついています」
「外から中の様子がわかるか」
「いえ、入ってみます」
 間中は帯革の拳銃に手をかけながら階段をあがり、玄関の扉を引いた。指紋を消さぬように、白手袋を取り出す。嵌める余裕はなく、ハンカチのように包んで扉を引く。
「こんばんは……」
 上がり框の玄関マットは血と泥で汚れ、廊下にも血のついた足跡が大量に残っていた。息を吸ったときに血のにおいをまともに嗅いでしまい、吐き気がせりあがってきた。必死に唾を飲み下し、こらえた。
「誰かいますか」
 間中の問いに呼応するかのように、ギイと扉があくような音がした。
 少女のすすり泣きが聞こえてきた。
 現場保存の原則を忘れ、間中は土足で室内に飛び込んだ。リビングには生きている者の気配はない。間中に絶望感が広がった。Pフォンで地域課長に一報を入れる。
「少女が二人倒れています。亡くなっているようです……」
 感情を押し殺し、できる限りの情報を伝える。
「ソファの下に小学生くらいの女児が倒れています。顔の下に血だまりがあります」
 首に触れた。まだ温かいが脈は感じなかった。なるべく現場を荒らさないように、もう一体のテレビの前に倒れている少女の脇にしゃがむ。こちらはあおむけで瞳孔が開いている。脈を測るまでもなかった。
「もう一人、おおるり台中学校の制服を着た少女が亡くなっています。額に銃創あり。着衣に乱れは見られませんが……」
 薄桃色の下着が膝までおろされていた。見たままを報告する。
「脚の間にはトイレットペーパーの芯が落ちています。ご遺体周辺には紫色の花が散らばっています」
 花瓶は室内に見当たらない。争ったような形跡もない。不可解な場所にトイレットペーパーの芯が落ちている上、紫の花が散らばっている。犯人が現場を装飾したのか。
 少女のすすり泣きはどこから聞こえたのだろう。居室の隣のキッチンに入った。ダイニングテーブルにはおおるり台中学校のプリントがあった。コンロの大鍋からはカレーのにおいがした。
「誰かいますか!」
 間中は声を張り上げ、二階に向かった。階段の途中で大量の水がこぼれていた。バケツもひっくり返っている。もともとここにバケツがあったのか、誰か階段で水を張ったバケツを落としたのだろうか。水を踏まないように大股で階段を上がった。二階は和室と洋室が並んでいる。四畳半ほどの和室は整然としていた。
 洋室に入った間中はしばらくその現場を冷静に観察することができなかった。
「間中。どうした。報告しろ」
 電話越しに課長から促される。吐き気を抑えたら涙があふれそうになった。
「洋室のベッドにもう一体ご遺体があります。損傷が激しいです。両手足をベッド枠に拘束されています」
 三十代から四十代くらいの女性だ。長い黒髪は激しく乱れ、周辺に大量の髪が抜け落ちていた。汗の滲んだ顔に黒髪が張り付いている。その隙間から見える瞳がシャンデリアの下がる天井をカッと見据えている。一階居室で亡くなっていた中学生の少女とよく似ていた。
「母親のようです。着衣が乱れていて、下腹部がズタズタになっています……」
 稚拙な言い方しかできなかった。陰部は肉が捲れ上がったり、穴があいたりしていて、大量に出血している。血のにおいに混ざり、硝煙のにおいも残っていた。陰部に何発か銃弾を撃ち込まれたのではないか。ベッドの下には割れた皿が散乱していた。
 一階と二階では、全く別の殺人現場のようだった。一階は殆ど乱れがなく少女二人が静かに死んでいた。洋室はいまなお殺され続けているかのような絶望感がある。
 少女がしゃくりあげる声がした。
 間中ははたと顔を上げた。どこにいるのか。地域課長に伝える。
「生存者を探します」
「生存者はいないはずだ。アザレアおおるり台201号室の住民情報が入ってきた。居住者は母子の二名のみ。立花正美、三十五歳と、娘の飛鳥、十五歳だ」
 間中は混乱した。
「では、眼鏡をかけていた小学生くらいの少女の遺体は?」
「誰だかわからない。間中、いったん外に出ろ。それ以上現場を荒らすな。本部捜査一課も動き出すだろう。一家惨殺事件として八王子署に捜査本部が立つはずだ」
 地域課長は声が震えていた。このような大きな事案を扱ったことがないのだろう。
 ――ふぇ~ん。
 間中はPフォンを耳から離した。階下だ。間中は階段を駆け下りた。
「どこにいるんだ、警察です!」
 うっ、うっ、としゃくりあげるような声が聞こえてきた。一階に下りて玄関の上がり框に立ち、ようやく、半地下に続く階段に気がついた。室内からガレージに下りられる階段があったのだ。少女の泣く声は下から聞こえる。
「いま行くよ!」
 階段の電気のスイッチがどこにあるのかわからない。間中は懐中電灯を灯し階段を駆け下りた。半地下には新聞を広げたくらいしかスペースのない狭い廊下と、扉が二つある。右側の扉から開けた。ガレージだ。メルセデス・ベンツのAクラスが駐まっていた。もう一方の扉を開ける。四畳半くらいの洋室だった。窓はなく、物置部屋として使っていたようだ。三方の壁に棚がとりつけられ、箱が並んでいた。ルイ・ヴィトン、シャネルなどのロゴが入った箱から、ウェッジウッド、ノリタケなどの箱も納められている。突き当たりにクローゼットがあり、少し開いていた。
 間中はクローゼットを開ける。小学生くらいの女児がぺたりと座り込んでいた。間中は無我夢中で少女を抱き上げた。この死の家で唯一息をしている、小さな存在だった。