見出し画像

「やっ……てますね」(『不適切にもほどがある! 』)――川添愛「パンチラインの言語学」第7回

文学、映画、アニメ、漫画……でひときわ印象に残る「名台詞=パンチライン」。この台詞が心に引っかかる背景には、言語学的な理由があるのかもしれない。
ひとつの台詞を引用し、そこに隠れた言語学的魅力を、気鋭の言語学者・川添愛氏が解説する連載。毎月10日に配信予定。

 今回取り上げるのは、今年一月から三月にかけて放映された宮藤官九郎脚本の人気ドラマ『不適切にもほどがある!』だ。各所で話題になった本作、私も毎週楽しみに見ていた。謎のバス(実はタイムマシン)に乗って1986年から2024年にタイムスリップした中学体育教師、小川市郎(演・阿部サダヲ)が時代を飛びこえながら活躍し、昭和と令和のギャップを浮き彫りにするコメディだ。
 昭和生まれの人間からすると懐かしいネタが満載で、市郎の娘でスケバンの純子(演・河合優実)が市郎に買ってきてもらったカセットテープに「ノーマルじゃねえかよぉぉ!」とキレるところ などに「そういうこだわり、あったわ~」と共感しまくった。昭和の中学の授業中に机から机へと小さな手紙が行き交うのも懐かしかった。
 しかし同時に、「うわ、昭和に戻りたくねぇ!」と思わせられる場面も多かった。まず、タバコ。路線バスの座席に普通に灰皿がついていたことは、すっかり忘れていた。小学校や中学校の職員室も、確かに昔はタバコの煙でモックモクだった。あと、体罰や連帯責任もわりと普通にあった。私はさすがに「全員ケツバット」を受けたことはなかったが、体育の時間に体操着にゼッケンを付け忘れて来た生徒がいて、連帯責任でクラス全員、校庭を何周か走らされたことがある。今なら「ゼッケンってそんなに重要?」と思うが、自分がゼッケンを付け忘れていたときには両面テープで貼り付けるなどして必死に誤魔化していたので、「怒られる・怒られない」を左右する重要アイテムの一つだったのだろう。
 令和は令和で、会社員がちょっとした言葉遣いのせいでパワハラ認定されたり、テレビ番組のプロデューサーが視聴者からのクレームを気にするあまり過剰にダメ出しをしたりなどといった描写がある。昭和では誰かが苦痛を訴えても「たいしたことない」とか「根性が足りない」などと片付けられるのに対し、令和では「誰かに苦痛を与えた」とされる人間が大勢から寄ってたかってたたかれる。乱暴でテキトーすぎる昭和と、陰険で細かすぎる令和。どっちもしんどいし、ちょうど良い「中間」はないものかと思ってしまうが、この両極端ぶりがこのコメディの主要な要素になっている。

 言葉の面でも、時代のギャップを感じさせる描写が光る。たとえば第4 話では、スマホを買いに来た市郎が窓口で販売員に「料金プランは、スタンダードでよろしかったですか?」 と聞かれ、「よろしかった?」と聞き返す。さらに販売員から「かけ放題、パケ放題の、得々プランがよろしかったでしょうか?」と畳みかけられ、市郎は「なんで過去形なんだよ! おい! 俺が過去から来た人間だからか!?」と詰め寄る。「よろしいですか?」を「よろしかったですか?」と言うようになったのは90年代の後半ごろなので、市郎が違和感を抱くのは当然だ。しかしその次に同じ窓口に来た市郎は、完全に「よろしかった」に順応している 。頭ガチガチの昭和おじさんかと思いきや、未来の世界に強い興味を持ち、意外と柔軟に立ち回るところが魅力的だ。
 今回注目したいのは第3話だ。このエピソードでは、昭和の側で市郎が深夜のお色気番組『早く寝ナイトチョメチョメしちゃうぞ』(通称:早チョメ)の観覧に行く一方で、令和の側では主要キャラの一人である渚(演・仲里依紗)が関わる生放送番組『プレミアムサタデー』(通称:プレサタ)で大問題が起こる。つまりこの回のテーマの一つは昭和と令和のテレビの対比なのだが、『早チョメ』の司会者「ズッキー」をロバートの秋山竜次 、『プレサタ』の司会者「ツツミン」を同じくロバートの山本博が演じている点にもニヤリとさせられる。
 言語学的に見れば、両番組の略称がともに仮名表記で「二文字+二文字」になっているのも「抜け目がないなあ」と思う。作中でも、番組の名前が「略して四文字」になることの重要性が説かれている。そこでは「ハッシュタグで検索しやすいように」と理由が述べられているが 、日本語の性質としても「二文字+二文字」で四文字になる略語が好まれる。この連載で以前、日本語の音声の基本単位は「仮名一文字ぶん」の「モーラ」という単位だと説明したが、日本語では「二モーラ」でひとかたまりになりやすく、それが「二モーラ+二モーラ」の略語が心地よく聞こえるという現象に関係している。そういえば、『不適切にもほどがある!』の略称も、「ふて(二モーラ)+ほど(二モーラ)」で「ふてほど」。日本語を分かりすぎている。
 で、『プレサタ』で起こった大問題とは何かというと、生放送の直前に司会者ツツミンの四股不倫が発覚したことだ。面白いことに、プロデューサーから不倫が事実かどうかを問われたとき、ツツミンは心ここにあらずといった表情で「やっ……てますね」と答える。その後に続くやりとりでも、ディレクターから「口にするのもはばかられる文面」のメールを本当に送ったのかと詰め寄られて、「送っちゃってますね……」と答える 。「やりました」「送っちゃいました」ではなく、「やってますね」「送っちゃってますね」となっているのがポイントだ。
 まず、ここで終助詞「ね」が使われているのが面白い。「ね」の用法も、前回取り上げた終助詞「よ」に負けず劣らず複雑だが、ふだんよく聞く「~ね」では聞き手が「~」の内容をすでに知っている場合が多い。たとえば「今日はいい天気ですね」の「ね」は、相手も「今日は天気がいい」ことを知っているのを前提にして、自分も同じように思っているよ、と共感を示す。また、手品でマジシャンが「あなたのカードはハートのAですね?」と聞くのも、聞き手が「私のカードはハートのAである」と知っていることを確認するのに「ね」が使われる例だ。
 これらに対し、「やってますね」「送っちゃってますね」では、話し手であるツツミンしか知らないことに「ね」が付いているという点で、上記の「共感」の「ね」とも「確認」の「ね」とも異なる。
 こういった「ね」を統一的に説明するのは非常に難しいが、いくつか文献を探ったところ、加藤重広の2001年の論文[1] の分析が有効であるように思った。同分析を平たく説明すると、「~ね」は話し手が「~」の部分について、「自分だけがその情報を独占しているわけではない(つまり、他人の方が自分よりも正確に知っていてもおかしくない)」という気持ちを表明する、というものだ[2]。それに伴い、他人が「〜」の内容を否定する余地が残る。これに沿って考えれば、「やってますね」「送っちゃってますね」は、ツツミンが「(不倫を)やっている」ことや「(口にするのも憚られるメールを)送っちゃってる」ことについて、自身の行いであるにもかかわらず、「本当にそうなのか自信がない」とほのめかしていることになる。「やってますね」の醸し出す「他人事ひとごと感」は、こういうところから来ているように思われる。
 また、「ね」以外の部分についても、「やりました」ではなく、「やってます」になっているのが面白い。「やってます」は正確には「やっています」であり、「〜ている」という表現が入っている。これは「過去の経験の存在」を表すタイプの「〜ている」で、「〜したことがある」に似た意味を持つ。この「〜ている」が付くと、「その経験の影響が今も残っている」ことが表現されると同時に、「それは自分の中ではすでに終わったことである」という感じも出る。ツツミンは、自分にとって都合の悪い出来事と距離を取りたいあまり、「やってますね」という表現を使ったのかもしれない。ロバート山本さんが 得意とする悲しげな表情と相まって、「やらかしてしまった人」の心情が、このセリフによって最大限に表現されているように思う。

 その他、個人的にはタイムマシン開発者の井上(演・三宅弘城)が、「(三半規管が)イィィ~~ってなっちゃって」 とか、「タイムパラドックスが生じると……ビリビリィ~ってなります。いや、ビリビリィ~っていうか、ズ、ズバババ、ズバ……」 のようにオノマトペを多用し、渚から「大学教授ですよね?」とツッコまれるところも大好きだ。井上教授はタイムマシンの試運転の場面でも、公共交通機関の運転手にありがちな鼻にかかった発音で「ドア閉まりや〜す」 と言うという小ネタを挟んでおり、私は不意を突かれて爆笑した。こういったセリフ回しの面白さを味わうために、もう何回かリピート視聴することになりそうだ。


[1] 加藤重広 (2001)「文末助詞「ね」「よ」の談話構成機能」、『人文学部紀要』35、pp. 31-48、富山大学人文学部。

[2] この部分は、加藤 (2001) のp.43にある分析を筆者が言い換えたものである。以下、該当部分を引用する。言い換えに伴う不備や誤解はすべて筆者の責任である。

(48) 「ね」は,話題になっている命題内容について,発話者が排他的な知識管理を行う意思がないことを示すという,談話構成機能を持った談話標識である。
 「排他的な知識管理」というのは,話題になっている知識や情報に発話者のみが優先的にアクセスできる状況にあるということである。従って,命題内容については議論の必要がないという認識を持っていることになり,命題内容の真偽や受容に関しては優先的な知識管理を行う以上,責任を負うことになる。

■前回はこちら

https://webtripper.jp/n/na32a62fca824

■第1回はこちら

https://webtripper.jp/n/n5bacc0b3dc50

川添 愛 (かわぞえ・あい)
言語学者、作家。九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻し博士号を取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。著書に、『白と黒のとびら』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』『ふだん使いの言語学』『言語学バーリ・トゥード』『世にもあいまいなことばの秘密』など多数。