北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第23回
第10峰『古着屋総兵衛影始末』『新・古着屋総兵衛』其の参
『新・古着屋総兵衛』の主役は、まさかの新キャラだった
10代総兵衛にこめた佐伯泰英の狙いとは
佐伯泰英山脈の登山も後半に差し掛かると、仕事部屋に佐伯本があふれかえっている状態になる。
紙の本は読みやすいが、かさばるのが難点なのだ。頭を悩ませた私は、シリーズごとに段ボールにまとめ、ベッド下のスペースに収納している。
『古着屋総兵衛影始末』を読み終えたので、購入したまま段ボール箱にしまっていた『新・古着屋総兵衛』全18巻をベッドの下から引っ張り出して机の上に積み上げた。読み終えた巻から段ボールに戻せば混乱なく読み進められ、読了後もすみやかに元の場所に戻すことができるので、これから佐伯本を読もうとする本好きにおすすめの方法だ。
そのようにして読み始めた『新・古着屋総兵衛』は暗い雰囲気で始まる。9代目総兵衛は死の床にあり、跡継ぎが早世しているため、大黒屋は存続の危機を迎えていた。
時は前シリーズから約100年後の享和2年(1802年)。つまり、当シリーズは10代目の物語ということになるのだろう。6代目が活躍した前シリーズから、意味もなく4代飛ばすわけがない。あえて10代総兵衛を主人公にしたところに、本作を読み解くカギがありそうだ。
作者の気持ちになってみれば、同じような時代設定や組織のメンバーより、登場人物を総入れ替えして心機一転するほうが書きやすいだろう。読者も一緒で、似たような顔ぶれに囲まれた7代目より江戸時代後期のほうが新味がある。
ただし、主人公の総兵衛が鳶沢村の精鋭たちと力を合わせ、先祖が家康から命じられた徳川家の守護という役割を果たしていく基本的な構図は変わらない。きっと〝影”もいるだろう。
そう考えると、この続編は前シリーズと同じ設定で書かれた別の時代の物語ということもできる。エンタメ時代小説に持てる力のすべてを注ぎ込む佐伯泰英のことだ、制限がある中でどんな違いを生み出せるか、張り切って執筆に取り掛かったのではないか。
……やはりそうだった。跡継ぎがいないまま9代目が亡くなるようにしたのは、10代目にトリッキーな人物を持ってくるための前振りだと予測できていたのに、軽々とその上をいかれてしまったのである。
10代目大黒屋総兵衛になったのは、グェン・ヴァン・キ(和名=今坂勝臣)。なんと、鳶沢一族の面々が今なお尊敬してやまない6代目総兵衛(前シリーズの主人公)の血を引く男だった。大柄で肌の色が浅黒い、かなり流ちょうに日本語を使いこなす若者である。
そうか、あれは続編のための布石だったのか……。
私は思い出した。前シリーズ終盤で難破した大黒丸は、潮に流されて異国の島にたどりつき、長期間の修理を経て日本に帰っていく。家族が気になる乗組員たちは一刻も早く船を動かすことしか考えず、総兵衛も同様のはずなのに、なぜか唐突に異国の娘と親しくなって情を交わす一幕が差し込まれていたのだ。仕事人間でストイックな総兵衛がどうして? と疑問を抱いたが、以後その話が出てくることもなかったのですっかり忘れてしまっていた。
あまり細かいことを気にするのは止めよう。強引であれ、6代目と10代目の関係が示され、鳶沢一族の人たちがグェン・ヴァン・キを6代目総兵衛の血を引く者と認めさえすれば問題はない。
カンジンなのは、このキャラクターが統率力も人間性も並外れていた6代目と個性が異なるヒーローに育つかどうか。異人(現在のベトナムがルーツ)であること、外国語に堪能であること、船の扱いに長けていることなど、作者が10代目に与えた特徴が、物語の行方に大きくかかわってくるのは間違いないところだ。
佐伯泰英は大胆にそれをやってのけた。西欧諸国が日本への関心を高めていった時代背景を使って、前シリーズ後半で6代目が試みた、大型船を建造して海外と貿易を図るプランを一歩も二歩も前に進めてみせたのである。
日本はその後、1853年の黒船来航であたふたとし、否応なしに開国を迫られていく。本シリーズはその約半世紀前を舞台に佐伯泰英が腕を振るう「こんな裏歴史があったらおもしろいのに」を形にした野心作なのだ。
古着フェスで江戸を盛り上げ、大型船で諸外国と対峙する
10代目総兵衛を襲名したグェン・ヴァン・キ(以下、総兵衛と記す)は大番頭の光蔵から商売の基本や江戸での生活を学び、たちまち周囲に存在を知らしめていく。
9代目の死去で沈んでいた富沢町の勢いが蘇れば、活気づくのは敵方も同じ。早くも第2巻では異人の姿が見え隠れ。第3巻では大黒屋と相互監視する役割を家康から受け継いでいる〝影”の暴走を総兵衛たちが防ごうとする、血沸き肉躍る展開が用意されている。
「飛ばし過ぎじゃないのか佐伯さん」と声を掛けたくなるところだが、おかまいなしで話は進む。日光から海路で金沢、別の巻では京を訪れるなど、総兵衛はしばしば江戸から離れることになるのだ。
桜子という娘との恋愛も始まり、少しばかり個人プレーの目立つ総兵衛。その不在を任されているのは大番頭の光蔵以下、琉球武術の達人である信一郎、弩(東アジアや中国で使われた発射機構を持つ弓)の遣い手参次郎、2代目綾縄小僧こと天松、大黒屋の内部全般を仕切るおりんなどの面々。作者はここでもひと工夫し、鳶沢一族だけではなく、総兵衛とともに江戸へ来た今坂一族などを加えて陣容を分厚くする。
これまで、鳶沢一族は自分たちの秘密を守るために外部の人材を登用してこなかった。しかし、10代目は自分が外から来た人間ということもあって、良いと思えば幅広く仲間を受け入れる合理性を持っている。これが功を奏した。単純な話、鳶沢一族だけの戦術では使われるはずのない武器や技術、海の知識が出てくるだけで前シリーズとの差別化が図れる。バリエーションが増えるのは読者にとってもうれしいことだ。
登場人物で私が気に入ったのは、おこも(乞食)出身の少年ちゅう吉という〝異分子”。優等生ばかりになりがちな大黒屋メンバーを内側からかき回す、べらんめぇ口調のちゅう吉が出てくると、途端に筆が勢いづき、前シリーズでは封印されていたユーモラスな場面が続出するのだ。シリーズ中盤以降は、総兵衛が京を旅したときに知り合って鳶沢一族に加わった柘植一族の少年だいなごん(こちらはボンヤリしたキャラクター)にもその役割を担わせている。
何が違うのかと注意して読んでみたら答えがわかった。大黒屋内で重んじられる規律や序列に、〝異分子”が出てくると風穴があくのだ。光蔵はちゅう吉をたしなめようとし、兄貴分の天松は対抗心をむき出しにして浮足立つ。それを総兵衛が「ちゅう吉の言い分も聞いてみましょう」となだめ、ちゅう吉でしか成し得ない行動や思考によって活路が開ける。
こういう描写で仲間内で凝り固まることのリスクを伝えられた読者は、会社やそれ以外の交際における我が身の問題に置き換えて考えるかもしれない。もちろん考えなくても支障はないのだが、時代小説を読みながらそんな体験ができるのはおもしろいと思う。
ところで、私は佐伯泰英という作家のユーモアセンスが好きだ。これまで読んできた作品では『鎌倉河岸捕物控』の亮吉の生き生きとした語り口や突飛な行動に笑わせてもらった。『居眠り磐音 江戸双紙』でも、これといった活躍をしない竹村武左衛門がときどき出てくるのが楽しみで、本筋とはさほど関係のない世間話でくすりとさせられることが多かった。会話のテンポや合いの手がうまいのだろう。
しかし、亮吉や武左衛門は脇役である。主人公のそばにいてこそ光る人材で、彼ら中心に話が進むわけではない。『酔いどれ小籐次』の小籐次にはとぼけた味わいがあったけれど、マジメさがそれを上回り、笑いはさほど重視されなかったように思う。
もしも佐伯泰英が笑いにさほどの興味を持っていないのだとしたら、そこが悔しい。私の願いは、読者を笑わせつつホロリとさせるようなユーモア時代小説を書いてもらうことだからだ。出でよ、底抜けに楽しく間抜けな主人公。
話を戻そう。不在がちな上、南蛮船を凌駕する大型船の建造に夢中な総兵衛も、江戸を軽視するわけではない。表の貌である古着商いが順調でなければ、大型船での仕入れ旅ができないし、裏の貌である徳川家の守護がおろそかになれば敵につぶされてしまうからだ。読者に安心感を与える、いい意味での定番を作るため、作者は古着市の開催頻度を上げつつ大黒屋の建物を改造・強化する計画を同時進行させていく。
ここで、本シリーズ名にもなっている〝古着”について解説しておこう。リサイクル精神が発達していた江戸時代、庶民は高価な新品の服ではなく、古着を買って修繕しながら長く着るのが普通だった。古着を扱う大黒屋が大店になれたのはそういう生活スタイルであるが故のことなのだ。また、日本橋富沢町は実在し、町名から鳶沢一族を発想したところが作者のオリジナル。古着市も開催されており、大人気イベントだったそうだ。
古着市では巨大な金が動く、人でごった返して悪者が紛れ込みやすいなど、事件発生にうってつけ。本シリーズでは人気沸騰の古着市を大黒屋が中心となって恒例行事とし、そのたびに騒動が持ち上がっては解決に向かうのがお約束となっている。
建造物の改造というのは、近所のつぶれた商店を買い取った大黒屋が、その商家と大黒屋を結ぶ秘密の通路を作る計画。これによって大黒屋はますます忍者屋敷化し、難攻不落の要塞のようになる。前シリーズとのつながりという点でも大黒屋周辺のエピソードは欠かせず、場面が江戸に戻ってくると読者もホッと一息つける感じだ。
※ 次回は、10/19(土)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)