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「おカネは命の次に大切だって人もいるくらいだしね。ないよりはあった方がいい。少ないよりは多い方がいい。当たり前のことさ。当たり前のことを恥じなくてもいい」――中山七里「特殊清掃人」第9回

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特殊清掃を営む〈エンドクリーナー〉を舞台にした本作。第二章が始まります。


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 二  腐蝕と還元

    1

「誰が何と言っても一割ですよ。折角立地条件がいいのに、これ以上減額なんて無理無理無理」
 いいくぼてるの口ぶりは一方的で、まるで取りつく島もなかった。
「いえ、別に減額しろと言っているんじゃなくて、査定の結果次第では孤独死と片づけられない場合があると説明しているんです」
 念を押すように繰り返しているが、照子は可能性を考慮することさえ嫌がっている。彼女の台所事情を鑑みれば仕方ないとも思えるが、こちらも商売だ。
 が代表を務める〈エンドクリーナー〉は事故物件の清掃や遺品整理の他、場合によっては物件買い取りも行っている。ただし事故物件の取り扱いについては、取引価格の相場が孤独死で一割、自死で三割、他殺で五割も下落する。買い取り価格も相場と連動しているので照子の言い値で買い取ることはできない。
「新宿区内の3LDK中古マンションで四千万円なんて超格安物件じゃないの。一割減でも痛いのに、これ以上値引きされたんじゃどうしようもないじゃないの」
 事情を知らぬ者が聞けば照子を業突く張りだと思うかもしれないが、五百旗頭は彼女に同情せざるを得ない。
 照子の夫は五年前に他界している。夫が家族に遺した唯一の投資資産がくだんの分譲マンションであり、夫の死後はその家賃が唯一の収入源だった。賃借人はきんろうという男で家賃の滞納もなく模範的な住人だったという。そのまま何もなければ照子には定期的な家賃収入がもたらされていたのだが、この十一月に状況が一変した。伊根が死体で発見されたからだ。
 死体発見は十一月だが、警察の調べでは十月後半には死亡していたらしい。一週間もの間見つからなかったのは、現場の気密性が高かったからだが、発見された時の状況はさんを極めた。
 オーナーである照子は現場に一歩足を踏み入れるなり卒倒しかけたらしい。その瞬間、物件の売却を決意したとのことだった。
「いくら夫の遺産でも人死にのあった場所を貸して生活するなんて、ちょっとそれは耐えられない。でもたった一つの遺産だから絶対に投げ売りみたいなことはしたくないの」
 縁起でもないから手放したいという気持ちは分かるし、一方で一円でも高く売却したいという気持ちも理解できる。
 何気なく五百旗頭は通された客間を観察する。調度品はどれも年季の入ったもので、高級そうではあるが古めかしい。以前は羽振りがよかったものの、今は買い替える余裕もないということか。
 事情を聞く限り、照子は家計を家賃収入に頼りきって自分で働きに出ようとはしなかった。四十代後半では就ける仕事も多くない。娘を一人抱えた身ではぜいたくもできないに違いない。
「当社の査定は業界随一ですよ。決して投げ売りしたと思われないようにしますから」
 綺麗ごとは言わない。過度に期待させない。およそ営業には不向きな態度だが、〈エンドクリーナー〉に相応ふさわしいトークだと五百旗頭は考えている。
 照子はしばらくこちらの真意を探るようににらんでいたが、やがて喋り疲れたのか短く嘆息した。
「じゃあ、取りあえず査定だけ。結果が出たら応相談ということで」
「結構です」
 飯窪宅を辞去しようとした時、玄関先で呼び止められた。声を掛けてきたのは娘のだ。
「さっきは母が失礼をしました」
 こちらが逆に恐縮してしまうほど深々と頭を下げてきた。
「わたし、隣の部屋にいたんですけど二人の声が聞こえてきて」
 五百旗頭はともかく、照子は大声だったので聞こえても不思議ではない。いずれにしても麻理子が恥じ入るのも無理はない。
「生活費以外にもわたしの大学進学の費用を考えて、ついみっともない振る舞いになったんだと思います」
「みっともなくはないよ」
 麻理子はゆっくりと頭を上げる。
「おカネは命の次に大切だって人もいるくらいだしね。ないよりはあった方がいい。少ないよりは多い方がいい。当たり前のことさ。当たり前のことを恥じなくてもいい」
「ありがとうございます」
「ところで、亡くなった伊根さんについて何か知っているかい」
「いえ。間に仲介会社が入っているせいもあって、入居者の方とはほとんど接点がなかったです」
「まあ、そうだろうね。ごめんよ、妙なことを訊いて」
 玄関を出て表に停めてあったワンボックスカーに乗り込むと、助手席ですみがじれったそうに待っていた。
「時間、かかりましたね」
「オーナーが最低でも一割引きだと譲らん」
「まだわたしたち、現況も見ていないのに」
「見ていなくてもおよその察しはつく。冬とは言え、死後一週間経ってるんだ。死んだのが巨大冷蔵庫の中でなけりゃ、噴き出した体液が床に染み込んでいる。願わくば排水口の真上で死んでなけりゃいいが」
 香澄はぐびりと唾を飲み込む。一度だけ風呂場で突然死した物件を香澄としらの三人で清掃したことがあるが、あれは相当に凄絶な現場だった。死体から流れ出た体液が排水口を伝って下の階にまで及び天井から滴り落ちていたのだ。この場合は現場の床から階下の天井まで一切合財交換しなければならず、手間も時間も費用もかかった。そればかりか階下の住人が損害賠償請求を起こし、後々までトラブルが続いた。正直、そういう物件は遠慮したい。
「物件は西新宿でしたね」
「駅まで数分の場所にある中古マンションさ。やや年季は入っているが利便性がいいから人気が落ちねえ。投資物件としては最適だよ。亡くなった旦那さんは目先の利く人だったんだろうな」
「いくら利便性がよくても事故物件になっちゃったら意味がないです」
「事故物件を再生させるのも俺たちの仕事だよ」
 死んだ住人の魂を鎮めるのは僧侶の役目だが、死者の怨念や無念でけがれた部屋を浄化するのは五百旗頭たちの役割だと思っている。
 現場に向かう前に立ち寄る場所がある。五百旗頭はクルマを新宿署に向けた。
 香澄を伴って受付で来意を告げる。彼女を同行させたのは顔つなぎの意味がある。
 果たして応接室で待っていると、現れた顔馴染みは露骨に嫌そうな顔をした。
「そちらはあきひろ香澄さん、でしたね。今日はお二人揃ってどんなご用向きですか」
 伊根欣二郎の事件を担当したのは強行犯係のこうだ。まだ五百旗頭が警視庁に勤めていた頃、同じ事件を追いかけたことが度々ある。それが縁でずるずると付き合い続けている。
 退官後も知己の警察官を訪ねるのは事故物件に住んでいた者の情報を得るためだ。氏名などの基本情報は管理人やオーナーからでも入手できるが、生活実態や死体発見時の状況に関しては警察が詳しい。捜査で五百旗頭に助けられてきた刑事たちは、迷惑がりながらも捜査情報を教えてくれるという寸法だ。
 昔馴染みといえども機密情報を易々と流してくれるはずもなく、大抵は番記者が知る程度のものだが報道される内容よりはよほど詳細だった。香澄を同席させるのは、この既得権を従業員にまで拡大させるためだ。なし崩しに顔を合わせ続ければ、相手はなかなか厳格な態度を取れなくなる。今では策略が功を奏し、香澄単独で訪れても情報を流してくれる担当者が増えた。
 先刻から諏訪は五百旗頭の思惑を見透かしたかのように、香澄をさん臭げに睨んでいる。
「先日、西新宿の中古マンションで伊根という人が死体で見つかっただろ」
「ああ、あの物件の特殊清掃は五百旗頭さんが請け負ったんですか」
「どんな状態だった」
「そりゃあ特殊清掃が必要な状態でしたよ」
「程度があるだろ」
「死体発見時の状況なら管理人から聞いているでしょ」
「詳しくは聞いていない。事前情報として本人のプロフィールと家族の有無を確認しておきたい」
「あのですね、五百旗頭さんは一応民間人なんですから」
「民間人になってからも色々協力させてもらってただろ。まさか諏訪ともあろう者が恩知らずな真似をしようってんじゃないだろうね」
「恩着せがましい言い方はやめてくださいよ」

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※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


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