見出し画像

音を科学する魔法(後編)――李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第22回

台湾出身の芥川賞作家・ことさんによる日本語との出会い、その魅力、習得の過程などが綴られるエッセイです。

第22回 音を科学する魔法(後編)

 前回、音声学と音韻学は言語学の中でも敬遠されがちな分野だと述べたが、所詮現代的な学問であり、使われている道具セット(国際音声字母など)もかなり現代的なものだ。それと比べ、中国の伝統的な言語学の一分野である「声韻学」のほうが遥かに抽象的で、難解である。声韻学を必修科目とする中文科で、学生たちはよく真っ赤に充血した目を見開いて黄ばんだ教科書と睨めっこしながら、呪文のように「ドンドンジョンジャンジージージーウェイユーユームオ……」と唱えていたものだ。事情を知らない人から見れば、悪魔を召喚する儀式でも行っているのかと思うかもしれない。

 前回でも述べた通り、「文字学」「声韻学」「訓詁くんこ学」はそれぞれ漢字の「字形」「字音」「字義」を研究対象とする分野である。それも通時的な、つまり歴史的変化を明らかにしようとしているのだ。

 例えば、「文字学」は漢字の成り立ちを問題としている。もちろん、漢字というのは作られた当時から今の形をしているわけではない。現存最古の漢字は「甲骨文字」といって、亀の甲羅や獣の骨に刻まれていたものだが、その形は今の漢字とは似ても似つかないものが多い。いくつか簡単な例を挙げよう。


 図の左から順に、「日」「人」「女」「母」「安」「上」「東」「萬」である。

「日」は簡単な象形文字で、太陽の形をかたどっている。真ん中の点は「そこに何かがある」ことを示す記号である。太古の昔の人間は太陽黒点を観測し、それを文字の形に落とし込んだのかもしれない。

「人」も単純な象形文字で、人間を側面から象っている。よく聞く「人という字は人と人とが支え合っているうんぬんかんぬん」といった説教臭い俗説は、残念ながら文字学の知識に照らせば事実ではない。人は一人で生きている。ちなみに、一人の人間が両手を広げて立っている形が「大」という字になった。大いなる人もやはり堂々と、一人で生きているのだ。

「女」は、ひざまずいている従順な女性の形を象っている。甲骨文字を見ると、胸が強調されていることが分かる。太古の昔の人間が考えていた女性像は、漢字という文字にそのまま冷凍保存されている。「女」という字の胸の部分に更に点をつけて強調したのが、「母」という字だ。母なる人間の哺乳機能を強調しており、極めて原始的な発想である。また、「安」という字は「家の中にいる女」を示している。女は家の中にいれば安全安心だ、といった古い価値観が表現されている。

「上」は、長い横棒の上に短い横棒を描くことで、「上」を示している。「東」は、太陽が昇ってきて、「木」の真ん中に到達している様子を示している。太陽は東から昇るので、「東」はこのように表現されている。「萬」は「万」の旧字体である。が、この甲骨文字は実は数字の「萬」の意味を示していたわけではない。さそりの形を象っているのだ。つまり、「萬」という字の本来の意味は「サソリ」といった虫だったが、後に数字の「万」の意味として使われ始め、そちらのほうが広く使われたのでそのままになり、「サソリ」の意味が消えてしまった。この現象を「仮借かしや」という。「萬」という字はいわば数千年の間、ずっと借りっぱなしのままである。

 一方、「訓詁学」は漢字の意味の変遷、または言葉の解釈をめぐる問題を研究する学問だ。「訓詁」の「訓」は「教訓」の意味ではなく、「訓読み」の「訓」、つまり「意味」「解釈」といった意味である。数千年も使われていれば、漢字の意味は広くなったり狭くなったりと、変わってしまうことがよくある。特定の時代の漢字の意味が分からなければ、古書を正しく理解することが難しい。

 水村美苗はかつて『日本語が亡びるとき』の中で、こう書いた。

「聖典」を筆写しながら、自分の解読のしかたがふつうのものとちがうと気がついたとき、少し手を加える。注をつけるようにもなる。注がだんだんと多くなるにつれ、注を集めた解読書というものを作る。やがて世の中には数多くの解読書が出回るようになる。そのうち、どれが優れた解読書であるかを、のちにきた〈叡智を求める人〉たちが読み分ける。かれらは、それを新たな「聖典」とし、新たな解読の対象として、新たな解読書を作る。すると、そのうちどれが優れた解読書であるかを、のちにきた、〈叡智を求める人〉たちが新たに読み分けて、新たな「聖典」とする。そこに生まれるのは、〈読まれるべき言葉〉の連鎖である。

 中国では数千年の間、儒家思想が支配的な地位にあった。儒家思想における「聖典」はさしずめ、「四書五経」と「十三経」である。数千年の間、無数の〈叡智を求める人〉たちがこれらの聖典を読み、その解釈をめぐって無数の注釈を残してきた。

 例えば、「五経」とは『易経』『詩経』『書経』『礼記らいき』『春秋』のことだが、これらの聖典を読み解くために多くの辞書類が作成された。そのうち、『爾雅じが』という書物が最もよく参照されたので、時代が下ると、『爾雅』は単なる辞書として見なされなくなり、「十三経」の一つとして数えられるようになった。いわば「聖典入り」したのだ。「聖典」となった『爾雅』もやはり後に来た人たちが読み解き、注釈をつけていった。聖典に対する注釈は「注」という。その「注」を、後に来た人たちがまた読み解き、更なる注釈を残した。「注」に対する注釈は「」という。また、「しゆう」「正義(義を正す、の意)」「章句」といった名称を用いることもある。このように、儒家の聖典と解読書を読み分ける営為の連鎖そのものが、訓詁学の歴史と言える。

「言葉の意味を正しく読み解く」というと簡単そうに聞こえるが、これはかなり骨が折れることだ。何しろ、数千年の歳月があるのだ。同じ漢字、同じ言葉でも、時代が異なれば全く異なる意味として使われることがよくある。「道」という字は本来「ミチ、道路」の意味だが、人が歩むべき道、従うべきことわりということで「道理」「道徳」「規律」「方法」といった意味に発展した。「道を案内する」ということで「導く」という意味にもなった。「道の途中」ということで「通りかかる」という意味としても使われた。「道理を説く」ということで、単なる「話す」の意味になった。「話す」が、次第に「口に出さずに心の中で思う」という意味にも発展し、「思う」という意味になった。「道路」と「思う」は一見全く違う意味の言葉だが、どちらも「道」の字義になったのだ。

 これはまだ単純な例である。中国はあまりにも広く、方言も多い。地域が異なれば、言葉の使い方も異なる。さらに悪いことに、古代には印刷術がなかった。「聖典」を流通させる際に、基本的に人間が手で書き写していた。そうすると、書き間違えたりもする。書き間違えたものが広く流通すると、それは「別の版本」になり、どれが正しいのか分からなくなる。活版印刷が発明されてからも、活字を組み間違えることがよくあった。これらはすべて訓詁学の分野である。

 字形にしろ字義にしろ、基本的に「目に見えるもの」を研究対象としている。しかし声韻学が研究対象としているのは、目に見えない「字音」だ。当然ながら、太古の昔には蓄音機やテープレコーダーなんてものはなかった。したがって、二千年前の中国語の発音は、今となっては分かりようがない。が、二千年も経つと、言葉の発音というのは全く違う言語に聞こえるくらい、変わり果てるものだ。録音データがないという過酷な状況で、それでも文献資料に頼ってなんとか昔の中国語の音を究明しようとするのが、声韻学という分野である。「声韻学」の「声」とは「声母」つまり中国語音の「子音」のことで、「韻」とは「韻母」つまり「母音(+声調)」のことなのだ。

 幸い、役に立つ文献はそれなりにある。韻を踏んでいるとされる古い韻文を観察すると、韻母が近い漢字を見つけ出し、グループ分けできる。「仮借」の現象が起きている漢字同士、あるいは単なる誤字は、発音も近いと推測できる。現代の方言を比較言語学的な方法で分析すれば、祖語の再構築に役立つ。現代日本語や韓国語における漢字音も参考になる。中でも「韻書」と呼ばれる書物群がとりわけ大事な資料となる。

 中国語の書記言語は漢字のみである。そして漢字は無数にある。無数にある漢字の読み方を全部覚えることなど、通常の人間には到底不可能だ。聖典を読み解こうとする〈叡智を求める人〉たちは、必ず読めない難読漢字に出くわす。中国語には平仮名や片仮名がない。現代であればピンインや注音符号があるが、古代にはそんな便利なものがなかった。では、昔の人は読めない漢字の発音をどのようにメモするのだろうか? 答えは「反切はんせつ」である。

「反切」とは、一つの漢字の発音を「声母(子音)」と「韻母(母音+声調)」という二つの要素にり分け、それぞれ一つの文字で示す表音法である。例えば「東、徳紅切」は、「東」という字の発音を「徳」と「紅」の二文字で表しているのだ。「徳」から子音を取り、「紅」から母音と声調を取って合体させれば、「東」という字の発音になる、という具合だ。逆に言えば、もし特定の時代の書物に「東、徳紅切」のような注釈(これを「切語」という)が残されていれば、私たちはその時代において「『東』は『徳』と声母が同じで、『紅』と韻母が同じだ」と、ほぼ断言できる。このような切語を整理していけば、古代の中国語における声母と韻母を帰納し、グループ分けできるというわけだ。

 実際、そのような作業をしてくれた古人がたくさんいた。昔の知識人は詩詞歌賦といった韻文をよく書くので、韻母はとりわけ重要だった。そこで彼らは韻母を整理し、書物にまとめた。これを「韻書」という。この種の韻書の集大成は北宋時代(一〇〇〇年前後)の勅命で編まれた『広韻』であり、これは中古音(六~十一世紀あたりの中国語音)を知る上で大事な文献となった。

 作詩のためにそんな書物まで編むなんて酔狂だと思われるかもしれないが、昔の知識人だって単なる趣味で詩を書いていたわけではない。科挙の受験、つまり立身出世という実用的な目的があったのだ。人生がかかっているといっても過言ではない。朝廷だって単なる文化事業として韻書を編んでいたわけではない。科挙の基準が必要だったのだ。

『広韻』は中国各地の方言を広く調査した上で、数万の漢字を二百六種類の韻母に分類し、それぞれの韻母に属する漢字の中から一字取って、その韻の名称にした。「東冬鍾江支脂之微魚虞模……」という呪文は、韻の名称なのだ。「東」という韻、「冬」という韻、「鍾」という韻が存在するというわけだ。私たち声韻学を履修する中文科の学生は、二百六種類の韻の名称を覚えなければならなかった。周期表の元素より多い。

 同じ要領で、中古音の声母は三十六種類(実際はもう少し多い)に分類できる。それぞれ一字取って、その声母の名称とすると、「バンパンビンミンフェイフーフェンウェイ……」というもう一つの呪文の出来上がりだ。これを「三十六字母」という。

 長々と書いてきたが、何やら難しそうな「声韻学」が日本語と一体どういう関係があるのかというと、大いに関係がある。漢字がその音とともに日本に輸入されたのは、ちょうど「中古音」の時代に当たるからだ。したがって、中古音を解析してできた「三十六字母」と「二百六韻」という分類は、日本語の漢字音(漢字の音読み)にも当てはまる。「三十六字母」と「二百六韻」の分類法を理解すれば、日本語の漢字音をある程度類推できるというわけだ(ただし、日本語の漢字音と一口に言っても、呉音、漢音、唐音などがあるが、中古音に当たるのは比較的古くから入ってきた呉音と漢音である)。

 例えば、「幇」という声母に属する漢字は、日本語ではおおむね「ハ行」に当たる(幇、宝、兵など)。「並」という声母に属する漢字は、日本語では呉音は「バ行」、漢音は「ハ行」に当たる(房、歩、便など)。「明」という声母に属する漢字は、日本語では呉音は「マ行」、漢音は「バ行」または「マ行」になる(民、満、門など)。これを踏まえると、例えば「陂」「鼙」「懣」のような難しい漢字であっても、それぞれ「幇」「並」「明」という声母に属していると分かれば、日本語の発音をある程度推測できるのだ。

 また、「二百六韻」はさらに「陰声韻」「陽声韻」「入声韻」に分けることができる。「陽声韻」とは「鼻音韻尾を伴う韻」のことで、「入声韻」とは「破裂音韻尾を伴う韻」のことで、「陰声韻」とは「子音韻尾を伴わない韻」のことである。例えば「紅、唐、琴、峰」は陽声韻で、「木、立、葉、合」は入声韻で、「李、佐、義、昭」は陰声韻である。そして、陽声韻の鼻音韻尾は「-n、-m、-ŋ」の三種類があり、入声韻の破裂音韻尾も「-t、-p、-k」の三種類がある。

 これらの韻尾は、日本語の漢字音にも反映されている。「-n」と「-m」の韻尾を伴う漢字は、日本語では大抵「ン」がついており(琴、音など)、「-ŋ」の韻尾を伴う漢字は日本語では長音になる(紅、唐など)。「-t」「-p」「-k」の韻尾を伴う漢字は、日本語では「ち、つ」「ふ」「き、く」の音がつく(蜂、活、合、壁、竹など。ただし、「合」のような「ふ」がつく漢字は現代的仮名遣いでは長音になっている)。「陽声韻」と「入声韻」に属する漢字は韻尾があるので、日本語では大抵二拍になる。「陰声韻」は一拍の字もあれば二拍の字もある。

 このように、中古音の「三十六字母」と「二百六韻」は現代日本語の漢字音とはしっかりとした対照関係がある。そして当然ながら、現代中国語とも対照関係がある。ということは、この二つの対照関係を整理すれば、現代中国語の漢字音と現代日本語の漢字音の法則性が分かるわけだ。以下はほんの数例である。

・中国語の声母が「b」「p」「m」「f」の字は、日本語では「ハ行」「バ行」「マ行」になる。

・中国語の声母が「d」「t」「n」の字は、日本語では「タ行」「ダ行」「ナ行」になる。ただし、声母が「n」の字は稀に「ガ行」になる。

・中国語の声母が「l」の字は、日本語では「ラ行」になる。

・中国語で声調が第二声の字は、日本語では「少なくとも一つ以上の有声音の読み方がある」(濁音に加え、「ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行」も有声音である)。

 一回時代を遡って「中古音」を経由すれば、現代中国語と現代日本語の法則性が浮き彫りになるのだ。まさしく魔法である。

 実は日本語のみならず、「中古音」に関する知見は韓国語を勉強する上でも大いに役に立つ。

 そもそも、現代韓国語の書記文字であるハングルは十五世紀に世宗セジョン大王が発明したものだ。言語学に通じていた世宗大王がハングルを設計する時に参考にしたのが、中国の声韻学である。中古音は声母の調音部位を「唇」「舌」「歯」「牙(軟口蓋)」「喉」に分類したが、ハングルの子音「ㅁ」「ㄴ」「ㅅ」「ㄱ」「ㅇ」はまさしくこれらの器官の形を象っている。声韻学の知識があれば、ハングルがいかに論理的に設計された文字体系なのかがよく分かる。

 また、前述した中古音の鼻音韻尾と破裂音韻尾は、現代日本語と現代中国語では消滅しているものが多い。例えば現代中国語では破裂音韻尾は完全になくなっており、鼻音韻尾の「-m」も「-n」に同化した。現代日本語でも「-m」が「-n」になっており、「-p」が長音になっている。しかし、これらの子音韻尾は韓国語の漢字音ではしっかり残っている。例えば「音」という字は本来「-m」の韻尾を伴っているが、現代中国語では「yin1」、日本語では「オン」となっているとおり、「-m」が「-n」になっている。が、韓国語ではまだ「음(eum)」と発音している。「-m」が保存されているのだ。

「中文科の理系科目」として、理系に弱い文学少年少女たちに蛇蝎だかつのごとく恐れられていた声韻学だが、私にとってはとても面白い科目だった。このとっつきにくい学問から見えてくるのは、近代以前、千年以上にわたる東アジアの言語と文化の交流史である。気が遠くなりそうな時間の中で、漢字はその響きを携えて中国語という言語を飛び出し、タンポポの種のように異国へ渡って、そこで根を下ろし、現地の言語の一部となった。そして今度はその言語の中で、原形を何とか保ちつつも、独自の変化を遂げていく。その様子が、私にはとても美しく感じられる。

※毎月1日に最新回を公開予定です。

李琴峰さんの朝日新聞出版の本

【好評3刷】生を祝う


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!