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北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第9回


第4峰『酔いどれ小籐次』


 
下級武士の逆転人生!
オヤジの夢を叶える人気シリーズ

冴えないオヤジが藩主のために立ち上がる

こんなにダメな主人公が、かつていただろうか
 
 いよいよ全オヤジ読者が拍手喝采した会心作の登場だ。佐伯時代小説は数あれど、中高年男性ファンにアンケートを取ったら、人気ナンバーワンの主人公は本作の赤目小籐次だろうと思うほど、いい夢を見せてくれる。
 
 時代小説の主人公はだいたい見た目のいい2枚目として描かれる。これまで読んできた佐伯作品のヒーローたちも全員カッコ良く、強さにふさわしい肉体を備えていた。しかし本作はその王道から大幅に外れている。
 
 タイトルからして「酔いどれ」だ。「小籐次」という名前にも大物感がない。このシリーズはあえて王道とは違う道を進むぞ、と宣言しているようなものだ。
 
『酔いどれ小籐次』の刊行開始は2004年。シリーズ作品としては後発で、その後に始まる長編シリーズは、翌2005年に始まる『交代寄合伊那衆異聞』のみである。さんざん2枚目ヒーローの活躍を描いてきた佐伯泰英が、一味違うヒーロー像を模索して生み出したのが小籐次だったと思えなくもない。
 
 シリーズ名から、ジャッキー・チェンが主演した『酔拳』さながらに、酔えば酔うほど凄みを増す酔っぱらい剣法の達人を連想する人がいるだろう。大人気作である『居眠り磐音江戸双紙』の居眠りが、気合を表に出さない闘い方を表す言葉だったことから、千鳥足での変わった戦い方をするのか、と深読みする読者もいそうだ。
 
 だが、そうした予想はあっさり外れる。小籐次は大酒飲みだが、武術には何の関係もない、破格の個性を象徴する要素として使われている。それだけではなく、やるからには徹底的にと言わんばかりに、作者は読者の想像を超える異形のキャラクターを打ち出してきた。
 
 まずは年齢。開始時点で49歳のアラフィフなのである。現代でも十分オヤジだが、江戸時代なら初老どころか爺の域。体力的にはとうにピークを過ぎ、下り坂一直線であっておかしくない。
 
 外見も不細工。小籐次は身長5尺1寸(153センチ)と背が低い。そのくせ顔はでかく、髪が薄い。さらに団子鼻で耳が大きくしわだらけ。作中では「平家蟹が梅干しでも食った顔」とさんざんな書かれようだ。
 
 まだある。貧乏なのだ。豊後森藩の従士で、仕事は馬の世話をする厩番なのだが、サラリーは3両1人扶持の最低ランク。年俸で3両と米5俵ほどの収入で、食べていくのもままならない。身分の低い武士を〝サンピン侍”と呼ぶが、まさにそれで、作品中では下女奉公より収入が低いと書かれている。
 
 サラリーマンに例えるなら、出世の見込みのない高齢の平社員というところだろうか。ここまでいいところなし。時代小説のヒーローというよりは、ギャグマンガの主人公みたいな風貌と現状だ。
 
 前述したように大酒飲みでもある。ただの酒好きや酔っぱらいオヤジではなく、3升くらいは一息に飲み干してしまう破格の酒豪。49歳までマジメにコツコツ働いてきた小籐次の人生が、あらぬ方向に向かいだす原因も飲み過ぎによる失敗のせいだった。
 
 小籐次のキャラクターを構成するこれらの要素に共通するのは過剰さだ。歳を取りすぎ、見た目が悪すぎ、貧しすぎ、飲みすぎ。多少劣る程度ならおもしろくないことも、度を越せば強烈な個性になってくる。
 
 もちろん、あえてそうしているのだ。ヒーローらしからぬハンデをどっさりつけられた主人公が何をしでかし、どこまで人生を巻き返せるのか。おもしろいテーマだ。酔いどれ下級武士を主役にするトリッキーな着想を得て、作者はニヤリとしたのではないだろうか。
 
解雇に追い込まれた下級武士のそれでも消えない忠誠心

 冒頭、赤目小籐次は墓地で寝ている。大酒の催しで飲みすぎ、墓場で眠りこけてしまったのだ。しかも2日2晩こんこんと寝続けた。
 
 どれほど飲んだのか。3升入りの塗杯で5杯である。1斗5升を飲み干して酔いつぶれてしまったのだ。上には上がいて優勝は逃したが、好きな酒をたらふく飲めて、褒賞の2両を獲得したことに喜ぶ小籐次。立ち上がる姿の描写で、小柄で大顔、額が禿げ上がり、団子鼻に大きな耳という外見上の特徴も明かされる。
 
 軽快でユーモラスな滑り出しにはしっかりオチがつく。小籐次は豊後森藩1万2500石の下屋敷に勤める徒士で、8代目当主である久留島通嘉の江戸出立を見送る仕事をすっぽかしてしまったことを上司にきびしく咎められ、クビを言い渡されてしまうのだ。
 
 赤目家は代々森藩に仕える身で、身分は低いがそれなりに認められていた。上司は本気でクビにするつもりではなかったが、小籐次は真に受け、貧しいながらも武士としての身分が保証されていた藩から飛び出してしまう。
 
 この場面の直前に明かされるのが、一級品の武芸の腕である。小籐次は5歳の頃から父に来島水軍流の技を叩きこまれ、同流派の正剣十手脇剣七手を使いこなす剣の達人。揺れる船上での斬り合いを想定しているため、どっしりと腰の据わった構えが基本形だ。
 
 剣は備中国の刀鍛冶・次直が鍛造した2尺1寸3分の豪刀。ただし、厩番であるためなのか、その技を藩で披露したことはなく、同僚たちでさえ小籐次の真の実力を知らない。
 
 そうこなくちゃ、と早くも読者のなかに小籐次の武術に期待する気持が沸き起こる。冴えないオヤジにも光るものがあった。しかも、外見ではなく、生死を分かつ場面で生きる力である。この大きな武器を元に小籐次がどこまでやれるか見せてもらおうじゃないか、という気にさせられるのだ。この時点で、なんだかヘンな侍が出てきたという戸惑いから、人間は中身が勝負だという気持に読者心理を変化させるところが心憎い。
 
 つぎの行動がまた、オヤジ読者をしびれさせる。藩を抜けた小籐次は、西に向かって進んでいく通嘉を、旅の安全を願いながらそっと見送り、行列が去った後で上げた顔には涙の跡がこびりついていたと記される。あえてクビになったのは通嘉に恨みがあってのことではない。それどころか、貧しい小藩のため城を持たないことを他の藩主たちにバカにされたとき、諍いを避けるためにぐっと怒りをこらえざるを得なかった悔しさを、通嘉に代わって自分が晴らそうと決意しているのだ。
 
 そこまでする動機について、通嘉が幼かった頃の先代藩主とのエピソードが用意され、身分とは関係なく、小籐次が通嘉を慕っていることが読者に種明かしされる。そうとは知らず、小籐次をクビにした上司のミスではあるが、じつはこれ、小籐次の周到な作戦でもあった。どうやらこの男、つらい思いをした通嘉に代わって恥をかかせた4藩に一泡吹かせるべく、酔いつぶれる失態を演じたフシがある。理由も告げずに藩を抜けたら裏切り者になってしまうが、間抜けな厩番がクビになる分には藩を敵に回す心配がない……。
 
 こんな調子で立ち上がる長編シリーズ。通嘉の信頼と小籐次の忠誠心は藩との関係が切れた後も揺らぐことなく、物語の根底を支えていく。小籐次が忠誠を誓うのは森藩ではなく通嘉。人と人の縁やつながりを大切にする考え方が、小籐次その人の魅力にもなっている……、と説明してみたが、何も考えずに読んでいくだけで、小籐次の気持ちはすいっと読者の胸に入ってくるので心配はいらない。
 
御鑓奪取を目指し、たったひとりで闘う男

 まだ始まったばかりだというのに、ここから佐伯泰英はギアを徐々に上げるのではなくいきなりトップに入れてくる。希望通りに野に放たれた小籐次が、藩主の汚名をそそぐべく暴れ出すのだ。序盤で強いインパクトを読者に与えることにかけては天下一品とはいえ、ちょっと飛ばし過ぎではないかと思うほど急展開の連続になる。
 
 小籐次の目的は単純である。通嘉をからかい、恥をかかせた4つの藩に、当然の報いとして屈辱を与えることだ。では何をするか。このアイデアがすごい。大名家のシンボルである御鑓を次から次へとかっさらおうと考えるのである。
 
 復讐心はあるけれど、誰かの首を取るといった血なまぐさいものではなく、4家のメンツを丸つぶれにすべく身体を張ろうとするのだ。なるほど、こんなふざけたことは、藩をクビになり勝手に森藩応援団になった小籐次だからできることに違いない。
 
 それにしてもヘンな活劇だ。時代小説数あれど、こんなに笑える復讐案があっただろうか。作者の遊び心もあっただろうが、あえてそうしたのは、武家社会の滑稽さをわかりやすく伝える側面もあるだろう。メンツばかりを気にする武士社会を皮肉る目線は、シリーズ全体をうっすらと覆う隠しテーマになっていると思う。
 
 もうひとつの注目点は、小籐次がたった1人で計画を練り、誰の手も借りずに実行に移すこと。常識的に考えて、1対数百では勝ち目のなさそうなチャレンジを、どうやって成功させるのか興味をそそられる。当然、荒唐無稽の展開になるのだろうが、それでもいいから早く読みたい……。どんどん術中にはまっていくのだ。
 
 このように、小籐次がどのようにして不可能に思えるミッションをやり遂げるのかが第1巻の読みどころ。多勢に無勢の戦いでは刀を振り回したところで勝ち目はない。どうするか。御鑓を奪い取るため、これまでの佐伯作品には見られなかった軽業師のように立体的なアクションで相手の裏をかきまくるのである。
 
 宿場町に連なる屋根を駆け抜けて、御鑓のすぐ近くに着地し、最小のエネルギーで奪い取る大胆不敵な行動には、笑いながらも胸のすく思いがした。隊列をかき乱す定石無視の小籐次に右往左往する敵方の滑稽な反応、追手との対決など、見せ場もたっぷり。日々の鍛錬で人知れず磨き上げてきた武術と、これまで発揮されることのなかった運動能力が一気に花開き、痛快な読み心地だ。
 
 冷静に考えて出来すぎではある。小籐次、超人的すぎるだろうと呟いてみたりもする。だが、ここはオヤジ武士の奮闘ぶりに身を任せるのが正解。常識的にあり得ない〝笑撃”の御鑓奪取作戦に、可能な限りエンタメ度を高めていこうとする作者の意図を感じることができるだろう。
 
 また、森藩とは無関係な人間の仕業を装うため、かたくななまでに単独行動を貫くところには、小籐次の忠誠心や生真面目さが表れていて、結果が予測できたとしても心が躍る。疾走感を保ったまま徐々に登場人物を増やし、先々のための伏線を無駄なく張っていることにも後で気づかされる。
 
 御鑓を奪われた4家は、沽券にかけても鑓を取り返すべく、協力体制を組んで小籐次の元へ殺到する。
 
 事が公にならないうちに片をつけないと、世間の笑いものになるばかりか、大名としての立場が危うくなるからだ。
 
 目的を果たした小籐次は、江戸の裏長屋に部屋を借り、地味な暮らしを始めようとしていた。しかし、4家が放っておくはずもなく、長屋は上を下への大騒ぎ。「鑓を返せ」「その前に通嘉に正式な詫びを入れろ」と、アクションシーンを交えつつ、子どものケンカみたいな応酬が繰り広げられるのである。
 
 藩を抜けているのに、藩の名誉を守るために1歩も引かないオヤジ武士・小籐次。御鑓を奪取する前半から、政治的決着で4家に返還される後半まで、スピーディーな展開とユーモラスな会話が連続し、まさに一気読みのおもしろさ。
 
 そして読者は、残り少ないページをめくりながら思うのだ。
 
 こんなに胸躍る第1巻を書いてしまって、作者はこの先、どうやって話を進めていくつもりだろうか……。
 
藩を離れた小籐次は裏長屋の住人に

 決定版の巻末インタビューで、作者がこの物語を〝男の夢”だと述べていることから察するに、底辺にいた小籐次の人生がいい方向に向かうのは間違いなく、いくつかの筋書きを考えることができる。
 
 ひとつは、藩のピンチを救ったことで能力が認められ、めでたく藩に復帰して出世街道を突っ走るパターンだ。藩主の通嘉に気に入られている小籐次を快く思わない同僚や、幹部の権力争い、4家との因縁、藩の財政を立て直すための思い切った施策などネタには困らず、小籐次のキャラクターをもってすれば爽快な成りあがり小説に仕上げることができそうである。
 
 第1巻の勢いそのままに奇想天外な戦法で武勲を上げてゆく、ユニークな剣豪小説路線もあり得る。一難去ってまた一難。森藩にトラブルが降りかかるたび小籐次の出番となり、ギリギリのところでピンチを救ってしまうのだ。食い扶持稼ぎと人材育成を兼ね、藩主の命で道場を開いたりもして、通嘉との絆に人生を捧げつつ後継者も育てるのは生きがいにつながるだろう。
 
 しかし、そうはならないのである。武家社会の出世物語や、剣の道を極める物語は、佐伯泰英が生み出した、大酒飲みで貧乏だが気骨があって腕が立つ男が抱く夢ではないのだった。
 
 その兆候はすぐに現れ、第1巻の終盤から、物語は少しずつ方向転換してゆく。小籐次に執着する4家が送り込んでくる刺客との争いは第2巻以降も続くのだけれど、それが本線とはならない。小籐次が属していた森藩は吹けば飛ぶような小藩だし、しつこく絡んでくる四家の讃岐丸亀藩、赤穂藩、肥前小城藩、豊後臼杵藩も小粒だからだ。これら5家がいくら争ったところで、スケールの大きな話には発展しないのである。
 
 それよりも、佐伯泰英はひょんなことで長屋暮らしをすることになったオヤジ武士の人生模様を描きたかった。最初から狙いはこっちだったと考えると、ここでいったん落ち着いてくれるほうが読者も一呼吸つける。『酔いどれ小籐次』は全19巻。先は長いのだ。
 
 それでも派手な第1巻が必要だったことは、第2巻に手を伸ばそうとする読者諸氏ならわかってくれるだろう。
 
 小籐次は規格外の酒飲みで、戦いぶりは奇想にあふれている。遠い昔に交流のあったはるかに年下の藩主を敬い、労をいとわず、目先の利益を追わない行動をしばしば取る。優しい人柄で、困っている人を放っておけない。単独行動を恐れない。風貌はさっぱりイケていないが、あきらめているのか卑屈にならず、自虐的なギャグにしたりする。貧乏だが金銭欲はあまりない。女性にモテた経験もない。しかし、剣を持たせたら圧倒的に強い。第1巻でお披露目された型破りな主人公が、何のアテも計画性もないまま長屋暮らしを始めるところにワクワク感がある。
 
 そして、ここがカンジンなところだが、藩を抜けてまで通嘉のために闘って名誉を回復したことで藩に復帰するチャンスを得ても、自分が戻ると迷惑がかかると、かたくなに固辞する。4家から見れば自分は今後も〝わが藩に恥をかかせた男”であり続けるわけで、それならば江戸の片隅でひっそりと暮らしつつ通嘉を見守っていこうと決めるのだ。
 
 おもしろいことに、小籐次の個性がわかってくるにつれて読者がこの男に抱く印象も激変してしまう。こうなるのは風貌と行動のギャップが大きいから。とことんイケてないオヤジ侍だったはずなのに、やるじゃないか小籐次、いいヤツだ小籐次、と気づけば評価が急上昇。作者が小籐次に叶えさせようとする夢の正体はまだ見えないものの、ひとりぼっちで長屋暮らしを始める男を応援したい気持ちにさせられ、「赤目小籐次の運命、これからどうなるんだ?」と、興味津々になるのである。
 
 この感情は、これまで読んできた作品にはなかったもの。主人公は最初から強くてかっこいい男たちで、小説内でのみ命を与えられた別世界の住人然としていた。その点、小籐次は違う。強いことは強いけれど弱みも多くスーパーマン的ではないのだ。読者の多くは、自己を投影しやすいキャラクターの持ち主を応援したくなり、どんな夢を叶えていくか見届けたくなってしまう。
 
 まんまと作者の思惑に乗せられてしまった感は否めないが、それより期待が上回ってしまうのは、これまで読んできたシリーズとは異なり、笑いの要素を大きく取り入れている点も大きい。
 
 造形からもわかるように、小籐次はどこかコミカルでひょうひょうとしている。ずっと武家社会の底辺にいたため世間ずれもしていない。そのため、最初は長屋の住人たちからも「妙なオヤジがきた」というふうに迎えられるのだが、実直な性格からすぐに好感を持たれ、住人たちから親しまれ、頼りにされる人物になっていく。
 
 自然な形で馴染んでいくので特別な感じがしないのだが、小籐次のこの立ち位置は新鮮だ。わけあって藩を抜けた武士が長屋暮らしをする話はたくさんあっても、藩に戻る気がない主人公はそれほどいない。小籐次は庶民暮らしの初心者だから、ひとつひとつ、隣近所に手ほどきを受けて処世術を覚えていく。それは読者とて同じこと。小籐次の奮闘を追いながら、長屋の人間関係や江戸後期の生活様式に馴染んでいける。そうして、物質的な豊かさには乏しくても、人と人の距離が近い、どこか懐かしい生活を好ましく思うようになるのだ。

※ 次回は、7/13(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)


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