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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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#刊行記念エッセイ

『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』の著者・佐宮圭さんが刊行エッセイで明かした、ノンフィクションの裏側

ジェンダーの呪縛も固定観念の壁も突破する 「鶴田錦史」をご存知の方は少ないと思います。私も伝記の執筆を依頼されるまで知りませんでした。  半年前の2024年2月6日、世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。彼の名を初めて広く世界に知らしめたのは、1967年11月、ニューヨーク・フィルハーモニックの創立125周年記念公演での『ノヴェンバー・ステップス』の初演。32歳の若きマエストロは、30代半ばの新進気鋭の作曲家・武満徹の難解な現代曲を見事に指揮して、大きな成功を収め

『中野「薬師湯」雑記帳』著者・上田健次さんの執筆裏話を特別公開!

「薬師湯」を通じて、心は昭和の中野を彷徨った  朝日新聞出版に勤めるK氏からの執筆依頼は、秋の終わりにやってきた。紹介はデビュー作を担当してもらって以来、ずっと世話になっているS社の編集者A氏だった。 「上田さんに連絡を取りたいという他社様の編集者がいらっしゃるのですが、いかがいたしましょう」  その相談に、私は少なからず驚きを覚えた。業界として共同歩調で当たらなければならない分野ならさておき、駆け出しとはいえ、シリーズものを執筆させている作家に、他社で書く機会を与える

ニッポンの思想と批評の奔流を追いながら、いま必要とされる生き方のモデルを刷新/「大人」になれない男たちを「成熟」の呪縛から解き放つ――佐々木敦さんによる刊行記念エッセイ「『日本的成熟』とは何か」を特別公開!

「日本的成熟」とは何か 去る七月八日に齢六十を迎えてしまった。還暦である。まだまだ若いつもりでいたのに、とかではないが、でもなんだか騙されたような気分だ。二十代前半からプロの物書きになり、気づけばあれこれやりながら三十五年もの月日が流れていた。芸術文化の複数の分野にまたがって仕事をしてきたので、著書の数もそれなりに多い。もう何冊目になるのか自分でもわからない(数えたことがない)が、このほど偶然にも「還暦記念出版」とでもいうべき新著を上梓した。『成熟の喪失 庵野秀明と〝父〟の崩

作家・麻見和史さんが小説創作の極意を特別公開!/新シリーズ『殺意の輪郭 猟奇殺人捜査ファイル』刊行記念エッセイ

猟奇という舞台装置  ウェブ連載をやってみませんか、というお話をいただいたとき、最初に頭に浮かんだのは「矛盾なく最後まで書けるだろうか」ということだった。  デビューして今年で18年目になるのだが、私はずっと警察小説の書き下ろしをやってきたので、連載は経験したことがない。書き下ろしの場合、執筆、修正、校正などすべての作業が終わってから作品は世に出ることになる。しかしウェブ連載では事情がまったく違う。月に数回サイトに文章が掲載されるとなれば、その回数だけ締切がやってくる。充

「不思議な、体験だった。」川上弘美さんが12年の時を経て描いた、『七夜物語』の次の世代を生きる子どもたち/『明日、晴れますように 続七夜物語』刊行記念エッセイ

未来から今へ  このたび上梓することになった『明日、晴れますように』は、今から十二年前、二〇一二年に出版された『七夜物語』の、続篇である。 『七夜物語』は、二人の小学生が七つの不思議な夜を冒険する、というファンタジーだった。二人は名前を鳴海さよ、仄田鷹彦といい、多少内向的な、けれど冒険に際してはじゅうぶんに勇敢な子どもたちだった。一生に一度は子どもが主人公のファンタジーを書いてみたいと思って始めた連載中、わたしは主人公二人が大好きでしかたなく、小説を書いている時にどちらかと

書きたかった荒唐無稽な「変なもの」/『虎と兎』筆者・吉川永青さん刊行記念エッセイ

 これまで純粋な歴史小説を書いてきた私にとって、今作『虎と兎』は異色の一作だろう。何と言ってもアメリカが舞台である。主人公の三村虎太郎も架空の人物で、これがインディアン戦争と呼ばれる一連の戦いに身を投じるという荒唐無稽な物語だ。  とは言え、歴史小説の枠組みを大きく逸脱している訳ではない。主要登場人物で架空の存在は三人のみ、他は全て実在の人物である。物語中の諸々の事件もアメリカ史に準拠し、アメリカ先住民の思想その他も調べ得る限り事実に即するよう留意した。  それでも、やは

【特別公開!】「この本を書くことで、やっとのみ込むことができた」長井短さん初の小説集『私は元気がありません』刊行記念エッセイ特別公開

冒頭一部を下記にて公開しております! 長井短さん『私は元気がありません』刊行記念エッセイ 「静止する“私”こと」 最後に原稿を読んだのは1月4日だった。あれから1ヶ月くらい経った今、読み返していない。家に届いた見本もパラパラ捲るだけだ。だって、もう赤入れられないから。原稿の直しは全部で3回。その度赤く染まった紙の束は今、美しい装丁に包まれて微動だにしない。それはついに発売されるってことの証明で、嬉しいはずなのに、運動をやめた文字たちがちょっぴり怖かった。 「小説TRIP

なぜ一作目の主人公は子供なのか?江國香織さんが“極度の”方向音痴から思考を巡らす刊行記念エッセイ/最新小説『川のある街』

 子供のころに住んでいた街のことをよく憶えている。通学路や公園、商店街は言うにおよばず、子供には縁のない場所――運輸会社、産婦人科医院、質屋、雀荘、着付教室、琴曲教室、煙草屋、月極駐車場など――がどこにあるか知っていたし(「明るい家族計画」と銘打たれた自動販売機が二か所にあることも知っていた。一体何を売っているのかは見当もつかなかったけれども)、どの家の庭にどんな花が咲いているかや、ある家のレンガブロックが一つ緩んでいて、隙間に小さな物を隠せることも知っていた。なぜか表札を読

宮内悠介さんがコンピュータ・プログラミングを通して描く物語/『ラウリ・クースクを探して』刊行記念エッセイ特別公開

 小学生のころ、父の仕事の関係でアメリカにいて、夏休みのたびに一時帰国していた。祖父母の家に泊めてもらい、その近くに住んでいた従兄弟に遊んでもらった。これが、二週間くらいのことであったのか、一ヵ月くらいのことであったのかは、もう記憶にない。ただ、この一時帰国がとても楽しみであったことはよく覚えている。八〇年代の終わりごろのことで、まだ景気がよく、存命だった祖父が車を運転して皆を伊豆につれて行ったりした。池袋のサンシャインシティが好きだった。どこもかしこも明るくて、日本という国

はやくも3刷! 中山七里著『特殊清掃人』刊行記念エッセイ「自作解説は恥ずかしい」

自作解説は恥ずかしい  本音を言ってしまえば、自作解説なんて死んでも書きたくない。そもそも中山七里の小説のメイキングなんて誰が読みたいものか。  だが本エッセイの依頼内容は400字詰め原稿用紙に換算して7枚半から8枚。とても近況報告などでお茶を濁せる枚数ではなく、朝日新聞出版の担当者を呪いながら作品の成立過程を述べる所存である。興味のない人はすっ飛ばしてください。  孤独死という言葉は既に70年代から存在していたように思う。当時10代の僕はその頃より想像力たくましく、「