ロイヤルホストで夜まで語りたい・第13回「ここが最高の定位置」(青木さやか)
ここが最高の定位置
青木さやか
西暦2000年。わたしは中野五差路のロイヤルホストにいた。ロイホにいくかパチンコにいくか雀荘にいくか。毎日の3択はどれだって深く考えなければ楽しかった。義務ではない自主的にいっている。思考するな。楽しい。
地元から共に上京した彼氏はある日、多くの電化製品と一緒にアパートから忽然と姿を消した。突発的に出ていってしまったと思ったが、考えてみれば、そんなわけはない。綿密に計画立てていたに違いない。クソが。わたしのいない時間を見計らって出ていくことしかできないクソが。正面切って出てってみろよ。いかないで、とすがるとでも思ったか。その通りだよ。3年暮らしたんだ、それ程度の厄介こなしてからいなくなれよ。あ〜何でわたしはクソみたいなオトコばっかとくっついたり離れたり、すがったりしてんだろう。悔しい、ひとりぼっち、許せない。後悔させてやりたい。火をつけてやろうか。火をつけてやる、火をつけてやる、どこにって、驚け。わたしに火をつけてやる、わたし自身だ、わたし自身を火だるまにして、この街、中野ごと火だるまにしてやる、最後に黒焦げのわたしが五差路に横たわる、プスプスと音を立てて焦げ死ぬんだ。
そうすれば少しは後悔するだろう? この先笑って生きていけないだろう? お前だけ楽しいことがあるなんて許さない。人生賭けて謝罪しろ愚糞男。
わたしは日本のキャリーだ、ぶつぶつ呟きながらロイホの階段を上がると、窓際のボックス席に先輩が座っていた。
顔をよそいきに戻し、お疲れ様でーすと声をかけた。先輩は、どうも、と言いながらイヤホンを耳から外した。彼は、パチンコも麻雀もしない。わたしと同じ売れない芸人で、彼女と住んでいて、彼女よりずうっと猫が好きで猫を触ることが日課だ。
「猫、触ってきました?」
「触りましたよ」
「可愛かったですか?」
「可愛いですよ、猫は、可愛いですよ。寄ってくるんですよ、にゃーと言いながらね、私の膝に」
わたしは、メニューをめくりながら、本心からこう言った。
「毎日可愛いなんて、すごいですね」
「まあ、猫はね。猫だけですよ、そんなものは」
「彼女は?」
わたしは、先輩の答えをわかってて質問をした。
「いやあ、なんかねえ、まあ、話すこともないんで、青木とね、ロイホ来るんでしょうね、まあ」
えー、ひどー可哀想ーと口で言いながら、優越感に少しエネルギーが。
「青木、注文どうします?」
「あ、はい。わたし、ドリングバー。あとオムライスとパンケーキ。は、諦めて、諦めるというか、あと7時間は居る予定なんで、3時間後にオムライスにしますよ」
「了解です」
大体明け方解散が日課のわたしたちだ。先輩も朝までいるようだ。彼女より、わたしと。さらにエネルギーが沸いた。
「ドリンクバー取ってきますよ、わたし。ホットコーヒーとコーラでいいですよね? 氷無し」
GO! と手を挙げドリンクバーに向かうと深夜の常連、外国の老人が目に入った。禁煙のボックス席で首を垂れて眠っている。わたしは少し微笑んだ。
1年前に、初めて老人をみた。今と同じように首を垂れている老人をみて、死んでいるのか、と思ったが、トイレから戻ってきたら、顔を白い陶器のコーヒーカップに近づけてズズズとすすっていた。パキスタン的、長髪で白髪、優しい笑顔、大きな瞳、二重、手の甲の白く長い毛、深爪、ゆるいチェックのネルシャツ、チノパン、年季の入った革の茶ベルト、ズックは元の色は不明。家がないんだろうか、ないと悟られないように品よく座っているのだろうか。それとも浮浪者然として外出する金持ちの遊びだろうか。いずれにしてもわたしは、この老人を見るたび、追い出されませんようにと願った。そして、どうか、わたしと先輩も、追い出されませんように。
金はないが、我々の、ここが最高の定位置。
お待たせしましたーとコーヒーとコーラを机に置くと
「青木、どうなんですか?最近」
と先輩が聞いてきた。
「いやあ、別に、えー、まあ別に〜」
わたしは言葉に詰まった。
面白い話よろしくってことだから。何も無い。毎秒オトコのこと考えちゃって、他なんのエピソードもない。
復讐したい、嘘、ホントは戻ってきてくれたらそれでいいの、だって、わたしこれからどうなるの?ひとりぼっち。
「しかし、あれだなぁ」
「なんですか?」
「基本、女は、つまんないよな、話が」
「はい?」
「女は、つまんないんですよ、何にも興味ないんでしょ政治とか。バカだから。恋愛の話とかでしょ、どうせ話せて」
「え? なんなんですか、その言い方」
わたしは、声色を変えて睨みつけ凄んでみせた。こうすると、この人は喜ぶことを知ってる。
「あーはいはい、すいませんすいません、おもしれーな、青木の顔は。謝りますんで」
「おい! 笑ってんじゃないすか」
「あー、なんかね、ほんとすいません、ははは」
先輩は喜んでいる。わたしはつまらないヤツというレッテルを貼られずに済んでほっとした。実際、わたしはこの人が話す政治の話にも世間の話にも、面白くも興味深くも話せない。
ほんとは泣きたい。
でも知ってる、この人は、いや大体のオトコ芸人は、泣く女は嫌い。女芸人が泣くなんて、もってのほか。
ならば今夜のところはと、「実は映画キャリーのような計画がありまして、内緒にしてくださいよ」と切り出し、火だるまになって中野五差路を焼き尽くす話を、大芝居よろしく顔芸よろしく話し終えると先輩は、ひーー!と甲高い声を出して笑い始め、いゃ〜青木は狂ってんな〜面白いわ〜とボックス席で七転八倒している。
面白いという評価を聞いて一安心し、メニューをもう一度開いた。
食べたことのない洋食メニューが並ぶ。うちはほとんど外食をしない家だったからワクワクするんだ、ロイホのメニュー。
わたしは実家のことを思い出した。
両親は共働きで夕飯は祖母が作ってくれた、いつも和食だった。ごはんに汁物。食卓には小さな壺にらっきょうに梅干しに漬物。瀬戸ものの重たい皿に焼き魚。父の趣味が川釣りで、常に冷凍庫には、鮎だのイワナだのがぎゅうぎゅうに詰まってた。祖母の料理と給食が、わたしの体を作った。祖母のごはんは美味しかったが、中でも味ごはんと呼ぶ混ぜごはんが好きだった。餅米を混ぜて炊いたアツアツの白飯に、甘辛く煮付けた椎茸人参かしわごぼうを混ぜ合わせる。もちもちとして甘辛醤油がよく合う。
わたしは、さらに思い出した。
小学4年生の時うちに友達が遊びに来たときのこと。嬉しかった。
祖母は、味ごはんと鬼饅頭(さつまいもとうどん粉を混ぜ蒸したおやつ)を出してくれた。そのあと遊ぼうとなり、牛乳パックにチラシを貼り付けて作ったサイコロを山ほど戸棚から出した。そのサイコロは100個はあった。「これどうやって遊ぶの」と友達は言ったから「転がすんだよ」とサイコロを転がした。何度転がしても⑥で止まるサイコロを見ながら笑いあった。
翌日学校へいくと、他の友達から「さやかちゃんちっておやつが芋なの? 牛乳のパックでサイコロ作ってるの? ボードゲームないの?」と聞かれ、あっという間に「なんか貧乏みたい」と噂された。わたしは祖母の料理とサイコロが途端に恥ずかしいものだと感じ、それからは祖母のごはんを友達に食べさせることはなかった。なんだか、わたし自身がみすぼらしく感じて、祖母がみっともなく見えた。
祖母は元気だろうか。
いってきますも言わずにオトコと東京へ出た。祖母はわたしを好きだった。わたしにどれほど呆れても、電化製品持ってわたしを捨てたりしない。嫌いになったりしない。
いまどうしているだろうか。外食したことない祖母に、このメニューを見せてあげたいよ。かあちゃんに、洋食を食べさせてあげたいよ。そうだ、わたしは祖母をかあちゃんと呼んでいた。かあちゃん。
「どうしました?」
一通り笑って落ち着いた先輩が聞いてきた。わたしは凝視していたメニューをパタンと音を立てて閉じて、スイッチを入れ、先輩を睨みつけながら言った。
「祖母のことを思い出してました、何してるかなって、、は? 思うわけないだろ! わたしは妖怪人間なんだ。早く人間になりたい? 冗談じゃない。復讐劇のスタートですよ、今日! この日が! 新たなスタートですよ、ひひひひひひ」
そして夜中のロイホで控えめだが叫んだ。
「おい! お前を蝋人形にしてやろうか!」
先輩は、ひーーと声を上げて笑い、言った。
「意味がわからないんですけどね、なんか笑っちゃうんだよな、すごいですよ青木は」
先輩は、ひーーと笑い続けている。
息がうまくできないほど笑い続けるという評価は、わたしに喜びを与えた。今夜のところは生きられる。冷めたコーヒーを口にふくんで、深夜の中野五差路を見下ろした。
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