
桜井美奈『復讐の準備が整いました』第4回
由利は1週間もすると、部室でイラストを描き始めた。漫画本は持ち帰ることにしたらしく、その代わりに放課後は、タブレットで絵を描いている。
一目見て、葵よりはるかにうまいことを知った。
「凄い! プロみたい」
短いスカートを穿いた少女のイラストは優しい色使いで、感情が伝わってくるくらいイキイキとしている。かわいらしく、躍動感に溢れていて魅力的だ。
「これ全部、タブレットで描いたの?」
「はい」
「慣れれば、私でも描けるようになるかな」
由利の手元を見ていると、葵が鉛筆で描くときと同じように手を動かしている。
「できますよ。線の太さとかも、ペンと同じように、力の加減で表現できますし、ペンの種類を選択して、変えることもできますから、アナログより便利だと思います」
「そうだよね。1度そろえちゃえば、材料を買い足す必要もないし。だけど、初期費用が……」
「中古には、抵抗ありますか?」
「ううん、全然アリだけど、それでも安くはないでしょ? スマホで描くのはできないのかなあ」
「できるみたいですけど、画面が小さいから見づらいって聞いたことがあります」
「だよね。それは想像できる。あーあ、夏休みにバイトしようかな……」
葵の通う高校はバイト禁止だが、ナイショで働いている生徒がいないわけではない。とはいえ、本体だけでなく、漫画を描くためのソフトも必要になる。必要な金額のすべてをまかなうには、かなり時間がかかりそうだ。
「由利が今描いているのは扉絵?」
「違います」
漫画を投稿するとき、タイトルが入る扉のページとして、1枚目はセリフのないイラストを描くことが多い。そして今、由利のタブレットに表示されている絵は、1枚の紙を分割したもの――コマを割ったものではなかった。だから、扉絵を描いているのかと思った。だが違ったようだ。
「漫画は描かないの?」
「はい」
「描いてみればいいのに」
「描きません」
思ったよりも、きっぱりとした強い口調だ。
そこに拒絶のようなものを感じて、葵は気になった。
「何で?」
「何でって……」
少し面倒くさそうにしながら、由利は手を止める。
「1枚絵と、漫画を描くのが全然違うのは、葵さんだって知っていますよね?」
「そうだけど……」
漫画は、数ページから数十ページかけて、登場人物のセリフなども含めて物語を表現する。それに対してイラストは、1枚で魅せなければならない。一般的にそこに、セリフはない。
当然見せ方は変わってくるから、表現をする難しさが異なる。イラストが上手い人が必ずしも、漫画が上手いとは限らない。その逆もしかりだ。
由利の絵は、繊細で1つ1つの線が細かい。だけど、不必要な線は1本もない。デッサンも狂いが少なく、描かれている人物に動きを感じるような、躍動感もある。
「でも由利は、漫画好きでしょ? いつも読んでいるし」
「読むのが好きなのと、描くのは違うと思いますよ。そんなことを言ったら、本沢先生だって描いているだろうし」
「描いたことあるって言ってたよ」
「ええ?」
そんなに驚くかと思うくらい、由利が激しく反応する。
「漫研復活させようと思って顧問を頼んだとき、チラッとそんな話を聞いた。大学時代に描いたんだって」
「それで?」
「扉絵含めて何とか3ページ目まで進めたところで力尽きたって。ちなみに下書きね」
扉絵を抜かせば、コマを割った漫画の原稿は実質2ページだ。物語が始まってすらいない。
漫画好きが漫画を描いてみようとする。そこまではよくある話だ。だが、それを1つの作品にして、投稿するのはまた別の難しさがあるのは、葵自身実感していた。
「私も、早く2作目を投稿できるようにしないと」
「ってことは、葵さんは1度投稿しているんですか?」
「うん。選外だったけどね」
しかも選評はかなり辛口だった。ただ、それは納得している。かろうじて規定枚数まで描いたが、絵の技術はもちろん、枚数を意識しすぎて、ストーリーもこぢんまりとしてしまった自覚はあるからだ。
「スクリーントーン代もかかるから、次に投稿するのは、もう少し絵も話も上手くなってからにするけど」
「デジタルにすれば、トーンや紙が不要になりますけど」
「だから、その代わり初期投資が必要だって……」
話が振出しに戻ってしまった。
「話はもう、できているんですか?」
「うん、これ!」
葵はノートを開いて由利に渡した。
物語はこうだ。
舞台は高校。勉強が苦手な生徒が、授業中何度も時計を見てしまう。授業が理解できず、集中していないせいだ。そのとき主人公があくびをする。すると、時計の針が5分戻った。最初は気のせいかと思ったが、2度、3度とすると、どんどん時間が巻き戻り、あくびと時間の戻りが連動していることに気づく。
結果、いつまでたっても退屈な授業は終わらない。終わらないから、またあくびが出る。延々それを繰り返した。
「ただね、どうして時間が戻るのか、理由が……」
「またそこですか?」
由利はあきれ顔だ。
「ちなみにその話は、どこに投稿する原稿ですか?」
「別冊少女ケーキ。知ってる?」
「はい、名前は……」
由利の顔が、あきれ顔から不安な表情に変化した。
「でね、別冊少女ケーキって少女漫画雑誌でしょ。ってことは、恋愛要素もあった方が良いと思うわけ」
葵が胸を張る。が、由利はうなずくでも否定するでもない。
「その設定に恋愛要素は厳しくないですか?」
「やっぱり、由利もそう思う?」
「はい、無理やり感があると思います」
実際のところ、葵もそうだろうなあ、とは思っていた。だとすれば、他の話にしたほうがいいかもしれない。
たとえば、問題なく付き合っていた恋人から、突然送られてきた意味深なメッセージを最後に、連絡が取れなくなって不安になる話とか(実際は、スマホが壊れただけ)、猫を拾って飼い始めたら、オマケとして家がついてきたとか、自分と顔が似ているアイドルが失踪して、突然身代わりでステージに立たせられることになってアタフタする話とか、だ。
だが、どれを話しても由利の表情は晴れなかった。
「あ、紙ヒコーキ部の話もあるけど」
「距離や滞空時間を競ったりするんですか?」
「そう! 実際、全日本紙飛行機選手権大会もあるからね。地区予選から勝ち上がった人たちが集う大会」
「本当にあるんだ……」
「高校生紙飛行機大会も、博物館もあるよ」
「いろいろあるのはわかりました。なんていうか、今混乱していますけど」
物語はまだまだある。だが、すぐに下書きに入れる状態ではないため、ここからネーム――漫画の設計図のようなものを作らなければならない。その他に、キャラクターを決め、細かい内容を詰める必要もある。
「それにしても、いったいどこで、紙飛行機大会なんて知ったんですか?」
「偶然だよ。紙飛行機を折ったけどうまく飛ばなかったから、折り方をネットで検索したの。そしたら、大会のことも出てきて」
真剣な気持ちからではない。何となく……だ。頑張っても思うようにならず、どこか遠くへ行きたくなったとき、何気なく紙を折ってみた。
葵はノートを1枚切って、簡単な紙飛行機を折った。左右対称になるようにして、翼によじれがないかをチェックすると高確率でうまく飛ぶ。定規を使って紙をこすり、ピシッとした折り目を付けるとなお良い。あとは飛ばし方だ。同じ紙飛行機でも、力加減で飛び方は変わる。
葵は立ち上がって、作ったばかりの紙飛行機を飛ばした。
すぅーっと水平に飛んだ飛行機は、すぐに壁にぶつかって床に落ちた。
「廊下の方が飛ばしやすいと思いますよ」
由利がイスから立って飛行機を拾う。片方の目を閉じて、飛行機をチェックしていた。
「ここを少し曲げたら……」
そう言って、由利は翼の後ろの部分を曲げる。
「詳しいの?」
「昔、よく作ったので」
これでヨシ、とつぶやいた由利の手から紙飛行機が離れた。が、すぐに床にたたきつけられた。
「……よく作った?」
「もう、ずっと作っていませんでした!」
少しムキになっている由利は、ちょっと子どもみたいだ。でも、可愛いと思った。
「漫研部兼紙飛行機部に改名する?」
「漫研が乗っ取られるほど入部希望者が来たら嫌です」
それはないだろう、と思ったが、葵は「そうだねえ」と、笑いながら答えた。
「それはともかく、紙飛行機で描いてみても面白いんじゃないですか? 細かい説明が必要ないので、まとめやすいと思います」
「少女漫画だよ? 恋愛要素はどうする?」
「男女で部活にしてしまうとか? 高校生クイズも、男女カップルで参加することもありますし」
「うわー、青春だねえ」
「葵さんはそれを、描こうとしていますよね?」
「うん、そう。でも、そんなキラキラしていると、自分からは遠く感じるんだよね」
スポーツドリンクのCMに出てくるような、青い空に輝く太陽。その下で汗を流す高校生。1点の曇りもない世界は、葵からすると眩しすぎて直視できない。
「ホラ。こんな狭くて、ちょっと日当たりの悪い部室で漫画を描いている人間には、似合わないでしょ? ――あ、由利は違うけどさ」
「そんなこと……ありませんよ」
葵は落ちていた紙飛行機を拾う。
由利が直したところは変えずに、もう一度飛ばしてみた。
今度はふわっと浮いた。
「漫画のことを考えているときだけは、自由になれる気がするんだよね」
葵がそう言い終わる前に、紙飛行機は床に落ちていた。
※ 次回は、2/4(火)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)