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北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第24回

第10峰『古着屋総兵衛影始末』『新・古着屋総兵衛』其の四



狭い日本を飛び出して国際貿易に活路を見出す


 が、前述したように、本シリーズで佐伯泰英が描きたいのはそこではない。船だ。海だ。狭い日本を飛び出さんとする総兵衛のガッツだ。

 そのために作者は、「そこまで望む佐伯ファンがいるのかなあ」と思うほどの熱量で、早い段階から船の描写に精を出す。総兵衛は、今後の商売のためにも多くの荷を運ぶだけではなく、外国の列強とも戦える戦闘能力を兼ね備えた船が必要だと考え、大枚をはたいて勝負に出る。そして、ついには自ら船に乗り込み、買い付けに向かう。商売のためでもあるが、総兵衛は危機感を募らせていたのだ。

 1800年代になると、鎖国している日本に外国からの通商を求める声が高まってきた。先進諸国に比べ、日本は貿易面のみならず軍事、医学などあらゆる方面で後れを取っていたが、幕府は門戸を開くことを恐れ、鎖国を続行。こうした歴史を踏まえ、作者は総兵衛をフィクションの世界で暴れさせたいと考えたのかもしれない。

 手始めに、江戸から遠くないエリアで安全に停泊できる場所を探すイギリス船を軽く蹴散らし、なめてかかろうとする相手に釘をさすと、いよいよ新船〝カイト号”の建造に取り掛かっていくのである。

 いくら丹念に描かれても、船の構造や配置される武器にそこまでの興味はない。絵が頭に浮かぶということなら大黒屋の改造計画のほうがはるかに上である。それでも、こうやって筆を尽くされると、わかったような気になってきて、総兵衛が乗り込んでの船出が待ち遠しくなってくる。〝安定と円熟の江戸編”と〝チャレンジャー精神の海洋篇”が行ったり来たりするあたりが、本シリーズならではの独自性といっていいだろう。

 その前に徳川家を脅かす敵との決着をつけたいのは山々なのだが、残念ながらそうはならない。前シリーズもそうなのだが、強敵が現れても、総兵衛の察知力と対応力が優れているため、大事に至らないうちにやっつけてしまうのだ。そのため、つぎなる企みが起きるのを待つしかなく、そこでも無敵の大黒屋が圧勝してしまう。どう転んでも敵に勝ち目はないのである。

 こうした宿命を背負っているため、終盤の敵も最強というわけではない。一方、数々の修羅場を潜り抜け、鳶沢村で若手を育てている大黒屋はめちゃくちゃ強くなっている。まったくもって不思議だ。勝つとわかっているのに、どうしてこんなにおもしろく読めるのだろう。

 その一方で、海を越えて行った面々はめざましい成果を上げる。読みながら、佐伯泰英が仕上げにかかったなとわかるほど腕も良けりゃ運も良く、商談はうまくまとまるし、総兵衛の母親まで元気に登場するなど、いいことずくめ。

 最終第18巻『日の昇る国へ』でも絶好調ぶりは止まらない。「完結させていただきます」と言わんばかりに、佐伯泰英の剛腕が唸るのである。無難に収めたという中途半端さはなく、徳川家は守られ、総兵衛は愛しき女性と祝言を挙げ、念願だった船出に至る。そこからがまた……。

 大団円にもほどがある、いささか荒っぽいと思う人がいるだろう。でも読後感は爽快だ。なぜか。できるかぎりの努力をし、勇気をもって道を切り開き、自己のためではなく他者や国家を思って10代にわたって行動した大黒屋が報われて欲しいと思っていたからだ。

 そして、おそらく全読者以上にそう思っていたのが作者自身。「新・古着屋総兵衛完結の辞」にこんな文章を発見した。

〈これまでいくつかのシリーズを完結させたが、古着屋総兵衛シリーズは格別に思い惑った。それだけ愛着のある物語であったからだ。また作風がいささか別のシリーズとは異なり、物語の背景も16世紀の越南ホイアンの日本人街から6代目総兵衛勝頼が主人公の18世紀初頭、そして、本名グェン・ヴァン・キ、改名して鳶沢総兵衛勝臣が活躍する新・古着屋シリーズが19世紀の初めと、何世紀にもわたる物語だ。

 作者の執筆年齢も58歳から77歳と19年余にわたっている。
 このシリーズの一作を書くために他のシリーズの2倍のパワーとエネルギーが要った。だが、『日の昇る国へ』を書き終え、わが年齢と体力を考えたとき、これ以上、古着問屋大黒屋総兵衛にして鳶沢一族の頭領鳶沢勝臣の物語を書き続ける体力はないことを悟った〉

 佐伯さん、クタクタなのである。パワーとエネルギーに満ちた作品であることは、読み終えた人ならわかるだろう。素直に「おつかれさまでした」と声をかけたくなる。

 でも、書き終えた直後だけ弱音を吐くのが佐伯泰英のお家芸。すぐさま気持ちを切り替えて「新・古着屋総兵衛完結の辞」をつぎの文章で前向きに結ぶのだ。

〈さて次をどうするか、古着屋総兵衛シリーズとは、まったく異なった雰囲気の市井ものを書いてみようかと考えている。ただし、パソコンの前に座らねば、最初の1行が浮かんでこない筆者のこと、具体的にどのような時代小説を書くのか記述したくてもできない。年齢を考えたとき、最後の挑戦か、しばし新・古着屋総兵衛の世界を忘れ、頭を空っぽにしようと思う。〉

 こういう人なのだ。そして我々読者は、ここに書かれた文章が願望に終わることなく、間を置かず現実のものになったことを知っている。

※ 次回は、10/26(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)