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「人間って、死んだらこんな風に部品になっちゃうんですね」――中山七里「特殊清掃人」第11回

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ベンチャー企業〈イネ・ライジング〉の社長が急死した部屋を清掃するため、すみは作業を始める。


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 間取りは3LDK、独身男の住まいとしては贅沢な部類に入る。調度品はどれも高級品揃いで、伊根の高収入が透けて見える。フローリングの床には転々と黒い飛沫痕が直線を描いている。

さん、これって」

「警察が死体を搬出した跡だよ。歩行帯を辿ったんだろうが、不手際だな」

 何気なく周囲に視線を投げると、鑑識が採取作業をした痕跡が残っている。一応調べるべきは調べた上で事件性なしと判断したようだ。ゴミ箱の中身は鑑識の連中がさらったらしく何も残っていない。

「死んだのが浴室で、リビングや寝室にまで体液が及んでいないのがせめてもの救いか」

「清掃対象が浴室内だけだから二人でやろうと決めたんですか」

しらくんが別件を一人で頑張っているという事情もあるけどさ」

 すみにも凄絶な現場を体験させたかった、とは口にしない。

 黒い飛沫痕を辿っていくと、案の定浴室に到着した。念のために五百旗頭は洗面所の棚を開き、シェーバーやアフターシェーブローション、その他整髪料や化粧水が揃っているのを確認する。

「お邪魔しますよ」

 誰に言うともなく声を掛けてドアを開ける。

 予想した通りの惨状だった。

 浴槽に張られた液体は表面がゼリー状で真っ黒になっている。遺体が浴槽の中で分解され、溶け出した肉や組織や臓器が急速に腐敗して変色したのだ。鑑識たちが死体の一部をすくい上げようとしたのか、洗い場と壁にも黒い液体がペンキのようにこびりついている。

 肉眼で確認できるのは体液だけだが、当然体液には病原菌並びに各種害虫がひしめいているはずであり、それらを一掃しなければ特殊清掃の意味がない。

「まずは汚れの元を排除するか」

 五百旗頭が取り出したのは百円均一の店で購入した捕虫網だ。浴槽内の液体は表面に固形物が浮いており、試行錯誤の結果、捕虫網で掬うのが一番手っ取り早いと判明した。

「五百旗頭さん。この固形物は何なんですか」

「脂」

「脂って」

「死体から溶け出した脂肪が固形化してるんだよ。ほれ、いえけいラーメンで背脂とか浮いてるじゃない。あれと同じ」

 口にしてから後悔した。これで香澄は数週間、家系ラーメンを食べられなくなる。

「ゼリー状の表面はふたの役割をしている。掬った途端に途轍もない臭いが噴き出すから注意」

 固形物を掬い上げた瞬間、ぼふっという音とともに白い気体が洩れた。マスクをしていなければ、その場で悶絶していたに違いない。掬った固形物はひと欠片かけらも残さずポリバケツの中に捨てる。間違っても固形物や腐敗液を流してはならない。がれた皮膚や体液、そして排泄物が排水溝の内側にこびりついて乾燥すると、下水道管を詰まらせるだけでなく更なる悪臭を棟全体に拡散させてしまうのだ。また下水道管の奥にまで腐敗物が入り込むと排除も困難になり、最終的には莫大な費用を掛けざるを得なくなってくる。

「これ、全部手作業ですか」

「うん。バキュームカーでも使えればいいんだけど、さすがにそりゃあ十一階じゃ無理な話だしな。バケツで少しずつ運ぶしかあるめえ」

 ポリバケツは蓋つき十リットル入りのものを十個用意してある。このうち数個ずつを台車で運搬するはずになっている。

 臭気は無色透明のはずだが、何故か腐敗液から立ち上る臭いは赤黒く彩色されているような錯覚に陥る。今にもマスクを突き破って鼻腔に侵入してきそうな恐怖がふっしょくできない。

 固形化した脂を取り除くと、髪の毛の塊が現れた。死体の腐敗が進んで頭皮ごと剝がれているので、本人がどんなヘアスタイルをしていたのかおよその見当がつく。さすがに香澄は驚いたらしく回収の手を止める。

 しばらくおぞましさと闘っていたようだが、やがて意を決した様子で髪の毛の束を掬い取る。

「人間って、死んだらこんな風に部品になっちゃうんですね」

 ぽつりと洩らした言葉がひどく切なげだった。

 五百旗頭と香澄は慎重に腐敗液をポリバケツに移す。腐敗した肉体以外にも排泄物も固形化しており、これは手でつかんで捨てる。

 固形物と腐敗液をほぼポリバケツに移し終えると、次は浴槽の内側を拭き取る。使用したタオルは作業後に全て廃棄する。拭き取った後は専用の薬剤で殺菌と消臭を重ねる。完全に臭いの元を根絶しなければ、オゾン脱臭機を使っても意味がないからだ。

 棚に置いてあるシャンプーなどの備品は残らず回収する。こうした現場では、肉眼で見えなくても病原菌まみれになっているのがほとんどだ。

 浴槽を空にし備品全てを取り除くと、何とか死体の痕跡を消すことができた。最後に浴室全体に殺菌と消臭を施せば第一段階が終了する。清掃済みの浴槽をそのまま継続使用するか廃棄するかはてるの判断に委ねるとしよう。

 第二段階は腐敗液と清掃に使用した捕虫網やタオル類の廃棄だ。体液の付着した廃棄物は全て感染性廃棄物となり、他のゴミと一緒にできない。専用容器に一切合財を放り込み、完全に蓋をしてから廊下に運び出す。この専用容器はゴミ処理場で指定された場所に搬入され、容器ごと焼却処分される。ここまで徹底的な処理を施すのは二次感染・三次感染を防ぐためであり、法令にも定められている。

 いったん専用容器を玄関に置き、二人は点々と続く黒い飛沫痕を丹念に拭き取っていく。大元を片づければ、枝葉の排除は楽になる。

 五百旗頭たちはマスクと防護服を脱ぎ、専用容器とともに青い布ですっぽりと覆う。不思議なもので、こうしておくと他人は近づこうとしなくなるのだ。

 腐敗液入りポリバケツと専用容器の運搬で四往復すると、香澄もぐったりとした様子だった。

「さすがに疲れたかい」

「肉体的にはそれほどじゃなかったです」

 つまり精神的に疲労したということか。確かに今までの現場では見聞きしなかったものに触れたのだから、心が疲弊するのも当然かもしれない。

「正直、浴室に足を踏み入れた瞬間、吐きそうになりました。必死に堪えましたけど」

「堪えられたんなら大したもんだよ」

 決して骨折り損ではないと思いたい。そうでなければ香澄を同行させた意味がないではないか。

「ところであきひろちゃんよ。今回は浴室の特殊清掃に特化した訳だが、それ以外の部屋を見て何か妙に思ったことはなかったかい」

「妙と言うか、引っ掛かった点が何カ所かありました」

「教えてくれ」

「五百旗頭さんも見たと思いますけど洗面所の棚に、整髪料に交じって化粧水が置いてありました。あの化粧水は女ものです」

 それは五百旗頭にも分かっていた。

「キッチンを通った時、食器棚の横に調味料が並んでいたんですけど、その中にバルサミコ酢やシナモンシュガーがありました」

「あったらおかしいのかい」

「ああいうオシャレ調味料は料理を愉しむ人のアイテムです。でも、キッチンの隅にはカップ焼きそばの空き箱がありました。きっと入居者がダース買いをしていたんでしょうけど、料理を愉しむような人がカップ焼きそばをダース買いなんてするでしょうか」

「確かに矛盾と言えば矛盾だな。で、秋廣ちゃんはどんな結論に至ったんだい」

「結論も何も、複数の女性と付き合っていたのなら頷ける話です。入居者本人は料理なんて全くしないけど、付き合っていた女性の中に料理好きがいた。化粧水の件も同様です。あの部屋に泊まるのが多くなれば、自然に女ものの洗顔フォームなどが増えていきます。警察が押収したのかもしれませんけど、きっと洗顔用品も女ものが置いてあったと思います」

「頷ける話なら、どこが引っ掛かったのさ」

「どこかちぐはぐな感じがするんです」

 香澄は自分の考えに合致する言葉を探しあぐねているようだった。

「入居者は何股もかけていたのをそれぞれの女性に打ち明けていたんでしょうか。化粧水の件と言い、オシャレ調味料の件と言い、隠すにしても見せつけるにしても中途半端のように感じます。隠すのなら、化粧水もオシャレ調味料も目の届かない場所に仕舞っておくでしょうし、見せつけるなら別の彼女が残していった着替え用の服やくし、彼女用の歯ブラシをこれ見よがしに置いておくでしょう」

「で、秋廣ちゃんはどんな印象を持ったんだい」

「何股もかけている癖に、それを知られたら困る人がいきなり訪問してきたので見える範囲で彼女のいる気配を消しにかかったけど、慌てていたので中途半端な隠し方になった」

 まるでストーリーを語るような口調に、五百旗頭は苦笑する。

「いい読みだ。刑事でも立派に務まるんじゃないかな」

「嫌です」

「やけにあっさり否定するんだな」

「死んだ人の後始末だけでもこれだけ大変なんですよ」

       

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※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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