北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第18回
第8峰『居眠り磐音 江戸双紙』其の弐
全読者の胸を熱くさせる神回の第3巻、珠玉の第16巻
『居眠り磐音 江戸双紙』が大長編でありながら尻すぼみにならずに人気を保ち、傑作と称される理由として挙げておきたいのは、緩急の使い分けが見事にはまっている点だ。とりわけ前半がすごくて、急展開のオープニングから一転して静かになったかと思いきや、物語の骨格を形成するのと同時進行で感情を揺さぶられるドラマがピークを目指して前にせり出してくる。
大長編である。しかも、小さな事件をていねいに紡ぐことの多い佐伯作品である。先は長い、のんびり読ませてもらえるだろうと気を抜いているところへ、唸りを上げてクライマックスがやってくる。
「え、もうそんなことしますか」
と大慌てで活字を追うことになるが、それを待っていたかのように、さらに加速してくるのだからグッときてしまい、前半のうちから泣かされる羽目になるのだ。
具体的にどうなのか、4つのポイントを取り上げておこう。
1.主人公を不幸のどん底に叩き落とす、簡潔にしてスピード感あふれるオープニング
佐伯時代小説はオープニングが簡潔にしてなめらかな文章でまとめられ、読者をたちまちのうちに物語の世界に誘ってくれるが、この作品はずば抜けて吸引力が強い。
すでに述べたように、主人公を奈落の底に突き落とす、あってはならない出来事を、冷徹なタッチで描くことで、「こんな理不尽なことはない」という緊張感と、「このまま暗いムードで進むはずはない」という反転への期待感を読者に与えることに成功しているのだ。関前藩の改革を担うはずだった磐音が、何もできないうちに藩から離れる場面で章は終わるのだが、磐音の無念は読者の胸に焼き付き、「いまかいまか」と大爆発を待ち焦がれてしまう。その期間、軽く10年以上。気長にもほどがある焦らしっぷりだが、大小の山場を越えながらそのときを待つのも佐伯ファンの醍醐味となっている。
2.おずおずと始まる磐音の江戸暮らし。脱・どん底の上昇エネルギー
裏長屋に住み、大店の用心棒をしながら鰻屋でも働き、周囲の信頼や友情を得ていく展開は、佐伯泰英の十八番だが、オジサンが主役の他作品にはない要素として、20代後半の磐音は優しくてカッコいい青年として描かれる。中高年読者にとっては理想の息子かもしれない。
私は、佐伯作品のキーワードの一つに〝純情”があると考えている。わかりやすい例は江戸の青春グラフィティである『鎌倉河岸捕物控』となるだろうが、『居眠り磐音江戸双子』では20代から中年期に至るまでの長期にわたって、磐音のまっすぐな心根が描かれるのだからたまらない。しかも、劇的な人生を歩む奈緒、妻となるおこんなどもそうなのだ。きれいな心、まっすぐな思いをストレートに書いても臭みが出にくい時代小説の特徴を最大限に生かして(現代が舞台の作品で同じことをしたら、たぶんしらじらしくて読んでいられないだろう)、いまわしい過去をぶっとばしていくのだ。
3.愛する奈緒のはかない運命と、磐音との悲劇的なすれちがいを含む神回、全佐伯ファンが泣いた第3巻
この序盤こそ、時間と気持ちの余裕があるときに読んで欲しい。悲劇的なオープニングで心臓をわしづかみにされた人は、まず第3巻まで、できれば第16巻まで。山場への駆け上り方がすごくて、惜しげもなく名場面が連続するドラマチックな筋運びに嬉しい悲鳴を上げるはずだ。
これは、巻を重ねていくうちに、おこんという娘が磐音とマッチすることに作者が気づいたことが大きいのではないかと想像する。明るさと気風の良さを備えたおこんが登場すると、物語が華やぐのだ。
読んでいても、磐音はまんざらでもなさそうだし、ふたりはいい感じだな、と思ってしまうのである。
しかし、この段階での想い人は、郷里で別れた奈緒だった。江戸暮らしを軌道に乗せつつある磐音に対し、奈緒はその後どうしただろうと読者の誰もが考えているところへ、作者によって事情が明かされていく。
奈緒もまた、関前にはいられなかった。おもに経済的な理由で追い詰められ、身を売るしかないと覚悟を決める。磐音の身を助けたのが剣術の腕なら、天が奈緒に与えたのは美貌と気品だった。
磐音の暮らしが整いつつあるのに対し、奈緒の歩みは悲しい影を帯びたままだ。このままでいいはずがない。第3巻からは、蟄居閉門となった父の正睦を救出するため豊後関前に戻り、奈緒の事情を知った磐音が、長崎、小倉、そして金沢へと追いかける展開。しかし、どこを訪ねてもすでに奈緒はおらず、気配だけが残っている……。磐音の焦りや必死さが伝わってきて、読者もジリジリしながら奈緒の無事を祈ってしまう。
奈緒が移動を繰り返すのには理由があった。群を抜く美貌の持ち主である奈緒は、遊郭の経営者にとって投機の対象となってしまったのである。自分の店で客を取らせるより、もっと格上の遊郭に売りつけたほうが儲かるというわけだ。
となると、その頂点はどこ? 江戸の吉原である。奈緒は各地を転々としながら、一人の客を取らされることもないまま吉原に売られようとしているのだった。
奈緒が逃げているわけでもないのに、追いつけそうで追いつけない磐音。運命のいたずらに抗えないもどかしさ、クールな描写と行間に漂う切なさ、わずかに差し込む希望の光……。ここまで美しく舞台を整えられたら、読者は黙って読むしかないのである。
吉原にきたら磐音と奈緒は会えるのか。そんなことはない。デビュー前から将来の花魁を確実視される奈緒は、吉原きっての〝高額商品〟。近くにいても会えないばかりか、自分ではない誰かに抱かれることを覚悟しなければならない。よくぞこの展開を思いついてくれたものだ。そして、どうにかして奈緒を自由の身にしてもらいたいと願ってしまう。いや、きっとそうなる。磐音はそういう男だと、肩に力を入れながら読み進むことになる。私がそうだったのだ。「奈緒、運命に負けるな。磐音、ここでがんばらなくてどうするんだ」……興奮状態でふたりを応援していた。
慣れていなかったのだと思う。ここまで佐伯作品を読み継いできたが、悲劇のヒロインは奈緒が初めてだったのだ。読者だけではない。情感にあふれ、ふたりの純情が爆発する第3巻は、佐伯泰英にとっても、絶頂期に放たれた一世一代の神回なのかもしれない。
4.山形へ去る奈緒を見送る第16巻の盛り上がりと感動
序盤のクライマックスとなる第16巻は、いまや白鶴太夫として吉原の看板となった奈緒が、山形藩内の紅花商人である前田屋内蔵助に落籍されるエピソードが中心。いずれ必ず磐音と奈緒が結ばれると信じていた読者にしてみれば期待を裏切られた形でもあるが、落籍に至る道のりがていねいに描かれ、前田屋内蔵助もひとかどの人物であることから、奈緒の幸せを願う気持ちで読むことができる。
それでもやっぱり、明日は吉原を去るという日に奈緒に呼び出された磐音の胸中は複雑で、お互いに感情を抑えた会話を平常心で読むことのできる人は少ないだろう。
ここで奈緒の出番はいったん終了。後半で再登場するときには悲劇のヒロインではなく、荒波を乗り越えて自立した強い女性として読者の前に現れることになる。磐音との関係も、藩のもめごとで切り離されてしまった元婚約者から、強い信頼関係で結ばれた、互いに尊敬しあう男女へと変わっていく。
第5巻からしばらくのスムーズな進行と、波がだんだん高くなってくるような第13巻あたりからの盛り上がりは、読者を夢中にさせるに十分。第16巻を読み終えた直後は、ここで終わってもいいのではないか、こんなに満足してしまったら、この先が退屈に思えるのではないかと余計な心配をし、余韻に浸りたくて、翌日は読書を休んだほどだった。どこがどう良かったか、盛り上がったか、これ以上の説明はしない。読んでみてくださいと願うばかりである。
しかし、私の心配は杞憂に終わる。佐伯泰英はここでギアチェンジ。残りの35巻を費やし、『居眠り磐音 江戸双紙』を大河ロマン家族小説へと仕上げていくのだ。
『密命』で描ききれなかった“家族”一丸となっての大団円
すうっ、となで斬る磐音の居眠り猫剣法と佐伯流猫パンチ
第17巻以降では、奈緒に負けず劣らず読者人気が高いであろうおこんが好対照の明るいヒロインとして磐音の大事な人になる。ふたりは結婚し、子を授かって親となり、物語は家族小説の色彩を強めつつ、新たなステージへ突入するのだ。
急な上り下りを繰り返した前半を経ていったん落ち着く中盤は、起伏がゆるやかになって読みやすい巻が続く。登山に例えると、風景を眺めながら尾根伝いに歩いている感覚だろうか。個性や役割が頭に入っている登場人物たちの織りなす江戸の日常と、大小さまざまな出来事のバランスが読んでいて心地よく、このままずっと平穏な日々が続けばいいのにとさえ思う。
佐伯時代小説のシリーズ中盤にはよくあることだが、『居眠り磐音 江戸双紙』の安定感は他作品と比べても頭ひとつ抜けている。なぜか。主人公である磐音の生活が、家庭も仕事も地に足がついたものになっていくからだ。稼ぎの多寡ではなく、定位置を持っているかどうかが他のシリーズと違う点だろう。
そこをはっきりさせるため、佐伯泰英は奈緒からおこんへとヒロインを変えてきた。第16巻で、磐音と奈緒は別々の道を歩むことを決め、過去と決別。奈緒は磐音に「おこん様を大事にしてくださいませ!」と言って去っていく。それを受けて、第17巻で磐音はおこんと結ばれるのである。
この交代劇がスムーズに運び、読者に喜びを与えるのは、忌まわしい過去の記憶から磐音が解放され、未来へ向かって歩み出す象徴として描かれているからだろう。奈緒との別離から2カ月足らずでそうなるスピード感も、奈緒への罪悪感からおこんに対する気持ちに蓋をしていた磐音が吹っ切れたことを象徴していて微笑ましくなる。この鮮やかな転換によって、読者が奈緒との関係を〝終わったもの”としていったん忘れてしまうのも、終盤に効いてくる心憎い仕掛けだ。
仕事面で大きな変化が訪れるのは第19巻。用心棒と鰻割きで生計を立て、直心影流尚武館道場(佐々木道場)で剣の指導をしている磐音は、道場主の佐々木玲圓から、自分の養子になって道場を引き継いでくれないかとの申し出を受けるのである。おこんと所帯を持ち、道場主という安定した仕事を得たことで、取り巻く環境は基盤が強化され、ちょっとやそっとじゃぐらつかなくなった。
『密命』などの作品でも、主人公が道場と密接な関係を持つことはあったが、道場主になるのは初めて。やたらと強い浪人ではなく、尚武館道場の代表という地位を得た磐音の人生は、ここへきて上昇気流に乗ってきた。
道場での稽古、弟子たちとのやり取りなど、剣術そのものを描く場面は、数あるシリーズ中でも突出して多い。敵との対決ではなく、師匠の佐々木や剣術仲間、弟子と竹刀を交えるとき、問われるのは勝ち負けより過程。スポーツ小説を読むような爽快さがある。
そういう場面で際立つのは、磐音ならではの〝居眠り剣法”だ。どういうものなのか、作者は磐音の構えを次のように説明する。
〈春先の縁側で日向ぼっこをしている年寄り猫〉
闘いの緊張感とは程遠い、どこにも力みのない静かな構えというところだろうか。だが、猫という動物を知っていれば、敏捷性や動体視力に優れていることはわかるだろう。彼らが繰り出す猫パンチの速度は一流ボクサーをはるかに上回り、本気を出せば一発でニワトリを気絶させるほど威力があるという。予備動作なしでパンチを出せるのも特徴のひとつだ。
磐音の剣もそのイメージに近く、静から動への切り替えが尋常ではないほど速いために、勝てると思った相手よりも先に剣先が届き、勝負を制してしまう。そのため、なぜ敗れたのかわからないまま斬られたり気絶させられたりする相手が後を絶たない。
剣術小説の要素もあるこの作品では、1巻につき何度か稽古や実戦での闘いが描かれ、もともと師範級だった磐音の腕は、敵なしと言えるレベルにまで達していく。ところが、相手が強敵になればなるほど殺気や気配を消して年寄り猫っぽさに拍車がかかるため、対決シーンは血なまぐさくならず、どこかユーモラスな描写となっていく。また、磐音はむやみな殺生を嫌い、小物が相手のときは峰打ちにして致命傷を与えない。しょっちゅう対決している割には死人が出ない点も、とくに女性読者には読みやすいと思われる。
文章にも、年寄り猫らしさを演出する工夫がある。『酔いどれ小籐次』でも使われているが、本作の中盤以降で多用される〈ひらがな+即改行〉の技を、ぜひ紹介しておきたい。
〈一気に間合いが詰まり、桂太郎の弾む呼吸が磐音の耳にも大きく聞こえた。
気合いもなく桂太郎の右手が流れ、紅花が、
ぱあっ
と斬られて虚空に舞い上がった。次の瞬間、刃が磐音の腰へと伸びてきた。
その直後、不動の包平が、
ふわり
と戦ぎ、突進してきた桂太郎の喉元を、
すうっ
と撫で斬った。〉(第26巻 第5章「半夏一ツ咲き」より)
その部分だけを取り出すと、なんだかヘンな文章だ。生死を賭けた闘いとも思えない、のどかな描写。だが、これによって生み出されるものがある。
余白だ。「ぱあっ」「ふわり」「すうっ」であっさり改行し、一瞬の出来事をスローモーションで再現するような書き方のため、読者が脳内で思い思いに視覚化できる。読者はいったんスローモーションで構築した映像を、早回しで再生することによって、何が起きたのかを現実の速度で後追いするわけだ。
見せ場だという力みを捨て、目一杯に余白を作る。テンポよく改行する書き方はめずらしくないものの、肝心かなめの対決シーンにそれを持ってきたところが斬新だった。
これぞ〝佐伯流猫パンチ”である。意識的にそうしているのか、それとも無意識のものなのかは定かでないが、読者を信頼する気持ちがなかったら、ここまで大胆な書き方はできるものではない。
私も最初は省エネぶりに面食らってしまったのだが、慣れとは恐ろしいもの。何度か繰り返されるうちに、この様式をヘンだと思わなくなってしまった。「そより」とか「ぐしゃり」も、こうなると生々しく響いてくるからおもしろい。
ついに関前藩に凱旋。思いを晴らす磐音、そして奈緒は、空也は……
名声が上がるにつれ、中盤では幕府の老中・田沼意次にうとまれ、刺客をつぎつぎに送り込まれる磐音。襲い掛かるトラブルを解決したり、出身である豊後関前藩を訪ねるなど、後半に向けての準備が着々と進む。
山形に去った奈緒を登場させ、磐音との再会を果たすエピソードを第26巻でさりげなく盛り込んだのも良かった。磐音にとって、おこんは妻であり、奈緒は永遠のマドンナ。わかる人にはわかっているけれど、ここで念を押すことで読者の記憶を掘り起こすことができる。
このように、佐伯時代小説では、〝誰一人取り残さない”と言わんばかりに、登場人物を使い捨てにしない。本作でも、両親や妹をはじめとする豊後関前藩や裏長屋で育まれた人間関係から剣術仲間、事件を通じて知り合う幕府の関係者など、巻が進めば進むほど登場人物は多彩になる。
適宜入れ替えていくほうがラクに思われるのだが、そうなることはまれ。かっちり構成を決めてから書き出すタイプならまだしも、佐伯泰英は行き当たりばったりが身上。読者が混乱しないよう交通整理をしながら、ミルフィーユを作るような丁寧さで全体をまとめていくのは骨の折れる作業だ。それでも安易に退場させないのは、作家の都合で読者を落胆させることを良しとしない気持ちがあるからだろう。
佐伯泰英はプロの書き手。〝誰一人取り残さない”からこそ大長編シリーズが可能になることを熟知している。前半のうちにしっかりと命を吹き込まれた登場人物たちは、尻上がりに存在感を発揮して読者の期待に応えるいい働きをしてくれるのだ。
たとえば、江戸庶民の威勢のいいやり取りなどは、準レギュラー陣なしでは成立しない。優等生の多い佐伯時代小説の主人公が苦手とする笑いの要素も脇役が補ってくれる。本作では、用心棒仲間の竹村武左衛門(酒好きでいつもピーピーしている浪人。妻と4人の子持ち)が出てくると一気に雰囲気が和むのがお約束となっている。
『居眠り磐音 江戸双紙』は全51巻。ふたりの子どもに恵まれて家族が増え、豊富な人材を生かして自由自在にエピソードを操る中盤を読むのはじつに楽しい。
この頃になると少々の出来事では刺激がなくなり、読みながら寝落ちすることもなくはなかったが、目が覚めるとまた小説の世界に戻りたくてたまらなくなってしまうのだった。
第40巻を超え、いよいよ終盤に近づいても磐音を中心とする大家族(家族と仲間を含む人間関係)はほころびを見せることがない。私にはそれが、2011年に第26巻で幕を閉じた『密命』がたどりついた異様なラストと関係しているように思えてならない。
同作品は、天才剣士である息子を育てた主人公の金杉惣三郎が、剣の道に生きるべく家族の前から姿を消すという終わり方をした。ヒリヒリするような終盤の緊張感や読後の虚脱感は、数ある佐伯作品の中でもトップだと思う。
しかし、著者にとって望ましい結末だったかといえばそうではない。読み切り作品のつもりで第1巻を書いたため、また主人公の設定を30代半ばにしたため、物語の展開が苦しくなったことを著者自身が認めている。
そんなこともあって、『居眠り磐音 江戸双紙』を再読した私は数巻読んだところで思ったのだ。これは〝裏・密命”ではないか、と。
『密命』と『居眠り磐音 江戸双紙』の両方を読んだ人なら、豊後の小藩出身、長屋暮らしで江戸生活を開始、道場と縁を持ち剣術に情熱を燃やすことなど、両作品の類似点に気がつくはずだ。我が子が天才剣士であるところまで一緒で、素朴さや正直さを備えた主人公の人間性にも大きな違いはない。
泉のごとくアイデアが湧き出してくる絶好調の佐伯泰英が、わざわざ似通った設定の物語を書こうとしたのはなぜなのか。『密命』では果たせなかった家族の形、読み終えた読者が幸福感に包まれる終盤を書いてみたかったのではないか。違うかもしれないが、私はそう思う。
本作を振り返ると、悲劇的なエピソードから始まった細い水の流れが、さまざまな要素を取りながら幅を広げ、ときには滝のような傾斜を流れ落ち、蛇行しつつ、堂々たる川へと育つような、坂崎磐音(途中で佐々木磐音と改名する)の一代記となっている。
いまや磐音は単なる剣術家ではなく、尚武館道場の二代目道場主であり、一家の長であり、若き日の目標だった藩の改革をなすにふさわしい実力者。登場人物を束ね、全幅の信頼を得ている。
となれば、結末は大河が海へと注ぎ込み、夕日に照らされてキラキラと輝くような大団円しかあり得ない。私はそう確信したし、最終盤にかけて、磐音が積年のわだかまりに決着をつけるべく豊後関前藩に乗り込むことや、長男の空也が急成長すること、奈緒の出番が増えてくるであろうことも予想できていた。
そこまで心の準備ができていたのに、泣かされてしまったのだ。序盤ですでに泣いていたので二度目である。
私の反省点は、ラストの10巻を一週間で読んでしまったことだ。できれば時間をかけて優雅に読みたかったが、初読時も再読時も、昂る気持ちを抑えきれずに猛スピードで駆け抜けてしまった。
どこがどう感動的だったのか、詳細に記すのは野暮というものだ。読めばすぐわかる。ラストまでたどり着いた人は、この作品を読み通して良かったと思うはず、としか言えない。
さらに、佐伯泰英は“裏・密命”らしいオマケをつけてくれた。空也が武者修行に出たいと直訴し、磐音のOKを取り付けるのだ。その明るい約束に、不吉な影はひとつもない。主役が交代して続行される磐音シリーズのタイトルは『空也十番勝負』だ。
旅先で出会うのはどんな相手か。磐音、おこん、奈緒も出番がないとは考えられないけれど、どのように絡んでくるかは想像がつかない。仕方がない、すぐにでも手に入れて読み始めよう……。
ああ、私がゆっくり時間をかけて読むことを、佐伯泰英はどうしても許してくれそうにない。
※ 次回は、9/14(土)更新予定です。
見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)