見出し画像

漢文という裏技――李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第12回

台湾出身の芥川賞作家・ことさんによる日本語との出会い、その魅力、習得の過程などが綴られるエッセイです。

第12回 漢文という裏技

 

 日本の中高生も中国の古典を習うのを知った時は驚いた。

 それもそのはず――だって、台湾の中高生は日本の古典を習わないもの。『古事記』『万葉集』『源氏物語』などは台湾の国語の授業には登場しない。もちろん、『ソクラテスの弁明』も『神曲』も『マクベス』もだ。

 例えば台湾の高校の授業で『古今和歌集』や『オデュッセイア』を扱うとする。当然ながら、大抵の高校生は日本語やギリシャ語ができない。稀にできる人がいても、古文までは読めないだろう。だから読むにしても原文ではなく、一旦中国語に翻訳して、訳文で読まなければならない。ちなみに私は高校の授業で芥川龍之介「蜘蛛の糸」「羅生門」「藪の中」などを読んだのだが、もちろん中国語訳である。

 それなのに、日本の中高生は李白や杜甫や陶淵明を読むというのだ。しかも翻訳ではなく、原文で読むらしい。一体どうやって?

 ――春眠不覚暁、処処聞啼鳥。夜来風雨声、花落知多少。

 もうこうねんの五言絶句「しゅんぎょう」は、台湾では小学生でも知っている有名な唐詩(唐の時代の詩)である。中国語を母語とする人がこの詩を読む時は、当然、上から下へ一文字ずつ読んでいく。「チュンミェンブージュエシャウチュー  処チューウェンティーニャウ」というふうに。詩だから当然、韻を踏んでいる。この詩の場合、「シャウ」「ニャウ」「シャウ」がいんきゃく(韻を踏む場所)に当たる。一句五文字(=五音)で四句からなるこの詩はリズムもよく、韻も踏んでいるので、中国語母語話者にとっては覚えやすいわけである。私も小学生の時からこの詩を何の違和感もなく覚えていた。

 しかし、中国語ができないはずの日本の中高生も、この文字列が読み解けるというのだから、驚きなわけだ。「春暁」だけではない。「飛流直下三千尺、疑是銀河落九天」「国破山河在、城春草木深」「有朋自遠方来、不亦楽乎」も読めるというではないか。

 高校時代、ツアー旅行で九州に行ったことがある。長崎の孔子廟を訪れた時、「とも、遠方より来たる、また楽しからずや」と書いてある金属板を見かけた。その時にピンと来た。どうやら日本人は(私から見たらとても謎の)秘術を持っていて、その秘術を駆使して「有朋自遠方来、不亦楽乎」を「朋、遠方より来たる、亦楽しからずや」という日本語の文章に変換しているらしい。そして日本語に変換すると、日本人には理解できるらしい。

 そこで私は考えた。ということは、私がその秘術を習得すれば、日本語の作文でも中国の古典を自由に引用できるのではないか! そうすると、まだ日本語のレベルが低い私でも、中国の古典の力を借りて表現の幅を大きく押し広げられるのではないか!

 

 台湾では高校生ともなれば、漢詩や漢文など中国の古典を数百くらいは読んでいる。小学生のうちに孟浩然「春暁」やおうかん「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる)」、李白「せい」くらい誰でも暗誦できる。中学生になれば「じゅうきゅうしゅ」「もくらん」など簡単な漢文や漢詩、そして『論語』の有名な章を読むし、高校生になるとその量はさらに増え、最も時代の古い『きょう』『』から、比較的最近のしょくせきへきのふ」や明代・清代の小説(『こうろう』など)まで、古典の中で名作とされるものを一通りさらう。私みたいに文学が好きな生徒はとりわけ古典の暗誦に力を入れる。中学時代から、私ははくきょちょうごん」みたいな長い詩を丸暗記し、せいしょうのような女性詞人が書いた宋詞もそれなりに覚えた。古典を暗記しては、友人との会話で引用したり、自分の書く文章で活かしたりした。

 私はデビュー小説『独り舞』の中で、台湾の女子高校生同士の会話シーンを描いた。主人公のジャウインメーは台湾随一の大学に受かったが、恋人のシャウシュエは落ち、地元に残って一年浪人することになった。つまり二人の離れ離れになる未来が決まった直後の会話である。

 

趙迎梅「結局……人生不相見じんせいあいみざること動如参与商ややもすればしんとしょうのごとし、か」

小雪「縁起でもないこと言わないで。二十年も離れないよ。無為在岐路なすことなかれきろにありて児女共沾巾じじょとともにきんをうるおすを

趙迎梅「そう言われても、児女だから仕方無いじゃん」

 

 地元に残って浪人をするという小雪の決意を聞かされた趙は、悲しげに唐代・杜甫の詩「贈衛八処士えいはちしょしにおくる」を引用して別離を嘆いた。「贈衛八処士」は、文字通り「衛八処士」という親友に贈る詩だが、「処士」とは隠者、隠遁生活を送っている人のことである。杜甫はこの親友と二十年ぶりの再会を果たした時、この詩を書いて贈ったのだ。「人生不相見、動如参与商」は、「人生というのは夜空の星のように、一度別れたらなかなか会えないものだ」という意味で、別離の嘆きに相応(ふさわ)しい詩句である。

 当然、小雪もこの詩が作られた背景を知っているので、それを踏まえて「二十年も離れないよ」と返し、その上で唐・おうぼつの詩「送杜少府之任蜀州としょうふのにんにしょくしゅうにゆくをおくる」を引用して趙を慰めた。「送杜少府之任蜀州」は王勃が、友人が長安から蜀の地(今の四川あたり)に赴任するのを見送る時に書いた詩であり、「無為在岐路、児女共沾巾」は、「別れる時は子どもみたいに泣いたりしないようにしよう」という意味である。そう言われた趙は、「児女だから仕方無いじゃん」、つまり「私たちはまだ子どもなんだから泣いたっていいんじゃない」と返事したのである。

 日本の読者からすれば、いきなりの漢詩引用が少し唐突に感じられるかもしれないが、「人生不相見、動如参与商」も「無為在岐路、児女共沾巾」も極めて有名な詩句なので、趙迎梅や小雪のような文学好きな高校生は当然知っているし、会話で引用するのも自然なことである。というか、私自身も高校時代に文学好きの友人とはこんなふうに会話していた気がする(まあ、高校生の中では間違いなく気障きざな部類に入るだろうけれど)。

 こんなことができるのは、中国語では古典と現代語の距離感が日本語より近いというのもあるかもしれない。現代中国語で書かれた小説を読んでも、古典からの引用やようがかなり見られる。「化用」は単なる引用とは異なり、古典の語句を自分の文章に融け込ませて換骨奪胎する修辞法のことである。

 ここでいくつか台湾の小説を例にあげるとしよう。まずはきゅうみょうしん『あるわにの手記』(一九九四)である。

 

(中国語原文)

太早就知道自己是隻天生麗質的孔雀,難自棄

(日本語訳、垂水千恵訳、二〇〇八、作品社)

ずっと昔から、自分は生まれつき美しい孔雀だと知っていた。

 

 日本語訳からは全く分からないが、原文の「天生麗質難自棄」は白居易「長恨歌」の詩句であり、作者はそれを自分の文章に融け込ませて使っているわけである。

 次に、しゅてんぶん荒人こうじん手記』(一九九四)である。

 

(中国語原文)

永無結果的爭辯,花落人亡兩不知

(日本語訳、池上貞子訳、二〇〇六、国書刊行会)

永遠に結論の出ない言い争いで、花の散るのも人の死んだのも気がつかなかった。

 

 原文の「花落人亡兩不知」は清・そうせっきんの小説『紅楼夢』の登場人物、りんたいぎょくが作った詩「そうかのぎん」からの化用である。やはり日本語訳からは分からない。

 古典の化用が分かるよう翻訳されている小説に、リンイーハンファンスーチーの初恋の楽園』(二〇一七)がある。一節引用しよう。

 

(中国語原文)

只一瞬間,又放鬆了,變回那個溫柔敦厚詩教也的老師,撕破她的内褲也是投我以木瓜報之以瓊琚的老師。

(日本語訳、泉京鹿訳、二〇一九、白水社)

一瞬、力が抜け、あの「温柔敦厚おんじゅうとんこうなるは詩の教えなり」の先生に戻る。彼女のショーツを引き裂いたのも「我に投ずるに木瓜ぼけを以てす、之に報ゆるにけいきょを以てす」の先生だ。

 

「溫柔敦厚詩教也」は『礼記らいき』の語句で、「投我以木瓜報之以瓊琚」は『詩経』の詩句だ。原文では(皮肉の効果を狙うため)シームレスに地の文に融け込ませているが、日本語は古典であることが分かるようにかぎ括弧かっこをつけている。このような訳し方だと知的レベルが分かって面白いが、一般読者にはやや理解が難しいかもしれない。

 小説だけではない。二〇一八年の平昌ピョンチャン五輪でフィギュアスケートの羽生結弦選手が出場した際、中国国営テレビの解説者が漢詩で彼の活躍をたたえたことが話題になった。解説者が使った漢詩は「容顔如玉ようがんぎょくのごとく身姿如松しんしまつのごとし翩若驚鴻へんとしてきょうこうのごとく婉若遊龍えんとしてゆうりゅうのごとし」で、前の二句は解説者自身のアレンジだが、後ろの二句はそうしょくらくしんのふ」からの引用である。習近平を含め、中国の政治家が何かスピーチをする時も、古文古詩を何らかの形で引用することが多いし、流行歌の歌詞や映画・ドラマの台詞せりふも、古典の引用または化用がしばしば見られる。古典との距離感が近いのは中国語圏の文化と言えよう。

 

 長々と書いてきたが、要するに中国語ではエッセイや小説を書く時や、スピーチや会話をする時、とにかく何らかの言語表現をする時に、古典はそれなりの比重を占めている。復古主義や懐古趣味として批判されることもあるが、そうした表現の手法ができる人は知的レベルが高く見えるというのも事実である。衒学(げん がく)的なまでに古典を使い、それを自分のスタイルとしている小説家やエッセイストもいる。私も高校時代に、このように古典の語句を自在に扱える書き手に憧れていたし、自分も小説やエッセイを書く時にそれを実践していた。

 だからこそ、日本語でも中国の古典が使えることを知った時は大いに喜んだわけである。何しろ、それまでは古典をそれなりに暗記し、中国語の文章にも使いこなせていたのに、日本語でものを書く時は全く使えず、そのせいで知的レベルが数段下がったようで、大変もどかしい気分になっていたからだ。もし日本語の作文でも中国の古典を自在に使えるならば、表現の幅が一気に広がり、日本語でもたいそう知的な文章が書けるのではないか! 何なら自分で古代中国語で文章を書き、それを日本語に変換することだって可能ではないか! ちょうどゲームのバグ技や裏技に気づいた子どものように、私は喜んだのである。

 先生に訊くと、「書き下し」というものがあることを知った。どうやらこれが「中国の古典」を「日本語」に変換する秘術らしい。よーし、これはぜひとも習得したいコスパの高い技である。

 ところが、教えてほしいと先生に頼んでも、先生もあまりうまくできないようだった。私はいらつきを覚えた。日本の中高生でもできることではないか! 先生は大人なのに、しかも日本語の教師なのに、なんでできないんだ! と、さすがに口には出していないが、心の中で密かに思っていた。

 私の質問にいちいち答えたり答えに詰まったりするのが面倒くさくなったのか、先生は家から『国語便覧』を持ってきて貸してくれた。自分で読んで勉強しな、というふうに。『国語便覧』といえば日本の中高生の国語参考書なのだが、一読して私は大変気に入った。次に日本へ旅行に来た時、自分用のお土産として一冊買って帰った。

 そう、高校生の私が日本旅行の時に買ったお土産は化粧品でもお菓子でもなく、『国語便覧』だったのである。

『国語便覧』を読んで、「返り点」というものを知った。レ点、一二三点、上中下点、甲乙丙点……とうとう「秘術」の秘密に迫ってきた私は『国語便覧』の漢文パートの例をいくつか読み(それらの漢文はいずれも知っているものだった)、書き下しのやり方を練習した。マスターした暁には、自分にも漢文をふんだんに鏤(ちりば)める格好いい日本語の文章が書けるようになると、そう夢想しながら。

 はたから見れば、おかしなことをやっているように映っていたに違いない。なぜなら、私はそもそも漢文を原文で読めるからだ。原文で読めるものをあえて日本語に書き下すような迂遠うえんなことをやる人はそうそういないだろう。実際、クラスでそんなことをやっていたのは私だけだったし、「原文で読めるのになんで書き下しを?」と先生からも疑問に思われていた。ただ、私にとって「日本語である」ことが大事だったのだ。

 

 結論を言えば、「書き下しのやり方を覚えて日本語の文章力を短期間でアップ」という計画は失敗した。まあ、今にして考えれば当たり前のことである。『国語便覧』の例文は厳選された簡単で端正な漢文だから、それで書き下しのやり方を覚えても全ての漢文を訓読できるようにはならない。また、日本語のボキャブラリーがまだ少ない初級のうちは、漢文を書き下そうとしてもどうしても無理が出る。例えば、

花間一壺酒、独酌無相親。挙杯邀明月、対影成三人。(李白「月下独酌げっかどくしゃく」)

 これを日本語の語順に直せても、

花間一壺酒、独酌相親無。杯挙明月邀、影対三人成。

 ここの「花間」「一壺」「独酌」「明月」「邀」「対」などの漢字の読み方が分からなければ、

かんいっの酒、どくしゃく相親しむ無し。杯を挙げて明月をむかへ、影に対して三人と成る。

 というふうに読み下せないのだ。

 たとえ書き下しが完璧にできるようになっても、それがそもそも日本人に伝わらないという最大の問題が残る。口頭でいきなり「かんこういろをおもんじてけいこくをおもう、ぎょうたねんもとむれどもえず」と言われても、大抵の人はちんぷんかんぷんだろう。文字で「漢皇色を重んじて傾国を思ふ、御宇多年求むれども得ず」と読んではじめて大意がつかめるようになるが、それでも「漢皇」とは誰のことか、「御宇」とはどういう意味かは、前提知識がないとなかなか理解できないと思われる。

「古典」ですらそうだから、「自分が書いた漢文」ならなおさらだろう。私が夢想していた「自分で漢文を書いて、それを書き下して日本語に変換する」という無敵の裏技も結局は失敗の運命にあった。今は一応、自分でも漢文が書けるし、それを書き下すこともできるようにはなった。試しに私が大学時代に書いた漢文の習作の一節を書き下して載せてみよう。どれくらい読解できるか、読者諸氏にはぜひやってみてもらいたい(そんなに難しい内容ではないが、ルビはあえて振らないことにした)。

 

辛卯の春、予、暫し台湾の弾丸の地を離れ、日出づる国に赴きて留学すること一載。予、和文を習ふこと七年、始めて東瀛に負笈す、飛鵬の宵に薄り、游龍の川に棲むが如く、翅を振ひて遠音を響かせ、尾を擺ひて雨雲を興す。其の学びは、切磋琢磨、孜々として怠らず、古今を極めて文理を究める。其の遊びは、朋を呼び伴を引き、載ち欣び載ち奔り、幽蹟を尋ねて勝景を訪れる。其の楽しみ、此れの如きなり。始めて知る、宇宙の闊きは一の蕞爾たる小島の囿すべき所に非ざるを。然れども遊学の楽しみに窮まり無けれど、簽証の期に限り有り。日昇りて月落ち、物換はりて星移り、弾指の間に一載、将に逝かむとす。帰期日に近づき、憂思日に深まり、別れを傷みて涙を堕とすに一二に非ざるなり。

 

 漢文訓読は、本質的には翻訳の一種である。それは「古典中国語文」を起点言語とし、「日本語の古文」を目標言語とした、一定のパターン化をした特殊な翻訳である。ここの「パターン化」というのは、例えば「古典中国語文の熟語は音読にする」「助字の『即』『則』『乃』『便』『載』などは『すなわち』と読む」「『未』『将』のような再読文字は『いまだ~ず』『まさに~んとす』と読む」といったルールのことであり、これらのルールによって、訓読をしたのが誰であっても同じような訓読文が産出されることが保証される。

 しかし、一口に漢文といっても三千余年の歴史があり、時代によって、または地域によって、筆者によって、文体や語彙、あるいは文法そのものが異なることがある。あらゆる時代の漢文を魔法のように「日本語に変換する」ことができるというのは、やはり夢想でしかなかった。そして翻訳である以上、初級レベルの日本語学習者には無理だったのだ。

 やはり言語学習には早道も抜け道もなく、地味な積み重ねしかないのである。

※毎月1日に最新回を公開予定です。

李琴峰さんの朝日新聞出版の本

【好評3刷】生を祝う


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!