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北尾トロ『佐伯泰英山脈登頂記』第27回

第12峰『オムニバスシリーズ』

『照降町四季』『柳橋の桜』其の壱

時代小説の鉄人が放つ“アラ傘”群峰


読み切りの『オムニバスシリーズ』で新境地を開拓


こんな話が読みたかった! 小さな話の大きな満足感


 傘寿を控えた70代後半の佐伯泰英が、長いシリーズばかりを書き継いで行くのは老化もあってつらくなってきたこと、出版事情も長期シリーズには適さなくなったことを理由に立ち上げたのが『オムニバスシリーズ』。2020年から23年にかけて1年1作のペースで4冊刊行された。各作品に関連性はなく、それぞれ独立した読み物となっている。

 本シリーズを契機に、新規に始まる佐伯作品は4冊程度で完結するスタイルに変化。ときどき添えられる「あとがき」では集中力が落ちた、老化が止まらないといった正直すぎるボヤキが綴られがちとなるのだが、4冊完結を短いなどといっていたら、1冊書きあげるのにヒィヒィ言っている私はどうしたらいいのか。

 私のことはともかく、これは佐伯ファンにとって歓迎すべき変化だったと思う。時代小説好きの中心は中高年読者。四半世紀にわたって業界をリードしてきた佐伯泰英の熱心な読者が、仮に40代で『密命』に出会っていたら、その人はすでに60代後半か70代である。我ら読者も大長編より手ごろな長さの作品のほうが手に取りやすいのだ。

 もっと嬉しいのは内容的な変化である。長編シリーズでは序盤から派手な展開が多くなり、読者を飽きさせないように印象的なエピソード、事件、謎が矢継ぎ早に繰り出され、登場人物も多い。求められるのは先へ先へと読ませる力であり、それを実現すべく用意される山場の連続と大団円を迎えるための盛り上がり。どこまでも強く、細かいことにはとらわれないで物語をぐいぐい引っ張っていく主人公が活躍する。佐伯時代小説は「読み始めたら止まらない」おもしろさで成功してきた。

 しかし、長編作家であるがゆえに書きにくかったテーマもあったのではないかと、本シリーズを読んだ私は思ったのである。アラ傘になったから思いついたのではなく、前々から小さな世界を丹念に描く作品を書いてみたかった。いまがそのタイミングだ、と考えたのではないだろうか。

『オムニバスシリーズ』、いいのである。久々の読み切り作品に張り切りすぎてエピソードてんこ盛りになることもなく、丹念な描写で佳作に仕上げた。

 これは、それぞれの作品の舞台と、市井の人である主人公の目標が明確なことが関係しているだろう。

・『新酒番船』

灘の酒蔵の蔵人見習・海次が船乗りに憧れ、新酒を江戸に運ぶ新酒番船の競争に参加。それを見守る幼なじみの小雪は海次への想いを胸に彼の兄との祝言を控えている。それを知って悩む兄。江戸への一番乗りを目指してがんばる弟。地元に戻った海次を家族はどう迎えるか。そして、恋の行方はいかに……。

・『出絞と花かんざし』

 京北山で父や愛犬と暮らす6歳のかえでは、ある人物との運命的な出会いを経て京へ出て働きたいと思うようになる。願いが叶って花かんざし職人となった少女のひたむきな生き方を、宮大工の修業に励む萬吉との淡い恋を交えて爽やかに描く。

・『浮世小路の姉妹』

 火つけで両親を失った老舗料理茶屋の姉妹と知り合った町火消見習の昇吉が、姉の恋人である若頭の命で、悲劇の再来を防ごうとする。粘り強い探索と謎の解明。その働きを間近で見ていた妹との間に芽生えた恋の行方。

・『竈稲荷の猫』

 三味線職人の世界を舞台に、才能あふれる若手の善次郎と、棹作りの名人の娘である小夏が力を合わせ、失敗の許されない作業の緊張感を伝える細かい描写力で、この世にひとつだけの三味線造りが描かれる。

 いずれの作品も、職人の専門的な仕事が大きな要素となり、恋や事件がそこに絡んでくる構成。長編シリーズ向きではなくても、読者の興味をそそる内容で、読み切りとあって本筋と関係ない話が紛れ込むことがない。武士の出番がほとんどなく、市井の人々の物語になっているのも共通項だ。

 さらに、佐伯作品につきもののヒーローの超人的な活躍や血なまぐさいアクションは封印され、官能的な場面とも無縁。長編シリーズがあまりにも売れたために、こういう地味な作品を書く機会がなかったが、仕事や異性と向き合う繊細な気持ちを、佐伯泰英は見事に掬い取っている。「やっとチャンスがきた」という喜びが伝わってくる気がして、一読者として嬉しくなった。

自分で考え、決め、行動する10代の主人公たち


 これまでの作品群と趣を異にする『オムニバスシリーズ』の読み心地が良いのは、登場人物を見守る作者の目線が優しく温かいからだと思う。

 過去の長編シリーズで、女性の複雑な心理や込み入った恋愛事情を、作者は慎重に避けてきた印象があった。女性の心理を描こうとして、男性作家が頭で考えた中途半端な女性像になるくらいなら最初から深入りするのはやめる、と潔く決めていたように私は感じていた。

 しかし、本シリーズでは積極的に男女の恋模様を題材としている。それはなぜなのか。理由は主人公の年齢にあると思う。どの物語も主人公の多くは10代の若者なのだ。彼らはまだ世の中の裏を知らず、純粋で、相手と駆け引きして得をしようとも考えない。そして、10代半ばには将来の目標を決め、丁稚奉公や弟子入りなどして方向性を定める時期を迎える。

 彼らの選択肢は少なく、夢はささやかであることが多い。けれど、誰かの言いなりになるのではなく、自分の意思で進むべき道を決め、修業に励み、懸命に生きようとする姿はシンプルで力強く、エネルギーにあふれている。仕事や家族、恋愛、結婚について考えるとき、主人公たちはいつも正面から向き合い、現実から目をそむけることがない。

 彼らのひたむきさや純情さは、大人になるにつれて失われていくかもしれないからこそ貴重で美しい。その大切なひとときを、柔らかな光で包み込むように物語にした本シリーズに触れると、読んでいる側にも心を洗われるような喜びが湧きおこるに違いない。自分にもそんなときがあった、年を取ったなりに一途な生き方をしてみよう、と人生を見つめ直すきっかけにする人もいるだろう。

 どの作品も好感度が高く、個人的には10代ならではのプラトニック・ラブと事件解決に至るエンタメ性がうまく噛み合った『浮世小路の姉妹』が好きだが、読み切り作品なので、とりあえず1冊手に取ってみよう。それがおもしろく読めれば、他も楽しめるはずである。

 だが、こうも思うだろう。こんなに淡い小説を書いてしまうのは〝筆仕舞い”を意識しているからではないか。年に何冊か新刊を読むのをあたりまえのこととしてきたが、そんな日々が終わってしまうのではないか……。

 安心してほしい。『オムニバスシリーズ』の好評に気を良くしてか、佐伯泰英はここで奮起するのである。長いシリーズに不安があるのは、健康上の問題などで最終巻までたどり着けないのを恐れてのこと。ならば解決策はある。確実に書き切れる短いシリーズを連発していけばいいとばかりに、新シリーズをどんどん立ち上げてしまうのだ。

 傘寿を超えた時代小説の鉄人がみせつける職人魂は、10代の若者たちに負けず劣らず力強く、エネルギッシュなのである。

驚きの4カ月連続刊行が炸裂

著者初の女主人公シリーズ『照降町四季』


ついに解禁⁉ 出戻りの佳乃が佐伯作品に新風を吹き込む


 2021年4月、本シリーズの第1弾『初詣で』の広告を見た私は我が目を疑った。まさか前年に始まった『オムニバスシリーズ』の第2弾が出る前に、新シリーズが立ち上がるとは予想していなかったからだ。『オムニバスシリーズ』は、新たに長編シリーズに取り組むのは年齢的にきつくなったことで誕生したものだと作者が「あとがき」に記していたので、しばらくは継続中の長編とこのシリーズに専念するものだと思い込んでいた。

 それだけではない。広告には、『照降町四季』全4巻を4カ月連続で刊行すると書かれていたのである。大事なことなのでもう一度書いておく。まっさらな新作を全4巻、4カ月連続刊行だ。

 全盛期さながらの怒濤の新刊ラッシュをアラ傘になって実行するなんてパワフルすぎる。私は、驚きを通り越して笑うしかなかった。

 そして考えた。佐伯泰英は噓などついていない。もう長編シリーズはしんどいと書いただけで、手ごろな長さのシリーズならやる気満々だったのである。愛読者にしてみればありがたいことで、『照降町四季』は発売直後から書店のベストセラーランキング上位に居座り、最終巻まで勢いが落ちなかったと記憶する。

 4カ月連続刊行の告知を第1巻刊行時に行うためには、その時点で最終巻までの原稿が揃っているか、少なくとも第3巻まで仕上がっていると考えられる。全4巻は佐伯作品としては短い部類だが、一般的には十分な長さ。各巻300ページ前後としても計1200ページ超を一気に書き上げるのは勢いに乗っていなければできないことだろう。

 何が作者をそうさせたのか。最終第4巻のあとがきで、作者はこう書いている。

〈女の職人が主人公の短いシリーズへの挑戦は、私にとって初の試みと思う。書いてみて私の現在の思考力、体力に見合った四巻であったと思っている〉

 いくつになっても新しいことは始められるし、いまの自分にふさわしいやり方で始めればいい。大ベテランの挑戦に励まされる思いだ。出来栄えについても、めずらしく満足気な感想を述べている。

〈作者はそれなりに面白いというか、これまでの作風とは異なると思っているが、成果は読者諸氏が厳しく評価をお下しください〉

 巻ごとに趣向を凝らした読み切り4部作『オムニバスシリーズ』の抒情性が好きな私にとっても、読むと元気が出る明るさと程良い長さのバランスが絶妙な『照降町四季』は新鮮な作品だった。作者も記しているように、主人公を女性の職人にしたところが主たる理由だが、けなげで純真なだけでは4巻物の主役は務まらない。そこで一ひねり加え、男に騙されて駆け落ちし、しょんぼりと実家に戻ってくる訳ありの主人公・佳乃を抜擢したのが功を奏したのだと思う。いったん外に出た彼女だからこそ、地元である照降町への愛着を読者が受け入れやすくなり、ごく自然に物語の世界に馴染んでいけるのだ。

 冒頭、駆け落ちした男から逃げ出し、3年ぶりに照降町に帰ってきた鼻緒屋(鼻緒や雪駄、草履の製造販売店)の娘佳乃が橋のたもとに立っている。あやうく、借金返済のために苦界へ売り飛ばされそうになったのだ。

 夜鳴き蕎麦屋に父親が喘息で苦しんでいると知らされ、裏戸から母に声をかける。びっくりしつつ娘を迎え入れ、「ここはおまえの家だよ」と言う母。病に臥す父にも許され、遅い夕餉を食べ始める場面……。

〈そのとき、ぼろぼろと涙が頬を伝って流れ落ちてきた。

 飼い猫のうめが、膝に身を擦りつけてきた。

(照降町に戻ってきた)

 佳乃はそうしみじみと思った。〉(第1巻第1章「出戻り」より)

 ここでの注目ポイントは、我が家にではなく、照降町に戻ってきたと感じている点である。『鎌倉河岸捕物控』などでもそうだったが、佐伯作品では市井の登場人物と地域の関わりが強調されることがたびたびあり、同じ時代を同じ場所で生きる人びとの濃いつながりをさりげなく読者に届けてくれる。

 現代では希薄となった義理人情を、違和感なく取り入れやすいのが時代小説のメリットではあるだろう。でも、それだけではないと思う。北九州生まれの佐伯泰英は大学進学を機に地元を離れ、以後は東京や海外、現在は静岡県で暮らしている。地元と呼べる場所がない者にとって、生まれ育ったところで人生をまっとうする暮らしは、永遠に手に入らないライフスタイル。強固な地盤へのほのかな憧れが(照降町に戻ってきた)という佳乃の心理描写に表れ、読者の何割かを占めるであろう地方出身者に伝播する。私もその一人としてこの場面にはしびれた。


※ 次回は、11/16(土)更新予定です。

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)