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伊根さんの生き方を否定できる人間は誰もいません――中山七里「特殊清掃人」第16回

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孤独死したイネ・ライジングの社長きんろう、その恋人だった部下3人が一堂に会し……。



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 数日後、の部屋に形見分けを希望する三人を招き入れた。

「伊根きんろうさんの遺した財産の見積りが出たので報告します。もっとも財産と言っても、預貯金や自社株は〈イネ・ライジング〉との共有財産であるとの認識であり、形見分けはこの部屋の中にある物品を対象とさせていただきます」

 はまともいし、そしてたかの三人は納得顔で頷いてみせる。

「お三方が伊根さんとお付き合いがあったのはそれぞれご承知なので敢えて申し上げれば、まず衣服はどれも既製品であり古着の価値しかありません。腕時計、タイピンといった装飾品も同様で、質屋に行っても二束三文で叩かれるのがオチです。ただしスマホは別です。最新型の機種で、しかも亡くなる当日までの交信記録が削除されないまま残っています」

 真っ先に貴子が手を挙げた。

「他のお二人が希望されないなら、そのスマホ、わたしがもらっていいですか」

「他の方々との交信記録も当然、残っていますよ」

「構いません」

「では、スマホは矢野さんにお渡しします」
残る二人は遠慮がちにではあるが、部屋の中を物色し始めた。勝手知ったる場所なので、どこに何が置いてあるかを確認しているのだろう。

「あの」

 手を挙げたのは智美だった。

「部屋に来る度、伊根社長に訊こう訊こうと思ったんですが、結局訊けませんでした。ダイニングのワインセラーにあるワインは値打ちがあるものなのでしょうか」

「いい着眼点ですね」

「ブランド品にも財産形成にも興味のなかった男性の部屋としては、唯一特別な雰囲気の場所でしたから」

「結論から言えば、伊根社長がコレクションしていたのは、いずれも高級なワインでした」

 五百旗頭は自作したリストに目を通して次々に読み上げる。

「〈ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ〉、〈シャトー・ラトゥール 1997年〉、〈シャトー・クリマン2001年〉、〈シャトー・シュヴァル・ブラン〉、〈スクリーミング・イーグル〉、〈シャトー・オー=ブリオン・ブラン〉、〈シャトー・ディケム〉、〈ガイヤ・エ・レイ/ガヤ〉、〈クロ・デュ・メニル/クリュッグ〉、〈クリスタル・ロゼ/ルイ・ロデレール〉。ああ、皆さん。スマホで銘柄を検索するのはやめてください」

 一斉に自らのスマートフォンを取り出した女たちに、五百旗頭はくぎを刺す。

「もちろん高級ワインと言っても価格に幅があり、安いものは二万円、高いものは三百万円もするそうです。しかし値段を知ってしまえば必ず争奪戦が起きてしまいます。皆さんは自分の勘と選択眼を頼りに、瓶を等分に分けてください」

 もちろん五百旗頭自身は事前に各ワインの相場を調べている。だが、これこそ言わぬが花というものだろう。

 その時、貴子が発言を求めて再び手を挙げた。

「何でしょうか、矢野さん」

「この部屋のお掃除、結構費用が掛かったんですよね」

「まあ特殊清掃と呼ばれるくらいですからね。殺菌や消臭以外にも色々と手間暇をかけています」

「トータルの費用はどれくらいなんですか」

「詳しくは申しませんが、この部屋の保証金の額は超えているでしょうね」

「だったら、このワインを売った代金を特殊清掃の費用に充てることはできませんか。元々伊根社長の部屋を清掃したのだから、伊根社長のワインの代金で賄うのが理に適っていると思うんですけど」

 横に並んでいた智美と未莉が要らぬことを喋るなというように貴子を睨む。

「矢野さんの提案は至極真っ当で有難いのですが、こうしたケースの裁判例がありましてね。賃貸借契約書において、賃借人には自殺をせずに物件を使用収益する義務があるという判断です。つまり自殺であった場合は賃借人の義務違反となり、債務不履行に基づく損害賠償請求ができるという解釈です。しかし一方、病死を含めた自然死の場合はそこが賃借人の生活の拠点である以上、老衰や事故死は想定の範囲内なので、特段の事由がない限り債務不履行に基づく損害賠償請求責任を問うことはできません。従って伊根さんが自ら意思を表明できない現状、事故死と判断された彼の資産を換価して清掃の費用に充てれば、違法と捉えられる可能性があります」

「そうなんですか」

 貴子はまだ納得がいかない顔をしていた。

 五百旗頭の目の前でワインセラーからボトルが取り出される。合計二十九本あったので智美と未莉が十本ずつ、貴子が九本で折り合いがついた。

 智美と未莉は期待ではち切れんばかりの顔をしている。まるで馬券を握り締めた親爺とそっくりだと思った。

「説明が後になりましたが、これらの高級ワインは温度と湿度が厳密に管理されています。極端なことを言うと、ワインセラーから抜き出して数十分もすれば味が変質し始めるそうです」

 三人はお互いの顔を見合わせると、慌てて自分の取り分のワインをワインセラーに戻した。

「これらの高級ワインを一時的にしろ手元に置くというのは、それなりの保管方法を講じる必要があるということです。ものが高級であればあるほど、その保管にも多大な費用が発生するのだと思ってください」

 途端に三人は居心地悪そうに身じろぎ始める。

「最後に申し上げておきます。まあ、わたしにはせんえつな務めですが、故人のお部屋を清掃したご縁でお話しさせてもらいます」

 三人は何事が始まるのかと五百旗頭に注目する。

「皆さんは生前の伊根社長から生い立ちや家庭環境を聞かされたことはありましたか。会社では常に彼と行動をともにしていた秘書さんはどうですか」

「いえ。起業してからのらん万丈は幾度も聞きましたが、学生時代やそれ以前については何も。ご両親をとうの昔に亡くされたことしか」

「故人のプライバシーに関わる話なので割愛しますが、伊根欣二郎という人物は幼少期に深い心の傷を負いました。本来なら傷を癒す場所であるはずの家庭に傷つけられたので、彼は家庭や家族というものに絶望したのではないかと想像します。家庭に絶望した人間は大きく二つに分かれるのではないでしょうか。せめて自分は理想の家庭を作ろうと努力する者。そしてもう一つは金輪際家庭などというものを作るまいと頑なになる者」

「伊根社長は後者だったというんですか」

「わたしはそう思うんですよ、石田さん。家庭を構築するのに異性は不可欠です。ところが最初から家庭を否定する者にとって異性はただの異物でしかない。当然その扱いは雑になり、即物的になり、無責任になっていく。有能で誰にでも気安い伊根さんがパワハラやセクハラに無頓着だった原因は、案外その辺りにあるような気がするんですよ」

 貴子は顔色が変わっていた。信奉していた神に裏切られたような表情だった。

「いみじくも本人が享楽主義者を自称していたのは本音だったのでしょう。人生の愉しみ方を他に知らなかったし、知ろうとしなかった。もちろん人の生き方は各人の自由です。伊根さんの生き方を否定できる人間は誰もいません。彼は彼で満足する人生だったと、わたしは思うんです。酒と女性の日々。皆さんにお渡ししたワインは、言わば伊根さんの人生の象徴でもあるのです。折角の形見です。是非じっくりと味わってもらえればと願います」

 おそらく三人のうち何人か、あるいは全員が高級ワインを売りに出すだろうと五百旗頭は考えていた。今は個人がネットで気軽に売買できる時代だ。伊根が遺した高級ワインの数々は、あっという間に買い手がつくに違いない。ワインの味が分かるこうの手に渡るのか、それとも単なる投資対象として富裕層の間を行き来するのか。高級ワインのどんな末路を期待していたかは伊根本人でなければ皆目見当もつかない。

 ただワインがどんなかたちで処分されるにしても、伊根の思いや妄執が知らされないままではあまりに切ない。特殊清掃を請け負った人間としては、せめてもの気遣いだった。

 三人は集まって相談を始め、いったんワインは五百旗頭に預けたいと言い出した。三人で協議した上で、改めて形見分けを受けたいと言う。五百旗頭に断る理由もないので応諾する。それぞれ伊根には複雑な感情を抱いていても、三人ともいい大人だ。きっと三人が、そして伊根が納得する結論を出してくれるだろう。

 三人は丁寧に礼を言って部屋から出ていった。五百旗頭は玄関から見送り、彼女たちが完全に立ち去ったのを確かめてから奥に向かって声を掛けた。

「もう出てきてもいい」

       

前回(第15回)

※毎週金曜日に最新回を公開予定です。


中山七里さんの朝日新聞出版からの既刊


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