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凡人なりの努力――李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第10回

 台湾出身の芥川賞作家・ことさんによる日本語との出会い、その魅力、習得の過程などが綴られるエッセイです。

第10回 凡人なりの努力


 私は語学の天才ではない。日本語を第二言語として習得し、小説を書き、芥川賞まで取ったという私の経歴を知ると、私に「天才」というレッテルを貼りたがる人たちもいるが、それはたぶん、間違いだ。常人にはできないようなことを成し遂げた人間を「天才」と表現することで、人々は安心する。自分の出来が悪いのではない、あの人たちが異常に出来がよかったのだ、というふうに。しかし「天才」という言葉は往々にして、当人たちの気が遠くなるほどの努力を無化してしまう。

 私は語学の天才ではない。実際、私が自由に操れる言語は中国語と日本語しかない。英語も少しは話せるが中途半端で、韓国語は習ったことがあるが難しくて諦めた。本当に天才ならば、もっと簡単にいくつもの言語を手にしてしまってもよかったのではないか。

 人間は元来、言語習得には向いていない生き物だ。現生人類であるホモ・サピエンスが台頭したのは今から約十万年前のことであり、王国や帝国といった大規模な社会を作り上げたのは僅か六千年前のことだ。十万年や六千年、それは生物の進化の歴史である三十八億年と比べればあまりにも短く、そんな短期間では遺伝子の変異をはじめとする進化のプロセスが起こりようがない。つまり、エアコンがきくオフィスに座って仕事したり、新幹線に乗って高速移動したり、月に上陸したりする私たち現代人の遺伝子や身体構造は、荒野を走り回り狩猟採集をしていた十万年前の人類とは大差がない。

 狩猟採集民のほとんどはその生涯において限られた人数の人としか出会わないし、異言語を話す人間と意思疎通する必要もないので、新しい言語を習得する必要性が低い。そのためか、人類は進化の歴史において、成人するにつれて言語習得能力を喪失していくようにできている。その方が進化のプロセスに照らして合理的だ。言語習得に費やされる脳のリソースを別の事柄に使え、生存競争に有利だからだ。人間は成長すると、脳の一側化と呼ばれるプロセスによって左脳と右脳が分化し、言語習得能力が低下する。脳の一側化が完成するのは十一、十二歳くらいの頃なので、この時期は「言語習得の臨界期」とも呼ばれる。

 私もまた脳の一側化に抗えない凡人である。私にできるのはこつこつと努力し、数え切れないほどの単語と文法項目を素朴に積み上げることで、進化のプロセスがもたらした制約に最大限抵抗することだ。他の言語ならいざ知らず、日本語に関してだけ、私は幸運にも抵抗に成功し、生物決定論のわなまらずに済んだ。

 

 中学の独学時代は振り返ると、控え目に言っても「遊んでいた」に過ぎない。もちろん、遊びは大事だ。一年半くらいの時間をかけて、好きなアニソンなどでゆっくり五十音や基礎的な単語・文型を覚え、心ゆくまで日本語と戯れる時間があったからこそ、私は日本語への愛を育むことができた。もしそんな時期がなく、いきなり日本語学校の教室に放り込まれていたら、そこまで日本語が好きになったかどうかは謎だ。恋というのは始まりのインパクトが肝心である。とはいえ、どんなに熱く盛り上がった恋でも時間が経つにつれ、互いにすり合わせる必要が出てくる。私にとって高校時代がそれである。

 ひとたび自転車に乗れるようになると、「自転車に乗れない」状態がなかなか思い出せないのと同じように、今となっては「日本語がそんなにできなかった」時代の自分を思い出すのは簡単なことではない。それでも、当時使っていた教科書が一つの手がかりになる。『みんなの日本語』という世界中で広く使われる日本語の教科書の「初級編」は計五十課あり、台湾では四冊に分けて販売されていた。教科書を四冊分勉強してはじめて、当時の日本語能力試験の三級(現在の制度ではN4相当)のレベルになる(*1)。では、教科書にはどんなことが書いてあったのだろうか。

 第一課から第十三課まではもっぱら名詞文や形容詞文、そしてほとんど活用しない動詞文が扱われている。例の難しい「て形」が導入されるのは第十四課であり、以降、「て形」を使った文型が続々と紹介される。「~てください」「~ています」(第十四課)、「~てもいいですか」「~てはいけません」(第十五課)、「~て、~て、~します」「~てから、~します」(第十六課)。否定を表す「ない形」が導入されるのは第十七課で、「~なければなりません」「~ないでください」「~なくてもいいです」もここで紹介される。ほかにも「~ことができます」(第十八課)、「~たことがあります」「~たり、~たりします」(第十九課)が教えられ、第二十課になってようやくいわゆる「タメ口」(教科書では「普通形」と呼ばれる)が導入される。それからも「~と思います」「~と言いました」(第二十一課)、「~たら」(第二十五課)、「~しか~ません」(第二十七課)、「~てしまいました」(第二十九課)、「~かもしれません」(第三十二課)、「~ば~ほど」(第三十五課)、「~やすい」「~にくい」「~すぎます」(第四十四課)というふうに、一課ごとに学習すべき文型と文法項目がある。そして初級レベルの結びとなる第四十九課から第五十課は、いわゆる「敬語」つまり尊敬語、謙譲語、丁寧語を学ぶわけである。

 このように気が遠くなるほどの積み上げの過程を経て、ようやく「初級」を卒業し「中級」に入るのだ。にもかかわらず、これらを全部習得し、N4相当の日本語能力を身につけたとしても、表現の幅はまだまだ狭く、自由に意思疎通ができるとは言い難い。このレベルの学習者と会話すると、ほとんどの日本語母語話者は相手が「日本語が不自由な人」だと感じるだろう。

 私もそんな日本語が不自由な人の一人だった。しかしまだ若かったこともあり、日本語に関しては自分の不自由さをものともしない図太さが当時の私には備わっていた。母語と比べて表現の幅が限られているのは重々承知で、それでもとにかく教室で学んだ日本語を実際に使ってみたいと思った。教室での会話はいつも教科書に沿った定型文のやり取りしかないし、心なしか先生も生徒に理解できるよう、あえて簡単な文法と単語しか使わないようにしていたと感じて、それが物足りなかった(ちなみに、このような学習者に配慮した話し方は「ティーチャー・トーク」という)。もっと生の日本語に接してみたい、教室の外で日本人と会話してみたい、と強く思ったのだ。

 しかし、台湾の一高校生でしかなかった私には日本人の友人も知り合いもいなかった。日本語学校のクラスメイトは(申し訳ないが)概して私よりレベルが低く、会話の練習相手にはならなかった。SNSもない時代だから友達を作るのは難しいし、そもそも首都の台北ならまだしも、地方都市では日本人は希少種だ。日本語への欲求不満を溜め込んでいた私は、今では考えられないような行動を何回か取ったことがある。

 日本人っぽい人を見かけると誰かれ構わず話しかけたのだ。

 今でも微かに覚えているエピソードが二つある。一つはデパートのエレベーターの中だった。日本語で会話していたビジネスマン風の男性二人組に、私は恐る恐る後ろから「こんにちは」と日本語で話しかけた。すると二人は驚いて振り返り、「日本人ですか?」と訊いてきた。「いいえ、台湾人です」と返事すると、「へえ、日本語できるんですね」と言われ、「日本語を勉強していますから、少しできます」と舌足らずな日本語で説明すると、二人組はほっこりした様子で互いを見合わせ、「ああ、台湾人だ」と言い、そして私に微笑みかけた。「日本語ができる台湾人」

 なぜこんな些細なエピソードをはっきり覚えているかというと、「日本語ができる台湾人」という最後の一文には「連体修飾」という文法項目が使われているからだ。当時、授業では連体修飾がまだ教えられていなかったが、私は勝手に教科書を読み進めて覚えた(私はよくこんなふうに抜け駆けし、授業の進捗しんちよくより先回りしたレベルの質問をして先生を困らせた)。だからこそ、生の日本語で理解できる使用例に出合って嬉しかったのだ。

 もう一つは、ジュンク堂か紀伊國屋書店か覚えていないが、台湾でもビジネス展開している日系の書店での出来事だった。日本語の本は高く、学生時代の自分には到底買えなかった(買ったとしても当時の自分の日本語力では読めなかった)が、日本語の本を売るコーナーを見て回るのが好きだった。一回だけ、日本語の本を立ち読みしている人に思わず話しかけたことがある。「こんにちは、日本人ですか?」と言ったと思う。

「えっ?」

 相手はかなり年配の男性で、耳が遠いのか、大きな声でそう訊き返してきた。私はびくっとし、さっきより少し大きい声で繰り返した。「すみません、あなたは日本人ですか?」

 すると、相手はいきなり大声で何かを長々と喋り始めた。年配の男性ということもあり、早口で、発音も不明瞭で、恐らく話している内容も難しく、とにかく当時の私には聞き取れなかった。

 相手が言ったことを何ひとつ理解できなかったので、私はおそるおそる、「すみません、もう一度」と言った。

「えっ? もう一度なに?」と相手が訊いた。

 さっきの発話をもう一度繰り返してほしいというこちらの要望が伝わらなかったようなので、自分の言い方が間違っているのではないか、相手を怒らせたのではないかと心配しながら、私は「日本語、分かりませんでした。ゆっくり、もう一度」と言った。

「もう一度なに?」相手はやはり理解できないようで、繰り返し訊いた。

 ようやく意図が伝わってから、相手は「『もう一度』じゃ分からないよ。『もう一度言ってください』と言わないとダメ。『もう一度言ってください』。分かった?」という主旨のことを言い、ご親切にも「もう一度言ってください」という文を紙に書き、振り仮名も添えて半ば押しつけるように握らせてくれた。私は恐縮し、ペコペコしながら逃げるようにその場から離れた。

 今にして思えば、あのおじいさんは恐らく日本人ではなく、日本語世代の人、つまり日本統治時代の台湾で日本語教育を受けた台湾人ではないかと思う。おぼろげな記憶だが、彼の発音は台湾の日本語世代に特有のなまりがあるように思われたし、喋り方も行動様式も台湾人っぽかった。とはいえこれは勝手な推測に過ぎず、本当のところどうなのかはよく分からない。

 いずれにしても、当時の自分の図太さを思い出すと、穴でも掘って入りたいくらい恥ずかしい気持ちになるが、同時に褒めてやりたい気持ちにもなる。本当は内気で繊細で、傷つきやすく、人付き合いが苦手な性格なのに、文学と日本語に関してだけはどこまでも図太くなれたあの時の自分がいたからこそ、今の自分がいる気がする。そう思えば、凡人でも凡人なりに馬鹿な努力をしていた自分のことが少し微笑ほほえましく思えてくる。あるいは天才というのは、努力ができる凡人のことなのかもしれない。いきなり見ず知らずの女子高校生に話しかけられてびっくりしたであろう方々には申し訳ないけれど。

*1 日本語学習者の日本語能力を測る「日本語能力試験(JLPT)」は世界中で最も広く使われている試験で、留学や就職でも求められる資格である。昔の日本語能力試験は最下級の四級から最上級の一級までだったが、二〇一〇年に制度が改定され、最下級のN5から最上級のN1となった。「旧試験四級=新試験N5」「旧試験三級=新試験N4」は初級で、「旧試験二級≒新試験N3、N2」は中級で、「旧試験一級≒新試験N1」は上級である。日本企業への就職における日本語能力のハードルは高く、ほとんどの企業はN1相当のレベルを求めているため、N4程度の資格を持っていてもほとんど使い物にならないのが実情である。

※毎月1日に最新回を公開予定です。

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