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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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#エッセイ

【新直木賞作家・河﨑秋子さんエッセイ】直木賞をとっても 地球は割れないが

 誠に遺憾ながら、私の力では地球は割れない。  その事実に気づいたのは、幼稚園の年長ぐらいの頃だっただろうか。  物心ついた時に見ていた『Dr.スランプ』のアニメで、紫色のロングヘアーをなびかせ、メガネの奥のつぶらな瞳を輝かせた少女型ロボット・アラレちゃんは、「ほいっ」というごく軽い掛け声と共に鉄拳を地面に叩き込み、ぱかんと地球を割っていた。  ……そうか、地球って割れるのか。じゃあ自分も、大きくなったら地球が割れるのかもしれない。  幼い私はそう思った。幼児が世界を

なぜ一作目の主人公は子供なのか?江國香織さんが“極度の”方向音痴から思考を巡らす刊行記念エッセイ/最新小説『川のある街』

 子供のころに住んでいた街のことをよく憶えている。通学路や公園、商店街は言うにおよばず、子供には縁のない場所――運輸会社、産婦人科医院、質屋、雀荘、着付教室、琴曲教室、煙草屋、月極駐車場など――がどこにあるか知っていたし(「明るい家族計画」と銘打たれた自動販売機が二か所にあることも知っていた。一体何を売っているのかは見当もつかなかったけれども)、どの家の庭にどんな花が咲いているかや、ある家のレンガブロックが一つ緩んでいて、隙間に小さな物を隠せることも知っていた。なぜか表札を読

「水曜どうでしょう」D・藤村忠寿さんが、自身の新刊ではなく「日本のサッカー」について熱く語る/『人の波に乗らない』刊行記念エッセイ

王道でないからこそ  サッカーについて語ります。でも私はサッカー経験がありません。現在57歳。北海道テレビに勤務するサラリーマンです。「ローカル局制作のバラエティー番組としては異例のヒットを飛ばし、大泉洋を生み出した」と言われている『水曜どうでしょう』という番組のディレクターを務めてきました。あくまでも「異例」と称されているわけで、それは世間的には「王道ではない」ということです。では始めましょう。  まずはサッカーのルールについて。「ゴールキーパー以外は基本、手を使っては

「まず認知症を受け入れる」 医師である作家が描く認知症介護小説『老父よ、帰れ』、著者・久坂部羊さんのエッセイ

他人ごとではない認知症夢の新薬登場か  今年1月、アルツハイマー病の新薬がアメリカで承認されたというニュースが、新聞各紙を賑わせた。日本の製薬会社も関わっており、同社は日本国内での製造販売の承認を厚労省に申請したという。  すわ、夢の新薬登場かと思いきや、報道をよく読むと、アメリカでの承認は「迅速承認」というもので、これは深刻な病気の薬を早く実用化するため、効果が予測されれば暫定的に使用を認めるという制度で、車の免許でいえば“仮免”のようなものらしい。  承認の根拠は症

取るに足らないことが、自分の人生は悪くないものだと気付かせてくれる。津村記久子『まぬけなこよみ』朝日文庫版刊行記念エッセイを特別公開!

その後のこよみ  2012年から2015年まで「ウェブ平凡」で連載し、2017年に単行本になった本書を文庫化するにあたって、2022年に再び読み直すという作業をしたのだが、この一連のエッセイを書いていた自分に対しては、「とにかくよく思い出しているな」という印象を持った。大袈裟ではなく、これまでやったすべての仕事の中で、本書の中のわたしはもっとも思い出している。子供の頃のことはもちろん、中学生の時のことも、高校時代のことも、大学に通っていた時期についても、そして会社員生活に関

【辻村深月さん×加藤シゲアキさん対談全文公開!】変化する小説との向き合い方

辻村深月(以下、辻村):文庫化された加藤さんの初のエッセイ集、『できることならスティードで』のテーマは旅です。そもそも、なぜ旅がテーマのエッセイ集を書くことになったのか伺ってもいいですか。 加藤シゲアキ(以下、加藤):最初は「小説トリッパー」から、旅というテーマのコラムでエッセイを一篇書きませんかという依頼があったんです。ちょうど一人でキューバに行こうと思っていた時期でした。一人で行くのは少し不安だったんですが、これは取材なんだ、と思うことで背中を押されるように飛行機に乗る

言葉の無力さにもういちど向かいあうしかない…東浩紀『忘却にあらがう』刊行記念エッセイを特別公開

 時評集を出した。『忘却にあらがう』というタイトルである。『AERA』誌に5年にわたって寄せ続けた隔週コラムをまとめた本だ。  タイトルはコラムの初回で使った言葉から採った。5年前の言葉だ。とはいえ、最近のぼくは「抗う」という言葉はあまり使わない。抗う、抵抗するといった瞬間に、当の抵抗対象の論理に搦め捕られるような気がするからだ。  コラムは2017年の1月に始まっている。アメリカでトランプ大統領が誕生した月だ。必然的に内容はポピュリズム批判が多くなった。ポピュリズムは

タイガーバームのにおいとお風呂場の魚たち 柚木麻子さんが眠れない夜に思い出す祖母のこと

■夜の釣り堀  40歳になってから、とくに理由もなく、一睡もできないまま朝を迎えることが頻繁にある。ちなみに昨日もまったく眠れなかった。これはまずい、とあらゆる病院にいってみて、色々な方法を試した結果、漢方薬で徐々に体質を改善していくという方向に今のところ落ち着いている。睡眠導入剤は私には強すぎて、翌日、仕事にまるで集中できなくなるのだ。はじまりは去年の秋。全然眠れない夜がなんの前触れもなく、3回続いた時は、ショックとパニックで自分が自分ではなくなり、最後はデビッド・リンチ

作家・伊坂幸太郎「森絵都さんの『カザアナ』が面白すぎる」

『カザアナ』が面白すぎる/伊坂幸太郎 『カザアナ』が面白すぎる。最近、おススメの本を聞かれるたびに(聞かれなくても)、そう言っています。  たまたまこの本を書店で見かけたのですが、作者の森絵都さんはリアリズム寄りというのか、青春小説や人間ドラマを描く人という印象がありましたので、帯に書かれている「異能の庭師たち」という言葉が気になりました。「監視社会化の進む」ともあるため、「森絵都さんってこういう作風だったっけ?」と内心、首をひねり、「異能」とは言っても、リアリズムの中

作家・森絵都さんの想像力が大爆発した傑作『カザアナ』 本作に込めた思いとは

■「過去と未来を渡す風」森絵都  ときどき、現実の世界に架空の何かを引っぱりこみたくなる。  たとえば、『カラフル』という小説に胡散臭い天使を登場させたように。『ラン』という小説であの世とこの世を行き来する自転車をモチーフにしたように。ファンタジーの世界そのものを描くのではなく、あくまで舞台は現実の人間社会に据え、そこにファンタジーのかけらを紛れこませる。なぜそのような設定に心惹かれるのか。その理由も今ではわかっている。一粒で風味を一変させるスパイスのように、異質な何かが

【江上剛『創世の日 巨大財閥解体と総帥の決断』】刊行記念エッセイ

 この二年ほど、コロナ禍で私たちは窮屈な暮らしを強いられている。またコロナに罹患して亡くなったり、事業が行き詰まったりした人もいる。これがいつまで続くか分からないだけに、「なぜ自分が苦しまねばならないのか」と、理不尽さに怒りを覚えていることだろう。私たちの人生には理不尽さが付きまとっている。災害や戦争で罪のない多くの人々が亡くなる。日常生活でも残忍な事件が発生し、罪のない人が殺される。例えば新幹線車内で、若い男がナタを振り回し、女性を襲った事件があった。その際、女性を助けよう