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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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#朝日新聞出版の文芸書

この小説は、みんなへの声援/せやま南天著『クリームイエローの海と春キャベツのある家』創作大賞2023(note主催)受賞の秋谷りんこさんによる書評を公開!

この小説は、みんなへの声援  私は、家事が苦手だ。子供の頃からおっとりしており、身の回りのことをするのが得意ではなかった。大人になっても変わらず、掃除も片付けも人並みにはできない。料理はするが、上手ではない。レトルト調味料や冷凍食品に助けられ、何を出しても「美味しい」と言ってくれる夫に救われているだけだ。洗濯は嫌いではないけれど、得意でもない。先日、仕事から帰ってきた夫が、部屋干ししてあるシャツの袖を黙って引っ張り出していた。片袖だけ裏返ったままで干していたことに、私は一日

【祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!】「生きている」重みと「生きてきた」凄み/塩田武士著『存在のすべてを』池上冬樹氏による書評を再公開

 塩田武士といえば、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』(2016年)だろう。迷宮入りした事件を、脅迫状のテープに使われた少年の声の主を主人公にして、犯罪に巻き込まれた家族と、未解決事件を追及する新聞記者の活躍を描いて、厚みのある社会派サスペンスに仕立てた。週刊文春ミステリーベスト10で第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞したのも当然だった。 『罪の声』から6年、新作『存在のすべてを』は、『罪の声』を超える塩田武士の代表作で、いちだんと成熟して読み応えがある。物語はまず

<祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!>【インタビュー】塩田武士が見た、松本清張の背中 話題作『存在のすべてを』で挑んだ「壁」

「作家には定期的に必ず越えるべき壁が出てくると言いますが、私にとってはそれが『罪の声』でした。以前、作家の湊かなえさんのラジオに出演した時に、湊さんがこれから塩田さんは『罪の声』と闘うことになる、私が『告白』と闘ったように、と言われたことがあるんです。重たいなと思いました」  塩田武士さんが2016年に発表した『罪の声』は、「グリコ・森永事件」をモチーフにしたサスペンス小説だ。週刊文春ミステリーベスト10(国内部門第1位)、第7回山田風太郎賞を受賞するなど一世を風靡し、20

【祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!】塩田武士『存在のすべてを』刊行記念インタビュー/「虚」の中で「実」と出会う

 情熱を失った新聞記者が再び「書きたい」と奮い立つ題材に出会うという出発点はデビュー作『盤上のアルファ』(2011年)、子供たちの未来を奪う犯罪への憤りという点では代表作として知られる社会派ミステリー『罪の声』(2016年)、フェイクニュースが蔓延し虚実の見極めが難しい現代社会のデッサンという点では吉川英治文学新人賞受賞作『歪んだ波紋』(2018年)、関係者たちの証言によって犯人像が炙り出される構成上の演出は『朱色の化身』(2022年)……。塩田武士の最新作『存在のすべてを』

夢を追いかけ続け、叶えた藤岡陽子さんだからこそ書けた『メイド・イン京都』 モデルとなったデザイナー・谷口富美さんによる文庫解説を特別公開

 藤岡陽子さんの『メイド・イン京都』(朝日文庫)が刊行されました。  物語のモデルとなった、デザイナー・谷口富美さんが解説を寄せてくださいました。学生時代から藤岡陽子さんを見てきた谷口さんによる解説の全文を掲載します。 「ひさみちゃんをモデルに小説を書かせて欲しい」  藤岡陽子先生にそう言われたとき、背中がじんわり熱くなり、「私の人生でこんなに輝かしいことが起こるのか!」と叫び声が、お腹の底から脳に向かって聞こえ、星屑にあたたかく包まれたようでした。 「ひさみちゃんが

汚職事件を追う捜査二課の刑事を描いた、堂場瞬一さんの『内通者』が文庫新装版として刊行! 現役大学生の書評家・あわいゆきさんによる文庫版解説を特別公開

〈時代〉と〈世代〉を超えて、愛され続けるための秘訣  普遍的な小説、とは一体なんでしょう? たとえば国語の教科書に長く載り続けているような古典や近代文学は、読んだことがある、というひとも多いかもしれません。太宰治『人間失格』などは特に、中高生を対象にした読書調査アンケートでもここ数年、読んでいる本の上位に居続けています。あるいは老若男女楽しめるように書かれている軽快なエンターテインメント小説も、世代にかかわらず親しまれているでしょう。  一方で、どんなひとが読んでも面白い

【新直木賞作家・河﨑秋子さんエッセイ】直木賞をとっても 地球は割れないが

 誠に遺憾ながら、私の力では地球は割れない。  その事実に気づいたのは、幼稚園の年長ぐらいの頃だっただろうか。  物心ついた時に見ていた『Dr.スランプ』のアニメで、紫色のロングヘアーをなびかせ、メガネの奥のつぶらな瞳を輝かせた少女型ロボット・アラレちゃんは、「ほいっ」というごく軽い掛け声と共に鉄拳を地面に叩き込み、ぱかんと地球を割っていた。  ……そうか、地球って割れるのか。じゃあ自分も、大きくなったら地球が割れるのかもしれない。  幼い私はそう思った。幼児が世界を

書きたかった荒唐無稽な「変なもの」/『虎と兎』筆者・吉川永青さん刊行記念エッセイ

 これまで純粋な歴史小説を書いてきた私にとって、今作『虎と兎』は異色の一作だろう。何と言ってもアメリカが舞台である。主人公の三村虎太郎も架空の人物で、これがインディアン戦争と呼ばれる一連の戦いに身を投じるという荒唐無稽な物語だ。  とは言え、歴史小説の枠組みを大きく逸脱している訳ではない。主要登場人物で架空の存在は三人のみ、他は全て実在の人物である。物語中の諸々の事件もアメリカ史に準拠し、アメリカ先住民の思想その他も調べ得る限り事実に即するよう留意した。  それでも、やは

「小説についてはいつも孤独という言葉で考えています」/町屋良平さんによる江國香織インタビューを特別公開!

言葉の要請から物語が生まれる■街そのものを描くということ 町屋:江國さんの作品を読んだのは『冷静と情熱のあいだ』が最初で、実はそれが私の文学体験のほとんど原点に近いものでした。もちろんそこに書かれている世界は高校生の私には経験したことのないものだったのですが、読み終わったあとにグッと引き込まれていた自分に気づき、しばらく興奮を抑えられなかったのを覚えています。どんどん日本の小説を読めるようになったのは、それからでした。以来、江國さんの小説をずっと好きで読んできた人間の個人的

「私は、もっと自らのおろかさを突き詰めた長井短の小説が読んでみたい」小説家・年森瑛さんによる『私は元気がありません』書評

他者を物語るということ  小説を書くことは、この上なく孤独な作業だ。  寂しさに耐えかねた私は、同じく兼業作家のサハラさんと毎週末に作業通話をするようになった。一人称って難しくないですか、下手こくと「俺の名前は江戸川コナン、探偵さ!」状態になりますし、作家の腕が如実に出ますよね、みたいな話をしている。そこで思い返してみると、『私は元気がありません』の一人称は上手かった。これは長井短による初の小説集で、全三篇が収録されている。独特のバイブスがある文体で、舌に乗せたくなるよう

【特別公開!】「この本を書くことで、やっとのみ込むことができた」長井短さん初の小説集『私は元気がありません』刊行記念エッセイ特別公開

冒頭一部を下記にて公開しております! 長井短さん『私は元気がありません』刊行記念エッセイ 「静止する“私”こと」 最後に原稿を読んだのは1月4日だった。あれから1ヶ月くらい経った今、読み返していない。家に届いた見本もパラパラ捲るだけだ。だって、もう赤入れられないから。原稿の直しは全部で3回。その度赤く染まった紙の束は今、美しい装丁に包まれて微動だにしない。それはついに発売されるってことの証明で、嬉しいはずなのに、運動をやめた文字たちがちょっぴり怖かった。 「小説TRIP

春季号は創作が3本に、第10回林芙美子文学賞受賞作&選評掲載! 江國香織さんインタビューも。〈「小説TRIPPER」2024年春季号ラインナップ紹介〉

◆創作奥泉光 「印地打ち」  旅先で公民館に集う年寄りから、その昔の石合戦、印地打ちの話を聞いた。山岳に住み石礫を飛ばして、動く標的を射止める。武田信玄、真田昌幸の戦にも登場しながら、武将の軍団に組み込まれることを拒み、戦国の世に幻と消えた山の民が、現代に問いかけるものとは? アジア・太平洋戦争から歴史の舞台を遡って、著者の新境地。 志川節子 「昔日の光」  4年前に女房を亡くした幸右衛門は、息子に家業の大家を継がせたものの、何かと口を出すので煙たがられている。かつて水

【開催中】朝日文庫「エッセイフェア2024」ラインナップを紹介します

■伊藤比呂美『読み解き「般若心経」』  死にゆく母、残される父の孤独、看取る娘の孤独。苦しみにみちた日々の生活から、向かい合うお経。般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃。詩人の技を尽くしていきいきとわかりやすく柔らかい現代語に訳していく。 ■茨木のり子『ハングルへの旅 新装版』  ハングルを学ぶようになった動機、ともに学ぶ人びとのこと、日本のいち方言との類似点、ユーモラスな諺や表現の数々――。隣国語のおもしろさを、韓国への旅の思い出を交えて、繊細に綴った珠玉のエッセ

黒川博行さんによる警察小説の到達点『悪逆』が、第58回吉川英治文学賞を受賞!――文芸評論家の池上冬樹さんが太鼓判を押す、王道のクライム・サスペンス!!

カタルシス vs.ピカレスクの魅力  黒川博行の小説は読みとばせない。軽妙ですいすい読めるのに、台詞の一つひとつに味があり、笑いがあり、キャラクター描写の冴えがある。相変わらず語りの巧さは天下一品で、大胆で不埒なストーリー、賑々しいキャラクターの妙、リズミカルで生き生きとした会話が素晴らしく、笑いながら頁を繰っていく。退屈に思えるところなど微塵もない。さすがは「浪速の読物キング」(伊集院静)だ。  物語はまず、殺し屋が広告代理店元社長大迫を殺す場面から始まる。綿密に計画を