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第11回 林芙美子文学賞 受賞作が決定! 大賞受賞作の冒頭を特別公開します。

高山羽根子さん、朝比奈秋さん、鈴木結生さんと、この10年で3人の芥川賞作家を輩出した林芙美子文学賞。今年も大賞と佳作、2人の受賞者が決定しました。第11回は「アナグマ」(津田美幸)が大賞を、「燃ゆる馬」(チヒロ・オオダテ)が佳作を受賞いたしました。受賞作全文、および井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さんによる選評は3月17日に発売となる「小説トリッパー」2025年春号に掲載いたします。大賞を受賞した津田美幸さんの受賞の言葉と受賞作の冒頭部分を特別に公開します。

受賞の言葉

『放浪記』は、躓(つまず)いた時の特効薬です。頁を開くたび、これほど素直に考えを表して構わないのだと勇気づけられます。
 私にとって小説を書くことは「考える」と同義語です。寺院住職という仕事柄、人の営みのシリアスな場面に立ち会ってきました。受け入れざるを得ない様々な事象が、小説を書くことで個人的な思考の軌跡や胸の底の澱(おり)を他者と分かち合えるものに昇華する可能性に喜びを感じます。現実世界の「何でもあり」には打ちのめされることも少なくありませんが、小説もまた現実と同様、変幻自在の器ですから考え続けることは終わらないでしょう。選考に関わられた方々、さまざまな感情を喚起させてくれた現象すべてに掌を合わせます。ありがとうございました。

受賞者プロフィール

津田美幸(つだ・びこう)1963年生まれ。神奈川県在住。

■大賞「アナグマ」(作品冒頭)

 今日最後の客を乗せたマイクロバスが正門を出て、走り去った。
 わたしは頭を上げ、腰を伸ばす。帰って行ったのは生前見学会の参加者たち十五名で、村内にある老人ホームに親を預けている人たちだ。
 見送っていたわたしの左右から、木田と井田が駆け出す。彼らはようやく自分の身体を取り戻したらしい。門扉を閉めるために急ぐ理由はないのだが、走りたくなる気持ちはわかる。利用者が館内にいる間は厳粛でなければならない。動作や発声が抑制される。業務が終わると大きく身体を動かしたくなるのだ。取り残されたわたしは二人の見分けがつかない後ろ姿を眺めながら、先ほどまでぴんと伸ばしていた膝頭の力を緩めた。背が少し縮んだ気がした。五十六にもなれば、身長は年々じわじわと縮んでいるに違いない。門扉は長身の二人よりも更に高い。敷地を囲むロートアイアンの柵と変わらない高さだ。柵の内側には等間隔に植えられたドイツトウヒや、アジサイ、ドウダンツツジなどの植栽が夕陽に照らされている。ドウダンツツジは半分くらい紅葉が始まってきた。
 左右の門柱の脇に折りたたまれていた門扉を、木田と井田はそれぞれ引き伸ばし、中央に持ち寄る。二十代の細長い影がアスファルトの路面に流れ出す。彼らははとこ同士だと聞いているが、遠目で見ていると一卵性双生児のようだ。
「お疲れ様でした」と互いに言い合い、わたしたちは三方に分かれる。木田は喫煙所、井田はたぶん自動販売機、わたしは業者控室に向かう。
 エントランスから炉前ホールを横切り、階段を速足で上がる。わたしの身体も自分のペースを取り戻したがっている。上って突き当りの、二階の西の角部屋が業者控室だ。二階は静まり返っていた。今日は友引だった。友引の利用は少ないから業者もいない。
 ドアを開ける。十畳ほどの部屋に入った途端に肩の力が抜けた。建物は山影に浸食され光は消え、ただ生暖かい西日の余韻だけが気だるく残っている。上着を脱ぎ、パイプ椅子の背に掛ける。スマートフォンのショルダーストラップを外す。十月に入ったというのに相変わらず気温が高い。檜扇村は涼しい土地だと聞いてきた。ここでこんなに暑いのなら街では半袖が着たくなるだろうと思いながら、とりあえず今日の業務が無事に終えられたことに安堵する。ロッカーを開け、ノートパソコンを取り出す。業務日報を書くために椅子に腰掛ける。壁の時計を見上げると五時十五分だ。スマートフォンの呼び出し音が鳴る。森村だ。
「明日の十五時の中島様、やっぱり付き添いなしに決まりました。十時の宮川様は予定通り喪主様お一人ね」
 忙しそうにいきなり喋り出す。
「お骨は両方とも慰霊塔ですね?」
「そ。変更なしです」
「承知しました。ちなみに宮川様は自家用車で来場でしたよね?」
「そうです。真っ赤な車でご来場だそうで、それをお気になさっていて、車を買うときに火葬場に乗って行くことを想定しませんよね、と何回もおっしゃっています」
「はい、わかりました」
 わたしが軽く返すと森村はくだけた口調になる。
「こっちからの連絡はそんなところだけど、水戸部さん何かある? 泣き言でもいいよ」
「いえ、今伺っただけです」
「慣れた?」
「どうでしょうか。なんとかやってます」
「よかった。それでは、これから通夜があるから切ります」
 電話は切れた。室内は一段と暗くなった。立ち上がり、ブラインドの隙間から外を眺める。山の日暮れは性急だ。電灯のスイッチを入れる。パソコンを開き業務日報をまとめる。LEDのポールライトが植栽の周辺をぼんやりと照らしているが、柵の外の暗さを際立たせているだけだ。夜は森からにじみ出てくる。
 本日の業務日報は簡単である。
 十月三日 火曜日 友引 晴天
 本日の業務
 九時―十一時 松岡家 喪主代理 松岡タケ様 火葬・収骨・安置
 十一時―十三時 鈴木家 喪主様立ち合い 鈴木晃様 持ち帰り
 十四時―十六時 唯願寺までセンター長と遺骨搬送 
 十六時―十七時 村主催の見学会の案内 参加者十五名
 と、こんな感じだ。
 さっさと書き上げて本部に送り、一枚印刷してファイルに収める。
「水戸部さん、帰れる? 乗せてくけど」
 エレベーターを使って上がってきたらしい、大沼理香子がドアの外で声をかけてきた。
「ありがとうございます。すぐ着替えます」
「そいじゃ、駐車場でね」
 理香子は下りもエレベーターを使うらしくピンポーンと音が響いた。職員は極力エレベーターの使用を控えるように、と先週の朝礼で主任が口うるさく言っていたことを忘れていることにしたらしい。今日、主任は公休日らしく姿を見なかったが。

 急いで帰り支度を済ませ、階下に下りる。炉前ホールや廊下で数名の職員と帰りの挨拶を交わし、事務所の裏手の喫煙所にいた運転手をさがし当て、先に帰ることを伝える。ネームプレートに根岸とある白髪頭の運転手は「了解、了解」と、どうでもよさそうに頷いた。そのまま軒下伝いに建物裏の職員駐車場まで行く。送迎バスの出発時刻までの二十分待ちを思うと、理香子の誘いはありがたかった。
 理香子はわたしに気づくと、軽トラックの運転席から手を振った。
「送迎バスに乗らないって言ってきた?」
「はい。根岸さんに」
 わたしは頷き、軽トラの助手席に「よいしょ」と乗り込む。
「それじゃ、帰ろう」
 軽トラは職員通用門からコンクリート橋を渡り、史跡公園に通じるなだらかな道に出る。
「イノシシが出るって本当?」
「出るよ。だから、早く帰ろう。送迎バスと違ってこっちは軽だからさ」
「向かって来る?」
「向かって来られたことはないけど、通せんぼされて泣いた。イノシシって、意地悪いのよ」
 理香子は売店のパートタイマーだ。売店には三人のパートさんがローテーションを組んで働いている。三人ともネームプレートが『大沼』だ。わたしはこの職場に来た当初、売店ではネームプレートを使いまわしているのかと思い込んでいた。三人は赤の他人だが、揃って大沼姓なのだ。村の名字は五人に一人が大沼、三人に一人が木田、あとは井田と根岸、山上、山下、ざっとこんなところです、とセンター長から教えられた。センター長は木田であり、もう一人の木田と紛らわしいので長さんと呼ばれている。
 とっぷりと日の暮れた史跡公園には人影はない。利用時間が決められているわけではないのだが、街場の公園と違い、夜は人間の領分ではなくなるからだろう。
「水戸部さん、慣れた?」
 森村と同じことを聞く、と思いながら「どうかな? なんとかやってます」と同じ返事をする。史跡公園を抜けると急な下り坂になる。道はコンクリート舗装になり、滑り止めの凹凸が散らばったゴミのように見える。道路の両脇から虫の声が湧き上がってきた。風を受け、草むらのさらに奥に広がる竹藪全体が天辺に円を描いてざわめいている。
「メメントさんの仕事って気を遣うよね」
「まあ、そうですね」
「メメントさんとか、あとカトレアさんとかのお客さんってタイプは真逆だけど、村のお葬式の人とは全然違うもんね。あたしらから見るとちょっと病んでる人に見えちゃうんだよね。あ、あ、こんなこと内緒の話だけどさ」
 喋りながら理香子は徐行しつつ、慣れたハンドルさばきで坂を下る。理香子がメメントさんと呼ぶのはわたしが勤めているメメント森葬祭のことであり、カトレアさんというのは都会から入居者を集めて地元で経営している大手老人ホームグループのことである。
 彼女の車に乗せてもらうのは三度目だ。最初の時に年齢を聞かれ、同じ五十六歳だとわかった。初めから理香子は饒舌だった。
 理香子は両親が元気だった頃はみかんやキウイの専業農家だったが、現在は小学校の教師をしている夫とふたり、できる範囲で果物と野菜を作っていると家のことを話した。五年前に父親は大腸がんで亡くなったが、母親は自宅にいて要支援1、週に一日デイサービスに通っている。息子と娘が一人ずつ。息子は三十二歳、県庁所在地で輸入家具の会社勤務。娘は二十九歳で専門学校の事務員だと理香子は言い慣れた調子で説明し、開けっ広げな人だと驚かされた。
 彼女が家族について話している時、わたしは同じような履歴の情報開示を要求されたらどうしようかと慌てた。水戸部亜弓、五十六歳。F市の海の近くで育ち、短大の家政科を卒業し、なぎさセレモニーサービスに就職。就職当初はウエディングを扱う冠婚部に配属されるも、十年目に葬祭ホールに配置転換を命ぜられる。結婚歴なし。父親を七年前に、母親を今年送り、兄は行方不明中。おとなの事情にてなぎさセレモニーサービスからメメント森葬祭へ出向し、檜扇村村営火葬場専属となる……などという身の上話はしたくないと怯えて助手席で身を固くしていたが、「独身?」とだけ聞かれた。独身で大沼さんと同い年だと答えると「さすがに単身赴任はないよねぇ」と頷いた。
 村は嫌いではないが村民以外の、できれば同世代の人と話をしてみたかったと理香子は言った。わたしは笑顔で頷いた。軽トラに乗るのはその時が初めてだった。
「うちのはお婿さんだから親に気を遣ってくれて、日曜にあたしと畑やってるんだけど、子どもたちは全然やる気ないよ。畑やらなくても役場か火葬場に就職してくれればいいんだけど、もう帰って来ないと思うんだ。都会がそんなにいい? メメントさんのお客さんを見てると都会は都会で大変だと思うんだよね」
 わたしは理香子の話を聞きながら、眼下の小さな盆地を見下ろす。そこは暗い池のようだ。水面に星を映して点々とぼんやり光る場所があり、闇しかない場所もある。わたしは言葉を選ぶ。あくまでも観察者としての発言を心掛ける。
「うちのお客さんたちは、それぞれ事情はみんな違うんだけど、こんなの変な言い方だけど、疲れていて、寂しい人が多いかな。身内が少なくて、なんでも一人でやらないといけないからお葬式がすごく負担みたい」
「親が死んだことさえ人に知られたくないみたいだもんね」
「面倒なんでしょうね」
「都会では面倒なことパスできるもんねー」
 理香子の話し方はけっして感情的ではないが、なんだか責められてるような気がして、わたしは自分のまとまっていない考えのしっぽを見失う。そもそも、わたしは他の仕事に就くことができなかったからメメント森葬祭に在籍しているのだ。わたしが真っ当な人生を歩んでいないことに、彼女はまだ気がついていないのだ。わたしを、そっち側の人間と勝手に思い込んでいる。
「ごめんなさい。雇用促進とか共存共栄とかわかっているんだけどね。駅の周りに増えた老人ホームとか、火葬場とか、この村の生存戦略は理解できるんだけど、この頃は都会の植民地になったみたいでね。たぶん子どもたちには、村には暗いものしかないように見えるのよ。焼却炉付姥捨て山なんて自虐ネタ言う人たちもいるから」
「そういう話って売店の人たちとしないの?」
「できないよ。あたしは家付き娘の大沼だけど、他の二人の大沼さんは嫁に来た人たちだもん。あの人たち、地元民には絶対に本心を言わない」
 無理無理、と言う風に理香子はかぶりを振った。
「あたしが子どもの頃はまだダム湖ができたばっかりで、ダムの水が都会の人や工場や、いろんな場所で利用されて世の中の役に立っているって誇らしい気持ちがあったんだけどね。ま、老人ホームも火葬場もお役には立ってるけど……」
「ダム湖。きれいなんでしょう? そのうち行こうと思ってるの」
「桜と紅葉の時期はきれいだよ。でも、完成してから五十年経った今では、大地震が来て決壊することが心配されている。なんでそんな危険なダムなんか作ったんだ、って言う人もいる。なんだかがっくりだわ」
「ふうん、確かに地震は心配かも」
 思わずため息をつくと理香子は「ごめん、ごめん、話、暗いね」と笑った。
 最後の急坂を下り切って、車はアップダウンの緩やかな県道に出た。先の信号でY字路になる。盆地では日は暮れていた。
「この辺で降ろしてね」
 わたしの住まいと理香子の家はY字路で反対方向に分かれる。わたしのアパートはこの辺りから歩いたら十分とかからないはずだ。
「いいから、いいから」
 理香子は笑い、「暗くなってひとりでこんなところ歩いてたらキツネに化かされるよ」と言った。県道の両脇にはススキが群生し、その向こうは河原である。
「キツネも出るの?」
「滅多に見ない。ふふ、たくさんいるのはなんだと思う?」
 笑いながら理香子はわたしの家の方角にハンドルを切った。わたしは礼を言い、「タヌキ?」と尋ねた。道沿いに家並みが見えて来た。玄関灯が闇に滲んでいる家もあれば、真っ暗な家も少なくない。赤信号が見えた。停止線は立派な門柱のある家の正面だった。車はぴたりと停まる。思わず横を向き、門の中を見る。わたしたちは黙り込む。屋根から壁から雑草に覆われた庭まで墨のように黒い塊だ。皮膚が粟立った。こんな家の前を歩くのは気味が悪い。わたしは理香子の気遣いに感謝した。信号が変わった。アクセルを踏みながら理香子が言った。
「似ていて非なるものよ」
 なんの話をしていたのか? 一瞬よりもずっと長い時間わたしには思い出せなかった。あの家の暗い塊に思考が乗っ取られたみたいに。この頃、そういうことがある。集中力を持続することができなくなっていた。理香子は、わたしが似ていて非なるものについて考えこんでいると思ったらしく「アライグマはいないよ」とヒントを出す。わたしたちは動物の話をしていたのだ。慌てて話を合わせる。
「ハクビシン? 見たことないけど」
「ハクビシンもいなくはないけど、もっと、たくさんいるのよ」
「降参。全然わかんない」
「アナグマよ」
 いたずらっぽく、歌うように、理香子は繰り返した。「アナグマだらけだよ」と。
「アナグマ……」
 わたしは頭の中で幾度か復唱する。それってなんだった? 昔、動物園で見た気もするのだが形状が思い出せない。いや、あれはマレーグマだったか?
「アナグマって日本にいるの? 外来動物?」
「ニホンアナグマは在来種」
「何をするの?」
「生きてる人には危害を加えない。猫より大きくて毛むくじゃらで何を考えているかわかんない。水戸部さんもそのうちご対面するわよ。はい、到着です」
 わたしはアパートの大家が居抜き貸ししている蕎麦屋カフェの前で軽トラを降りた。カフェは定休日だ。何回目かの礼を言って手を振ると、車は駅前ロータリーを一周して、来た道を戻って行った。
 
 この村にはなんの期待もしていなかったが、案外自分に合っている場所かもしれない。理香子のような親切な人もいるし、少なくともわたしの行動のいちいちを狼藉とみなす、なぎさセレモニーサービスに居続けるよりもよかったのだと、数少ない街路灯に照らされた駅前広場を見渡しながら感じた。広場を囲む歩道には桜の植栽があるが、葉は残り少なくなっていた。近所の誰かしらが毎日、落ち葉を掃き集めているから周辺はいつもこざっぱりとしていた。
 大げさな音をたてて電車が駅を目指してきた。光が一直線に移動して、停まる。鉄道唱歌の導入部が高らかに流れた。ざわざわと割れて聞き取れないアナウンスが反響する。ホームではS県との県境を越えてきた電車の二両が老犬のように震えている。六時の上り電車だ。降りてくる人はおそらく数人だろうと突っ立ったまま見ていた。思った通り学生とスーツ姿の人影が二人、三人と足早に無人改札を通り抜け消えた。
 わたしもアパートに帰ろうと足を踏み出した時、空気がざわめいた。そちらに目をやる。ざっと眺めて二十人ほどの女の人たちが改札口からばらばらとこぼれ出してきた。彼女たちはひとつの集合体らしく存外立派な造りの木造駅舎の、蛍光灯の明かりの下から塗りむらのある暗がりを歩き出し、立ち止まり、また別の明るい場所に一列に並んだ。こんな時間に旅行者だろうかと訝しく思い、立ち止まる。大きな荷物を携えている人はいない。年齢はばらばらだ。どの人もショルダーバッグかリュックサックをひとつ携えて、手にスマートフォンというスタイルだ。列ができたのはキヨスクの文字がほとんど消えたシャッター――国鉄分割民営化と同時に永久に閉店したらしい――の前だった。わたしは誰かを待っているふうに腕時計を眺める演技をした。それがひどくいやらしい行為のように、演じた後に気づいた。もっと堂々と好奇心丸出しで眺めればいいのに都会人ぶって嫌な女だ。蛍光灯の白い光がショーケースの中身を照らすように彼女たちを晒す。十代から五十代くらいの彼女たちは日本人が少ない――あるいは日本人はいないのかもしれない――ようで、狭小な盆地のうら寂しい夜の始まりとは相容れない過剰さが見えた。彼女たち一人ひとりは肌の色や衣類の雰囲気はまちまちだが、ひとつの性質を共有していた。過剰でいて表情がない。喜怒哀楽はどこかにしまってきたらしい。鮮やか過ぎるジャケット、髪を覆う異教徒のスカーフ、くたびれたダメージジーンズ、黒ずくめの全身、色褪せたひらひらの透けるスカート、どの人も黙って俯いてスマートフォンを覗き込んでいる。彼女たちはこれから山奥の温泉場に売られてゆくのよ、と理香子が説明したら、わたしは信じるだろう。そんな馬鹿馬鹿しい妄想をかきたてる空気がその一群にはあった。
 駅前広場にマイクロバスが滑り込んできた。フロントガラスの上部に食品会社の名前が漢字とローマ字で記されたプレートが見えた。車のナンバープレートにはY県の地名がある。
 彼女たちは県境を越えて夜の食品工場に働きに行くのだと、わたしはようやく理解した。そして、どうしてだかほっとした。
 マイクロバスのドアが開くと、列の先頭の人から順に乗車してゆく。あっという間に彼女たちは手際よく収容されてドアは閉まる。運転手は老人だった。彼はスーツ姿のわたしをちらりと見て自分の仕事とは無関係な者だと判断したらしい。マイクロバスは排ガスの強い臭いを残して遠ざかった。
 檜扇村は二つの県と接している。あの人たちはS県から檜扇村を経由してバスでY県に行く。どこででも人が働いているのだから、なぎさセレモニーサービスにこだわることはない。お母さん、あたしはお母さんが知らない村にいるのよと心の中で語りかける。母に、この頃、わたしは語りかけることができるようになった。一方が死ななければ築けない関係もあるのだと思いながら、飯田美咲の顔が頭に浮かんだ。あの人は亡くなった自分の父親を好きだったのだ。泣いて目の周りの化粧がめちゃくちゃだった。泣き顔を隠した両手の指のほとんどに指輪があった。思い出したくもないのにはっきりと思い出せた。どうでもいいことだ。
 バスが消えた方向に向かって、斎藤室長を真似たお辞儀をしてみた。更年期太りの腹回りにはなかなか苦しいお辞儀だった。

(作品の全文は「小説トリッパー2025年春号」に掲載されます)

第10回受賞者 鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』

第7回受賞者 朝比奈秋『私の盲端』

『植物少女』

第4回受賞者 小暮夕紀子『タイガー理髪店心中』

第2回受賞者 高山羽根子『オブジェクタム』

『如何様』

『オブジェクタム/如何様』(朝日文庫)

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