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往復書簡 日々の音沙汰 ー第1回「竹中直人と和解する日」(伊藤亜和)ー

 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストのジェーン・スーさんと文筆家・モデルの伊藤亜和さんによる往復書簡がスタート。 
 毎月第2・第4火曜日に更新する予定です。初出:「一冊の本」11月号

✉ ジェーン・スーさま ← 伊藤亜和

 いつもお世話になっております。鈴虫たちの涼しげな鳴き声とは裏腹に、まだまだ暑い日が続いておりますが、体調などお変わりないでしょうか。

 先日は新大久保にて、私の著書『存在の耐えられない愛おしさ』の重版祝いをしてくださりありがとうございました。私が去年の6月に投稿した「パパと私」というエッセイをスーさんが偶然発見してくださってから、もう1年と半年程が経ちました。学校のレポート程度で毎度切羽詰まっていた私が、今となっては毎日眉間にしわを寄せて何かしらを書き、挙句に本を一冊書き上げてしまったのですから驚きです。最近よく考えているのは、スーさんとはじめてお会いした日のことです。もしあの日、スーさんが私にかけた言葉が「めっちゃよかったよ~がんばってね~」などと当たり障りのないものだったとしたら、私はそこでなんだか満たされたような気分になって、書くのをやめていたかもしれません。あのとき淡々と “これからどうするか” を説いてくださったおかげで、なかば浮ついていた気持ちがスッと地に降り「やるしかないんだ」と肝が据わったような気がします。

 いつもはLINEで変なスタンプを送り合いながらやりとりしているスーさんに、こうしてかしこまってお便りをお送りするのは、なんだかひどく緊張しますね。これを読んでくださっている読者の方々、皆さまはおそらくなにか、日々の糧や気づきを得るために、この往復書簡を読まれているとお察しします。「日々の音沙汰」ということで、最近やっていることや考えていることについて、どんなふうに書いていこうかと悩みながらこれを書いておりますが、私が日々考えていることなど本当にくだらないことばかりで、スーさんに聞いていただくようなことも、皆さまの糧になるような気づきもどこにも見当たりません。なので、いっそ開き直って本当にくだらない話をしようと思います。キレキレのブレイクダンスかと思いきや、優雅なドジョウすくいのような滑り出しです。

 最近、竹中直人が気になって仕方ありません。

 最近と書きましたが、実際の私と竹中直人の因縁は十数年前にさかのぼります。

 おそらく中学生だった頃のこと、生徒たちのあいだで「診断系」のサイトが流行しました。名前を入れると、脳内で考えている(らしい)ことが漢字やアルファベットで表示されたり「動物で例えると〇〇!」といったように診断結果を教えてくれるサイトです。名前を入れただけでそんなことがわかってたまるか、と今なら思うのですが、その当時はみんなその話題で持ちきりで、まるで今でいうところの「MBTI診断」のように重要視されておりました。そうして次から次へと新しい診断サイトが生み出されていくなかで、新たなトレンドとして台頭してきたのが「似ている芸能人診断」なるものでした。

 この「似ている芸能人診断」というのは、従来の診断のように名前を入力するというものではなく、ケータイのカメラで撮影した “自撮り写真” をサイトにアップロードし、しばらくすると「△%〇〇似」といったふうに診断結果が表示される、というものでした。堀北真希似だとか深田恭子似だとか、学校のみんなが診断結果を誇らしげに言い合っているようすを見て、私も話題に乗るべく、自宅に帰って早速診断サイトを開きました。

 当時はまだガラケーというやつで美肌加工などもなく、それでもなんとか可愛く写るように試行錯誤しながら何枚も自撮りをしたのを憶えています。ようやく渾身こんしんの1枚が撮れ、ワクワクしながら写真をアップロードし、診断ボタンを押しました。診断中という文字が点滅しているあいだ、ドキドキしながら「私は誰に似てるんだろう。やっぱり青山テルマとか、クリスタル・ケイとか出るのかな。でもこの前焼き鳥屋のおじさんに “あびる優だ!” って言われたからあびる優なのかな、でもあびる優がどんな顔かよく知らないや……」などと考えを巡らせていると、ついに画面に「診断完了!」という文字が。もうお分かりかと思いますが、おそるおそるスクロールした私の目に飛び込んできたのは

「80% 竹中直人」という結果でした。

 ショックでした。決して竹中直人がかっこよくないと言っているわけではありません。しかしそれでも、思春期真っただ中の女子にとって「竹中直人似です」と突き付けられることは、ほとんど死を意味すると言っても過言ではありませんでした。自分の精一杯の自撮りが4枚横に並べられ、左から徐々にぼんやりと竹中直人のはち切れんばかりのスマイルが合成されていく理不尽な光景が忘れられません。私はそっとサイトを閉じ、二度と顔診断などするまいと心に誓いました。同級生に「顔診断やった?」と聞かれてもかたくなに「知らない」「やってない」と口を閉ざし、流行はやりがおわるまで、必死にその話題から遠ざかろうと努力しました。自分が竹中直人似であることは墓場まで持っていこう。そう決心しました。

 それから長い時が経ち、私はそのことをとくに思い出すこともなく、平和に日々を過ごしていました。しかし、竹中直人の影は再び私の背後に迫ってきたのです。そう、映画「翔んで埼玉」の大ヒットであります。
 当時からひとり映画が趣味だった私は、周囲で面白いと評判だった「翔んで埼玉」を観に行くことにしました。評判通り映画は大変面白く、広い映画館にいっぱいの観客たちが一体となって笑い声をあげていました。私も周りの観客たちと一緒に声をあげて笑い、存分に映画を楽しんでいたのですが、そのスクリーンに突然、船長の格好をしてサングラスをかけた竹中直人が現れたのです。竹中直人はよりにもよって、私が住む神奈川県の県知事役でした。東京都知事役の中尾彬にこびへつらい、金の延べ棒ならぬ金の「ひょうちゃん(崎陽軒のお弁当に入っている醬油入れ)」を賄賂わいろとして差し出す竹中直人。私の心はザワザワと音を立てはじめましたが、まだその時はそれがどうしてなのか思い出せずにいました。それからしばらくして、私は思い出したのです。自分が80%竹中直人であるということを。

 私は劇場を出たあと、すぐに竹中直人について調べました。そうして、竹中直人が同じ横浜市の出身であること、私と身長が同じであることを知りました。竹中直人のことを知るたび、中学の頃の悲しい記憶がよみがえってきましたが、それと同時に、なにか温かい、親しみのようなものも湧いてきました。あの頃は竹中直人だったかもしれないが、今の私はそうじゃない。あの頃と違って私はおしゃれもしてメイクもしている。きっと誰も私が「竹中直人に似ている」なんて思わないはずだ。竹中直人と和解する日が来たのだ、そう思いました。

 今心に残っているのは、竹中直人への親愛と敬意だけです。竹中直人が画面に映るたび、私の目は自然と竹中直人を追っています。先日は、映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」も観に行きました。登場するたびに愉快に歌い踊り、キラキラと輝く竹中直人を見て「人生には竹中直人が必要だ」と強く思いました。そして先日、拙著を読んでくれた人のレビューの中に「彼女の文章の中には、竹中直人の伝統芸 “笑いながら怒る人” に通ずるものがある」と書かれているものを発見しました。私の心の中には竹中直人がいる。そう思うだけで、明日も頑張れるような気がしています。
 私は一体なにを書いているのでしょうか。長々とすみません。

 そういえば先日、パートナーに対して「スナフキンに似ているね」と言ったら「似ているというのは、誰であっても褒め言葉ではないよ」と言われました。私は美男美女に似ているというのは褒め言葉だと思っていたので、嫌な人もいるのかと驚き、あまり人に言わないようにしようと反省しました。スーさんは、誰かに似ていると言われるとどんな気持ちになりますか?
 日々ご多用かと存じますがご自愛ください。お返事お待ちしております。


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見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)