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上坂あゆ美連載「人には人の呪いと言葉」第8回

喉につかえてしまった魚の小骨のように、あるいは撤去できていない不発弾のように、自分の中でのみ込みきれていない思い出や気持ちなどありませんか。
あなたの「人生の呪い」に、歌人・上坂あゆ美が短歌と、エッセイでこたえます。


 「おまえ、私(母)がパパに嫌われてざまあみろって思ってんだろ」これが母から小学生の頃に言われた言葉で、20代後半の現在、呪いになってる言葉です。
 家族は単身赴任で月に数回帰ってくる父、専業主婦の母、長女の私、妹です。母は突然家を飛び出したり、OD(オーバードーズ)を繰り返して救急搬送されたり……と不安定な人でした。少し大人になってから考えると、そういうことが起こる時は決まって父が赴任先に帰る間際だったと気付き、とにかく夫(私の父)に気にされていたくて仕方がなかった人でした。物心ついた時には、ただ母が機嫌良く過ごすことができるように「いい子」に全振りした子どもになっていました。その反動で妹は自由奔放に育ち、少しやんちゃなところもあるけれど、明るくて気が強い活発な子になりました。
 前振りが長くなってしまったのですが、ここからが呪いが解けてないなと思う事象です。
 今は私も妹も実家を出てそれぞれ一人暮らししています。家族仲自体はいいので、母は娘たちに恋人ができる度に、割と早い段階で両親に会わせるように食事会のセッティング等してきます。
 会わせること自体はいいのですが、母はどうしても娘たちの恋人を比較した発言をしてきます。
 「妹ちゃんの彼は素直で愛されキャラでいい人ね! 息子になってくれたらうれしい!」
 「お姉ちゃんの彼は……大丈夫? ほら、やっぱりお姉ちゃんはい顔しいだから、身の丈に合わない人を選ぶんじゃない?」
 先月実家で行われた食事会に姉妹それぞれの恋人を連れて行った後、実際に母から言われた言葉がこれでした。過去に姉妹それぞれ何人かの恋人を会わせていますが、毎回このようなことを言われます。
 どうして比較するのか? などと母に言うと、「親の見る目が信用できないの? 私たちの家族にもなる人なんだから!」とヒステリックになって言い返されます。その度に冒頭に記述した母の「ざまあみろって思ってんだろ」の言葉が思い出され、母は私の恋人という存在を受け入れられないのではないか? 私が誰か(男性)に好かれていることが許せないのではないか?と呪いになっています。
 会わせなければ会わせないで、「そんな協調性のない人がお婿さんになるなんてママ無理かも……」と大騒ぎするので恋人を母に会わせない訳にもいきません。解決は簡単にしないものなのかと思いますが、母に比較される発言をされた時に、どんな心の持ち様でいたら楽になるか等、上坂さんのお考えがあればお聞かせいただければ幸いです。

 なまもの さんより

 なまものさん、こんにちは。
 いやー大変ですね。あなたの状況を想像しただけでかなりしんどかったです。本当に申し訳ないですが私だったら即、お母さまと縁を切るか明確に距離を置きます。ただ、なまものさんは私よりずっとご家族への慈しみにあふれた人なのだろうと思います。その上で「母との関わりを断たずに、どんな心持ちでいたら母の振る舞いに耐えられるか」ということなのですが…………あの、色々、本当に色々考えたのですが、妙案は思いつきませんでした。すみません。
 
 例えば、お母さまを宇宙人や異世界人、まあとにかく自分とは別レイヤーの生物として捉えるという手段があります。人間とは全く別の存在なのだと思い込めば、明らかにひどい言動も異文化コミュニケーションとして受け流せるかもしれません。でもこれってある意味、相手を同じ人間と見なさないという、ある種かなり冷酷な対応です。これを許容できる人なのであれば、縁を切るとか距離を置くとかした方が手っ取り早いでしょうし、なまものさんの呪いを拝見するに、今はまだお母さまへの感謝とか愛とか、そういうものが根底にある気がします。そんな人に勧められる手段ではないので私の中で却下となりました。
 次に、感情のスイッチを切って何を言われても受け流すという手段。感情スイッチを切ることを習慣化すると、いつしか痛覚を失って、どれだけつらいことがあっても無感情で耐えられるようになります。ただこれをやると、全ての喜びや感動すらも感じづらくなります。そうなると生きている意味すらも感じづらくなり、死という選択が身近になってしまう諸刃の剣です。私は10代の頃あまりに生きづらく、一度スイッチを切ってしまったせいで、そこから感情を取り戻すのに大変苦労しました。こんなに優しく慈悲深いなまものさんに、そんな人生を歩ませるわけにはいきません。
 
 ……ここまで考えて思ったのですが、そこまでしないと付き合えない相手ってなんなんでしょう。なまものさんにこれほどまでの心労をかけるなんて、それはもうれっきとした加害ではないでしょうか。
 
 私は2年ほど前まで母から、早く子どもを産めとずっと言われていました。母に言わせれば、夫はいてもいなくても幸福度は特に変わらないけど、姉と私がいることで母はとても幸せだそうで(良かったですね)、私が子どもをつくらないまま老後一人ぼっちになることがとにかく心配らしいのです。
 私は絶対に子どもが欲しいとはもちろん思っていませんが、絶対に産みたくないとも思っていません。ただそれは、私のタイミングで私(とパートナー)が判断することで、母が決めることでは絶対にないと思っていました。でもここでマジレスしても思い込みの強い母はどうせ変わらないだろうと思い、いつもなあなあで流していたのですが、あるとき、「ママはあんたたちがいて本当に良かったから、あゆにもそうなってほしい。このままあんたが老後一人になるんじゃないかと思うと心配で死ねないよ。しばらく産まないつもりなら卵子凍結をしなさい」とまで言われて、私は思わず、これまでに蓄積した違和感をぶちまけてしまったのです。
 
 「ママの目的は私が幸せに生きることなんだよね?」
 「そうだよ。だから絶対に子どもを産んでほしい」
 「いやその理論はおかしいでしょ。私がママを不安にさせないために、本当は欲しくなかったのに無理やり子ども産んで、産後うつになったり子どもを虐待したりして、人生が破滅したらどうするの? それでも子ども産んでほしい? ママの幸せが私にも当てはまるとは限らない。親の言葉って一生の呪いになり得るんだから、もっと言葉に気をつけてほしい」
 
 ここまで早口で言った後、黙ってしまった母を見て「しまった」と思いました。いやでも気が強い母のことだから、次のセリフは「そんな屁理屈言って老後一人で誰が面倒見るのよ!」とかだろうな……と思った次の瞬間、「あゆの言うとおりだね。親の言葉って呪いになるよね。ママが間違ってた、ごめんね」と言われました。そしてなんと、このときから現在に至るまで、一度も母から子どもを産めと言われなくなったのです。厳しくあれこれ口出ししてくる祖父の元で育った母は、自分にかけられた親の呪いを思い出したのかもしれません。母が私の意見をきちんと受け入れてくれたことで、私は母を、それまで以上に深く信頼できるようになりました。
 
 これは再現性の低いレアケースだということはわかっています。鋼のメンタルを持つ私の母と違って、なまものさんのお母さまは不安定な方ということで、前提条件が違いすぎます。これをやれと言っているわけではありません。
 でも、本当の愛とかって結局、信頼の上に初めて成り立つものだと思うのです。きつい言葉で申し訳ありませんが、なまものさんとお母さまの今の関係は、愛というより家族関係を人質にされた搾取に近い気がします。本当の意味でお母さまを愛せるようになるためには、彼女の体調や機嫌を見計らいながら、なまものさんの受けた悲しみや苦しみを、少しずつでもわかってもらうことが必要な気がします。それが対等な立場で人と関わるということだと私は思います。「どうせわかってもらえない」と決めつけて大事な話をしないのは、それはそれで相手を見下しているとも言えます。かつて私が母に対してそうだったように。
 
 これだけだとあんまりなので……比較的言いやすそうな例文を考えてみました。例えば「娘たちの恋人を比較する」という件について。
 「お母さんが私と妹の恋人を比較する度にとても悲しい気持ちになるんだけど、やめてもらうことできるかな。お母さんの目を信用していないんじゃなくて、私が選んだ人がダメって言われると、私がお母さんに信用されていないと言われているのと同じだから、悲しいよ」のように、「あなたの正誤にかかわらず私が悲しいからやめて」という理屈。加えて、「逆に私たちが相手の親から『弟の彼女はいいけどお兄ちゃんの彼女はちょっとねえ〜』とか言われてたらどう思う? それって失礼だし、とても悲しいことじゃない?」と追撃することもできます。
 
 恋人比較問題は目の前の顕在化している問題ですが、なまものさんの恐怖の根源は、元を辿たどれば「ざまあみろって思ってんだろ」発言にあると思います。なので恋人比較問題でジャブを打ちつつも、ゆくゆくは「ざまあみろ」発言による根深い苦しみについて、打ち明けられるような関係性を目指すのがベストではあります。
 これには大変な時間と心労がかかるでしょう。現実はそんなに甘くなく、いくら真摯に話しても、お母さまが拒否反応を起こすことは容易に想像がつきます。もしこれをやってどうしようもなくなったら、そのときはいよいよ距離を置いてほしいです。だって、このままあなたが一方的に傷つけられて良いわけありません。少なくとも私は耐えられません。あなたの優しさを搾取されないでください。あなたの優しさは、どうか自らの意思で行使してください。


上坂あゆ美(うえさか・あゆみ)
静岡県沼津市生まれ。歌人、文筆家。 著書に、『老人ホ-ムで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)、『『老人ホームで死ぬほどモテたい』と『水上バス浅草行き』を読む 歌集副読本』(共著、ナナロク社)など。
X(Twitter):@aymuesk


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