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朝日新聞出版の文芸書

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書評や文庫解説、インタビューや対談、試し読みなど、朝日新聞出版の文芸書にかかわる記事をすべてまとめています。
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#一冊の本

【祝・本屋大賞2024第3位&第9回渡辺淳一文学賞受賞!】「生きている」重みと「生きてきた」凄み/塩田武士著『存在のすべてを』池上冬樹氏による書評を再公開

 塩田武士といえば、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』(2016年)だろう。迷宮入りした事件を、脅迫状のテープに使われた少年の声の主を主人公にして、犯罪に巻き込まれた家族と、未解決事件を追及する新聞記者の活躍を描いて、厚みのある社会派サスペンスに仕立てた。週刊文春ミステリーベスト10で第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞したのも当然だった。 『罪の声』から6年、新作『存在のすべてを』は、『罪の声』を超える塩田武士の代表作で、いちだんと成熟して読み応えがある。物語はまず

【新直木賞作家・河﨑秋子さんエッセイ】直木賞をとっても 地球は割れないが

 誠に遺憾ながら、私の力では地球は割れない。  その事実に気づいたのは、幼稚園の年長ぐらいの頃だっただろうか。  物心ついた時に見ていた『Dr.スランプ』のアニメで、紫色のロングヘアーをなびかせ、メガネの奥のつぶらな瞳を輝かせた少女型ロボット・アラレちゃんは、「ほいっ」というごく軽い掛け声と共に鉄拳を地面に叩き込み、ぱかんと地球を割っていた。  ……そうか、地球って割れるのか。じゃあ自分も、大きくなったら地球が割れるのかもしれない。  幼い私はそう思った。幼児が世界を

福島在住の僧侶作家が「桃太郎」を介して見た、震災後、コロナ禍、そして戦渦の前の”ユーウツ”と”鬼”の正体 / 玄侑宗久著『桃太郎のユーウツ』刊行に伴う随筆

 このたび朝日新聞出版から、『桃太郎のユーウツ』という小説集を上梓した。中短六作から成る作品集だが、通常の作品集のように連作ではないし、掲げた通しテーマがあったわけでもない。ただ全体を通読したとき、総タイトルは『桃太郎のユーウツ』だと、すんなり思えた。その辺の思いをそぞろ書いてみたい。  桃太郎とはいったい誰なのか、それは高校時代からずっと気になっていた。正直に言うと、私は高校生の頃友人二人と密かに「桃太郎研究会」なる同好会をつくり、放課後の教室で各種「桃太郎」を読み比べ、

ステージ4のがん患者、「ガン遊詩人」の鎌田東二・京都大学名誉教授が、島薗進さんの『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』を評す

「あなた自身の死生観」のために、多大なヒントと気づき  島薗進さんとは半世紀の付き合いだ。二十代の半ばに宗教社会学研究会で初めて出会って以来、さまざまな局面で伴走してきた。  その50年近くの島薗進の学道探究の旅路を間近に見て来た者として、最新著『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』は、折口信夫研究(修士論文)から死生学研究(東京大学COE拠点リーダー)を経て、グリーフケア研究に参入してきた「島薗学」の総括とも集大成とも言える渾身の一冊であると受け止めている。島薗進の眼

「久米宏は罪深い」の真意とは? 久米氏初の自叙伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』をライター・テレビっ子の戸部田誠(てれびのスキマ)さんがレビュー!

 久米宏は罪深い――。  そう僕は思っていた。なぜならテレビのニュースを「わかりやすいもの」に変えてしまったからだ。それまでニュース番組は視聴率競争とは無縁のものだった。そもそも数字が獲れる発想はなかったのだ。そんな中、1985年に始まった久米宏がキャスターを務める『ニュースステーション』は、その「面白さ」で高視聴率を獲得。他のニュース番組も視聴率獲得を目指すようになった。  本作は、「『土曜ワイドラジオTOKYO』『料理天国』『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』『お

「生きている」重みと「生きてきた」凄み/塩田武士著『存在のすべてを』池上冬樹氏による書評を特別公開!

 塩田武士といえば、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』(2016年)だろう。迷宮入りした事件を、脅迫状のテープに使われた少年の声の主を主人公にして、犯罪に巻き込まれた家族と、未解決事件を追及する新聞記者の活躍を描いて、厚みのある社会派サスペンスに仕立てた。週刊文春ミステリーベスト10で第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞したのも当然だった。 『罪の声』から6年、新作『存在のすべてを』は、『罪の声』を超える塩田武士の代表作で、いちだんと成熟して読み応えがある。物語はまず

「軍人としての努め、キリスト教徒としての信心、科学者としての信念は共存しうるのか?」鴻巣友季子さんによる、池澤夏樹著『また会う日まで』書評

軍人と天文学者とキリスト教徒の共存? 秋吉利雄は1982年(明治25)に生まれ、少将にまで昇級した海軍軍人であり、敬虔なキリスト教徒であり、優れた天文学者でもあった。この本作の主人公であり語り手は、(著者)池澤夏樹の父方の大伯父にあたる実在の人物だ。  本作は利雄の個人的な回想録であり、しかし同時に、日本の明治末期から第二次大戦終戦後までの近代日本を描く壮大な歴史年代記でもある。そこにはさまざまな戦いと対立があるが、最も大きいのは個人の思想信念と国家共同体のそれだろう。

「まず認知症を受け入れる」 医師である作家が描く認知症介護小説『老父よ、帰れ』、著者・久坂部羊さんのエッセイ

他人ごとではない認知症夢の新薬登場か  今年1月、アルツハイマー病の新薬がアメリカで承認されたというニュースが、新聞各紙を賑わせた。日本の製薬会社も関わっており、同社は日本国内での製造販売の承認を厚労省に申請したという。  すわ、夢の新薬登場かと思いきや、報道をよく読むと、アメリカでの承認は「迅速承認」というもので、これは深刻な病気の薬を早く実用化するため、効果が予測されれば暫定的に使用を認めるという制度で、車の免許でいえば“仮免”のようなものらしい。  承認の根拠は症

植物状態の母と娘にしか紡げない「親子の形」と「生きる意味」とは?作家・町田そのこによる、朝比奈秋著『植物少女』書評

繋がりゆくもの  本作『植物少女』を読んでいる間じゅう、亡き祖母を思い出していた。  祖母は認知症とパーキンソン病を併発しており、その進行は俗に言われる“坂道を転がり落ちる”ようではなく、“落とし穴にすぽんと落ちる”ようであった。言葉を用いてのコミュニケーションはあっという間にできなくなり、次いで表情やしぐさから何かを察するということも難しくなった。祖母が病であることを受け入れられたころにはもう、ベッドの上で無表情に虚空を見つめ、奇妙に体をこわばらせていたように思う。

作家・高橋源一郎さんが読む「ふたりの上野千鶴子」/『上野千鶴子がもっと文学を社会学する』書評を特別公開

おおぐま座のゼータ  おおぐま座でわかりにくければ、北斗七星といえば、わかってもらえるだろう。冬にはまだ地面近くにあるが、春に向って空高く上がってゆく。そのひしゃくの柄の端から2番目にある2等星が「おおぐま座のゼータ」、別名ミザール。およそ400年前、望遠鏡によって見つけられた最初の連星系。すなわち、肉眼では一つにしか見えないが、重力によってお互いに影響を受け合う「連星」だ。だが、真に驚くべきは、そのことではない。それから300年以上過ぎて、「連星」の片割れ「ミザールA」に

大人が読んで面白い『ガリバー旅行記』。柴田元幸さんのみごとな翻訳が生み出した魅力を、英文学者・阿部公彦さんが読み込む

■奇妙なガリバーが生み出すむずむずする魅力 『ガリバー旅行記』という書名をはじめて聞くという人はあまりいないだろう。しかし、「内容は?」と訊かれると言葉に詰まるかもしれない。漱石の『坊っちゃん』などとならび、この本は「子供の頃に読んだきり、手に取っていない本」ランキングでいつも上位にくる。出会いが早すぎて、損をしてきた。  あらためて強調したい。『ガリバー旅行記』は子供が読んでもおもしろいが、大人が読んだらもっとおもしろい。しかも、変におもしろいのだ。  この変さを生み

※終了※【特別公開】夢枕獏氏「キマイラ」完結へ! 40年続く人気シリーズが1年半の休載を経てついに再開/「聖獣変 第1話」を期間限定公開

※特別公開は終了しました。たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございました。 ※特別公開は終了しました。たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございました。引き続き「一冊の本」での連載をお楽しみください。

タイガーバームのにおいとお風呂場の魚たち 柚木麻子さんが眠れない夜に思い出す祖母のこと

■夜の釣り堀  40歳になってから、とくに理由もなく、一睡もできないまま朝を迎えることが頻繁にある。ちなみに昨日もまったく眠れなかった。これはまずい、とあらゆる病院にいってみて、色々な方法を試した結果、漢方薬で徐々に体質を改善していくという方向に今のところ落ち着いている。睡眠導入剤は私には強すぎて、翌日、仕事にまるで集中できなくなるのだ。はじまりは去年の秋。全然眠れない夜がなんの前触れもなく、3回続いた時は、ショックとパニックで自分が自分ではなくなり、最後はデビッド・リンチ

福岡伸一が紡いだ新しい「ドリトル先生」誕生!『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』刊行記念随筆を公開

少年時代の夢がもたらした未来  思い続けていれば、かなう夢がある。少年時代の夢が、なんと還暦を迎えようとする頃に実現した。しかも、それが立て続けに起きた。私には、一生に一度でいいから、実際に行ってこの目で確かめたい場所があった。ひとつは、台湾の離れ小島、紅頭嶼(現在名、蘭嶼)、もうひとつは太平洋赤道直下のガラパゴス諸島である。どちらも絶海の孤島、といってよい。  小学校高学年のことだった。図鑑で、驚くほど優美な、大型のアゲハチョウの写真をみた。その名をコウトウキシタアゲハ