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小さい魚は催眠術をかける――李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第3回

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台湾出身の芥川賞作家・ことさんによる日本語との出会い、その魅力、習得の過程などが綴られるエッセイです。

第3回 小さい魚は催眠術をかける


 子供時代はポケモンにハマっていたというのは前回書いた通りだが、アニメだけでなく、ゲームにもまた忠実なファンで、初代の『ポケットモンスター 赤』からやっていた。

 中国語の吹き替えと字幕がついているアニメとは違い、ゲームはかなり難儀した。何しろキャラクターやポケモンの名前から、地名、技名、会話、アイテム名など、全部日本語なのだ。日本語といっても漢字があれば何とか意味を推測できるが、ゲームボーイなので平仮名と片仮名ばかりだ。そんな五里霧中の状況でも無我夢中になり、何とかストーリーを進めて、四天王を倒し、一五〇匹のポケモンをゲットし図鑑を完成させたのだから、実に根気強かったなあと我ながら思う。

 ゲームを始めると、発音も意味も分からない仮名文字という謎の記号の密林に迷い込む。文字の形が唯一の手掛かりだ。「キズぐすり」という形のものはHPを回復する重要アイテムなので、これは覚えておこう。「キズ」という直線的な二文字と「ぐすり」という曲線的な三文字との組み合わせが特徴だ(当時の私はまだ平仮名と片仮名の違いを知らなかったが、直線的な文字と曲線的な文字があることに何となく気付いていた)。「いいキズぐすり」「すごいキズぐすり」はその上位互換で、名前が長ければ長いほど効果が高い。「かけら」という形のつく七文字のアイテム(げんきのかけら)を使うと復活できる。「ゃ」という何だか火が燃えているような形の小さな文字がついているアイテム(じてんしゃ)を使うと素早く移動できる。同じ文字がついている技名(かえんほうしゃ)は火を噴く攻撃を繰り出すことができて強い。

 当時好きな戦術があった。「ゴ」という四角い文字で始まる四文字の幽霊タイプのポケモンでレベルを上げていくと、小さい魚みたいな文字が入っている技を覚える。それは敵を眠らせて戦闘不能にできる。敵を眠らせてから大きい魚が入っている技を使うと、その血を吸うことができる。小さい魚と大きい魚の最強コンボで、ほとんどの敵を倒すことができた。

 今なら分かる。その四文字の幽霊タイプのポケモンは「ゴースト」で、小さい魚は「ゅ」、大きい魚は「ゆ」、それらを含む技名はそれぞれ「さいみんじゅつ」と「ゆめくい」だ。しかし仮名文字が読めなかった当時の私は、形から連想して覚えるしかなかった。小さい魚は催眠術をかける、大きい魚は血を吸う、という具合に(ちなみに偶然にも、魚は中国語では「ゆー」と言うのだ)。

 今にして思えば、それは日本語だからこそできる連想でもあった。日本語の仮名文字は漢字に由来しているので、形も漢字と同じく四角いし、一文字一文字の区切りがはっきりしている。これが例えばタイ語(สวัสดีค่ะ)やアラビア語(اَسَّلاَمُ عَلَيْكُم)みたいに、一見して区切りがはっきりしない文字だったら、さっぱりわけが分からず諦めていただろう。また、平仮名も片仮名も実に形が豊かで、美しく、想像力を働かせやすい。これがもし韓国語(안녕하세요)みたいに、もっぱら丸と直線のみで構成される機能的な文字だったら、魚といった連想はできなかったはずだ。

 このように、文字の形の美しさが日本語への第一印象であり、興味をかれるきっかけでもあった。昔のプリングルズの容器には多言語による食品表示が印刷されており、中国語と英語はもちろん、日本語、韓国語、タイ語などの言語もあった。何も読めない状態でそれらの字面を何となく眺めた時に、やはりタイ語のごにょごにょした文字や、韓国語のどこか無機的な感じを帯びる文字より、日本語のバラエティー豊かな字面が目を惹いた。仮名文字は読めないので漢字で意味を推測するしかないが、その推測は時としてかなり的外れなものだった。例えば「召し上がる」という言葉を見かけた時は「喚する」という意味かなと思った。確かにプリングルズを食べる時は筒状の容器の中からポテトチップスを上へ順次取り出す必要があるのだが、それを日本語では「召喚」と言うのかと面白がった。

 あの時の私にとって、日本語はある種の暗号みたいな、神秘性に満ちる不思議な言語のように感じられた。仮名文字は全く読めない。漢字は読めるが、その使い方も何となく中国語とずれている。ところどころ中国語から見れば古めかしいや、見たことのない語彙、そしてそもそも中国語では使わない漢字も紛れ込んでいる。

 日本語の読者の皆さんのために、当時の感覚を何とか再現してみよう。あの時の私には、日本語の文章はこんなふうに見えていた。

數千年前、川み運みか土ら活用ぽ埃及人れ農耕こ灌漑ば做も、文明ば發展じよ、らけほ王國ば築み、金字塔られ建設ばた。數千年間、摩西こ他民た出びらこ、阿拉伯人あ羅馬人、英國人こらってびぱ。

 このように、漢字から何となく意味は推測できるが、正体不明な記号が間にたくさん入っているので百パーセントはつかみ取れない。それはもどかしくもあり、不思議な感覚でもあった。

 ところで、低学年の時から『名探偵コナン』を読んでいたのも前回書いた通りだが、『名探偵コナン』は中国語では「ミンジェンタンカーナン」という。日本語では「探偵」だが、中国語では「ジェンタン」であり、ちょうどあべこべになっているのだ。他の例に、「段階」「制限」「紹介」「言語」などがある。中国語では「ジェードゥァン」「シェンジー」「ジェーシャウ」「ユーイェン」だ。このような「ちょっとずれているところ」もまた、不思議だった。

『名探偵コナン』シリーズ最初の劇場版アニメ『時計じかけの摩天楼』はコミックで読んだ。吹き出しに入っている台詞せりふは中国語に訳されていたが、絵までは修正できないので日本語のままだった。読んでいると、あるコマの描写が気になった。たしか会議のシーンで、壁にかけてあるホワイトボードには何故か天体と陰陽五行の名称を表す文字(月・火・水・木・金・土・日)が書いてあったのだ。一体何の意味だろうと首を傾げた。

 後で(中国語の)国語辞書で「七曜」や「火曜日」などの単語を引くと、それは曜日を表す言葉だと分かったが、それにしても不思議だった。中国語では曜日は「シンチーイーアーサンスーウーリョー」というふうに、数字で表されているからだ。「曜」とは「かがやく」の意味なので、なるほど日本では曜日ごとに輝く星が決まっていて、星期一は「月が輝く日」で、星期二は「火星が輝く日」、星期三は「水星が輝く日」なんだと思った。曜日が無機的な数字で表される自分の日常と比べ、漫画の中で描かれている国のほうがよほど神話的で、神秘的で、素敵な感じがした。

「ちょっとずれている」感覚と言えば、色を表す言葉もそうだった。初代ポケモンのゲームは「赤・青・緑」とタイトルに色の名前がついていたが、これらの色を表す言葉は中国語では「ホンランリュー」が最も一般的で口語的である。例えば「赤信号」「青信号」は中国語では「ホンデン」「リューデン」という。「赤」や「青」という漢字は中国語にももちろんあるが、やや文語的なニュアンスがして、例えば「面紅耳赤(赤面する)」「近朱者赤(朱に交われば赤くなる)」「丹青(絵具や歴史書の意)」「青青子衿(青い服を着た学生の意、『詩経』の言葉)」といった熟語や、「赤壁」「赤兔馬」「青蓮居士(李白の号)」といった古代の固有名詞に登場することが多い。そんな古めかしい雰囲気の漢字がゲームのパッケージに印刷されているのを見ると、やはりある種の神秘性を感じた。

 人称にしてもそうだ。全く日本語ができず、読み方も分からない状態でも、「私」「俺」「君」「彼」といった漢字を見ると意味は分かるのだが、それにしても古めかしい。「スー」は中国語では一人称として使わないが、「ゴン」とは対照的な概念なので「自分自身」を指す言葉であると何となく推察できる。「アン」は山東方言の一人称だ。「ジュン」や「ビー」については、例えば李白の有名な詩「きみ不見みずや黄河こうが之水天上来のみずてんじょうよりきたるを奔流ほんりゅう到海不復回うみにいたりてまたかえらず」のように、中国語では古文にしか出てこないような人称代名詞である。

 中国語に存在しない漢字の言葉もたくさんあった。「名前」「物語」「言葉」などである。意味は何となく推測できるが、それにしても「ミン」と「チェン」がどう関係しているのかが分からない。何故「前」なのか。「後」じゃ駄目なのか。「神の前で誓う」みたいに「名に懸けて誓う」という意味合いがあるから「前」なのだろうか、それほど日本では「名前」というのは重みのある大事なものなのか、などと想像した。「ウーユー」の字面を見ると、「物が語る」、つまり「万物がささやいている」という深遠なイメージが呼び起こされるし、「イェンイェー」に関しては「言語を葉っぱにたとえていて素敵だ」という感想を抱いた。日本語ができなかった当時の私から見れば、これらの言葉はどれもが詩的で、不思議で、異国情緒に満ちていた。それ故に、まだ仮名文字が一つも読めないにもかかわらず、日本語という言語には既にぼんやりとした親しみと憧れを覚えていた。

 漢字という四千年の歴史を持ち、東アジアで広く使われていた文字が、私と日本語をつないでくれたのだ。

 日本語をすっかりものにしてしまった今となっては、日本語の文章はもう暗号には見えない。「赤」や「青」は文語でも何でもないただの日常語になったし、火曜日や水曜日を口にする時にいちいち天体や陰陽五行を想起したりしない。「探偵」「段階」「制限」「紹介」「言語」など中国語とはあべこべの言葉も何の違和感もなく使っている。「召し上がる」は召喚とは無関係だし、「や」や「ゆ」は火や魚ではなく、意味を持たないただの表音文字であることは分かっている。

 それが成長というものだろう。様々な経験をし、様々な知識を身につけることで私たちは大人になっていく。よりかん的で、大局的な視点で世界を眺めることができるようになる。それはとても素敵なことだし、日本語をマスターしたことを後悔することは決してない。

 それでも私は時々、子供時代に見えていた世界を懐かしく思い出す。あの世界では曜日ごとに輝く星が異なり、物語の中では万物が囁き、小さい魚が催眠術をかけるのだ。

※毎月1日に最新回を公開予定です。


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