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「気持ちを汲むまではいいさ。だけど余分に肩入れするのはいただけねえ。下手すると死人に魂を持っていかれるぞ」――中山七里「特殊清掃人」第6回
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「気持ちを汲むまではいいさ。だけど余分に肩入れするのはいただけねえ。下手すると死人に魂を持っていかれるぞ」――中山七里「特殊清掃人」第6回

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秋廣香澄は半年前に〈エンドクリーナー〉に転職したばかり。同世代の女性・関口麻里奈が孤独死した部屋の清掃依頼があり、上司の五百旗頭とともに部屋の清掃を始めるが……。


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 死者について妄想するのが詮無いことは重々承知しているが、が自分と同年代であるために他人事だとは思えない。加えて彼女が生活し死んでいった場所で清掃作業をしていると、残留思念が
頭の中に侵入してくるような錯覚に陥る瞬間がある。

あきひろちゃんは優しいよな」

「わたしは別に」

「部屋の主とは歳も近いから他人事には思えないか。まあ、感受性が強けりゃ同調しちまうのも無理はない」

「さっきさんも、死んだ人は気持ちを汲んでほしいと言ってましたよね」

「ああ、それが大多数の死者の願いだと思っている」

「だったら、同調するのは悪いことじゃないですよね」

「あまりいいことでもねえ。気持ちを汲むまではいいさ。だけど余分に肩入れするのはいただけねえ。下手すると死人に魂を持っていかれるぞ」

「何だかオカルトチックです」

「俺はそれほど信心深いたちじゃないが、死者に強い念を抱くのが健全じゃないことくらいは知っている。同情するのはいいが、ほどほどにしときなよ」

 休憩が終わり、二人は作業を続行する。室内と外を二十往復もすると、今までゴミ袋の山脈に隠れていたフローリングの床が次第に顔を覗かせてきた。

 徐々に床全体が露わになると、体液でできた黒い染みが一層目立つ。染みの上には相変わらず無数の蛆が這い、乳白色の身体をうねうねと蠢かせている。

 体液の跡だけではない。床の上には飲み物か何か分からない不明の液体が固形化し、斑模様となっている。フローリングの隙間には汚れを擦り込んだように線が描かれているが、これはただの汚れではなく、ハエのサナギが一列にびっしりと並んでいるのだ。

 二人は殺虫剤を隈なく撒布した上で金属製のヘラを取り出し、隙間に埋まったサナギを丁寧に潰していく。子どもたちを殺戮されたハエが未練がましく纏わりつくが、これもスプレー缶で一蹴する。

 ひと通り殺虫剤を撒き終わると、フローリングの上は死骸だらけになる。中にはハエに混じってゴキブリやムカデ、その他名前も知らないような虫もいる。いちいち観察していると吐き気を催すので、香澄はそれらをただのゴミと認識して一カ所に掃き集める。持参したゴミ袋に詰め込んで部屋を出ると、二トントラックが敷地の隅に停まっていた。

「お疲れ様です」

 運転席から現れたのはもう一人の従業員、しらひろしだ。入社が一年早いせいか、香澄より年下だが汚物に対する耐性がついているように見える。

「ゴミ袋、これで全部っスか」

「まだ八割方」

「一回じゃ運びきれそうにないですね」

「五百旗頭さんもそう言ってました」

「やれやれ」

 香澄の素振りから二人とも手伝えそうにないのを察したらしい。白井はやはりタイベックに着替えると、ゴミ袋をひと袋ずつトラックの荷台に移し始めた。

 いくら消臭剤を撒布してもこの梅雨空の下では生ゴミの腐敗速度が加速する。速やかに撤去しなければ、たちまち悪臭を発するようになる。ゴミ袋を密封しても洩れるものは洩れるのだ。

 ゴミ袋の積み込みに専念する白井を尻目に、香澄は105号室に引き返す。ゴミ袋を全て撤去しても尚、クリーニングはやっと工程の半分を過ぎただけだ。

「白井さんのトラック、到着しました」

「ああ、音が聞こえた」

 五百旗頭はクローゼットの前に立って表面に目を凝らしていた。特段、染みのようなものは見当たらないが油断はできない。扉を開けた瞬間に、中から予想もしない代物が飛び出してくる可能性がある。むら刑事は『クローゼットの中も調べましたよ。不思議と中は衣服だけで、ゴミ袋もペットボトルも侵入していませんでした』と教えてくれたが、やはりこの目で確認しないことには安心できない。

 普段の話しぶりに反して五百旗頭は常に慎重だ。クローゼットのハンドルに手を掛けて、ゆっくりと開けていく。

 田村刑事の言った通りだった。部屋の惨状に比して、クローゼットの中は噓のように整然としている。ゴミ袋もペットボトルもなく、ただ衣類が並んでいるだけだ。

「ここは綺麗なものだな。もっとも虫の侵入は防げないでいるが」

 ハンガーに整然と吊るされてはいるが、近くで見ればやはり蛆が群生している。サナギの抜け殻も目立つ、スタンドミラーにもびっしりとクモの巣が張ってある。部屋の主が唯一聖域としていた場所も虫たちに荒らされていたと思うと、胸が痛んだ。

 衣類を仔細に調べるとブラウスやニットトップスといった夏物とセーターやコートなどの冬物が一緒に吊るされている。季節別に保管する術がなかったのだろう。これも田村刑事が教えてくれた通り、何着か男物の服が混じっている。派手な色合いのジャケットに、ラメ入りのパンツ、どこの夜会に着ていくのかポーラーハットまであった。

「付き合っていた彼氏が置いていったんだろうが、えらく派手だな」

「ですね。少なくとも勤め人が真っ昼間に着るような服じゃありません」

「ホストでもしていたのかな」

 高給の企業に勤めていながらホスト遊びを覚えたために身を持ち崩し、最後は職を失い預金を食い潰しながら野垂れ死んでいく。嫌になるほどよくある話であまりに通俗的だが、この部屋の有様を見れば首肯せざるを得ない。とっくに縁が切れた男が置いていった服を後生大事に吊るしているのが余計に憐れさを誘う。

「どの服も虫に食われたり蛆がたかったりして使い物にならねえ。母親が処分してくれと申し出たのは正解だったかな」

 五百旗頭はハンガーから外した衣類を無造作にゴミ袋に突っ込み始める。

 次の瞬間、唐突に思いついた。

「ちょっと待ってください」

「どうしたの」

「捨てる前に写真を撮っていいですか」

「別にいいけどさ。いったいどうしてだい」

「お母さんは処分してくれと言いましたけど、麻梨奈さんが生前どんな服を着ていたかには興味があると思うんです。だからせめて写真でもと思って」

「そりゃあいい。写真なら迷惑がられもしないだろうからな」

 衣服を捨てる前に一枚ずつ撮っていく。五百旗頭に説明したのは噓ではないが全てでもない。ハンガーに並ぶ服を眺めているうちに香澄は既視感を抱いたのだ。既視感の元が何なのかは分からないが、とにかく記録に留めておけと脳が命令している。

 香澄が衣服全部を写し終えると、五百旗頭はいよいよフローリングの清掃に取り掛かる。清掃と言っても体液の浸潤した床材の臭いはどんな消臭剤でも完全に消し去ることができない上、その部分が脆くなって耐久性が低下する。見た目を綺麗にしても意味がなく、結局は床材ごと取り換えるしかない。

 だが五百旗頭は持参した道具箱から電動ノコギリを取り出したきり、スイッチを入れようとしない。

「秋廣ちゃん、ちょっとここを見てくれ」

 五百旗頭が指差しているのは、黒い染みの腕先にあたる部分だ。背中越しに覗いてみると何かが記されている。コーティングに阻まれてインクが弾かれてしまったらしい。

「字、でしょうか」

「暗いところじゃ分からねえな。後で確かめるとしよう」

 床材剝がしが始まる。五百旗頭は慣れた手つきで電動ノコギリを扱い、染みの付着した部分を正確に切除していく。間もなく頭を突っ込めるほどの穴が出来上がると、五百旗頭は中を覗いた。

「予想通りだ。まで染みついてやがる」

「根太も取り換える必要がありますか」

「いや、どうやら表面だけだ。削りゃあ何とかなる」

 今度はカンナを取り出し、体液の浸潤した部分だけを丁寧に削り始める。削りカスは敷いた新聞紙ごと回収するのでひと欠片さえ残さない。前職か、それともハウスクリーニングの仕事で習熟したのか、五百旗頭はカンナ掛けも器用にこなす。染みのある部分をあっという間に削り取ってしまった。

 用意していた同じ床材を寸法通りに切断し、フローリングの欠落部分に嵌めていく。慎重さと器用さはここでも生かされ、新たに用意された床材が隙間なくぴたりと収まる。同色で事前にコーティングしてあるので、一瞥しただけでは継ぎ足したように見えない。

「お見事です」

「このくらいは慣れだよ。一年も続ければ、秋廣ちゃんもできるようになるさ」

「学校で生活技術を選択しなかったので、未だに釘一本もまともに打てません」

「仕事となりゃ話は別さ。職業ってのは、そういうもんだ。さてと、最終段階だぞ」

 フローリングの張り替えが終わると、五百旗頭は部屋全体に消毒剤を撒布する。

「よっしゃ、いったん撤収」

 道具箱を携え、二人とも戸外に出る。閉め切った部屋の中では消毒剤が効力を発揮している頃だ。休憩がてらぬめりが消えるのを待つ。

       

前回(第5回)                                    次回(第7回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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