
せめて亡くなった人が未練を残さないような仕事をしなきゃな――中山七里「特殊清掃人」第5回
秋廣香澄は半年前に〈エンドクリーナー〉に転職したばかり。30代の女性・関口麻里奈が孤独死した部屋の清掃依頼があり、その女性の母親が事務所にやってきた。母親の依頼どおり、五百旗頭とともに部屋の清掃を始めるが……。
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「今日も二人で作業ですか」
香澄が助手席で愚痴気味に洩らすと、ハンドルを握る五百旗頭は申し訳なさそうな顔を見せた。
「悪りい。白井くんは別の物件で孤軍奮闘してる。後で2トントラックで合流するからさ」
現在、〈エンドクリーナー〉は代表の五百旗頭を含めた三人で稼働している。面接時に説明を受けたものの特殊清掃の仕事にそれほど需要があるとは思えなかったが、勤め出してからは自分が間違っていたと認めざるを得なくなった。三日に一度はハウスクリーニングに出動しており、甚だしい時には二日連続だ。
「また求人募集かけなきゃいけないかなあ」
「正直、人手不足の感が否めません。会社の収益を考えれば、スタッフがあと二人は増えてもいいと思います」
「現状はその通りなんだよな。でもねえ、事故物件ってのは定期的に発生するものじゃないし。いったん増やした社員を、仕事が減ったという理由で辞めてもらうのは嫌なんだよ」
「でも事故物件は年々増える一方じゃないですか」
「そうやってさ、需要が増えて業容を拡大して結局は赤字続きになって廃業した先人たちを何人も見てるんだよ」
ふと、香澄は五百旗頭の過去をほとんど知らされていないことを思い出した。面接前に会社情報を閲覧したので憶えている。〈エンドクリーナー〉の設立は今から五年前、五百旗頭はどう若く見積もっても四十代なので、これが最初の仕事とは考えられない。
「あとさ、俺はこの仕事を誇りにしているけど、一方で稼ぎ過ぎてもどうかと思ってる」
「稼げるのはいいことじゃないですか」
「俺たちの仕事は弁護士と一緒で、人の不幸を商売にしているところがあるじゃないの。孤独死は言うに及ばず、ゴミ屋敷だって不幸な話だからよ。弁護士や俺たちの仕事が大儲けできるなんて決して喜べることじゃねえ」
「でも反社会的なものでなければ、需要がある仕事は全て社会的な意義があると思います」
「社会的意義かあ」
五百旗頭は香澄の言葉を反芻するように呟く。
「それなら、せめて亡くなった人が未練を残さないような仕事をしなきゃな。他人様の不幸で飯を食っているのなら、せめて何人かを不幸から救ってやらなきゃ辻褄が合わねえ」
「依頼人の期待に応えるためじゃないんですか」
「時々、依頼人は噓を吐くんだよ。ほら、生きているから。生きている限り、人間は噓を吐かなきゃならない局面がある。たとえ、それが善意に基づくものであってもだ。でも死んでいった人間は噓の吐きようがない。願いもみんな似たようなものだ」
「みんなは何を願っているんですか」
「気持ちを汲んでくれ、だと俺は思うんだがなあ」
二人を乗せたワンボックスカーは再び〈ハイツなりとみ〉に到着した。既に大家の晶子から鍵を預り、内部の様子も把握している。後は事前に五百旗頭と打ち合わせた手順に則って進めればいい。
二人はタイベックと防毒マスクに身を包み、クーラーボックスにスポーツドリンクを数本用意する。只今の気温は二十七度、閉めきった室温はおそらく四十度を軽く超えているはずだ。十分おきに戸外に出て水分補給する必要がある。下手をすれば熱中症を起こしてミイラ取りがミイラになりかねない。
見積りで内部の状況は確認できていたので、今回の防護はレベルCで臨む。レベルというのは消防庁発行の〈化学災害又は生物災害時における消防機関が行う活動マニュアル〉で規定されている防護措置の区分だ。
・レベルA 全身化学防護服を着装し、自給式空気呼吸器にて呼吸保護ができる措置である。
・レベルB 化学防護服を着装し、自給式空気呼吸器又は酸素呼吸器にて呼吸保護ができる措置である。
・レベルC 化学防護服を着装し、自給式空気呼吸器、酸素呼吸器又は防毒マスクにて呼吸保護ができる措置である。
・レベルD 化学剤・生物剤に対して防護する服を着装しておらず、消防活動を実施する必要最低限の措置である。
レベルCの必須装備は化学防護服(浮遊固体粉塵及びミスト防護用密閉服)、化学物質対応手袋(アウター)、長靴、自給式空気呼吸器、酸素呼吸器又は防毒マスク、そして保安帽となる。かなりの重装備であり、放射能汚染区域の除染作業等のケースに適用される。たかがハウスクリーニングで除染作業並みの警戒は大袈裟だと思う者もいるだろうが、現場に足を踏み入れる香澄たちにすれば当然の備えだ。
「いくよっ」
軽快な掛け声とともに五百旗頭がドアを開ける。
昨日と同じく、ハエの大群が黒い靄となって飛び出してくる。五百旗頭と香澄は早速殺虫剤を四方八方に振り撒き、ハエを蹴散らす。いくら防護服を着ていても目の前をぶんぶん飛び回られたら気が散って仕方がないし、作業中に糞をされたら新たな病原体が増えてしまう。
部屋中に殺虫剤を撒布すると、ようやくハエたちは乱舞を止めた。
「さて、運搬開始」
不用意にゴミ袋を破いて中身を溢れ出させたら元も子もない。面倒だがひと袋ずつ提げて部屋の外に運び出す。アパートの敷地内にいったん集め、ひと袋毎に消臭剤を振り掛ける
ゴミの回収日に該当しないので、一カ所に集めたゴミ袋は後から合流してくるトラックに載せて処分場まで運ぶ。東京二十三区内にはゴミの持ち込みが可能な処分場が十二カ所もあるので、非常に助かる。
ゴミ袋を搬出すると、そろそろ中身の黄色いペットボトルが姿を現してくる。言わずと知れた入居者の排泄物だ。ペットボトルに排泄する時点で、トイレがどんな状態なのかおおよその察しがつく。便器が詰まって使用不能の状態になっているに相違ない。
二人で手分けして次々にゴミ袋を運び出す。途中休憩を挟みながら、しかも室内のゴミ山を崩さないように慎重を期すので、どうしても時間がかかる。そもそも運び出すべき量が途方もない。
「この分だと運び出すだけで二時間はかかりそうだな」
「ワンルームいっぱいに詰め込まれたゴミですもん。平面に広げたら、ここの敷地内に収まるかどうかも怪しいです」
ゴミ袋は何層かに積み重ねられ、最下層のゴミ袋は圧力で潰れている。だが外に運び出してやると復元力でまた膨らんでくる。袋は半透明なので中身がうっすらと分かる。
「生ゴミが半分、資源ゴミが半分てとこか」
ゴミ袋の列を眺めて五百旗頭が呟く。
「小便はペットボトル、『大』はコンビニ弁当の容器か何かに詰めてゴミ袋に放り込んでいるんだろうな」
休憩時間になり、香澄は防毒マスクを外して防護服の上だけをはだける。たちまち滝のような汗が流れているが、外気が熱を吹き飛ばしてくれる。
陽光の下に晒された尿入りのペットボトルはきらきらと光を反射して、何かのオブジェに見えないこともない。ただし蓋を開けた瞬間、悪臭と病原菌が辺り一面に拡散する恐ろしい代物だ。
「この仕事をするまで、ペットボトルで用を足すのは男性だけだと思ってました」
「ゴミ屋敷に引き籠るってのは一種の極限状態だからな。極限状態に置かれりゃ男も女もなくなる。まあ、死んじまえば多少違いは出るが」
「え。死んだら何か違いが出るんですか」
「あー、これは実際に体験しないに越したことはないけどさ、腐ると男の方が臭いんだよ。多分皮下脂肪の少なさや腸の短さが関係すると思うんだが」
「……女性として、聞いていてもあまり優越感を感じません」
「誇るような話じゃないからなあ。死んだ本人も、そんなことで誇りたくないだろうし」
「ずっと気になっていることがあります」
「何だい」
「麻梨奈さんがどんな理由で仕事を辞め、どうして引き籠りになったのか」
「そんなもの、各人各様だろう」
「わたしもそう思うんですけど」
香澄は言葉を濁す。会社を辞めず、そのまま順当に仕事を続けていれば麻梨奈にも別の未来があったはずだ。いったい彼女はどこで選択を間違えてしまったのだろうか。
※毎週金曜日に最新回を公開予定です。
中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊