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「一人の人間が生活して、死んでいった痕跡は簡単に消せるものではないですよ」――中山七里「特殊清掃人」第2回

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秋廣香澄は、半年前に〈エンドクリーナー〉に入社したばかり。特殊清掃の大変さに日々戸惑っている。そして、また依頼の電話が鳴りーー。

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「105号室に入居していたのはせきぐちさんという女の人です。そもそもアパートはペット禁止。年齢は三十代で、入居当初は輸入車ディーラーに勤めていたみたい」

「当初は。では最近は違っていたんですね」

「以前はちゃんと決められた曜日にゴミ出しをしていたんですよ。でも二年ほど前からは外で見かけることが少なくなり、ゴミも出なくなったんです。たまに見かけても平日のお昼ばかりなので、ああ勤めを変えたんだなと思って」

「訪ねてくる人はいましたか。ご家族とかご友人とか」

「さあ、少なくともわたしは見かけませんでしたねえ」

 何気ない質問のようだが、それぞれに要点がある。勤務先の変更または退職は生活時間の変化に直結するので、自ずと自宅ゴミの量も変わってくる。外出が少なければ少ないほどゴミは溜まるし、来客がなければゴミ塗れの生活は改善されにくくなる。

 そして以上の三点は更に深刻な状況にも関与してくる。

「それで、どんな状態で発見されたのですか」

「詳しいことは聞けませんでしたけど、あの、検視っていうんですか。検視の結果、事件性はないと判断されたみたいです」

「自殺、ですか」

「自然死だと言われました」

 あきはやや不自然に響くほど強調してみせた。無理もない。国土交通省は人の死の告知義務に関するガイドラインを策定しているが、事故物件の賃貸については告知すべき期間を概ね三年と規定している。そして告知すれば取引価格の相場は孤独死で一割、自死で三割、他殺で五割も下落する。オーナーである晶子が自然死、つまり孤独死に拘泥するのはむしろ当然と言える。

「警察が引き上げた後、なりとみさんは部屋に入られましたか」

「一度だけ。でもひどい悪臭で目が痛くなったので、すぐにドアを閉めちゃいました」

 鼻が痛くなるのではなく、目が痛くなる。意図してか無意識か晶子の言葉は的確で、数カ月遺体が放置されたままの部屋はそれくらいの刺激臭が充満しているのだ。

「換気は」

「外に流れ出すと近所迷惑になります。あの部屋に死体があったなんて話が広がってもいけないので、部屋は閉め切ったままにしてあります」

 最悪のパターンだとすみは思った。だが、やはりは営業スマイルを崩さずに話を進める。

「見積りを出すために内見しますが、お話を伺う限り四万円では費用が足りないかもしれません。それは覚悟しておいてください」

 一瞬怯んだ体の晶子に対し、五百旗頭はやんわりと追い打ちをかける。

「一人の人間が生活して、死んでいった痕跡は簡単に消せるものではないですよ」

 ひと通りの説明を済ませると、五百旗頭と香澄はワンボックスカーに戻り、防護服に着替え始める。放射能の除染作業に使用するタイベックだが、事情を知らぬ者が見れば何を大袈裟にと思うだろう。だが決して大袈裟な話ではない。放置されて時間の経過した生ゴミの中にはどんな黴菌が潜んでいるか予断を許さない。ゴミにたかるハエやネズミはウィルスの運び屋であり、体液は感染症の温床だ。警戒してし過ぎることはない。それに加えて防毒マスクを被る。これで準備完了だ。

「でも五百旗頭さん。警察が入ったのなら、体液や有害なものは撤去してあるんじゃないですか」

あきひろちゃんは警察に幻想を抱いているなあ。地方ならいざ知らず、警視庁管内はどこも山ほどの事件を抱えている。いったん事件性なしと判断したら、さっさと手を引く。所轄の倉庫も余裕がないから余分なものは持っていかない。そもそもホトケ自体が厄介モノだから、検視が済めばすぐ遺族に戻すくらいだ。そういう組織が親切にゴミを片づけてくれると思うかい」

 香澄は警察に幻想を抱いているかもしれないが、五百旗頭は逆に警察を醒めた目で見過ぎではないのか。ちらとそんなことを考えたが、敢えて口にはしなかった。

「さあて行こうか」

 五百旗頭は消毒液のスプレー缶を片手に問題の105号室へ向かう。香澄は唾をひとかたまり飲み込んで彼の後に続く。

 部屋の前に立った刹那、香澄は微かな不穏さを感じ取る。入社当時はまるで無頓着だったが、何度も事故物件の清掃をするうちに部屋が発する独特の空気を感知できるようになった。

 105号室のドアの向こう側からは住んでいた者の無念が漂っている。こればかりはどうにも説明できないが、とにかく近づいてはならないと頭の隅で警報が鳴り響く。

 五百旗頭は借りた鍵でドアを開錠すると、お邪魔しますと言って中に入る。

 途端に黒い靄が二人に襲い掛かった。もう慣れてしまったので今更驚きはしないが、靄の正体はゴミに集っていたハエの群れだ。靄と間違うのだから、その数は十や百ではきかない。最初はその数と飛び出してくる勢いに腰が抜けたものだが、今ではさっさと部屋から出ていってくれとしか思わなくなった。

 むしろ香澄がうんざりしたのは部屋の中にうずたかく積まれたゴミ袋の山脈だった。

「予想通りだわ」

 五百旗頭は独り言のように呟きゴミ袋の頂を見上げる。警察が遺体を運び出してくれたお蔭で、辛うじて大人一人が通れるほどの動線ができている。五百旗頭に続いて通ってみると、両側からゴミ袋の壁で挟まれる格好になる。余裕があるのは天井付近くらいで、そこはハエたちの飛行空間となっている。おそらく中の生ゴミが発酵したせいだろう。ゴミ袋のいくつかは裂け目が入り、中身が臓物のように溢れ出ている。

 露出した生ゴミはハエの苗床だ。表面が真っ白に見えるほどの蛆が湧き、一斉にわさわさと蠢いている。じっと見ていると叫び出しそうになるので、香澄は見て見ぬふりをする。床の上に灰のように撒き散らされている黒い粒状のものはハエの糞だ。たかがハエの排泄物と侮るべからず、この排泄物にも様々な黴菌が潜み、加えて悪臭の元になっている。彼らの食糧が生ゴミだけならまだいい。問題はこうした事故物件の場合、遺体がハエに食われているのが多いことだ。そして人間を啄んだハエの糞の臭いは悪臭というよりも刺激臭に近い。

 やがて五百旗頭たちは部屋の中央に辿り着いた。

「これも予想通りだなあ」

 五百旗頭が見下ろす床の上には人のかたちをした黒い染みが浮いている。染みには丸々と太った蛆が無数に重なり合っており、黒と乳白色のコントラストは悪趣味な抽象画にも見える。

「死後一カ月半てとこだな」

 五百旗頭は冷静に品定めをする。死体から流れ出た体液が床下まで浸潤した場合には、床材のみならず根太や大引きまで交換する必要が生じる。見積りの段階でフローリングを剝がす訳にはいかないので、自ずと表層から汚染具合を推し量るしかなくなる。

「よっしゃ。いったん引き上げるか」

 五百旗頭の言葉を合図に、香澄はゴミ袋の壁を崩さないように注意しながら部屋を出る。

 ワンボックスカーに戻ると二人は防護服を脱いで脱衣箱の中に放り込む。一度でも汚染区域に踏み込んだ防護服は使い物にならない。消毒しても完全に除染できるとは限らないので、もったいないがその都度使い捨てにするしかない。

 五百旗頭はクーラーボックスから冷えたスポーツドリンクを二本取り出し、一本をこちらに投げて寄越す。

「ありがとうございます」

「秋廣ちゃんの見積りじゃ、いくらくらいになりそうだい」

「体液の浸透具合にもよりますけど、床は拭き掃除と消毒だけじゃ済まず、床材の張り替えになると思います。ゴミ袋の下敷きになっている部分も多かれ少なかれ腐っている可能性があります」

「うんうん」

「ゴミを全て撤去するのに最低二人。空になった部屋を消毒・消臭するとして最低でも十万円は必要だと思います」

「いい線いってるなあ。まだ入社半年で大したものだ」

 褒められた勢いでペットボトルの蓋を開ける。防護服を着込んで汗だくになった身体に、冷えたスポーツドリンクが染み渡る。

「だけど、やっぱり入社半年だな。色々と甘いや」

「……色々と、じゃなくて具体的に指摘してください」

「一つ。アパートはペット禁止とか言っていたが、入居者は大家に内緒で飼っていたかもしれんだろ。小はトカゲから大は室内犬まで。飼い主が死んだら室内で飼われていたペットも十中八九死ぬ。死骸は腐り、飼い主同様汚染と病原菌の塊になる。二つ。入居者は三十代の女性で、以前はちゃんとした勤め人だった。OLだったら仕事着の他にも何着か私服を持っていて当然。物件はワンルームだからクローゼットがどこかゴミ袋の後ろに隠されている。生活空間にゴミ袋を置きっぱなしにするヤツがクローゼットの中を整理整頓しているとは考え難い。部屋と同等、もしくはそれ以上に凄絶な状態になっていると覚悟しておく方がいい。結論。最低でも二十万円はかかると見積もるべきだろうなあ」

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※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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