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そうした事情があったとしても伊根欣二郎が事故死であった事実に揺るぎはありませんよ――中山七里「特殊清掃人」第14回

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自宅で突然死したイネ・ライジング社長のきんろうと恋人関係にあった部下たち。は、三人目の女性から事情を聴き始める。


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 三人目の女性はひどく消沈した面持ちで応接室に入ってきた。

「営業課のたかと申します。この度は社長の部屋をご清浄いただき、ありがとうございました」

 深々と低頭する姿は、故人の肉親のようだった。

「社長の形見分けの件と聞きました」

「ええ。形見分けを受ける資格を持つと思われる人から参考意見をいただきたいんですよ」

「参考意見と言われても、伊根社長は素晴らしい人だったとしか」

「ベンチャーの起業者としてですか、それとも伊根きんろう氏個人としてですか」

「両方です」

 一切の迷いがない回答だった。

「創業者なのにおごたかぶらず、わたしたち営業の人間一人一人に気軽に声を掛けてくれる。蓄財なんて露ほども考えず、利益が出れば社員に還元してくれる」

「なるほど。では異性としては」

「私心も物欲もない、素敵な男性でした」

 いくら故人とは言え、ここまで手放しで称賛できるのは恋に目が眩んでいるからだろうか。同じ交際相手でもともとはずいぶん人物評に差がある。

「伊根さんとお付き合いされていたと聞きました」

「社内では公然の秘密でしたから。わたし以外にも秘書のはまさんとか広報のいしさんとか」

「三股もかけていた男性が素敵ですか」

「浜谷さんも石田さんもただの遊び相手でした。ただの遊び相手だったら何人いたっていいじゃないですか」

 そういう考え方もあるのか。

 ふとは意地の悪い質問を思いついた。

「失礼ですが、矢野さんは自分がただの遊び相手ではないという確信でもあるんですかね」

「わたしはあの二人とは違います」

 貴子は毅然として言う。目が眩んだ上での思い違いでなければいいのだがと、五百旗頭は老婆心ながらに思う。

「浜谷さんも石田さんもきんちゃ……伊根社長の性欲処理の道具みたいなものでした。その点、わたしと社長は精神的な絆があるんです」

 貴子の口調があまりに確信に満ちているので、五百旗頭は畳み掛けるのが次第に気の毒になってきた。社会に出ても尚、現実と夢想の狭間を行き来する者がいる。各々の生き方だから他人が口出しできるものではないが、そのうち現実との折り合いが難しくなるのだろうと考えてしまう。

「自分が形見分けの対象者として相応しいと思っていますか」

「伊根社長にはご家族がいらっしゃいませんでした。だけど今はわたしがいます。わたしが肉親に一番近い存在だったと断言できます。だから当然、形見をいただきたいと思います」

「伊根さんと何か約束ごとでもあったんですか。たとえば婚約のあかしとか」

「それは、ありません」

 再び貴子は消沈する。

「別に急いでいた訳でもないので。いつも決まった曜日にお食事して、部屋に泊まってというのを繰り返していました。デートを重ねていれば、いつか自然にそういう雰囲気になると思っていたんです。まさか社長があんなかたちで亡くなるなんて想像もしていなかったから、それは少し後悔しています」

「形見分けの件ですが、何か特定のモノを想定していますか」

「あの人が身に着けていたものなら何でも構いません。服でも指輪でも小物でも」

「それ以外に値打ちものがあるかもしれませんよ」

「おカネに換えるつもりなんてないです。あの人の体温が感じられるモノならたとえ骨でも」

「残念ながら遺骨はマンションのオーナーが引き取ってに付しちまいましたからね」

「本当に残念です。死体発見から火葬まであっという間だったので、申し出るひまもなかったんです」

 思い出したように貴子は口調を湿らせた。

「きんちゃ……社長は一人で死んじゃったんですよね」

「警察の見立てではヒートショックで死亡したとのことでした。心臓麻痺みたいなものだから、それほど苦痛は感じなかったはずです」

「でも一人きりで、誰にも看取られなかったことに変わりありません。しかも死んでから発見されるまで、ずっと煮立てられていたなんて。きっと熱かったと思います。苦しかったと思います。社長の気持ちを想像すると、悔しくて悲しくて」

 ほどなくして貴子は顔を覆い、細く嗚咽おえつを洩らし始めた。

 愁嘆場に慣れた五百旗頭は、貴子の頭を見下ろしながら生前の伊根に思いを馳せていた。善人の顔で社内の女性を片っ端から抱き、趣味か投資か高級ワインを集めて悦に入る。まさしく酒と女の日々であり、いみじくも本人が智美に告げたように伊根は根っからの享楽主義者だったとみえる。熱い風呂に浸かりながら天寿を全うしたのなら、それはそれで男冥利みょうりに尽きる人生だったのではないか。

「あの」

 貴子の声で、五百旗頭は我に返る。

「できれば社長が持っていたスマホを形見分けにいただけないでしょうか。絶対わたしとの交信記録が残っているはずです。この上ない思い出になります」

 携帯端末ならいったんたちが押収し、事件性なしと判断された時点で返却されたはずだ。もっとも貴子だけではなく他の女との交信記録も残っている可能性が否めず、彼女の甘い思い出になるかどうかは微妙なところだった。

「当たってみますよ」


      3


 翌日、五百旗頭は新宿署に諏訪を訪ねた。

「わたしはいくつも案件を抱えている身でしてね」

「知ってるよ」

「わたしの貴重な時間を奪ってまで面会しようってんですから、さぞや警察にとって有意義な話を聞かせてくれるんでしょうね」

「損はさせねえよ」

 五百旗頭の返事を聞いて、諏訪は初めて応接室の椅子に座る。

 五百旗頭は死んだ伊根欣二郎が社内でどんな評価を受け、なる経緯で三人の女性と交際していたのかを説明する。すると諏訪は悔しそうに顔をゆがめた。

「聞き取りをしたのは秘書の浜谷智美からだけでした。まさか伊根がパワハラもセクハラもしていたとは」

「社員数の少ないベンチャー企業は大きな家族なのかもしれんな。家庭内のいざこざだから外には洩れにくくなる」

「確かに。しかし五百旗頭さん、そうした事情があったとしても伊根欣二郎が事故死であった事実に揺るぎはありませんよ」

「そいつはどうかな」

「思わせぶりな言い方はやめてください」

「別にあんたを不安にさせるつもりはないんだ。ただ現場を見た時の違和感がどうにも拭えない」

「違和感の正体は何ですか」

「まだはっきりとは言えねえ」

「つまり根拠はないんですね」

「根拠がなくたって、現場を渡り歩いた一課の刑事なら引っ掛かりを覚える。そういう類いの違和感だと言ったら納得するかい」

 現役の刑事である諏訪は不機嫌な顔をして黙り込む。

「ついてはあんたたちが伊根の部屋から押収したものの一覧を見たい」

「あなたに閲覧させて新宿署にどんなメリットがありますか」

「一緒に仕事をした間柄なら、俺の違和感がそれほど安っぽいものじゃないのを知っているだろ」

「そりゃあ、まあ」

「いったん事故死として処理した案件が後になって事件性ありとして覆る。その時、事前に疑義を唱えたかどうかで後々の評価が変わると思わねえか」

「外した時のデメリットは」

「既に事故死で処理しているから外したところで誰の迷惑にもならねえし、そもそも問題にするヤツなんていねえよ」

 諏訪は無言で退出し、しばらくして戻った時には一冊のファイルを手にしていた。

「五百旗頭さんだから見せるんだ」

 言いながらテーブルの上に投げ出した。

「口外無用ですよ」

「当然だ」

 ファイルには鑑識結果と押収物の一覧が収められていた。現場には伊根以外の不明毛髪と不明指紋と下足痕が数種類。これは彼の部屋に寝泊まりした女性たちのものに相違ない。

 ただし浴室内に伊根以外の毛髪や体液は採取できなかった。本人がヒートショックで事故死したという判断の基になった情報でもある。

 ゴミ箱の中身に目ぼしいものはない。ドローンを特集した科学雑誌と経済紙、そしてカップ焼きそばの容器と割り箸。

「珍しい調味料を揃えているのに、カップ麵をダース買いしています。本人は料理がからっきしで、付き合っていた女たちに作らせていたんでしょうね」

「本人のスマホはあったのかい」

「キッチンのテーブルの上に置いてありましたよ。ロックが掛かっていましたけど、鑑識が頑張ってパスワードを解読して中身をあらためました。登録されていたのは主に取引先と社員のメールアドレスで、交信記録を覗いても不審なものは見当たりませんでした。秘書の浜谷智美、広報課の石田未莉、営業課の矢野貴子から極めて私的なメールが入っていますが、これも伊根の行状と照らし合わせれば不可解じゃありません」

 諏訪の説明を聞きながら、五百旗頭は押収物の一覧に視線を走らせる。

 妙だと思った。

 伊根があの部屋で暮らしているとすれば当然あるはずのものが、一覧に記載されていない。何度眺めてみても結果は同じだった。

       

前回(第13回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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